資料館

 ――未の刻、三の区画、五の通り。

 街でも一際大きな建物の前に、若者は立っていた。年代を感じさせる古びた外壁は、所々真新しく塗りなおされている。厳かな御影石の石版には「歴史資料館」と刻まれていた。


「歴史資料館。大陸とこの街の歴史を語る場所――か。目当ての情報があるとは思えないけどな…」

 若者は嘆息しつつ、扉をくぐり中へ入る。


 すると、その前に一体の機巧が進み出てきた。

「ようこそ、御越シ下さいました。私ハ、この舘の案内役デございます。

 案内ヲ、ゴ希望なさいますか?」

「そうだな、助かる。お願いするよ」

「かしこまりましタ。それではゴ案内致します」

 滑らかに、機巧は稼動し、通路の先へと進む。その後に続き、若者は歩き出した。


 やがて開けた空間に出る。最初の部屋だ。薄暗い室内に、立体映像が浮かび上がった。

 機巧が語り始める。

「古都タテワク、水の都セイガイハ、森の街エガスミ、商業都市シッポウ、皇都カゴメ。現在、五つの主要都市を有するこの大陸ハ、以前は、一つの国でした。いえ、そのような名前すらない、一つの巨大ナ塊だったと言った方ガよいでしょう」

 不鮮明な壁画や、崩壊の進んだ遺跡が映し出される。

「その昔、人々は、非常に簡素かんそな生活ヲしていたと考えられています。魚ヲ取り、獣を狩り、さいヲ育てる。しかしながら、その時代ノ記録は、歴史的遺物に頼るしかなく、詳細ハ明らかではありません。ことわり以前。0と1の狭間はざま。この大陸ノ詳細な歴史を語るには、ある時ヲ待つ必要があります。そう、――すなわち、機巧からくりの誕生」

「機巧…」

一人と一体は次の部屋へと進む。


「機巧の始祖しそ、『サイメイ』。彼の時代に作られた機巧は、主に娯楽的な要素ガ強いものでした。しかし、天才機巧師『イガシチ』の出現により、機巧ノ存在意義は、大きく変化します」

 映し出されるのは、様々な機巧。空を飛ぶもの、凄まじい速度で走るもの、意味不明な数式の羅列を延々と表示し続けるもの…。

「彼の作る機巧は、人の代替たる――いえ、個々ノ能力に置いては、人ヲ遥かに凌駕する機能を有しました。それに触発されるように、他の機巧師も次々と機巧を発明、彼の時代に技術は爆発的な進歩ヲ遂げます。

 生産、輸送、観測、記録、解析、あらゆる場面で機巧は使役され、それにより人々は、急速に生活水準ヲ向上させて行きました。

 特に、イガシチの生まれ故郷である村では、技術ノ発展が目覚めざましく、一農村に過ぎなかった村ハ、いつしか技術大国へと発展して行きました。それガここ――古都タテワクです。

 優れた機巧ハ、人による世界の探求をたすけ、解明されたコトワリは、より高機能ナ機巧へと繋がる。過程は際限なく効率化されて行キ、今や機巧は、自然現象を操ることですら不可能デはありません」

「それでも――」

 思わずこぼれだしたように、若者は一人ごちる。

「それでも、その機巧を以ってしても、風化を止めることはできなかった」

 若者の視線が、案内役を捉える。


 案内役は冷静に応えた。

「はい、それは事実デす。

――ですが、機巧ガいたからこそ、『風化に適応することガできた』」

 次の部屋へと進む。

「今から四十年前、ある辺境の村デ、突如として納屋がちりとなり、朽ち果てました。これが記録に残ル最初の『風化』です。時を同じくして同様の報告ガ世界各地で相次ぎ、人々は風化の存在を認知します。

 風化の原因は不明。現在でも、それは現象として捉えられているに過ギません。

 しかし、現象ガ捉えられれば、対策をとることが可能です。現在の機巧技術では、風化ノ再生は難しくありません。物質はもちろん、情報は幾重にも記録・複製され、喪失の補填ほてんは容易デあり、風化の察知、場合によっては予報すら可能になりました。人類は機巧ニより風化に順応したのです」


「だったら!」

 案内者の言葉に、若者は思わず声を荒らげる。

「風化を克服したと言うのなら、色は、色の消失はどうなる!?この単調な世界は!?」

 若者の言葉に、思いがけないことを聞いたというように案内役はしばし動きを止め、思い出したように答えた。

「色――、ああ、可視光の波長差に依存する、知覚刺激の事デすね。確かに現在、人類はその知覚能をいちじるしく失っています。しかし、それに何か問題ガありますか?

 現在も、最低限視覚に必要な濃淡は感知できます。生鮮食品の成熟度や品質は、解析により数値化ガ可能ですし、過去に存在していた交通信号機は、機巧による、車両及び交通網の自動化により、その役目を終えました。

 人類は既に『世界はこういうものである』と受ケ入れています。あなたがそれほど感情を乱す理由は何ですか?」


 案内役の問いかけに、若者は言葉に詰まる。痛みに耐えるように顔をゆがめ、苦しげにつぶやいた。

「絵には…絵描きには色が必要だろう?世界は、もっと…もっと、無限の色に満ちているはずだ」

 それを聞き、案内役は戸惑ったように(通常機巧がこのような感情を表すことはめったにないが)言葉を継ぐ。

「…絵、絵画、現在はすたれた古典芸能の一種デすね。…非効率で非生産的な行為です。

 視覚情報を写実しゃじつするのであれば、立体映像の方が遥かに正確で情報量も多い。風化により次々と世界ガ失われる現状、写実による記録は、限りなく速やかに行われなければナりません。静止画は情報量が少なすぎます。まして時間がかかり過ぎる」

「違う…」

「娯楽としての目的デあっても、機巧により遥かに精緻せいちで効率的な描写が可能です。個人の才能に左右される技術は汎用性が低く、人類への貢献度が少ない。あらゆる点で、絵画は余りにも前時代的デす」

「違う!!」

 首を振り、遮るように若者は叫ぶ。


「絵は…、絵は、そんなものじゃないんだ!効率とか、生産性とか、そんな、そんなものじゃ…!!」

「――可笑しな男だな」

 突如割り込んだ見知らぬ声に、激昂していた若者は思わず我に帰り、反射的に声のした方を振り向いた。

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