式師

「色彩が失われたから、風化が起きた。、だと――?なんで、そんな。それなら、色が失われたのは、どうして――」

 獣の発言を繰り返すように、若者が独りごちる。


 続いて獣が発した言葉は、またも意外なものだった。

「生物多様性、という言葉を知っているか?」

「はぁ?なんでまたここでそんな話……」

「いいから答えよ」

「……まあ、なんとなくなら。色んな生き物がお互いに関係し合いながら、たくさん存在しているってことだろ。食べたり、食べられたり、土に還ったりしながら」

「くっ。お前らしい言い方だが、まあ、そのようなものだ。それは、非常に微妙なバランスの上で成り立っている。その観点で言えばな、人は明らかにそこからのだよ。増えすぎ、発達しすぎた。

 通常ならば、天敵により増殖は防がれるのだが――さて、人の天敵とは何であろうな?」

「何って……いないんじゃないか?だからこそ、あんたの言い分で言えば、わけだろ。

 強いて言うなら、飢餓とか病気とか、……天災?」


「そう――天災。自然災害だな。

 その観点で見るならばな、どうだ。

「……おい、待てよ。

 あんたの言い方だと、まるで、風化が、必要な物であるかのように聞こえるぞ」


「なっ……!?」

 腰を上げかけた若者を、獣が眼光で制す。

「先程のお前の質問に答えよう。世界から色が失われたのはなぜか?

 そもそも色というのはそれ自体、形が在る訳ではない。観測者が、どうとらえるか、それによって初めて存在し得るものなのだよ」

「どう、捉えるか……?」

「機巧を得て、人はその利便性に魅了された。それをさらに発展させる事に、そしてそれにより得られる益に夢中になった。

 そこに必要なのは数値化であり、細分化であり、世界の解体と、再構築だ。具体性が肝心なのだ。感覚、感性、感情……そのような抽象的概念は不安定で、不要で、不測で不足だ。重要ではないのだよ、機巧の発展を望む大多数の人々にとってはな。

 ――そして、人は感性を磨耗させた。色彩の知覚を、色を色として感じる心の放棄を、受容的に選択した。

 

 そうして世界は色褪いろあせ、移ろい、記憶から消え、ついにはその存在意義すら失くす。その究極形がだ。今は視覚だけだがな、いずれ人は五感の全てを失っていくのだろうよ」


「なんだよそれ……。それじゃ、まるで、世界が意思を持っているみたいじゃないか。意思を持って、人に害をなそうと!」

 声を荒らげる若者に、獣は冷淡に言い放った。

「意思などない。世界は意思など持たぬ。など持たぬ。。増えすぎたものは駆逐される。

 

 ことわりだ。いくら機巧が発達しようと、いや発達したからこそ、人は、その流れに逆らうことなどできぬよ」


「……」

 さすがに、若者は言葉を発することが出来なかった。反論など出来るはずもない。尺度スケールが大きすぎる。


「次の質問に答えようか。式師の能力とは何かと聞いたな。式師は絶滅したのかとも――。それらの質問には、まとめて答えることができよう。そもそも、式師などという呼び名自体が、それを物語っているのだよ」

「呼び名……?」

「そう。式師とは本来の名ではない。人々が真の名を忘れてしまった為に――いや、真の名を失ってしまったが故に、いつしか誤った名が定着するようになったのだ。

 ――彼らの本当の名はな、色師という」

「……っ」

 若者は目を丸くした。

「色彩を操る能力者――世界を彩る者。それが彼ら、色師だ」



「色彩を、操る……」

「そうだ。それ故、人が色を失うことはすなわち、色師の能力ちからの衰退を意味した。当然だな、操るべき対象が喪失しているのだから。世界を彩り、風化を抑制し得る能力を持つからこそ、世界が風化に傾き誰より影響を受けるのもまた、彼らだった。

 そして何より致命的だったのは、二人一組ツーマンセル、ということだったのだよ」

「資料館で案内役が言っていたな。だから俺は、あんたらがそうなんじゃないかと思って追ったんだけど……」


「正確に言えば、色師一人に対して、必ず一人の相棒パートナーが必要なのだ。

 ――それらを、『なかだち』と呼ぶ。

 なかだちは、人と世界を色でつなぐ者。人との交流の中で、色をり、色師に与えるもの。

 色師が画家であるとすれば、媒は絵具。画布キャンバスが世界だ。いくら才のある画家であろうと、絵具がなければ描くことなどできぬ。

 人による色彩の放棄は、媒足る者を絶え滅ぼした。媒を持たぬ色師は、本来の能力の何分の一も発揮できぬ。そんな色師達を人々がどう扱ったか、お前は知っているな?」

「……」


「自らの選択に気付くこともなく、能力を失った色師達を役立たずと罵り、責め、徒に傷つける者すらあった。

 色師たちはそんな人々に愛想を尽かし、姿を隠した。そして――いや、これ以上は話す必要はないだろう。ともかく、現存する色師は、今ここに居るナユタだけだ」

 獣はそこでようやく長い話を区切った。


 若者は何かに耐えるような表情をしながら、口を開きかけたが、やめた。そして、思いなおした様に問う。

「じゃあ――あんたは?」

 その言葉に、獣は若者へと顔を向けた。

「色師でもなく、媒でもない。なら、あんたは一体『なに』なんだ?」


 さわさわと梢を鳴らしていた風がやみ、静寂が落ちる。

 獣は肩をすくめ、

「私は――シキだ」

答えた。


「ナユタのしきにして、世界に残った最後のしき――灰の、シキだ」

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