第二章2
この七日の間に起きたことは、そう特筆するようなことではない。
主に俺がやったことは、ミュリヤに料理を教えることだった。
「リィトさんリィトさん! お塩の量はこれくらいで良いんですか!?」
そう言ってスプーンの先にちょこんと塩を乗せ、ミュリヤは自信満々に俺の返事を待つ。
「その十倍は掬え。味を付けたければ、とにかく調味料を入れるしかない」
「でもでも、調味料を沢山使うと贅沢な気がしてしまいませんか……? パーティなら良いと思うんですけど、普段通りの朝ごはんですし……」
「なら毎食がパーティだと思えば良い。俺はパーティでも構わん。味の無いスープを飲まされるくらいなら、その方が良いだろう」
「毎食がパーティ……。なんか、すごく贅沢な響きです……」
貧乏暮らしが板に付いたミュリヤは、調味料や材料をケチる癖がなかなか取れない。毎朝あの青年が食材を届けてくれるのにも関わらずだ。
「毎食がパーティ毎食がパーティ~」と自作の歌を口ずさむミュリヤの表情は、どこか遠くの楽園に旅立ってしまったかのような締まりのない笑顔で、瞳の焦点も合ってはいなかった。
説明よりは実演か。
俺はそれほど料理の経験があるわけではない。家では家政婦が作った料理を食べていたし、高等学校を卒業するまで生の食材を触ったことすらなかった。
だが、軍への入隊が俺の環境を変えた。
隊舎には食堂もあったが、訓練の為に僻地に飛ばされれば自分で調理するしかない。上官や先輩の料理の腕はお世辞にも上手とは呼べなかったが、それでも未経験の俺には学ぶことが多かった。
スープならとにかく具材を鍋にぶち込み、香辛料で味付けをする。
後は食材に火が通るまで放置すれば良いのだから、そう不味くは出来上がらないはずなのだが。
そうして作った野菜のスープは、ミュリヤとは別の意味で不格好な出来映えだった。
ミュリヤのスープはお湯に少量の野菜が沈んでいる感じだが、俺のは濃く濁ったスープに野菜や肉がゴロゴロと詰め込まれている。
そもそもが料理人でもない男が作った料理に見栄えを求められてもらっては困るが、それでも味には自信がある。
「なんか、これぞパーティって感じですね……!!」
スプーンを握ったミュリヤが鼻息荒く言う。
俺も食べ始めようとすれば、もうシノは何口か口に運んでいた。スプーンを掬う速度はいつにも増して速い。
「どうだ、シノ。不味くはないか」
シノは「ん」と返事をして、スプーンを止める。
「ミュリヤが作ったのより美味しい。食事はリィトが作ればいい」
簡潔にそれだけを言い、また凄まじい速さでスプーンを口に運び始める。
悪くはない評価だが、俺はちらりと隣を窺ってしまう。
スープを睨んだまま、ミュリヤは固まる。だが意を決したとばかりにスープにスプーンを突き立て、ふぅふぅと過剰に熱を冷ましてから口に運ぶ。
――不安げな表情が、吹き飛んだ。
「美味しい……」
そう呟いてから、輝く瞳で俺を見上げる。
「美味しいです! これならリィトさんが作った方が全然良いですよ!」
シノの言葉に落ち込むことなく、ミュリヤはそう言い切ってみせる。
満足してもらえたのなら喜ばしいが、この娘は本来の目的を見失っている。
「お前はセンスが無いわけじゃない。ただ調味料の加減に過ぎない。俺が作ったこのスープを美味いと感じたのなら、横で見ていた通りに具材と調味料を入れれば良いだけだ」
「毎食がパーティ、ですよね!」
その言葉がよほど気に入ったのか、ミュリヤは満面の笑みでそう繰り返す。
両手をぎゅっと握り「わたしも頑張ります!」と意気込むミュリヤに安堵しつつ、俺はミュリヤの正面に座るリナリスを見遣る。
スプーンを握ることなく座り尽くすリナリスは、スープを覗き込み固まる。表情は無い。俺の視線に気付いたのか、わざとらしく溜息を吐いて立ち上がる。
「ごちそうさま」
何も手を付けずにそう言い捨て、リナリスは立ち上がる。
そのまま足早にダイニングを飛び出して、続いて聞こえるのは階段を登る音。
楽しげな食卓は、リナリスの行動一つで空気を強張らせた。
「俺が作った飯は気に食わない、か……」
予想できなかった展開ではない。俺たちは未だに仲違いしたままで、互いに謝罪の言葉も口にしてはいない。
俺は別に、リナリスと仲良くなりたいわけではない。
だがこの状況は好ましくない。
俺はこの廃墟の町で暮らすと決めたのだ。それに伴い、リナリスと対立したままの状況は色々と生活に支障を来す。例えば、この晩の食卓のように。
その後、俺が倉庫に戻る途中、二階からミュリヤの声が聞こえた。
「ごはん、ここに置いておくよ?」ミュリアの控え目な問い掛けに、返事はなかった。
“天使”の言葉は、あながち間違いではない。
気高く孤独な彼女は、決してミュリヤやシノと仲良しこよしではない。
特に俺は、招かれざる客である俺は、彼女の機嫌を損ねる一番の悪因だった。
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