第2話

 鉄道会社は、鉄道自体に関する職員だけを雇っているわけではない。イベントや会社自体を告知する人間も必要となる。それが広報部だ。

 私は、広報部の人達が苦手だ。この部署は、若く、社交的でポテンシャルが高く、華のある人間が多い。関わらないようにしようとしても、私が

若いからということで、彼らは何かと私にかまってくる。

今日は非番だったが、人事に直接提出する書類があったため、私は会社のビルまで来ていた。書類の提出を終え、自動販売機でコーヒーを買おうと、三階の渡り廊下を歩いていると、若い男性職員に呼び止められた。

「三鈴さーん、珍しいっすね」

 どちら様でしたかと言い出しかける素直な頭を常識のある口がガードする。

「石崎さん、お疲れ様です」

 昔から人の名前をおぼえるのが苦手だ。今も社員証を盗み見て名前を言った。

 石崎は私と同じ鉄道会社の広報部の職員だ。私の二年先輩にあたる。

 明るくフレンドリーな雰囲気と秀でた顔立ちを持ち合わせているので、社内で人気がある。

「おつかれです。今日半日ですか」

「いえ、全休です」

「え、わざわざいらしたんですか、おつかれさまです」

「用事ついでに寄りました」

 石崎から少し香った悪意に、私は小さな嘘をつく。

 用事なんてないが、それを知られたくない。

 些細なことで攻防をしている。ひとり相撲もいいところだと自覚はあるが、如何せん性分は変わらない。

「もう帰るんですか」

「えぇ、自販機でコーヒーを買って帰ろうかなと」

「近くにコーヒーショップできたんでそこのがいいっすよ。専門店なんで持ち帰り用と、立ち飲みスペースしかないっすけど、あれおすすめです」

「そうなんですか、こちらに来る機会がなかなか無いので、知りませんでした」

「現場勤務の人は基本そうっすよね。そのコーヒーの店行くなら名前と地図メモしますよ」

「名前だけ教えていただければ大丈夫です」

「チャコールっていう店です」

「行ってみますね」

 社交辞令だ。行かない可能性の方が多い。

「ぜひぜひー。あと、今日七時くらいって時間ありますか」

「何かあるんですか?」

「五人くらいでプチ飲み会すんです。内三人明日休みなんで、そのままカラオケかクラブ行こうって感じで、三鈴さんもどうすか」

「そうですね・・」

 参加したいと、人恋しいのか心が応じようとする。

 何を言おうとしているんだと、自分の首元を抑えた。

 返事待ちをする石崎の視線をかわし、廊下の妙な掲示板に埋もれたカレンダーを見る。今日は18日だった。

 それでか、人恋しさの理由がわかり、納得した。

「すみません、用事が何時に終わるかわからないので、行くことができません」

「そうっすよね、急に言われても困りますよね。こっちこそ弾丸的にさそっちゃってごめんなさい。」

「とんでもないです」

「カラオケだったら、黒岩と日野の逆コブクロとか聞けたんですけどね」

「なんですかそれは」

「まんまっすよ、黒岩背ぇ低いじゃないですか、その黒岩がコブクロの低音パート歌って、日野の方が高音担当してすげー上手いんですよ」

「そうなんですね、歌がお上手なの羨ましいです」

 頷きながら石崎は、自分の腕時計を見て、あ、と小さく声を漏らした。

「あんまさぼってると幸田主任に首根っこ掴まれちゃうんで行きますね」

「お引止めしてしまいすいませんでした」

「こっちこそすいません。三鈴さんはウチの遠峰さんの連絡先なら知ってますか」

 遠峰さんは、私より七歳年上の広報部の女性社員だ。顔が広く、美人であるので、社内でも株が高い人物の一人の地位にいる。私にも入職入って早々連絡先を聞かれ、交換はしていた。

「はい」

「だったら遠峰さん経由で連絡しますね」

「ありがとうございます」

 思っていなくても礼は言うし、謝りもする。私の口が私を語るのは一年のうちでどれくらいだろう。スーパーでレジを打ったパートのおばさんに礼をいう時、映画館の清掃員にすみませんと謝る時。本当はどうだっていいのに

 冷たさを悟られないように、社会にくるまれようとして口は走る。

「では、失礼します」

「じゃ、またです」

 賑わいの中にいる人とは、温度が違いすぎて、接していると痛ささえ感じる。

 惨めになる。

 人を加害者に仕立て上げるのがどうにも好きなようだ。始末に負えない。

 私は自動販売機で缶コーヒーを購入し、会社のビルディングを後にした。

 缶コーヒーを手にしながら、駅まで歩いた。

ビルディングの最寄り駅の神田。ホーム京浜東北線の電車を待つ。

「こんにちは。お姉さん、奇遇ですね」

声は私に向けられたように聞こえたが、間違いだろうと、聞こえないふりをした。

外で突然声をかけられるほど、私の交友関係は広くない。もし、間違いだったら恥ずかしい。

「グレーのスラックスにライトブルーのシャツと黒いパンプスのそこのショートのおねーさーん」

 その特徴に当てはまるのは、私しかいない。

 私は右を向き、5歩先の人物と目を合わせる。

嘘をついた。聞こえないふりをしたのは、人物にあらかた予想がついていたからだ。

 彼は私の険しい顔に負けず、あの日と同じ笑顔で、私を見据える。

 明るい頭髪に、小さい頭。ブイネックの黒いロングTシャツに、カーキのMA-1を腰巻きにしている。ボトムは深い青色のジーンズに、ハイカットのスニーカーを合わせ、outdoorのおぼしきリュックを左肩から下げている。

 先週、私がストーカーに追い回された際に、助けの手を差し伸てくれた彼だった。

 名伏しの男の子。

「こんにちは」

 気さくに挨拶をしてくるその人の好さを、私は疎んだ。

 我ながら今日はなんて機嫌が悪いのだろうか。五割増しで可愛げがない。

「こんにちは」

 ぎこちなく挨拶を返すと、彼は笑って私に近付いてきた。

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鉄道橋と朝四時の氷 伯田澄未一 @kanenonaruki

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