21 プロローグ ~異端者の魔弾~
「リーゼ復活の任務、大義でしたウィル・フェリック。そして犠牲となった忠実たる神の尖兵、第一師団の面々に神のご加護を」
法王庁にて事件の犠牲者を弔う慰霊祭がとり行われた。その最中、ウィルは法王より改めて直々にねぎらいの言葉をかけられた。今回の功績を鑑み、ウィルは今後聖騎士団全体の指揮を任されることになるとのことだったが、それはウィルにとって、リーゼからの使命を守る手段を手に入れることができる、良い機会であると感じていた。
ヴェリーゼ占拠事件が解決し、この日で3日を迎える。ウィルはあの日、エミリオの元に戻ったリーゼに両手と左足を治療された後、2人と別れて法王庁へと帰還した。帰還するときはそれこそ、法王庁から距離を取りあの者達に同行しようかとも思っていたが……
「ウィル……任務、ご苦労様でした」
「ハッ……」
「第一師団の皆は……?」
「健闘むなしく、私一人を除いて全滅いたしました」
「そうですか……心強き仲間を多数失ってしまいましたね……」
帰還後にウィルが上層部に円卓の間で帰還報告をした際、法王がそう言いウィルを労うと同時に、犠牲になった第一師団の面々を一人ひとり偲んでくれた。このことが法王庁に対する一連の疑念の幾ばくかを解消してくれた。自身の配下たる聖騎士団の一人ひとりを偲べるような優しい人が、復活したリーゼの抹殺なぞ考えるわけがないだろう……特に確信があるわけでもなく、法王の人柄の裏側まで信用しているわけではないのだが……そこまでして人を疑い続けるのも悲しすぎるし疲れる。
「リーゼは……聖女リーゼは、復活されましたか?」
「ええ。復活されました。そしてその後、“古き赤黒い獣”とともに、再びこの世を去られました」
「なんと……聖女リーゼ……今なお、その慈悲深いお心は健在であったか……」
「ハッ」
「どのようなお方でしたか? やはり神の如きお方でしたか? リーゼと共に事にあたったあなたから見て」
年甲斐もなく目を輝かせてリーゼの話を聞きたがる法王のこの姿を見て、リーゼが言っていたことは本当なのだろうと実感した。この御方は、教会の暗部が似合うような方ではないだろう。他に知っている人間がいたとしても、この方がトップにいる以上、法王庁が暴走することはないだろう。ウィルはそう思った。
「リーゼは……普通の女の子でした」
「ほぉ。普通……ですか?」
「はい。普通の……明るく朗らかで……でも理不尽には怒り、人に裏切られればその相手を憎むような……性根は明るく前向きな少女でした」
「そうですか……私もあのような事件がなければ……ぜひじっくりと話をしたかった」
遠い目でそう答える法王の姿を印象的に感じたウィルは、その日のうちに法王庁に残る決心をした。
そして今日は慰霊祭。自身の部下は全員亡くなった。その半分は任務通り『人の使徒』との戦いで命を落としたが……その残り半分は虐殺者ユキに殺され、そしてもう半分は、リーゼの言葉を盲信していた自分の未熟さ故に命を落とした。
ウィルは夜空を眺めながら、亡くなった部下全員に自身の指揮の不甲斐なさを謝罪した。そして、任務は無事に達成したこと、『人の使徒』は壊滅したことと……
――だから楽しみに待っててね
いつの日か必ず、虐殺者ユキを屠り皆の仇を取ることを誓った。
あの日……リーゼが復活した後、いつの間にかユキはいなくなっていた。リーゼ本体の腕を斬り飛ばした二本のサーベルも気が付くと無くなっており、ユキはいつの間にか新たな戦場を……愛情を注ぐべき相手を求めてさまよい始めたようだった。今はもう、どこにいるのか足取りすら掴めてない状況だ。居場所も探らせてはいるが、それで居場所が分かるような生ぬるい相手ではないことは、ウィル自身が一番良く知っている。
……まぁいい。こうやって戦いに身を置いていれば、いつの日かふたたび相対するときもある。いつかユキの方からこちらに襲いかかってくるかもしれない。リーゼ本体との戦いの時は、空気の壁すら斬り裂くその恐るべき剣術に驚いたが……最初の会合で斬り結んだ時に実感した。ユキは倒せない相手ではない。次に相対した時は必ず殺す。仇は取らせてもらう。
改めて、星が煌く夜空を眺める。夜は確かに漆黒の暗闇である。だが夜はそれだけではない。暗闇の夜の空には、星々が輝いている。月も輝く。決して漆黒ではない。美しい輝きを放つものがある。
そんな星々を眺めながら……自分はリーゼの暗闇の中の光を見つけられなかったのだろうか……そうすれば、もっと違う結末を迎えることが……自身に憑依したリーゼも笑顔を見せるような……そんな結末を迎えることが出来たのかもしれない……そう思わずにはいられない。
……だからこそ。自分の新たな役目は、第二の聖女リーゼを生み出さないことだと自分に強く戒めた。そのために自分はここにいる。それはすべて、聖騎士を志した時の気持ちに通じている。
『弱い人々の力になりたい』
そのためにも、自分は法王庁に残り、聖騎士団に残った。そして今後も弱い人々を助ける。もし法王庁が道を踏み外した時は……神の尖兵として、法王庁の暴挙を止める。それが……復讐の権化と化しそして消滅していった、ウィル自身のリーゼに対する罪滅ぼしになるだろう。
「エミリオ……リーゼは任せたぞ」
自分はリーゼの中に光を見つけることが出来なかった。だがエミリオは、自身に憑依したリーゼの中に光を見つけ……そしてその手を引っ張り、しっかりと握りしめて青空の元へと引き出した。ならば自分は託すだけだ。自分が助けられなかったリーゼの分まで、彼のリーゼを幸せにしてやって欲しい。そう思いながら、ひときわ明るく輝く満月を眺めた。
一方同じ頃……法王庁とまったく違う場所で、エミリオとリーゼが夕食を取っていた。
「ほわぁぁあああああ……」
「……」
二人はとある街に足を伸ばしていた。そしてその街で宿を取り、併設された食堂に入ったあと……
――このメニューの……ここからここまでお願いします!!
というリーゼの注文の元、二人のテーブルの前にはこの食堂のメニューすべてが並べられていた。大量に並べられた夕食を前に、リーゼはだらしない半開きの口から滝のようにヨダレを垂らし続けている。そのヨダレは一体何で受け止めているのか……と疑問に感じたエミリオだが、それはあえて触れないようにしよう……そう判断した。
「エミリオさん……美味しそう……ホント美味しそう!!」
「だねぇ……」
「食べましょうよ! 食べちゃいましょうよエミリオさん! ムッハァア!!」
「食べなよ……」
「はいッ! では遠慮無く!!」
その言葉の通りリーゼは『いただきます!』と宣言すると、自身の目の前にある熱々のスープに口をつけた。
「ふぅー……ふぅー……ずず……あづッ!? 熱いです! エミリオさん熱々ですよ!! あでもおいしい!!」
「熱々だねぇ……」
次にそのスープの隣に置いてある骨付きチキンのソテーに手を伸ばした。香辛料の香りが食欲をそそる逸品で、この食堂の人気メニューらしい。それを手袋を付けた右手でそのまま掴みとり、そしてリーゼは口いっぱいに頬張っていた。
「んー……いい匂いでふ! ピリッてしてジューふぃーでふ!! んふふふふふ」
「ウマそうで何よりだよ……」
口いっぱいにチキンを頬張るリーゼの口の周りには、チキンの肉汁がべっとりとついていた。その状態の口をもごもごと動かしつつ、目尻がトロンと下に垂れ下がっている。
「んふー……たまらん……こりはたまらんでふよエミリオはん……ぐふふふふふふ」
「口を拭きなよ」
「ごくっ……拭いてくださいよ従者エミリオぉおー」
「従者がそんなことするわけないだろう!?」
「ぇー……あ、このしわしわの果物みたいなのなんですか?」
「極東の様式のピクルスで、プラムで作ったものらしい」
「へぇー。パクっ」
チキンの付け合せだろうか……プラムのピクルスを一個そのままひょいっと口に運んだリーゼの顔のパーツは次の瞬間顔の中心に集まり、ぴくぴくと痙攣していた。このプラムのピクルス独特の強烈な酸味が、リーゼの身体全体に痙攣をもたらしているらしい。その痙攣はエミリオに、幼い頃に他界した祖母の耄碌を思い出させた。
「くぅ~ッすっぱ!? エミリオさんっ……これは……この酸っぱさは一体……ッ!?」
「でもチキンの油がスッキリするだろう?」
「くぉぉおおああ……あ、ホントだ。これはまたチキンが……グヒヒヒヒヒ……」
「……」
口からプラムの種をプッと皿に射出したリーゼは、口の中がさっぱりしたことで皿にチキンを楽しめるという愉悦にひたり、下品な笑いをこぼしつつチキンを頬張った。
エミリオがリーゼと共に旅に出てから今日で三日目になる。リーゼとの食事の際は毎度このような感じで、エミリオは次第に辟易しはじめていた。リーゼは数百年の間、食事を取ることが出来なかった。そして好奇心を司る“目”であった彼女にとって、数百年ぶりの食事はまさに好奇心と知識欲に対する刺激の塊だった。毎度の食事がこんな調子では、エミリオがげんなりするのも仕方のないことと言えた。
あの後……“右腕”のリーゼを“聖女の寵愛”で消滅させた後、北のリーゼ大聖堂のフレッシュゴーレムをその強大な力で消滅させたリーゼは、エミリオと共に旅に出ると宣言した。エミリオには事前の相談がまったくない状況だったため、ウィルはもちろん、エミリオもこの話は寝耳に水だった。
それは、すべての後始末が終わり『リーゼはこれからどうするのか』という話し合いをしている時の事だった。
「リーゼ……一度法王庁にお戻りください。法王以下法王庁の全員で、教会があなたに行った非礼と所業を謝罪させてください。それに、今後あなたが生活する場所を確保する必要もある」
ウィルはそう提案し、リーゼとエミリオを法王庁に案内しようとしたが、それをリーゼはきっぱりと断った。
「いえ。私はエミリオ・ジャスターを従者とし、自分で自分の居場所を見つけようと思います」
はじめ、エミリオはリーゼが何を言っているのか理解出来ず、頭に疑問符が浮かんだ。それはウィルも同じだったらしく、大の大人二人が一人の少女の発言の意図が理解出来ず困惑する姿を見るのは本当に楽しかったと、リーゼは後にエミリオに語った。意地の悪いニヤニヤ顔とともにであったが……。
「は?」
「ん?」
「……法王庁聖騎士団第一師団長ウィル・フェリック。あなたが言うとおり、私は当時のの教会から酷い扱いを受けました。私自身その事実は知りませんでしたが……母オズが残した手記を読み、その事実を知りました」
「で……では我々法王庁に、贖罪の機会をいただけませんか?」
「いえ。私とその家族にひどい行いをしたのはあくまで当時の教会。あなたたちに咎はなく、それを気に病む必要もなければ謝罪する必要もありません。当時のことを知る者も、今の法王庁にはいないでしょう。ならば今、あえて “聖女リーゼ”の言い伝えを否定する必要はありません。“古き赤黒い獣”とやらの伝承もそのままでよいでしょう」
「……」
「それに元より私はもう、あなたたち教会関係者を恨む気持ちはありません」
「リーゼ……その寛大な慈悲のお心はまさに聖女……」
リーゼに対し片膝を付き頭を下げるウィル。これが真のリーゼ……これが真の聖女の優しさかと感動していたが……エミリオには分かっていた。リーゼは別に当時の教会を許したわけではない。ただ、その怒りを今の法王庁に向けるのは……ウィルたちに向けるのはお門違いだということを理解しているに過ぎない。
そしてそのことは、次のリーゼのセリフを聞いて確信することになる。リーゼはここで、ある意味では今の法王庁に対する意趣返しをした。
「いえ。私は聖女ではありませんよウィル」
「?」
「私の父ハインツは、当時の教会から異端の烙印を押されています。私はハインツの娘……故に私は異端者の娘。言うなれば、私もまた異端者。異端の魔女といえます」
「バカなッ! それは当時の教会の悪辣な行いの一つ! それを根拠にあなたが異端者だというのであれば、法王庁はあなたの父の異端認定を取り消します! 私が取り消させる!」
「いえ、一度異端者と認められればそれを取り消すのは余計な混乱を招くだけでしょう」
「……ッ!!」
「あなたたちが私を聖女と祀りあげることは構いませんが……異端者は異端者らしく静かに去って、自分の居場所は自分で探しましょう」
「ならば……ならばせめて! 私もそのお手伝いをさせていただきたい! 法王庁を去ることになっても構わない……あなたに仕えることが出来るのなら!!」
ウィルのこの決意を聞いたエミリオは、この男は本当に根が真面目なのだと関心した。恐らくはリーゼが過去に受けた教会からの所業を知り、真面目なこの男は教会の罪を自分がリーゼに仕えることで贖おうと思ったのだろう。教会……今の法王庁に対する不信もあったのかもしれない。
だがウィルのその実直な懇願すら、リーゼはきっぱりと断った。
「……聖騎士ウィル・フェリック。あなたのその信仰心と誠実さに感謝します」
「……」
「そして、そのようなあなたこそ今の教会……法王庁には必要な存在なのです」
「しかし……!」
「聖騎士ウィル。ユリアンニ教第一の守護者にして、勇敢なる神の尖兵。偽りではありますが……聖女の名において、あなたに願います」
「……ッ! ハッ!!」
「もう二度と……私のような者を出さないでください。法王庁が道を踏み外したその時は……あなたが法王庁を止めてください。もし私への贖罪を成したいというなら、それを贖罪としてください。法王庁をどうか……どうかよろしくお願いします」
「……ハッ!!」
「聖騎士ウィル、これからも神と預言者ユリアンニ、そして弱き人々のささやかな平和を守り続けてくださいね。私はこのエミリオ・ジャスターを従者とし、自分の居場所を探します」
「……」
「よろしいですね? エミリオ・ジャスター?」
「……はい」
ウィルはこの戦いで、教会……今の法王庁に対する不信を強めたはずだ。誰もが知っている聖女リーゼとその家族への非道な行いに、ウィルはさぞ心を痛め、法王庁への不信を強めただろう。
だがリーゼはそのことを咎めることをせず……だがウィルの不信を癒やし、神への信仰はしっかりと評価していた。ウィルの要望は断っていたが、リーゼのこの言葉を聞いてウィルはきっと救われたはずだ。
エミリオは、リーゼが『聖女』と崇め奉られ、当時のユリアンニ教すら揺るがしかねないほどの信仰を集めていた理由をやっと理解した。教会すら危険視したほどの優しさとカリスマ性を備えた聖女。これが真の聖女リーゼの姿。これこそが、リーゼが聖女として人々の信仰を一身に受けたその理由だったのだ。
そうエミリオが関心しつつ、ウィルと別れリーゼとエミリオが二人になったときのことだった。
「従者エミリオ、聖騎士ウィルはいなくなりましたか?」
「はい」
「本当ですか?」
「もう姿は見えませんよ。彼は馬に乗って帰りましたから」
「そうですか」
「はい」
エミリオにそう確認を取り、さらに用心深く周囲をキョロキョロと見回した後……
「ぶあぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁ……」
と年端も行かない少女にあるまじき薄汚れた茶色いため息を発し、エミリオを呆れさせていた。
「……なんだよそのおっさん吐息は……」
「いや……ああいうの苦手なんですよねー……はぁぁぁ……疲れました……」
「やめてくれ……せっかく本当の聖女様の姿ってのを見て感動してたのに……」
「いや、あのウィルさんてすんごい真面目そうですし……聖女のイメージ崩しちゃいけないだろうなと思って……いや、疲れました……」
「まさか……ウィルの同行を断ったのはそれが理由か」
「まぁ他にも理由は色々ありますけど……まぁ、半分ほどは」
「ウィルが聞いたら泣くよ……?」
「エミリオさんじゃあるまいし……それじゃあ行きましょっか従者エミリオ」
「都合悪くなったら従者呼ばわりだよ……つーかいつ従者になると言った?」
薄汚い吐息を吐きながらげんなりと疲れきった表情を見せるリーゼの右腕は、ほんのりと輝いている。先程エミリオの前で再生した右腕だが、エミリオから見てどうも普通の右腕ではないようだ。
「その右腕……」
「ぶぁああぁぁぁ……ぁあ、この右腕ですか?」
「なんかほんのり光ってるけど……」
「あぁ……これ、なんていうか本当の右腕ではないんですよ」
再生したリーゼの右腕。これは厳密に言うと右腕ではなく、右腕の形に固定化した魔術の力ということだった。“右腕”のリーゼが消滅した今、リーゼは永遠に右腕を失ってしまった。しかし、リーゼにとって利き腕となる右腕がなくなるのはさすが不便で都合が悪い。
「だから形だけでもなんとかしようかなーと思って固定させてみました」
「さすが聖女……」
「異端の魔女ですッ! それに、コレ意外と便利なんですよ。大きさを変えたりびよーんて伸ばしたり出来ますから」
と鼻から水蒸気を吹き出しながら自慢気に語るリーゼだが、それを見せてくれとはどうしても言いたくないエミリオだった。
そしてもう一つ。エミリオには疑問があった。自分たちが死力を尽くして戦ったときのリーゼ本体は、“右腕”のリーゼの意識が強く出ていたというのは想像出来る。そして、今目の前にいるのは、自分に憑依していた“目”のリーゼが表に出ている。
戦闘中に一度だけエミリオとウィルに助言をしてくれたリーゼは誰だったのだろう……そして、どのリーゼが本当の……生きていた当時のリーゼだったのだろう。ちょっとした疑問だった。
「ぁあ、あの時エミリオさんに助言したのは “心臓”ですね」
「心臓?」
「はい。“目”を封印から出してエミリオさんの元に飛ばしたのも“心臓”です」
“心臓”は、すべての部位と緩やかに繋がっている。オズさんの手で封印から外に出され真相を知った“右腕”の異変に気付いていた“心臓”は、ユリウスが“右腕”を開放したとき、自分たちが復活して“右腕”が暴走するのを防ぐために“目”の意識だけを外に飛ばした……とリーゼは説明した。エミリオにとっては至極難しい話であったが……彼女のいうことだ。間違いではないだろう。
「あとさ。昔のリーゼも、今みたいな感じなの?」
「今みたいとは?」
「いや、俺達の知ってる話だと、聖女リーゼって優しさと献身に溢れたとても素晴らしい人なんだけど……」
「よしてくださいよぉ照れますって……」
「キミは好奇心旺盛で俗っぽくてにぎやかな……ちょっとうざったくて……」
「前言撤回します。あとでこの光り輝く右手で張り倒しますから」
「まぁよく言えば親しみやすくて……悪く言えば普通の女の子みたいな……」
「“右腕”が無くなった分優柔不断になっちゃった気もしますけど……概ねこんな感じでしたよ?」
「そうなのか……」
「オズさんにもよく“なんでリーゼは私の胸をそんなに気にするの?”ってよく言われてましたしね」
「ほんっと昔っから変わらないんだね……」
それが2日前の話。その後二人は一度エミリオの故郷を訪れて一日休んだ後、今度はリーゼの両親の家があったムスタット地方に向かっている。年数にして数百年単位の時間が経過しているため、ハインツやオズ、そしてソフィたちの家が今も現存しているかどうかは分からない。しかしリーゼは……
――家が無くなっててもいいんです。
ただそこにいけば、なんとなくお父さんとお母さんたちに、
やっと『ただいま』って言えるかなって思って
といい……結果、最初の目的地がリーゼが生まれた地方となった。そして今は、目的地に向かう途中の街にいる。今晩はこの街の宿屋で一泊する手はずとなっている。
「ふぉふぉふぉふぇえふぃふぃふぉふぁん」
口の中に限界以上にパンとチキンとスープとピクルスその他諸々を詰め込んだリーゼは、リスのようにぱんぱんに膨れ上がったほっぺたをもごもごと動かしつつエミリオにこう言った。その言葉が自身への呼びかけであることにエミリオが気付くまで、若干のタイムラグが必要であった。
「……とりあえず口の中のものを飲み込んでみようか」
「ぐぎょっ……ふぃ~……ところでエミリオさん」
「どうしたの?」
「いや、ちょっと相談があって。エミリオさんのサーベル“魔女の憤慨”なんですけど」
「お、おお」
唐突に真面目な話題を振られ狼狽えたエミリオは、反射的に腰に下げた“魔女の憤慨”に手をかけた。“魔女の憤慨”はうっすらと輝いている。法術“聖女の寵愛”は、レバーを引き絞ればいつでも射出可能だ。
「聖騎士団での扱いはもう置いておいて……私だけは、お父さんに法術を返したいなって思ってるんです。だから今後は、“法術”じゃなくて“魔術”って呼びたいなって」
「うん。呼び名は別に俺も拘る理由はないよ」
「それに私はもう聖女ではないですし……その、オズさんも違和感を覚えてた“聖女の寵愛”って名前も、もう変えたいなって思ってて」
その後リーゼは、自分が昼間“銃”について調べたことをエミリオに伝えた。銃は射撃武器の一つで、丸い鉛の玉を火薬の力で打ち出すものである。そしてその鉛の玉は、“弾丸”と呼ばれている。近年では有用性が注目されつつあり、特に攻撃力の高い特別な弾丸のことを、まるで魔術のような弾丸“魔弾”と呼ぶ場合もある。
「だから“異端者の魔弾”って名前にしようかなぁって思ってるんですけど」
“異端者の魔弾”。その言葉を聞いた時、エミリオはフッと腑に落ちた感覚を覚えた。自覚はなかったが、エミリオも“聖女の寵愛”という名前には少し違和感を覚えていたようだ。
銃の機構を備え、魔術“異端者の魔弾”を射出出来るサーベル“魔女の憤慨”。そしてそれを扱うのは異端の魔女の従者。……エミリオから見て、すべての歯車が噛み合った。自分の居場所を探す旅をする異端者とその従者が扱うには、ぴったりの名前だ。
「分かった。じゃあこれからは“異端者の魔弾”ってことで」
「よかった! 『いやだッ』て駄々こねられたらどうしようかと思ってました」
「キミじゃあるまいし……嫌がる理由も特にないし、ぴったりだと思うからね」
「まぁエミリオさんは従者エミリオなんで、私の言うことは聞かなきゃいけないんですけど」
「形だけの従者に一体何を期待してるんだか……」
満面の笑みで食事を再開したリーゼを眺めながら、エミリオもプラムのピクルスを一個つまむ。恐らくは自身の体重以上の食事を毎回平らげているリーゼを見て、その小さい身体の一体どこにその量が入るのかと疑問に思わずにはいられないエミリオだった。
食事が終了したら、その場をあとにし食堂二階の宿屋へと戻る。すでに2人はチェックインを済ませており、あとは互いに自身の部屋に戻って眠るだけだ。
「くぁぁぁ……お腹いっぱいになったら眠くなりますねぇ……」
リーゼは涙目で眠そうにあくびをしながら、ぱんぱんに膨らんだ自分の腹部をさすっていた。その様を横で見ていたエミリオは、ウィルがこの場にいたら卒倒するのではないだろうか……ある意味では、ウィルの同行を拒否したこのリーゼの判断は正しいのではないだろうか……と余計なことを考えざるを得なかった。あれだけ同行したがっていたウィルには非常に申し訳ないが、彼が敬愛する聖女のこんな醜態を見せる訳にはいかない。
「それじゃあエミリオさん、おやすみなさーい」
「ああ。おやすみ」
「明日もちゃんと起こしてくださいねー従者エミリオー」
「はいはい……」
リーゼに就寝の挨拶をした後、エミリオは自室に戻ってベッドに寝転がった。明日も朝は早い。リーゼの故郷まではまだ距離かある。到着まで何日かかるだろうか……急いで行けばあと5日ぐらいだろうか。
ただ、急ぐ必要はない。恐らくリーゼには、目に映るものすべてが新鮮で目新しい物のはずだ。ならばゆっくり進んで、世の中の見物を兼ねるのも悪くないだろう。数百年の時を埋めながら、数百年前に自分が住んでいた土地に向かうというのも悪くない。彼女を急かすものは何もない。急かす必要もない。彼女を縛るものはもう何もない。
聖女の称号すら捨て去った彼女は、もはやただの異端者。リーゼが生きていた時代に比べると、今は異端に対する認識もだいぶ緩やかになっている。仮にリーゼの名が今後“異端者”の二つ名と共に周囲に知られることになったとしても問題はない。迷惑行為や破壊活動をしない限りは、法王庁も寛容だ。
心配することは何もない。彼女を取り巻く未来は明るい。彼女が数百年前に楽しめなかった自分の人生を取り戻せるであろうこと……そして彼女の従者として、その手伝いが出来るであろうことが、エミリオには何となしにうれしかった。
考え事をしつつうとうとしはじめていたエミリオの眠気を打ち破る、トントンというノックの音。眠い目をこすりつつ、エミリオは目一杯の力を込めて上半身を起こし、ドアの向こう側にいる人物……恐らくはリーゼなのだろうが……に声をかけた。
「はーい」
「エミリオさんエミリオさん」
「やっぱリーゼか……どうしたの……」
許可をしてないのにドアが開けられ、隙間からリーゼが室内をそおっと覗き込んでいた。目は爛々と輝き、体中からにじみ出る抑えられない好奇心が色濃く見える。これはもう、何をどう言っても彼女は引っ込まない。今晩も彼女の長話と質問の嵐に付き合わなきゃいけないのか……とげんなりするエミリオだった。
エミリオは子供の頃、『聖女リーゼに会いたい』という夢を持ったことがあった。エミリオ自身はもちろん、彼の両親もユリアンニ教の熱心な信者ではない。だが、自身の命を顧みない献身的な行為でひとつの村を救った聖女様の物語は、幼い頃のエミリオの心に鮮烈に刻み込まれ、いつか自分も聖女リーゼのような優しさと強さと献身を兼ね備えた大人になりたいと思うようになった。そしていつの日か、聖女様に会ってみたい、話をしてみたいと思うようになった。
だが……エミリオがヴェリーゼ自警団に入団し、街が占拠されたあの日……エミリオの子供の頃の夢は叶った。叶うはずもないと思っていた夢が叶ってしまった上、エミリオはその張本人の従者として、共に旅をすることになった。
エミリオは子供の頃の自分に『お前の夢は叶うどころか、一緒に旅に出ることになるぞ』と教えてやりたいと心から思っていた。もっとも……
「ちょっと気になったんですけど」
「ん?」
「エミリオさんの初恋っていつですか? ちっちゃいとき?」
「……それは今聞かなきゃいけないことなの?」
「ぜひっ! むふー……」
「……」
幼い頃の自分がショックを受けないように、『思った以上に俗っぽい上に賑やかでうざったい妙な女の子だから、あまり過剰な期待はするな』という忠告とともにではあるが。
こうして、かつての聖女にして異端の魔女リーゼと、その従者にしてあらゆる生物を殺傷する魔術『異端者の魔弾』を使いこなす銃剣士エミリオの、長い長い旅が始まった。
これは2人の出会いの物語。今後2人は世界中を旅して周り、そのゆく先々であらゆる事件に巻き込まれ、そして絆を深めていくことになる。
だがそれは、また別の物語。
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