月の記憶。

 出席番号21番 松崎静香

 出席番号30番 渡辺芽依


 ◆◆◆


 秋の夜長の、長い長い散歩。

 あるいは徘徊。探求。迷子。

 その最後に、松崎静香に会ったのは、とても意味があることなのかもしれない。


「しず……。」

「なべじゃん。どうした、死んでた? ひっどい顔してる。」


 みなみのフルートを聞きながら泣きはらした私の顔は、それはひどいことになっているに違いない。

 恥ずかしさはなかったけれど、しずの言葉が適切すぎてうずくまりそうになる。


「うん、ちょっと……。しずは、どこか出かけてたの?」

「ヤボ用で新宿まで。歩いて帰ってきた。」


 サラッと言うけれど、10キロ以上あるはずだ。

 でもそんなこと、登山で鍛えている彼女には当たり前のことなんだと思う。

 彼女は言っていた。目で見えるところまでは、必ず歩いていけると。


「さっきまで、みうと散歩してたの。土手をね……。」

「ああ。夜歩くとまたいいよね、あの土手。長くてさ、先が見えなくて。

 どこまででも行けそうな気になる。」


 とてもよくわかる。どこまでも行けてしまいそうだった。行ってしまいたかった。

 でも、みうがいたから思いとどまった。


「あの川、不思議じゃない? 何か、特別な感じがする。」

「うーん、どうだろうね。まあ、境界線だし、そうなのかもね。」


 境界線。

 現実と夢が混じり合う境界線を、私はいつも探していた。


「この川、山側と街を分けるように流れてるでしょう。

 山ってね、異界なのよ。昔はそう考えられていた。

 登山する私から言わせたら今でもそうだと思うんだけど。

 だから、境界線。川挟んでこっち側は、普通じゃないんだよ。」


 みうの手のぬくもりを思い出す。


「ここは山の麓だし、今ではこうしてたくさん人が住んでるから

 その気は薄れてる感じもするけどね。

 今度、橋を渡る時にちょっとだけ集中してみなよ。空気変わるのわかるから。」

「私たちの学校って……。」

「ああ、思いっきり山の中に建ってるもんね、はは。

 それについてはあんまり深く考えないほうがいいよ。

 意識しすぎると当てられるよ。」


 屋上でみうと眺めた街の景色を思い出す。

 私は、とっくに夢の中にいたのかもしれない。


「山は異界。でもね、行きっぱなしじゃないってところが大事なの。」


 ぼんやりしている私の頭に、しずの言葉がはっきりと刻まれていく。


「山は登ったら必ず降りるんだよね。入っても出るの。

 つまり、行って帰ってくる場所なんだよ。だから学校も同じ。

 登校したら必ず下校する。入学したら卒業する。

 入って出る。通過していく場所なんだよ。」


 夢の世界に行ったら、もう戻ってこれないのかな。あの日みうは不安そうに私に問いかけた。

 その答えに、私は出会ったのだろうか。


「始まったものは、いつか終わる。

 この夜も、私らの学校生活も、人生っていう登山自体が、いつか必ずね。」

「終わったら……どうなるのかな。」

「そうだね。」

 

 しずは空を見上げた。私もつられて顔を上げる。

 月が、そこにあった。丸く、丸く輝いていた。


「消えはしないんじゃないかな。あいつとか、覚えててくれるんじゃない?」


 人は、忘れられた時に本当に消えてしまう。


「月は、目で見えるから……歩いていけるのかな?」

「ああ、いけるんじゃない?」


 しずは言う。月を指差して。


「道が必要だけどね。逆に言えば、あとは道だけだよ。」


 地球上から、ありとあらゆる記憶と記録が消え去ったとしても。

 月に行けば、私たちはまた会えるのかもしれない。

 月が、覚えていてくれたら。

 私たちを、覚えていてくれたら。

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あおいはる。~秋のオブリヴィオン~ GIRL/Fri.eND @girl-fri_end

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