出会い

 本日二度目の、美形との遭遇だった。

 歳の頃は三十ほど。百八十センチはあろうかという長身だが、細身ながら鍛えられた体躯はまるで自重を感じさせず、優美な獣のようなしなやかさをもって佇んでいる。肩のあたりまで伸びた髪は光沢のある淡い灰色。瞳は鋭く、冷たさすら感じさせるほどに整った容貌は、今はわずかに興味深げな様を浮かべている。まるで研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を持つ青年だった。


 外見を裏切らない落ち着いた涼やかな声で、青年は続ける。

「機巧に芸術を説いても仕方あるまい。そもそも、絵画という文化は廃れて久しい。色についても同様だ。その案内役はあくまで自明の歴史を語るものだ。世間一般の認識として、それが語ったことは間違いではなかろうよ。そのような議論を強いるのは酷というものだろう」

 青年に静かに諭され、冷静になった若者は取り乱したことを恥じた。そもそも、人気ひとけは少ないとはいえ、他の客も皆無ではないのだ。資料館という場所は少なくとも口論にふさわしい場所ではない。


「…悪い、つい、むきになって…」

 しおらしく謝った若者に、青年はかろうじて分かる程度に微笑を浮かべた。

「いや、叱責するつもりはなかったのだ。そのように聞こえたなら悪かったな。単純に、そこまで絵画に執着を示すお前が物珍しかっただけなのだよ。その機巧が語った通り、絵画の衰退はとうの昔に世間に受け入れられていることなのだから。お前がそこまで絵画にこだわる理由は、何かあるのか?」

 青年の問いかけに、若者は切なそうに答えた。

「母さんが…絵描きだったんだ」


 若者が言うと、青年は瞳にかすかに驚きを浮かべた。

「お前の母親というと、それほど高齢ではないだろう。すでに世界は色を失っていたはずだ。それが、絵描き?」

「…ああ、あんたの言うとおり、母さんが成人する頃には既に世界は今の状態だった。でも、ごく幼い頃には世界は色で溢れていたんだ。母さんからよく聞いていたよ。抜けるような青空、透き通るような海の蒼、色鮮やかな花々、緑深い山…。母さんはいつまでたっても少女のような人で、いつも楽しそうに、まるで今でもその光景が見えているかのように、美しい世界の話を語っていた。俺はわくわくしながらそんな話を聞いていたよ。母さんの絵は、もちろん灰色一色だったけれど、それでもそれを見ていると不思議な高揚感に包まれるような、魅力的な絵で。俺は、母さんも、母さんの描く絵も、大好きだった」


「…ご母堂は、ご健在か?」

「いや。…一年前に死んだよ」

「そうか……。お悔やみ申し上げる。さぞ、素敵な絵を描かれたのだろうな」

「ありがとう。うん。俺は…母さんの絵を、本当の母さんの絵を、いや。母さんが見た世界を見たい。色に満ちていたという、本当の世界を見たい。こんなくすんだ世界で、いつ起きるともしれない風化に怯えながら、『適応したふりをしながら』生きていくなんてまっぴらだ。俺は、風化を止めたいんだ…っ」

 振り絞るように、若者は悲痛な声を上げる。


 青年はそんな若者をじっと見つめ、言う。

「それで、この資料館へ?」

「…ああ。母さんが死んでから、風化を止める方法を探して、色んなところを回ったよ。でもどこにも、誰にも、そんな情報は無かった。単なる言い伝えにしか過ぎない式師の伝説にすらすがって、風化に対抗できたという式師の噂を信じて、探し回ったりもしたけれど、見つかるはずもなく、役に立つ情報すらなくて…、ここが、この都が最後の希望だったんだ。でも、駄目だった。…なあ、あんた、式師について何か噂とか、聞いたことないか?なんでもいいんだ。どんな些細なことでもいいんだ。あったら教えてくれよ。お願いだ」


 もちろん、若者は答えが帰ってくることを期待して聞いている訳ではない。ここまで、それこそ様々な地域を巡っても得られなかった情報が、たまたま訪れた場所でたまたま出会った青年から得られるなどという偶然は、出来すぎている。ただ、藁にもすがる思いで出た言葉だった。

 案の定、青年の答えは否だった。

「悪いな。私では力になれそうにない」


「…。そ、っか…」

 半ば以上予想していた言葉でも、それでも若者は落胆する。

「私などに聞くより、せっかくここまで来たのだ。そこの機巧にでも聞いたらどうだ」

 その言葉に、若者の視線は青年から案内役へと逸れる。その視線に応えるように、案内役は語りだした。

「式師。かつて風化に対抗した術者達の総称デす。『式』と呼ばれる術を使役し、風化を修復する能力を有していたとされ、二人一組デ行動するのが常だったと言われています。ただし、式師に関する明確な記録は風化によりほとんどガ失われており、前述の情報についても口伝で残るに過ぎません。現在、式師については迫害により絶滅したとも、また人里を離レ隠れ住んでいるとも言われていますが、いずれにせヨ、信頼に値する情報は私の知識集合内では皆無デす」

「二人一組…」

 若者は思わず呟く。それは初めて聞く情報であった。


 だがそれを知ったからといって何かが変わるわけではない。相変わらず手がかりがない現状には変わりがない。それでも、助言をもらったことに礼を言おうと若者は青年に振り返った。

 しかし、既にそこに青年の姿はなく、ただ立体映像だけが流れていた。

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