灰色の世界に色彩を
神田未亜
収穫の無い図書館
「風化」がいつから始まったのか、正確には定かではない。
ある時を境に人々は、世界が徐々に崩壊していることに気付いた。
各地で井戸や民家や木々が、ごく局所的にではあるが瞬く間に塵となって消えた。まるで一瞬にして長い年月を経て朽ち果てたかのように、それは風化としか呼びようのない現象だった。
初期には、式というまじないを操る「式師」と呼ばれる能力者らが、風化に対抗すべく奔走したという。
だが、風化は止まらなかった。式師たちは人々の逆恨みとも言える迫害にあい、次第に身を隠すようになった。
人々が風化を認識し始めてから四十年。
今なお風化は続いており、式師たちの行方は杳としてしれない。
***
「だーめだ!」
ダンッと、運んできた本を長机に叩きつけ、若者が苛立たしげに言う。
「おねーさん! こんな内容だったら子供でも知ってるって。もっと式師とか風化について詳しく書いてある本はねーの!?」
若者に応えて、机の奥から、若い女性が現れる。
「すみませんが、図書館ではお静かに願います」
穏やかな口調でたしなめられた若者は、両手を合わせ、拝むようにして懇願した。
「頼むよー。俺どうしても情報が欲しいんだって! そのためにわざわざこんな古い図書館まで来たんだからさ」
「古いとはお言葉ですね。歴史があると言っていただきたい」
女性は呆れたように嘆息した。
知識と技術の街、タテワク。大陸で最古の図書館を所有する都、その貸し出し口である。
手を合わせ、懇願するのは齢十八程の若者。短く切った灰色の髪は無造作に跳ね、感情豊かな灰色の瞳は、今は焦燥と苛立ちに染まっていた。
一時間ほど前、この図書館を訪ねた若者は、開口一番、「この図書館にある式師関連の書物を全て見せて欲しい」と言った。そうして集められた本を読みふけった結果の、この反応であった。
女性はなだめる様に続ける。
「あなたに言われたとおり、この図書館にある式師の書物は全て集めてきました。
式師など、興味を持つ方すら珍しいので苦労しましたが、漏らさず用意したつもりです。どうやら、別の土地からわざわざ訪ねて来ていただいたようですが、欲しい情報がそこになかったというなら、諦めた方がよいでしょう」
「…ここが最後の可能性なんだ。ここにも無かったら、もう、心当たりは…」
「…申し訳ありません。あなたもご存知だと思いますが、古い文献はほとんど失われているのです。風化は、あらゆるものをかき消してしまう。書物の中身すらも例外でなく」
女性の言葉に、若者は苦々しげにうなずく。
「…ああ、分かってる。風化は書物の中身も、時には、人の記憶すらも消してしまう。そして…」
若者は顔を上げて軽く周囲を見回す。
「色、さえも」
若者を見る女性の瞳は、灰色。机も椅子も、若者の持つ本も、窓から見える空ですら、灰色。
世界は灰色、ただその一色の濃淡で彩られていた。
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