銀の鎧を脱ぎ捨てて

銀礫

銀の鎧を脱ぎ捨てて

 いつからだろう。


 僕の身体に剣が突き刺さる、このイメージを持つようになったのは。






 ある夏の、時間は正午も過ぎたころ。僕はベッドから体を起こす。

 今日もまた、午前中という概念がなかった。


 ああ、今日も洗濯物は干せそうにない。

 空は快晴。それでも、洗濯は朝するものだという思いが強くある。

 ただ、布が増えていくだけの洗濯籠。

 そのことを思うと、寝起きからため息をこぼさざるを得ない。


 そんな気分のまま、時間は過ぎていく。

 ここ最近、ずっとこんな感じ。

 大学も四年生になった僕は、就職活動や卒業研究など、やらなければいけないことは盛りだくさん。

 それでも、朝は寝て、ほんの少しだけ作業して、あとはただぼーっとして。

 ただ、無気力に過ごす日々。


 今思うと、限界が近かったのかもしれない。


 そんな日々でも、たまにはいつもと違うことがある。

 今日は、久々に幼馴染とカフェでお茶をする予定なのだ。

 ただ、この幼馴染というのが、また変わり者で…。

 正直気が乗らない部分はあったが、せっかくの友達からの誘い。無下に断るのも、なんか、あれだろう。






 約束の時間が来た。奴はまだ来ない。

 先にカフェオレを頼み、ケータイで暇をつぶす。

 奴は、たっぷり三十分も遅れてやってきた。


「悪い、道が混んでた。」


 楽しそうな笑顔で、奴はやってきた。

 最近のこいつはやけに楽しそうだ。だいたいにこにこ笑ってる。

 僕は、最近いつ笑っただろうか。




 奴と会ったときは、近況や世間話など、そんな話は一切しない。

 ただ、奴が偉そうに、やれお前の考え方はおかしいだの、お前は間違ってるなど、持論で説教垂れるだけだ。

 そしてその上で「すべてお前のため」とか言い出すもんだから、さっぱり意味が分からない。

 今日も、そんな感じだった。


「お前はいっつも疲れた顔をしているな。いいか、それはな、恐怖や不安で自分の感情を抑圧しているからなんだ。」


 貴様に何がわかる。


「わかる。わかるよ。俺もそうだった。だからお前が最初にやらなければいけないのは、自分の感情を、ただただ、感じることなんだ。そうすればな、受け入れることができるんだ。」


 奴がいつも言っていること。いまだに理解できない。


「それはな、死ぬぐらい辛いことだ。でもな、その死の恐怖を乗り越えないと、本当の自分は取り戻せない。」


 奴の言い方はどうしても気に食わない。自分の理論が正しいと信じ、それを無遠慮に押し付けてくる。実に気に食わない。

 だが、ならば、どうしてこんなにイライラしてくるのだろう。

 無視することだって、できるはずなのに。


「はっきり言うぞ。お前は自我が確立されていない。だから、ただ周囲に依存しているだけだ。子供のころに親から得られなかった愛情を他人に求めているだけだ。」


 ……なんで貴様にそんなことを言われなければいけないんだ。


「そんなんだとお前、友達なくすぞ。実際、今お前は周りと関係を築けていないだろ。安心しろ、俺は見捨てない。」


 うるさい。うるせえ。


「たとえ親やきょうだいが悪いとしてもな、それを他人に求めるのはもう無理だ。だから自分の責任だと認めなければいけないんだ。お前を抑圧しているのはお前自身なんだからな。だが、それを認めるのは難しいだろうな。お前はプライドが高いから。でも、お前自身が気づくしかないんだ。」


 うるさいうるさい。わけわかんないことばかり言いやがって。高校をいじめで中退してフリーターやってる貴様なんかに言われる筋合いはねえ。


「お前は恐怖で本当の自分が抑圧されてしまっている。そんなのはおかしい。いいか、お前は内側に向かえ。そこに全てがある。今のお前は外に向きすぎだ。認めてもらうために「良い子」を演じて、外に評価を求めている。依存している。だから」

「ごめんね。僕もう疲れたから、帰るね。」


 奴を置き去りにして、その場から逃げるように立ち去った。






 帰宅。

 考えることを放棄した僕は、無心でシャワーを浴び、歯磨きをして、ベッドに横になる。

 だが、思い出されるのは奴の言葉ばかり。


 なんだよ、自我が確立されていないって。

 なんだよ、恐怖や不安や、沸き起こる感情をただ感じろって。

 さっぱりわからない。


 それでも、ここ最近の堕落した生活にも嫌気がさしていたのも事実。

 物は試しと、胸に手を当て、感情というものを感じてみる。

 今ある不安。たとえば、進路がまだ決まっていな――


 その刹那。


「ぐがっ!?」


 下腹部に、剣が突き刺さってきた。

 もちろん実際に刺さっているわけではない。ただのイメージだ。

 それでも、実に生々しいイメージ。

 本当にそこに剣が刺さっているような視界、痛み、苦しみ。


 このイメージに、覚えはある。

 いつからだろう。このイメージを持つようになったのは。

 後悔、恥、怒り、悲しみ、そういったものを胸に感じたとき、それめがけてまっすぐに飛んでくる。

 そして、身体を傷つけていく。


「またか…。」


 いつもなら、心を無にして無視するか、猛反発して剣を壊していく。

 だが、奴の言葉が思い浮かんでしまった。


『お前が最初にやらなければいけないのは、自分の感情を、ただただ、感じることなんだ。』


 これが、感情というものなのかは、わからなかった。なんか、違う気がする。

 それでも、今までとは違う向き合い方をしようと思った。


「来いよ。いくらでも受け止めてやる。お前の正体を見極めるまでな。」


 止むことのない剣の嵐。

 何度も、何度も何度も何度も、僕の身体に突き刺さってくる。

 腹に、胸に、頭に、手に、脚に。

 猛烈な吐き気に襲われ、洗面台に向かったこともあった。

 それでも、剣の猛攻は止むことがない。

 何本だろうが、その身に受け止める。



――――ああ、わからない。わからない。一体誰が、何のために。こんなことを。



 瞬間、剣が止む。


 これが、正しい問い、なのか?


 一呼吸置いた僕は、ふと、別の言葉を思い出す。


『お前は自我が確立されていない。』


 わからない。自我ってなんだ。自分ってなんだ


 自分の内側を覗いても、何もない。空っぽだ。


 なんだ自我って。わからない。


 でも、僕に中身なんてない。見えない。

 そう、僕は、中身も何もない、ただの役立たずで――――



 刹那。また一本。身体に剣が突き刺さる。



 そして、また嵐がやってくる。


 苦しい。もう、道なんて見えない気がする。

 でも、これがわからないと、変わることができない気がする。

 このままでは、人生が破滅に向かうだけな気がする。

 それは、嫌だった。もう、意地になっていた。

 絶対に、気づいてやる。悟りって、こうやって開くのかな。


『抑圧しているのは、お前自身だ。』


 そうだ。落ち着いて考えれば、当たり前のことじゃないか。

 このイメージは、僕にしか見えない。


 ならば、この剣を飛ばしているのは、――――外ならぬ僕自身じゃないか。


 じゃあ、自我ってなんだ。どこにある。

 イメージや空想は、本質とは違うもの。――――違うもの?

 じゃあ自分はどこにある。

 普通に考えろ。身体は、ここにあるじゃないか。

 この剣はイメージ。僕が、飛ばしているイメージ――――僕が?



 僕は、誰だ?



 急に、世界が静かになる。


 呼吸を整えた俺は、ただ、前を視た。



「誰だ、お前。」



 銀色のオーラを放つお前は、なんとなく、綺麗に見えた。

 そして、その姿は、俺自身だった。


「お前は、俺か。」


 刹那、また、一本だけ、身体に剣が突き刺さってきた。

 しかし、目の前のお前には、何十本もの剣が突き刺さっていた。


 その光景に、ただただ驚く。

 そして、気がつく。


「そうか。俺が今までの人生で作り上げた、外面用の自分ってやつか。」


 その言葉に答えるように、お前の身体に剣が突き刺さっていく。


 気がついたことといえば、もうひとつあった。

 俺は、知らぬ間に指をしゃぶっていた。

 覚えている。俺は、小学校の低学年まで、こんな癖があった。前歯が出ているのはこの癖のせいだ。

 なぜだろう。こうしていると、落ち着く。


 何回か声をかけるが、お前はしゃべらない。

 その本質を見抜こうと、じっとお前を見つめる。だが、その中身は空っぽに視えた。


 まるで、銀色の鎧のようだ。


 世間という外面に依存して、怖がって、いつの間にかこんなものを作ってしまったのか。何年も何年もかけて。

 そりゃあ、ちょっとやそっとじゃわかんねえわけだ。


 落ち着いてくると、いろんなことに合点がいくようになった。たとえば、あの剣。

 あの剣は、おそらく、お前という作られた鎧が、認められない欲望を抑圧するためのシステムだったのだろう。一種の自傷行為だったのかもしれない。


 お前に名前を付けてやった。「僕」が名乗っていた、綺麗で、崇高な名前。

 俺を示す名前がなくなったが、まあ、そんなもんかと思えた。


 そのまま俺は、指を咥えたまま眠りについた。






 これはざっと調べたことなのだが、たばこやガム、あるいは爪噛みや指をしゃぶるといった癖は、「口唇期」というだいたい二歳児ぐらいまでの期間において欲求が満たされなかったことが原因で起きるらしい。

 そして、この期の欲求が満たされなかった場合、無気力や自傷が強くなったり、物事にしつこくなる傾向がある、らしい。まあ、どこまで本当かは知らないが。


 つまり、俺の中身は二歳児から成長していない、といえるのかもな。二十歳も過ぎてるってのに、笑ってしまうぜ。

 それにしても、二歳児って……野原しんのすけより年下か。

 いや、そう考えると、ある意味年相応な気がする。


 二歳児からの子育てを、自分自身でやっていくのか。自分の責任で。


 ふふ、無限の可能性を秘めてやがる。






 朝。

 といっても、午前中という概念を取り戻すことはできなかったが。


 横を視ると、お前がいた。

 銀のオーラを身にまとい、疲れたようにうつむいている。

 まるで、昨日までの自分のようだ。


 今まで感じていたいろんな苦しみは、全てお前が作った幻想たっだのかもな。



 ふとケータイを見ると、昨日の幼馴染からメッセージが来ていた。


「大丈夫か? 昨日は悪かった。それでも、お前には必要なことだと思ったんだ。」


 本当にどこまでも偉そうな奴。

 それでも、くすりと笑みをこぼしている自分に気がつく。

 だから、こう返してやった。


「大丈夫だ。ありがとう。お前のおかげで、何か見えた気がするぜ。」

「そうか。俺はわかってたよ。苦しいことだとしても、お前は乗り越えられるってことをな。」


 ……つくづく、偉そうな奴だ。俺が元気になっても、こんな奴にはなりたくないな。気を付けよう。






 美談みたいになったが、俺の心が完全に晴れたわけではない。

 この鎧と俺自身との繋がりは細く残っていて、それを千切ることはできなかったからだ。

 まだ、鎧のパーツがどこかに残っているのかもな。


 そして、今の俺にはこの鎧との付き合い方がわからない。


 消すべきなのか、取り込むべきなのか、共存するべきなのか。


 だが、なんとなく、この鎧を捨てきるよりは、上手に使えるようになりたいな、と思った。

 せっかく十何年もかけて作った鎧だ。それなりによくできているはず。修正すべき点はあるだろうが。

 それに、やっぱり綺麗だ。


 だから、この鎧を着こなせるように、俺自身が成長しなければならない。

 二歳児のままじゃあ、また鎧に呑み込まれるだけだろうな。


 そしてやっかいなのが、どれだけ呑み込まれたとしても俺自身が消えることはないということ。

 この鎧は精神的なものだ。どれだけ立派でもこの物理的な身体まで持っていくことはない。

 だからこそ、矛盾や軋轢が生まれ、また剣の形となって俺を襲うのだろう。

 それはもう嫌だな。



 鎧の大部分を分離した今の俺は、本当にわからないことだらけ。いや、鎧と同化していた時もどうかしていたのだろうが。

 だから、今も前も変わらず、具体的な生き方とか、やり方とか、見当もつかない。おしゃぶりでも買えばいいのか?



 それでも、なんとなく、前向きになれた気がした。

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