遭遇

「さーって、どーすっかなー…」

 図書館を出て、若者は通りを力なく歩いていた。

「大概の町の図書館は巡っちまったし、行くあてもなし…。さっきのお姉さんに紹介された歴史資料館にでも駄目元で行ってみっかぁ? ――っと、う、わぁ!?」

 考え込み、視線を地面に下ろしていた若者をかすめるように、一台の機械が走りぬけ、思わず若者は声を上げた。

「な…?あ、なんだ、機巧カラクリか。…さすが技術の街。そこらじゅうに機巧が動いてるなぁ」


 機巧――非人力で動く機械仕掛けの総称。その発明の地であるタテワクでは、必然的に稼動数も他の街よりも多い。

 その種類は多岐に渡り、大通りを見回すだけでも、道沿いにある工房の中では腕型の機巧が絶え間なく商品を製造し、通りには数多くの二輪型や四輪型が人々を輸送している。

 「故郷にはあんまり機巧はなかったからなー。こんなに多くの機巧が一度に動いてるのはなかなか壮観だな――ん?」

 きょろきょろしながら歩いていた若者はあるものに気付き、ふと足を止めた。

「何やってんだ? あの子」


 若者の視線の先に、大通りの道端に座り込み、地面に向かって忙しなく手を動かしている一人の少年がいた。

「八、九歳…くらいか? 一人で行動する年じゃないよな。親が戻ってくるの待ってんのかな?」

 周囲には、保護者らしき人影は見当たらない。

「……まさか、孤児とかじゃないよなぁ?」

 生来のお人よしが顔を出し、そんないらぬ心配をしてしまう。どちらにせよ資料館へ続く通りであったため、若者の足は次第に少年に近づいていく。


 近くでみれば、少年の奇異さはより明白になった。

 灰色の髪は地面に届くほどに伸び放題で、うつむいた顔がほとんど隠されている。手に持った細い棒を地面に押し付け、浅く削る動作を縦に横に、時には曲線や円形に繰り返し、ひと時も止まることが無い。

 しばらくその動きに見入っていた若者は、やがてその動作の意味に気付き、思わず驚きの声を上げた。

「お前――、もしかしてそれ、絵を描いてるのか?」

 その声を聞き、少年が始めて手を止め、顔を上げる。

「――っ」

 若者は思わず息を呑んだ。


 言葉を失うほどの、美貌の少年だった。

 長い髪は絹糸のように細く、わずかに波打ちながら柔らかく顔にかかっている。ふっくらとした頬はまだあどけなく、透明感を感じるほどに滑らかな肌。つややかな唇は驚いたようにわずかに開かれ、長い睫毛に縁取られた大きな瞳は、じっと若者を見つめていた。

 つかの間、魅入られたように動きを止めていた若者だったが、我に帰り、慌てたように言葉を継ぐ。

「―…あ、その、悪い、急に。お前ぐらいの歳の子が絵を描くなんて、珍しいなって思って。それで、思わず声かけちまった」

 少年は若者に視線を合わせたまま、微動だにしない。

「それ、描いてんの、この街だろ? 左のは機巧、上のは―あっちにある時計塔か? 図書館に、広場、はは、これあそこの猫だろ。そんで―」

 若者は地面に描かれている図を指差しながら、次々と少年に語りかける。まるで思いがけず旧友に出会ったかのように、夢中になって、嬉しそうに。

 少年は応えない。

「お前、この辺の子か? 一人なのか? 迷子…とかじゃないよなぁ。もし親とはぐれたんだったら一緒に探すけど、大丈夫か?」

 少年は応えない。

「…あー、俺、レイっていうんだ。お前は?」

 少年は応えない。

「………」

 しん、と沈黙が落ちた。

(…え、もしかして、警戒されてる? 馴れ馴れし過ぎた? てか、見ず知らずの子に突然話しかけるとか、あれ、ひょっとして俺って結構不審者?)

 少年は応えない。

「…あーっと、そ、そうだ。俺、そろそろ行かないと。悪かったな、急に話しかけたりして。あ、でも、もしなんか困ってるんだったら言ってくれよ! 俺、資料館にいるから!」

 若者は慌てたようにぎくしゃくと立ち上がると、少年に念を押し、背を向け駆け出す。

 一度、思い出したように立ち止まり、振り返ると、笑顔で言った。

「そうだ、お前、絵すっげー上手いな! 久しぶりに絵描きに会えて、俺、嬉しかった。」

 少年は応えない。

「じゃあな!」

 今度こそ少年に背を向け、若者は駆け出す。


 少年は応えない。その視線も、動かない。

 若者の姿が見えなくなるまで、少年はじっとその背中を見つめていた。

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