猿の手に願いを

南枯添一

第1話

「何だ、これは」勝田かつたが言った。

 戸棚の前に立って、まさかマトリョーシカじゃあるまいと思えるものから、埃を払っていた僕は背後を見た。元は煎餅せんべいでも入っていたのだろうブリキの箱を、勝田はのぞき込んでいた。

「どうした?」

「いや、これは何だと思って」

 勝田はまだ新しい新聞紙にくるまれた枯れ枝のようなものをかざして見せた。それは手のミイラに見えた。折れ曲がった木の根のようなものなのだが、片方の端から細く枝分かれした部分が5本ほど伸びていて、どう見ても、それが指に見えるのだ。

「何かの根っこだろうけど、手みたいな形だね。人にしては小さすぎるから、猿の手かな」

「何?猿の手だと」

 さっきから収集品保管室の中央に突っ立って、あごの先にぴんと伸ばした悪魔髭をしごく以外のことをしていなかった八坂やさかが振り向いた。彼は勝田に手を差し出した。

「しばし拝借」

「いいけど。何をするんだ?」

「ふむ」反っくり返って、〈猿の手〉を受け取った八坂はそれを頭上にかざすと、叫んだ。

「我らに100万円を与えよ」

「アホ」床に座り込んで、収集品をくるんでいた古新聞を読んでいた溝手みぞてが、顔も上げずに言った。

「下らないことをするなら返せよ」

 既に新聞紙を戻した箱の中を、難しい顔でのぞき込んでいた勝田が言った。「さあ」

「やれやれ」箱の中に手を返しながら八坂が言った。「俗世の塵芥にまみれて、洒落を理解せん方々だ」

「洒落になってないよ」と僕。「たかが100万円のために身内に死人でも出たらどうする?」

 八坂はにやついて、「我が身内は俗物揃いでね。小生としては、はした金よりその方が喜ばしい」

「それでも100万は安すぎるだろう」

「本編に敬意を示したまでだ。あれも大した額じゃなかろう」

 八坂の言う本編とは言うまでもなくW・W・ジェイコブスの〈猿の手〉のことだ。ホラーやミステリ好きを公言しておいて、もし読んでないならモグリ扱いされても反論の余地がないくらいの古典中の古典だ。3つの願いを叶えるという猿の手を手に入れた老夫婦が戯れに、八坂が言うようにはした金を願い、願い通りの額を息子の死の代償に手に入れるというのが、前半の筋だ。そして、身の毛もよだつクライマックスが来る。

「根本的な質問なんだけどさ」浅川あさかわが言いだした。彼はそれまで、部屋の隅で埃を被っている仏像とにらめっこをしていた。

「それってホントに猿の手なのかい?」

「違うね」不機嫌に勝田が答える。「多分植物の根だよ。第一6本指だ」

「なんと6本指の猿か。益々もって神秘だ」

「猿でも木の根でも、なんでもいいけどさ。志村しむら教授は一体何を考えて、そんなものを収集したりしたんだろう?」

「それこそ根本的に問いの立て方を間違えていると指摘しよう。そもそも、この部屋にあるもので何を考えて収集したか、見当が付くものが存在するかね?」

「それはそうやな」やはり顔も上げずに溝手が言った。

「そんなことはどうでもいい」勝田が癇癪を起こした。「とにかくおまえら、働け!」

 ……この辺りで自己紹介をしておこうか。

 ぼくらは同じ大学に在籍する仲間で結成した〈レトリスム同好会〉のメンバーだった。〝レトリスム〟なんて知らないだろうが気にしなくていい。イシドール・イズーと言ってもきっと分からないだろうが、それも大丈夫だ。僕もよく知らないから。結成してからもう3年になるが、この前浅川に「ところでレトリスムって何だい?」と真顔で質問されたことがある。とにかく、ぼくらは気の合う……うーん、あまり気が合うわけでもない仲間だった。

 そのぼくらがこんなところで「働いて」いたのは、さっき癇癪を起こしていた勝田のせいだった。

 ぼくらの大学で文化人類学の講座を持っていた志村教授が急死したのは先月のことだ。フィールドワークに向かったアマゾンの流域で、ピラニアに食われたのではなく、ピラニアに人が食われそうになっているのを目撃して、興奮しすぎて、その人の方は助かったのに、教授の方は脳溢血か何かを起こしたらしい。

 もちろん不幸な出来事ではあったけれど、教授本人はまんざらでもなかったろう死に方で、どこか天命のような趣もあったのが、問題はその後始末だった。ことにその収集品だ。教授にはフィールドワークのついでに研究と関係あるのかないのか、よく分からないガラクタを収集する癖があって、自宅の2階を改造した二〇畳の保管室がそれらで一杯になっていた。問答無用で始末できればいいのだが、貴重な資料が紛れている可能性があり、まずは仕分けということになったのだ。

 勝田は教授の門下生で、フィールドワークに同行することも多く、収集品の管理係を押し付けられていた。とは言っても、集めることにだけ興味があり、保管室にも入ったことさえなかったらしい教授に代わって、収集品を保管室に放り込むだけのことだったそうだが。

 それでも、当然お鉢は勝田に回ってくる。全て、自分の思い通りにするを条件に引き受けた勝田は、手伝うつもりだった他の門下生を全員追い返してしまった。門下生同士いろいろあって、と言うことのようだが、さすがに一人で仕分けはできない。そんなわけで、ぼくら〈レトリスム同好会〉のメンバーが呼び出されたわけだ。

 とは言え、今となっては勝田も後悔していたんじゃなかろうか。戦力になっているのは精々僕と浅川くらい。八坂に至ってはいない方が作業ははかどった。

 結局、この日は作業の遅れがどうにもならなくなり、とうとうぼくらは泊まり込むことにした。教授の未亡人にカレーをごちそうになって、部屋を一つ借り、そこで雑魚寝をした。

 その翌日だった。〈猿の手〉が消えたのは。


 次の日、ぼくらは〈猿の手〉のことなんか、すっかり忘れていた。溝手が明日は休むと言い出すまでは。

「Jリーグの試合があるねん」

「残念だな」昨日からずっと不機嫌な勝田が窓から空を見上げて言った。「週末は雨だとさ」

「ふはははは。惰弱なるアメリカ産の玉遊びと同様に考えたもうな」既に一緒に観戦する気満々の八坂が言った。

「我らの勇猛なるフットボーラー諸君が雨如きで闘いを放棄するなどと考えてもらっては困る。とは言え、観戦する身には晴天が好ましいのは言うまでもない。おお、そうだ」

「なんだ?」

「〈猿の手〉だ。まだ願いは2つ残っておる」

「バカバカしい」

「おまえがどう思おうとかまわん。あれ?どこだ?」

「どうした?」

「いや。〈猿の手〉が見当たらん」

 そこでぼくらは全員で〈猿の手〉を捜したのだが、どこにも見当たらなかった。手は箱ごと何処かに消えてしまっていた。

「おかしい」僕は言った。「ホントになくなってる」

「勝手になくなるわけがないから、誰かが持ち出したことになるよね」浅川が言った。「でもさ。誰がそんなことをするんだい」

「どうでもいい」勝田が不機嫌に言う。「さっさと働け」

「何を言う。この謎を放置したまま、雑事になどかまけられるか」

「ホンマにあの手に超自然の力があったとして、手そのものはともかく、箱まで消えるンは納得できへんな。あれ、普通の煎餅の缶やったし」早くも座り込んだ溝手が言う。

「スーパーナチュラルは置いておこう。呪いの力で消えましたじゃ、面白くも糞もあるまい。何故なにゆえ彼は無価値なガラクタを盗まねばならなかったのか?」

「それはいいけど」と浅川。「いつの間にか、盗まれたことになってるんだ」

「まあ、ええやんか。で、なんで盗んだ?」

「まずはミステリ的な定番で行くか。おい前島まえしま」と僕の方を向いて、「貴様、タブレットで調べろ。最近、宝石とかその類いの窃盗はないか。小さくて金目のものだ」

「なんやねん?」

「彼は何故、無価値な〈手〉を盗まねばならなかったか。実はその目的は〈手〉ではなかったのだ。〈手〉を収めた箱の方にあったのだ」

「なるほど。それが定番か。そやけど、あれ、安モンの煎餅の箱やったで」

「ああ、だから宝石なんだ。箱の隅に隠せる」

「残念だけどね」と僕。「無いよ。めぼしい宝石盗なんて。美術品の窃盗でいうと、そうだな。仏像ならある」

「仏像が箱に隠せるか」

「掌仏とか」溝手が言った。

「大きいよ」僕はそう言って、タブレットを投げ出すと立ち上がった。

 辺りを見回して、僕はツボみたいなものに、野球のバットで通るものが突っ込んであるのを見つけた。僕はそれを引き抜いて部屋の隅に向かった。

 そこには昨日浅川がにらめっこしていた仏像があった。僕はその前に立つと、いきなりバットを振り上げた。

「やめろ!」

 勝田だった。さっきから押し黙っていた彼の顔は、今は青ざめていた。

「こんなものには何の価値もないと言って、燃えるゴミに分類したのは、勝田。おまえだろう」

 彼は何も答えなかった。顔色だけが益々悪くなった。

「八坂がいろいろ言ってたけど、〈手〉と一緒に消えたのは箱だけじゃない。〈手〉をくるんでた新聞紙もだ。おまえ、昨日は何だかすごい顔で箱の中をのぞいてたけど、あれは新聞の紙面を見てたんじゃないのか。今、盗まれた仏像の話はした。この仏像とそっくりの写真がデジタル版の紙面に載っていたよ」


「木の葉を隠すには森の中か」腕を組んだ八坂が妙に悟ったような口調で言った。

 まさに勝田がしたのは、そう言うことだった。保管室は価値があるのか無いのか、よく分からないガラクタが溢れていて、事実上、出入りする人間は勝田一人だ。美術品の盗品を隠すにはある意味理想的な場所だった。けれど、教授の死は想定外だった。知識のあるゼミの学生たちはなんとか追い返したものの、破綻は時間の問題だったはずだ。

「しかしだな、新聞の写真が問題なら、なぜそれだけを裂いて持っていかんのだ」妙な口調のまま、八坂が続ける。

「そこまですることはないと思ったんだ」そう答える僕の口調は倦んでいた。

「中の新聞を溝手が取り出して読んだりしないか、そんなことが気になって、隣の部屋に持っていった。それだけで勝田としてはやり過ぎのつもりだったんだ。まさか、ぼくらが〈手〉のことを想い出して騒ぎ始めるなんて夢にも思わなかったんだろう」

「八坂が雨の話なんかを言い出しさえしなければ」僕と同様に倦んだ口調で浅川がつぶやいた。「ついてなかったんだな、あいつ」

 ぼくらが倦んでいたのには理由があった。当然かも知れないが、美術品を盗んだのは勝田ではなかったのだ。美術品窃盗団の一人が彼の幼なじみで、簡単には語れない事情があったようなのだが、そいつの「一時的に預かって欲しい」と言う頼みを、勝田は断り切れなかっただけだった。

 けれど、そんな事情を勝田はぼくらに語ってくれなかった。あの直後、彼はいきなりぼくらに殴りかかってきた。僕と浅川はぶっ飛ばされ、溝手は蹴り倒された。蛮声を張り上げた八坂は、ガラクタで一杯のダンボール箱を担ぎ上げたはいいが、底が抜けて自分が埋もれてしまった。それからはしっちゃかめっちゃかだった。最後は、〈スリングブレイド〉を狙った僕が勝田と鉢合わせをしてしまい、僕も伸びたが勝田も伸びた。そして、グロッキーの勝田を引きずり起こした八坂が〈ゴッチ式パイルドライバー〉でようやく、とどめを刺した。

 そして、頭に血が上ったままのぼくらは、勢いで勝田を警察に突き出してしまったのだ。

「事情を話してさえくれたらな、別な対応かて、あったんやけどな」溝手が言った。

 そのとき、ぼくらは〈レトリスム同好会〉の部室ということになっている、旧館の日の差さない狭い部屋にいた。そのドアにノックがあった。

「鍵は掛かっておらん。遠慮なく入りたまえ」

 八坂の声に応じて入ってきたのは、今度のことの後始末を引き受けてくれている大学の職員だった。ある意味仕方がないのかも知れないが、自分の勤める大学の学生がこんな事件を引き起こしたというのに、妙にはしゃいでいる感じがあって、僕には違和感があった。

 今日も彼は陽気に挨拶をし、雑談を交わしてから、ぼくらに朗報があると言い出した。

「実はだね。窃盗の被害者の中に、盗まれたものを取り返してくれたらと言う規定で懸賞金を掛けていた人がいてね。この場合、取り戻したのは君たちだから、受け取るのも君たちになる」

「へえ、そうですか」気のない返事をした僕は、あることに気付いて思わず立ち上がった。

「それで」僕は擦れた声で尋ねた。「ぼくらが受け取る額は幾らになるんです?」

「そうだね」何も知れない職員は満面に笑みを浮かべて、教えてくれた。

「総額で100万円かな」

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猿の手に願いを 南枯添一 @Minagare_Zoichi4749

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