第4話

 詩織さんは多くを語ろうとはしない。

 学校では一人静かに読書に耽る。口数は少なく、授業中の発言も必要最小限。おまけに誰かが勇気を出して話しかけても、八割の確率で「誰かしら?」という最上級の無関心に貫かれて引き下がってしまう。

 お淑やか。高潔な淑女。清廉潔白な美少女。ついでに、高嶺の花。周囲の評価は大体そんな感じだ。近づきがたいその存在感から、汚すことのできない聖域とまでいう人もいる。

 授業中に当てられれば先生を唸らせ、楽器を持てば全員を聴き入らせ、体を動かせばほうという感嘆の息がそよ風となって吹く。

 そんな完璧超人さんが僕のことを好きだと公然と言うのだから、世界というのはよく分からないものだ。


 通学途中も、詩織さんとの会話は極端に少ない。僕はただ隣を歩くだけだ。

 きっと、会話を必要としていないのだろう。詩織さんは偶にこちらに顔を傾けて、僕と目線が合うとはにかんで、それからスッと表情を消して前を向く。それだけで十分だと、僕に向けられる微笑が雄弁に語っていた。

 心で繋がっている。僕のロマンチックな部分はそんな言葉を思い浮かべる。多分、間違えてはいない。そう思えるぐらいには、昔ながらの付き合いがあった。


「……詩織さん。それ、重くないですか?」


 詩織さんはいつも、大きなスポーツバッグを抱えている。オレンジ色のビニールでできたそれは、すらりと細身の詩織さんとはどうしても不釣り合いに感じてしまう。おまけに、中身はいつもずっしりと詰まっていて重たそうだ。

 だから僕はいつもそう聞くのだけど、詩織さんは涼しい顔をして首を振る。


「ありがとう。でも、大切なものだから」


 端的にそう言って、詩織さんは前を向いて僕の提案を逸らす。僕もそれ以上は踏み込めず、会話を終える。ほとんど毎回挟むルーティーンになっていた。

 市街地に向けて、すいすいと住宅街を抜けていく。途中、町中にひっそりとある神社の前を通り過ぎた。


(……あ、紅葉もみじ


 ふと見上げると、青青と繁った紅葉の葉っぱの、地面に近い三つほどがほんのりと朱色に染まっていた。

 この神社は、入口の大きな一本を初めとして、十本ほどある木が全て紅葉なのだ。中程度の神社で奉る神様もよく知らないのだけれど、秋には空間全部が真っ赤に染まって、多くの写真家がシャッターを押し遠方からも観光客が来る、ちょっとした人気スポットになる。秋が終わると落ち葉の絨毯で一杯になって、冬にはその枯れ葉で焼き芋が焼かれて、近所の子供たちに振る舞われるのが通例だ。


「新くん?」


 ふと気づくと、随分遠くから僕を呼ぶ声がする。

 振り返ると、詩織さんがかなり離れた距離で佇んで、じっと僕のことを見ていた。オレンジのスポーツバッグが、詩織さんの体と鮮やかなコントラストを作る。

 詩織さんは結構、周囲に無関心だ。ついでに、歩くのも早い。


「ごめんなさい、詩織さん」

「謝らなくていいわよ。どうしたの?」


 詩織さんの方から近づいて、僕が見上げていた視線を追う。


「ほら、あそこ。赤くなってるんです」

「本当ね。ほんの少しだけど……そっか、もうそんな季節なのね」


 憂うようにそう言って、詩織さんは目にかかる前髪を耳にかけて見上げる。可憐な仕草と一緒に形のいい耳が露わになって、なんだかいけない気分にさせる。

 それを気づかれないように努めて平静を装って、僕は詩織さんに話を投げかける。


「覚えてます? 昔、詩織さんに連れられて、毎年ここに紅葉を見に来てたこと」

「そう……そんなこともあったわね。いくつの時だっけ?」

「小学校4年くらいまでは、多分毎年」


 詩織さんはじっと紅葉を見上げたまま、記憶の世界に没入する。詩織さんは、昔話が苦手なところがあった。

 詩織さんは子供の頃から大人びていたけれど、子供っぽい好奇心や無邪気さも、人一倍の物があった。あの頃の僕の思い出のほとんどは、目の前に自分の手を引く詩織さんがいる。

 だけど、それを詩織さんと共有するには、いつも幾拍かの時間が必要だった。

 選ぶ話題を間違えたかな……そんな不安がよぎって、僕は無理矢理に笑ってごまかそうとする。


「やっぱり、忘れちゃいました?」

「……ううん。ちゃんと覚えてる。新くんとの思い出は忘れないわ」


 ふるふると首を振った詩織さんは、それから堪えきれないというようにはにかんでみせた。


「でも……ふふっ。おかしいわ。この神社を見て一番最初に思い浮かんだのが、冬の焼き芋の事なの。食い意地張ってるわね、わたし」


 そう言って、詩織さんは時間を忘れてしまうような魅力的な微笑を見せた。きゅうっと、瞳のレンズが縮小して、彼女の笑顔に焦点を合わせる。


「……焼き芋、どこかで買いましょうか?」

「うーん。焼き芋じゃなくていいから、甘いものが食べたい気分かも。新くん、どこかいい場所を知らない?」

「そうですね……あ、クラスの女の子が話していたんですけれど、この辺に新しくできた喫茶店が、スイートポテトがオススメらしいですよ」

「あら、焼き芋にも絡めて、いちばんお利口さんな回答ね。じゃあ、今日の放課後はそこにいきましょう? もちろん……二人仲良く、ね」

「な、なんでそこを強調するんですか」

「深い意味はないわ。だって、ただの事実なんですもの」


 くすくすと笑って、詩織さんはひらりと体を踊らせる。そのままの自然な流れで、詩織さんは僕の手を取った。


「詩織さん?」

「手、握ってもいい?」

「……もちろんです」


 詩織さんの声には、思わず聞き入ってしまう深みがある。耳元で囁かれたら、多分男なら誰だって籠絡されてしまうと思う。甘みを増した声に、僕は考えもせずに首を縦に振る。

 手のひらに、揃えられた詩織さんの指が乗った。そっと僕の手のひらをなぞって、もったいぶるように一本一本を絡める。

 詩織さんの手は、秋の風に当たってひんやりと冷たい。滑らかな肌触りも相まって、本当に陶器みたいだ。ぎゅっと握り込まれて、ようやくじんわりと染みる温かさを見つけることができる。


 詩織さんは、自分から多くを語ろうとはしない。だけど言いたいことは、口に戸をつけず突発的に言う。

 そのほとんどが、こちらの反応を楽しんでからかうような女の子っぽいお願いで……その分、彼女が心から楽しんでいることが伝わってくる。

 美人すぎる詩織さんの魅力的な笑顔も相まって、僕に断る理由は、一つとしてないのが普通だった。


「ふふっ。近い距離から見た新くん、やっぱりかわいい」

「それ、どういうことですか?」

「……ううん、嘘。いつどこから見ても、新くんはかわいいんだったわ」


 詩織さんが真正面から見つめてくる。僕の深くまでをのぞき込むような、夜色の瞳。

 この瞳に見据えられるドキドキには、どうしても現実味という要素が足りなかった。


 今でも、不思議に思うときがある。

 中学校時代に離ればなれになって、高校生になって三年ぶりに再会した詩織さん。驚くほど綺麗になって、驚くほど変わらない態度で、驚くほど積極的になって、僕を出迎えてくれた。

 再会して、告白されたあの時から、半年が経とうとしている。

 だけれど、こうして隣にいることが……悪く言えば、釈然としない時もある。


「……」

「どうかした、新くん?」

「……いいえ、何でもないです」

「そう。今日はよく笑ってくれるのね、嬉しいわ」


 だけど、それでも良かった。

 詩織さんは、多くを語らない。

 それでも、溢れるほどの好きという気持ちだけは、感じることができたから。

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