22 新たな任務

 議員の一人にして国家の安全保障と治安を統括するクリスタフの元に、エージェントが事の次第を報告するために来訪したのは、事件が鎮圧して数日後の夕方のことだった。エージェントは事件鎮圧後、関係者に見つからないうちに現地を脱出。そして王都に戻りレポートを書き上げ、クリスタフのもとに姿を見せた。


 クリスタフはエージェントが記録した詳細なレポートに目を倒す。その間、クリスタフとエージェントの2人は口を開かず、部屋の中は静寂に包まれていた。聞こえる音は、外から時折聞こえる鳥の鳴き声とレポートをめくる紙の音のみ。レポートを読むクリスタフから見たエージェントの顔は、夕方の西日に照らされ、表情がよく見えなかった。


 エージェントがレポートによって報告してきた主な内容は三つ。一つは左翼過激派集団『人の使徒』の現状。報告によると『人の使徒』はほぼ壊滅状態。少なくとも、教会都市ヴェリーゼ占拠事件の実行犯、そして組織の中心人物のユリウス・アル・カーラに関しては死亡が確認されている。


「ではキミが手を下したわけではないということか?」

「いえ、偶然鉢合わせしただけですが……私が手を下しました」

「では当初は任務は達成出来そうになかったということか」

「ええ。念のため構成員は全員殺害しておいたのですが……」

「であれば何の問題が?」

「その際、私の素性を看破した聖騎士団員が一人おりまして。目撃者としてその場にいた全員を聖騎士団含めて残らず殺害しました。問題がなければよいのですが……」

「障害を実力で排除することは許可してある。そこには何の問題もない。あるとしても、そこから先は我々政治屋の仕事だ。法王庁のことはこちらに任せてくれれはばいい」


 次が法王庁の狙い。こればかりはエージェントも雲をつかむような話に感じたようであったが……お伽話にある聖女リーゼを復活させようとしていたようだったとエージェントのレポートには綴られていた。


「にわかには信じられん話だ……」

「私もそう思いますが……実際に復活した聖女リーゼに接触した者もおります」

「興味深い……実在した上に復活させうるというのであれば、そら議会への報告もしないな。シンパがいるとはいえ、議会の承認が降りるはずがない」

「聖女は人を超える力を使っていたようです。聖騎士団第一師団長ウィルと自警団の生き残りが一名、聖女リーゼと交戦しましたが、いずれも終わった時には満身創痍の状況でした」

「その自警団員はよく分からんが……あのウィル・フェリックが満身創痍になるほどか」

「ええ。身体の膂力に頼らず、法術の力を駆使していたようで……」

「さすがは聖女といったところか……」

「そのようです。私には聖女リーゼの話はよく分かりませんが……」


 レポートでは、『人の使徒』と同じく聖騎士団の第一師団もウィルを残して全滅したとのこと。これは議会からしてみればチャンスかもしれない。法王庁の戦力は今、通常時よりかなり疲弊した状況だと言えるだろう。ならば議会と法王庁の間のパワーバランスが変わる可能性もある。議会から法王庁シンパをあぶり出し、法王庁の影響を議会から一層する絶好の機会なのかもしれない……とクリスタフは思案していた。


「長官」

「ん?」

「悪い顔になっていますよ」

「治安維持は大変だがな……政治は政治で大変なんだよ」

「わかりますよ。私の任務の質から考えますとね」


 そして報告の3つめ。


「これはいまいち重要度の判断がつかなかったので、ならばとにかく長官にはお伝えしておこうと思いまして」

「ああ。その判断は間違ってないよ。自分では判断がつかない場合は、上に責任を投げるのも手だ。生き残っていくための知恵だよ」


 3つめの報告は、事件が鎮圧した後のことだ。件の聖女リーゼが自警団唯一の生き残りのエミリオ・ジャスターを共とし、旅に出たということだ。


「聖女リーゼというのは……さっきの話に出ていた?」

「ええ。復活した聖女です」

「どういうことだ? 聖騎士のウィル・フェリックとこの自警団員が殺害したのではないのか?」

「どういう理由なのかは分かりませんが……両者は戦闘後に和解し、その後聖女リーゼとエミリオ・ジャスターは一緒に旅に出ています」

「足取りはつかめているか?」

「ヴェリーゼより西に向かった後、聖女リーゼの生誕地といわれるムスタット地方へ向かっているようです」

「ふむ……」


 聖女リーゼの物語など童話やお伽話の中だけの存在だと思っていたクリスタフであったが……実際に存在していただけでなく、現代に復活し聖騎士団と一戦交えたということにも驚いていた。法王庁の狙いは聖女リーゼの復活だったというのはレポートの通りだ。だがその法王庁の戦力である聖騎士とリーゼが戦うということが解せない。


 そしてその後も不可解だ。復活した聖女はレポートを読む限りでは国内をうろついているらしい。大した影響がなければそのまま捨ておいてもいいだろうが、相手ははるか昔に絶大な力を誇った伝説の聖女。故にクリスタフは、その国内を徘徊する聖女一行の扱いを決めかねていた。今回の事件は不可解な点が多すぎる。


「んー……」

「どうされました?」

「レポートを読んでもいまいち真相が読めん。分かるのは伝説の聖女様と法王庁の間に遺恨か何かがあることぐらいか……点がいくつかあるのはわかるが、それが繋がらん」

「『人の使徒』の壊滅と法王庁の目的……それが今回の任務でしたので。それ以上は分かりかねます」

「確かに……ここから先は私の仕事だからな」


 エージェントも中々言うようになったとエミリオはほくそ笑む。初めてここに来た時は卓越した剣技のみが売りで、言葉もロクに話すことの出来ない女性だったのだが……。


 クリスタフはエージェントの腰に下げられた二本のサーベルを見る。極東の様式で作られたそのサーベルは既存のものよりもしなやかで硬く、切れ味も鋭い。聞けば、このサーベルであれば相手がプレートメイルを着込んでいようがアーメットヘルムを被っていようが関係なく惨殺できるそうだ。


 そしてそのサーベルを扱うのは、極限まで鍛え上げられたエージェントの剣技。この2つが合わさった時、エージェントに切断出来ないものはない。大木や金属はもちろん、水や空気、炎すら断ち切ることが出来るそうだ。


 エージェントに戯れに与えた最初の任務を思い出すクリスタフ。『剣技だけは誰にも負けない』という触れ込みだったため、冗談半分でとある旅団の殲滅任務を与えてみたのだが……数日後、彼女はその任務を難なくやってのけた。それも暗殺や奇襲といった方法ではなく、旅団が参加している戦闘に参画し、正面切って旅団を襲撃。目撃者を含めたほぼ全員を惨殺したというそのレポートを見た時、自身の身体が戦慄で震えたことをクリスタフはよく覚えている。


 以来、このエージェントはクリスタフ付きの特殊任務……もっと言えば、暗殺に代表される影の仕事のエキスパートとなった。卓越した剣士を手放すのは惜しいという理由もあるが、これだけの戦闘力を持つ剣士を泳がせておくこと自体が危険極まりない……という現実的な事情もクリスタフにはあった。


 幸いなことに彼女はクリスタフに忠実で、命令を確実に遂行してくれている。これなら反旗を翻し、体制の敵になるということはないだろう。彼女を敵に回すのは、考えただけでも恐ろしい。


「……まあいい。キミに新たな任務を与える」

「ハッ」

「その自警団の生き残りのエミリオ・ジャスター、そして聖女リーゼと思しきそいつの監視を行ってもらいたい」

「……かなりの長丁場になりそうですね」

「ああ。件の2人を監視し、定期的にレポートを送れ。『人の使徒』のような反社会的な存在になりうる可能性があれば、始末して構わない」

「かしこまりました」

「場合によっては2人に接触・助力をすることも許可する。いずれにせよ聖女一行の扱いの判断はキミに任せる」

「かしこまりました。では明日にでも出発いたします」

「一行と仲良くなるのも構わんが……こちらの正体まで感づかれることのないように」

「……残念ですが、親交を深めるのは無理というものでしょう」

「接触したのか?」

「少しだけですが。あと戦闘中に本気で戦う姿を少し見られてしまいました。あまり気にしている様子はなかったので捨て置きましたが」

「キミの仮面を剥がすほどの敵がいたか」

「ええ」


 エージェントの異名が知れ渡っている事実を思い出し、苦笑いを浮かべたクリスタフは再度レポートに目を通した。署名欄には、今自分の目の前で二本のサーベルを携え、直立不動で立っているエージェントの名前が記載されている。この国の言語ではない。エージェントの祖国である極東の文字らしいが、クリスタフからしてみれば、まるでひとつの記号や絵のような……まったく読むことの出来ない複雑な意匠の文字だ。


「相変わらず故郷の文字で署名しているな」

「気に入りませんか?」

「そうではないが……これを文字だと知らぬ者から見れば、ただの印にしか見えん」

「あなたがそれを私の署名だと理解出来ればそれで。むしろ読めないほうが、私には都合がいい」

「一理あるな」


 署名欄には、『清妙院雪』という文字が書かれていた。


 終わり。


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異端者の魔弾 おかぴ @okapi

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