第一章4

「ど、どうしたんですか!? ほっぺが真っ赤じゃないですか!」


 間もなく家に戻れば、ぱたぱたと玄関に走ってきたミュリヤが開口一番にそう言った。心配そうな表情で、鉄の右手で俺の頬に触れる。無骨でひんやりとした温度が右頬を包むが、ミュリヤはすぐに義手を引っ込める。


「す、すみません……。あまりに痛そうだったので、つい……」


「構わん」


 もう見慣れた申し訳なさそうな表情で俯くミュリヤを素通りし、俺はダイニングへと向かい、ソファに腰を下ろす。


 大人げなかった。

 そう自分の行動に客観的になれるほどには、俺は落ち着きを取り戻していた。

 何を子ども相手に剥きになっている。この俺、リィト=エヴァルは、子どものお守りに一生懸命になどなっているべきではない。


 ボーッと木製のテーブルを見下ろして、先ほどのやり取りを思い返す。そうしていれば、俺の視界を遮る白い陶製のカップと珈琲の香り。

 顔を上げれば、申し訳なさそうに笑うミュリヤが盆を胸に抱えて立っていた。

 向かいのソファに腰を下ろし、彼女は口を開く。


「もしかして、リナリスとケンカしたんですか……?」


 ミュリヤの言葉に、俺は「そうだ」と答える。


「ケンカというよりは、口論だな。俺がいらんことを言った。だからぶたれた」


 こうして説明してみせれば、あまりにも単純な経緯だ。


「どちらが悪いなどと言い始めても仕方がない。あいつが無茶苦茶を言った。だから俺は憶測だけであいつを罵倒したし、あいつは手を上げざるを得なかった。互いに非があるのだから、俺はあいつだけを責めたりはしない」


「リナリスはリィトさんが来るのを嫌がっているようでしたから……。もし宜しければ、どんな口論をしたのか、私に教えていただけませんか?」


 そう言って、困ったように笑うミュリヤ。

 なぜ彼女は、俺にここまで献身的なのか。一昨日、俺が来た当初から。ぞんざいに扱う俺の態度など、まったく気にしていないとでも言うように。


 だから俺は興味が湧いた。この娘が、俺とリナリスのどちらに味方するのか。


 それほど長いやり取りを交わしたわけではないから、説明はすぐに済んだ。

 淡々と、客観的に説明する俺の言葉を聞きながら、ミュリヤは終始難しそうな表情をしていた。


「リナリスは、両親をすごく大事にしているんです」


 しばらく沈黙を守っていたミュリヤだが、やがてそう切り出し始める。


「私は、リナリスとシノがどんな過去を持っているのか知りません。出会って日も浅いですし、一緒に暮らし始めてから、実はまだ十日くらいしか経っていないんです」


「それは意外だ。もうずっとここで暮らしていると思っていた」


「だから、リナリスのことはほとんど何も知らないんですけど……。でも、リナリスが大事にしているものは知っています。ロケットペンダントです。中身は見せてくれなかったんですけど、そこには両親の写真が収められているって聞きました」


「あのペンダントか。ちなみにその両親は……?」


「亡くなっているそうです。形見、なんだと思います。だからこそ、そんなことを言われたら腹を立ててしまうかもです……」


 ミュリヤの話に、俺は「なるほど」と呟く。


 俺の憶測は、リナリスの大事な両親を侮辱していた。彼女の事情を知っていようが知るまいが、俺が故人を蔑ろにした事実は変わらない。


「あいつが俺を嫌う理由は?」


「リナリスは別に、リィトさんを嫌っているわけじゃないんですよ。軍人さんが嫌いなんです。たぶん両親の死に関わっているのが、この国の軍人さんなんだと思いますよ」


 その言葉に、俺は疑問を抱く。

 中央軍を含めたイルヴァインの軍隊が、イルヴァインの国民を無闇に殺した事例は存在しないからだ。


 閑職ではあるが、俺も軍人の端くれだ。公の情報はもちろん、噂話も含めてそんな話は聞いたことがない。もちろん、地方や僻地の噂話まで網羅しているわけではないが。


「根が深い問題だな」


「でもでも、リナリスだっていけないんです。リィトさんは“お姉様”の命令で来ただけなんですよね? “お姉様”のお世話をしているひとが、リナリスの両親の死に関わっているわけがないんです。軍人さんだからって一緒くたにするなんて、あんまりです。せっかく来て下さったんですから、仲良くした方が絶対楽しいですよ!」


 そう言って、ミュリヤは眩しい笑顔を俺に見せる。


 結局この娘が、俺とリナリスのどちらの味方なのか、俺にはわからない。

 仲良くした方が楽しいなどと、まるで俺たちの事情を無視して。子どもの考えることはわからない。いや、俺は今までこんな子どもと接したことなどなかった。


 他人のことばかり考える子ども、いや、人間など。


 これから先、俺がミュリヤに対してどれだけ冷たく接したところで、この娘は挫けないだろう。今まで通り、献身的に接してくれるのだろう。そうして痺れを切らせて、俺とリナリスの仲を取り持とうとするに違いない。

 そんな未来が、薄らと見えてしまった。


 ……それは、少しぞっとしない想像だ。


「ミュリヤ、お前は俺とリナリスだったらどちらの肩を持つ?」


 だから、俺は疑問をそのまま口にしてしまう。


「へっ!?」と、全く予期していない質問をぶつけられたという反応をし、ミュリヤはそのままお盆の縁に顎を乗せて考え始める。


「そんなの、二人の味方に決まってるじゃないですか! だから二人が悪いときは、二人にダメって言うんです。私は、公平な裁判官さんなんです」


「裁判官は誰の味方もしないものだが」


「あう……。リィトさんはいじわるです……」


「ただの事実だ。俺は意地悪など言わない」


 適当に答えながら、俺はやはりこの娘の根本について疑問を抱いてしまう。


 黙っていたところで埒は開かない。それに何よりこの娘、ミュリヤは俺の疑問に全て答えてくれるだろう、という確信があった。


「一つ訊いても良いか」


「えぇ、なんでも!」


「なぜ出会ったばかりの俺に、ここまで献身的になってくれる? 俺とお前には何の接点もない。俺がここに寄越されただけで、リナリスのように突き放すこともできたはずだ。どこの誰かも知らない男と共同生活など、年頃の淑女なら良い迷惑だろう」


 口にすれば、それは俺が言うべき疑問ではないように思えて、少し気恥ずかしくなる。


 だが、ミュリヤは俺に大丈夫と言い聞かせる輝かしい笑顔を浮かべた。


「私はリィトさんが来るのを、楽しみにしていたんですよ。ちから仕事が楽になるかなぁってのもちょっぴりあったんですけど……、あ、これは内緒ですよ……? って、リィトさんに内緒にしても意味ないじゃないですかっ!」


 ふぇぇ……と涙目になるミュリヤに、俺は思わず苦笑を浮かべてしまう。


「と、とにかくです! “お姉様”が選んだひとですから、心配は全然なかったんです。真面目で無愛想なひととは聞いていて、実際に会ってみたら想像通りで、だからそんなリィトさんと仲良しになれたら絶対に楽しいなぁって、そう思ったんです」


 目を細めて、うっとりとした表情をするミュリヤに、俺は思わず見惚れてしまう。


 こんな人間が未だにこの国にいるだなんて、そんなのはお伽噺の類いだと思っていた。


 俺の周りにいた人間は、誰もが疲弊していた。ギラギラしたやつはいた。だが、そういう連中は大概が不相応な野心を抱いており、腹の中は夜闇のように黒い。


 俺は後者だ。この国の現状に憂い、良くするために、若造にしては不相応な野心を抱いている。ナルルはどうだろう。彼女は良き友人だが、もしかすれば彼女も壮大な野心を抱えているのかもしれない。彼女は決して平等主義者ではないし、下心剥き出しの男に容赦がないことも知っているが。


 ゆえに誰かと仲良くなることを至上命題とする人間など、俺は知らなかった。


「リィトさんは、私たちと仲良くしたいって、思いませんか……? 私たちは普通の人間じゃありませんし、ごんなゴツゴツした鉄の腕や脚を付けていますし、そんな女の子は、やっぱり気持ち悪いって思っちゃいますか……?」


 その訊き方はずるい。意地が悪いのは俺ではなく、ミュリヤの方だ。


 義手や義足は、確かに初見の衝撃が大きかった。だがそれを物ともしないくらい、彼女たちはあまりにも少女然としている。この短い期間でも、それは嫌というほど突き付けられている。


「俺には目的がある。天使近衛騎士として働いているのは通過点でしかない。だから俺はこの場所に、意味を見出すことができなかった」


 ――だがそれは本当だろうか。


 俺はもしや、価値のある機会をやすやすと捨てているのではないか。彼女たちが普通の少女なら、そんな彼女と交流するのは有益なことではないのか。


「リィトさんは、年下の子が苦手なんですよね? だから私たちとどう接したら良いかわからないんですよね?」


「そうだ。だが、克服しなければならないと思ってはいる」


 ナルルにも言われたことだと、あえて言ったりはしないが。


 子どもたちから話を聞くことも、立派な勉強の内だ。


 ミュリヤはこの短時間で、俺という人間について掴めているようだった。俺がその意義について、思考するのをやめている間に。


「だが俺は、お前にそれほど多くの面を見せてはいない。にも関わらず、どうして俺がどういう人間なのかお前には断言できるんだ?」


「それは簡単なことですよ」


 ふふ、と笑って、ミュリヤは言う。


「リィトさんって、きっと自分で思っているよりもわかりやすいひとなんです。だって、全部表情に出ていますから。私たちと話してるとき、むーって難しい顔をしているんです。あ、年下の子が苦手なんだなーってわかっちゃうくらいに」


 ミュリヤの言葉に、俺はカーッと頭に血が上るのを感じた。


 汽車での道中の、ナルルの言葉を思い出す。興が乗ると身振りが付くと指摘されたこと。


 俺が思っている以上に、俺はわかりやすい人間なのだろうか。自分の顔を触ったところで、俺は俺がどんな表情をしているのか知る由もない。


「俺は、そんなにわかりやすいか……」


「えぇ、とってもわかりやすいです!」


 断言されてしまえば、俺にはもう何も言えない。

 そんな俺の様子にミュリヤは楽しそうに笑い、しかし直後に「そういえば……」と言い淀み、申し訳なさげな表情をする。


「その、リィトさんの目的っていうのは、どういったものなんですか?」


 差し出がましくなければ……、と付け加えるミュリヤに、俺は黙っている必要もないと思い、口を開く。


「俺はイルヴァインの現状が、決して良い状況だとは思っていない。機関機械の発展は国を豊かにした。だが、その影では多くの国民が無理を強いられている。ヴァンケットの三等区画はその典型だ。俺はその現状を改善したいと考えている」


「リィトさんは、議員さんになりたいんですか?」


「そうだ。父上が議員でな、俺も父上のような立派なひとになりたいと思っている。だが、俺は未だこの国について多くを知らない。三等区画が現状どうなっているのかも、この目で見たことがない。だから、ここで足踏みをしているわけにはいかない」


 俺は、焦っていただけなのかもしれない。まだまだ俺はただの若造であり、そんな俺が議会に参加することなどできるわけがないのに。父上もそうだったはずだ。この国の様々な現状を目にしてきたからこそ、今の立場になれたのだろう。


 俺の言葉に、ミュリヤはなぜか困ったような笑みを浮かべる。

 俺の疑問は、こうしている間にも表情に出ているのだろうか。


「それなら、私でもお役に立てるかもしれません」


 俺は彼女のその表情に、心がざわつくのを感じる。


「私はここに来る前に、三等区画に住んでいたんです。いえ、それはちょっと違いますね」


 俺はその瞬間、何を思っただろう。


 俺の目的、野望、ナルルとの誓い。


 それらを全て忘却して、ただ、ミュリヤの困った笑顔を見つめる。


「私は三等区画の、浮浪児ストリートチルドレンだったんです」

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