[本文]第十六席

しかるにこのとき後藤ごとう又兵またべの許へ夜分やぶんまいりましたのが佐野さの鹿十しかじゅうろうみなもと光利みつとしでございまする。


又兵またべ「オオ佐野さのか。今時分じぶんにどうした」


鹿十しかじゅう琉球りゅうきゅうからお帰りのお使いにうけたまわりますると戦争せんそう勝利しょうりの方でございまするそうで……」


又兵またべ「うむ左様さようだ」


鹿十しかじゅう「ところが少し残念ざんねんな事をうけたまわりました。兄佐野さの出羽でわのかみ軍師ぐんしのお言葉ことばに背いたが為に味方みかたがえらい損害そんがいをしたそうで、それが為に兄は閉門へいもん相成あいなって牢船ろうぶねし込まれておるそうでございます」


又兵またべ「うむ身共みどもも聞いて実はどくに思っておる」


鹿十しかじゅう「それにつきまして、親は孟亀もうきれいの為に殺され、兄は牢船ろうぶねに放込まれ、まこと残念ざんねんでたまりません。ひとつ恥辱ちじょくを雪ぎとうございますから、このたびの船で私をおつかわしの程をねがいとうございまするので……」


又兵またべ左様さようか。実にもっともな話だ。しかし公然こうぜんとやる訳には行かぬ。白旗しらはた相談そうだんをして、コッソリ行く様にいたせ」


鹿十しかじゅう「ありがとうございまする」


そこから鹿十しかじゅうろうは米を積む人足にんそくに混じりまして、船の様子ようすを調べて置き、夜のあいだに船の底に忍び込みました。検査けんさが済みますると、この船は国頭こくとうみなと無事ぶじに着きました。船が着いたとうので味方みかたの勢は大いに喜んで、ドンドン米を運びます。


鹿十しかじゅうろうは忍んで来ておるのでございますから、ソッと人の目にかからぬ様に、こめ一俵いっぴょうを下げましたそのままで、どうなりこうなり味方みかたの目にかからないで、養鶏山ようけいざんなかに入り込みました。


その日はこめ一俵いっぴょう谷間たにまかくし置いて、生米なまごめを噛み、谷の水を飲んで飢えを凌ぎましたが、さて翌日よくじつ相成あいなりましたから、鹿十しかじゅうろうは、


鹿十しかじゅう「ああ敵の陣中じんちゅうはどういう所にあるのからん。また荒川あらかわかつらはどこにおるのか。一偏いっぺん連中れんちゅう面会めんかいしたいものである」


と思いましたから、養鶏山ようけいざん谷川たにがわを伝わって、ボツボツ下ってまいりました……


はなしは変りまして、此方こちら十万石じゅうまんごくの米が届きましたので、軍師ぐんし大助だいすけ一同いちどう相談そうだんの上でりにいたしました張友ちょうゆう張雲ちょううん張士ちょうし三名さんめいを引出しました。


大助だいすけ「コレ三名さんめいの者、そのほうらは日本にほん兵糧ひょうろうを焼いたが、このたび前より数倍すうばいの米が日本にほんから回って来た。よって祝として汝らの生命いのちを助けやる。早々そうそうれい」


い返した。それで三名さんめい兄弟きょうだいは喜んで、養鶏山ようけいざんをドンドン上ってまいりましたが、これをながめたのは佐野さの鹿十しかじゅうろうでございまする。


鹿十しかじゅう「ソリャ琉球りゅうきゅうじん三名さんめいが来よる。見ればいずれも強そうな奴だ。よしせめてもの事に此奴こやつッら三名さんめいってその生首なまくびっ下げて軍師ぐんしむかって是非ぜひとも拙者せっしゃ戦争せんそう仲間なかまにお入れくださいとおねがいをしよう。そうじゃそうじゃ」


ひと合点がてんをいたしました佐野さの鹿十しかじゅうろううし鉢巻はちまき玉襷たまだすき陣刀じんがたなを腰に手挟たばさむと、大手おおてを広げて、


鹿十しかじゅうてッ……」


怒鳴どなった。話をしながらやって来ました三名さんめい兄弟きょうだい、ヒョイと見れば日本にほんじんだから、


三名さんめい「おのれッ」


い様、ズラリ帯刀たてわきき抜いてってかかった。ヒラリ体をかわした鹿十しかじゅうろう


鹿十しかじゅう「ウヌ、猪口才ちょこざいなり」


い様、ズラリ抜くがはやいか、張友ちょうゆうの首をち落した。張雲ちょううん張士ちょうし二人ふたりはこれをながめて、


二人ふたり「おのれ兄の仇敵かたきだ。覚悟かくごをしろ」


左右さゆうからってる。鹿十しかじゅうろうはなにほどの事やあるらんと、両人りょうにん相手あいてにチャンチャンチャリンと斬り結んだ。ところへチリンチリンズドンと金棒をきずってやって来ましたのは新納にいろ武蔵むさしのかみ荒川あらかわ熊蔵くまぞう両人りょうにんでございまする。


熊蔵くまぞう新納にいろ、どこかで剣の音がするではないか」


武蔵むさし如何いかにもいそいで行けい」


と音のする方へドンドン駆け付けて来ますると、佐野さの鹿十しかじゅうろうでございますから、


熊蔵くまぞう「ヤア佐野さの鹿十しかじゅうろうではないか」


鹿十しかじゅう「オオ新納にいろ殿どの荒川あらかわ殿どのか。よい所で出会をした。ただ今両人りょうにん相手あいてむすんでおる所だ」


熊蔵くまぞう左様さようか。心配しんぱいするな。助けてやるから」


うがはやいか両人りょうにんは持っていましたる鉄棒てつぼうって、こうずねを払ったから堪りません。可哀想かわいそう張雲ちょううん張士ちょうし両人りょうにんはビシャッとぶっ倒れた。そこをばんで鹿十しかじゅうろう両人りょうにんの首をうち落しました。


熊蔵くまぞう「ヤア鹿十しかじゅうろう天晴あっぱれだ。その首を持って来い。我々われわれ軍師ぐんしねがってやるから……」


鹿十しかじゅう「ありがとうござる」


うので、早々そうそう南山なんざんじょうへ参って、軍師ぐんし目通めどおりをいたしました。ところが大助だいすけは大いに立腹りっぷくいたしました。


大助だいすけ「ヤア不届ふとど至極しごくの奴である。薩摩さつまからけをして、あまつさえ許しやったる三名さんめいくびるとは何事なにごとだ。入牢にゅうろうもうし付けるから左様さよう心得こころえい」


と、到頭とうとう折角せっかく来た甲斐かいもなく、牢船ろうぶねに放り込まれてしまった。佐野さの兄弟きょうだいは牢の中で面会めんかいをして、たがいにを握り合って、まこと残念ざんねんなことである。我々われわれ兄弟きょうだい弓矢ゆみやの神に見放されたのであろうかと、ひたすらになみだれておりました……


はなしは変りまして、こちらは軍師ぐんし大助だいすけ幸安ゆきやす、いよいよ道明寺どうみょうじ山城やましろのかみって、広西城こうせいじょうつかわし、降伏こくふくを勧めにやりました。ところが広西城こうせいじょうの方ではどうしても降伏こくふくはせん。


沖山「日本にほん卑怯ひきょうの戦をするのみならず、聞けば張友ちょうゆう張雲ちょううん張士ちょうし三名さんめい日本にほん佐野さの鹿十しかじゅうろうう者が養鶏山ようけいざんったとう事である。ついてはその佐野さの鹿十しかじゅうろう仕置しおきにあげよ。そうしていよいよ日本にほん信義しんぎあついものと見たならば、或るは降伏こくふくいたすかもらぬが、さもなくばまで降伏こくふくをせん」


返答へんとうをしましたから、この事を軍師ぐんしに云った。大助だいすけ幸安ゆきやすこれを聞いて、


大助だいすけ如何いかにも承知しょうちに及んだ。しからば佐野さの鹿十しかじゅうろうを確かに仕置しおきにあげるから、検視けんしやくとしてそちらから確かな人物じんぶつが来てくれる様」


と再び返答へんとうをした。それでは周翁すおう孟亀もうきれいが行こうとう事になって、孟亀もうきれいが五百人の家来けらいを連れて智龍山ちりゅうざん絶頂ぜっちょう出張しゅっちょうするとう事にまとまりました。


そこで仕置しおき場所ばしょ智龍山ちりゅうざん絶頂ぜっちょうでございますから、にわかに矢来やらいを作りまして、孟亀もうきれいは五百人の同勢どうぜいで、その中にひかえ込みました。


可哀想かわいそう佐野さの鹿十しかじゅうろう縄付なわつきのままでかつら市兵衛いちべえ荒川あらかわ熊蔵くまぞう新納にいろ武蔵むさし種ヶ島たねがしま大膳だいぜんの四人にかれて、仕置しおき場にまいりました。


首切くびきやく荒川あらかわ熊蔵くまぞうでございまする。やがて席がさだまりましたから、軍師ぐんし大助だいすけこれにお出でと相成あいなり、


大助だいすけ「サア佐野さの鹿十しかじゅうろう可哀想かわいそうであるが、一旦いったん許したる三名さんめい兄弟きょうだいったる罪により、この所において仕置しおきにあげる。決して上を恨むでないぞ。いさぎよ仕置しおきにあがれい。またむこうに検視けんしやくとしてひかえおるのは琉球りゅうきゅうこく中での豪傑ごうけつ周翁すおう孟亀もうきれいう者である」


と、あれがお前の親の仇敵かたきだとわん許りに教えてやった。佐野さの鹿十しかじゅうろう両眼をクワッと開いて、周翁すおう孟亀もうきれいにらみ付ける。孟亀もうきれいはこれをながめて、


孟亀もうき首切くびきやくはやく首をってしまえ」


う。


熊蔵くまぞう如何いかにも心得こころえた」


うので、ズラリ一刀いっとうき《ぬ》抜きましたが、


熊蔵くまぞう佐野さの、今わの際に言い残す事はないか」


いながら、刃にてブツッブッツと縄を切ってやった。「ヤレかたじけない」と鹿十しかじゅうろうはスックと許りに立ち上がったが、ツカツカと孟亀もうきれいの傍に近寄った。孟亀もうきれいはアッとおどろいて立とうとする所をそうはさせぬとにぎかためた拳骨げんこつで、ボカリ横面よこづらたおした。如何いか豪傑ごうけつもこれには面喰めんくらった。到頭とうとう鹿十しかじゅうろうの為にころされてしまいました。


味方みかたはワア……とときこえを上げる。孟亀もうきれいが連れて来ました五百人の同勢どうぜい荒川あらかわかつら新納にいろってたかって皆殺ころしにしてしまいました。


目出めでたく鹿十しかじゅうろうの親の仇敵かたきを討てたとうので、一同いちどういさみにいさんで南山なんざんじょうき上げる。そこから佐野さの鹿十しかじゅうろう広西城こうせいじょうへは発狂はっきょうしたとう体にしておいて、船に乗せて薩摩さつまへ送ってしまいまする。


後でって軍師ぐんし大助だいすけは改めて道明寺どうみょうじ山城やましろのかみ広西城こうせいじょうつかわして最後さいご談判だんぱんでございまする。


山城やましろ周翁すおう孟亀もうきれい発狂はっきょう人のために殺された上は最早もはや琉球りゅうきゅうこくおい手向てむかいいた勇気ゆうきはあるまい。残るは養鶏山ようけいざん智龍山ちりゅうざんであるが、とてもかなうまいに降伏こくふくいたす方がよかろう。しかし降伏こくふくせんとあればいたし方はない。日本にほん軍勢ぐんぜいを直ちにけるまでだ」


と、談判だんぱんをした。沖山王ちゅうざんおうまこと残念ざんねんに思ったが、最早もはや琉球りゅうきゅうには勇士ゆうしがない。いたし方がございませんから、如何いかにも降参こうさんいたします。どうか万事ばんじよろしくおねがもうしますると返答へんとういたしましたから、それではとうので、軍師ぐんし大助だいすけ早々そうそう軍勢ぐんぜいけて、広西城こうせいじょうりました。


そうして南山なんざんじょうって沖山王ちゅうざんおうあたえる事になり、秀頼ひでよりこう広西城こうせいじょう城主じょうしゅいたすとう事になって、まずここに戦争せんそうは済みましたが、三十六さんじゅうろくとうをお調べに相成あいなって凱歌を挙げて一先ず薩摩さつまき上げました。


その後、秀頼ひでよりこうを初め勇士ゆうしの面々、琉球りゅうきゅうこく広西城こうせいじょうに移り、しばらくのあいだ琉球りゅうきゅうを治めておりましたが、秀頼ひでよりこう死去しきょ相成あいなりましたので、琉球りゅうきゅう薩摩さつま属国ぞっこくう形になったのでございまする。


エエん長々講じましたる西国さいこくくつわ物語ものがたり、まず佐野さの鹿十しかじゅうろう仇討あだうちをいたしましたのをって、本編ほんぺんおわりといたしまする。


なおうかがれのところ数多かずおおくございまするが、紙数しすう差支さしつかえますから、今回こんかいはこれをっておわかれとつかまつりまする。ながなが御退屈ごたいくつさまでございました。


■豊臣秀頼 琉球りゅうきゅう成敗せいばい(終)■

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講談速記本 豊臣秀頼琉球征伐 山下泰平 @taiheiyamashita

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