第二章 決断
駅前にある商店街はすでにシャッター街となり果て、行政がシャッター街を再建する気配は一向にない。
一応我が県の観光都市の一つなのだが廃れていく一方だ。
名所としては何があるだろう? 眼鏡橋なんかは他県の人にも知られていると思う。
しかし眼鏡橋が二つあることを他県の人は知らないのではないか。
食べ物で言えばカステラ、ちゃんぽん、皿うどんなどの国外からの大陸食が名物となっている珍しい県に生まれて早二五年、僕は七年ぶりに故郷の地を踏みしめている。
「じゃあ、ちょっとロータリーに迎えに行ってくるけんね」
私の顔を見ることなく玄関先で叫ぶ娘。
今日は一番下の孫が久方ぶりに帰ってくる日だ。
あの子は御萩とか好きやったよね。糯米も少しばかし残っとることやし、作ってあげようかね。
プルルルルルル……居間で電話が鳴っている。
八拾を超えた老体には自室から居間までの十尺ほどが途轍もなく遠い道のりのように思えてしまう。
やっとの思いで電話まで辿り着き、受話器を取る。
「はい。もしもし」
「こんにちは中島さん。安心生命の鈴木です。お身体の調子はいかがですか?」
「ええ、相変わらずですよ」
「そうですか。それで以前お話しさせていただいた安らぎの里への投資なのですが……ではそういうことでお願いいたします」
「はい、わかりました」
ゆっくりと受話器を下ろす。
視線を電話中に取ったメモへと落とす。
帝都銀行、口座番号……一千万。手続き料金……手にしたメモをポーチへと仕舞い、視線を戻す。
糯米何所やったかねぇ。そして私は軋む躯に鞭を打ち、一歩を踏み出す。
そういえば大福も好き言よったねぇ。大福も作ろうかね。
そして台所へと向かう。
照り付ける太陽を恨めしく思いながらも地元の高温多湿な気候を懐かしくも思う。
ロータリーで待っていると、青の軽自動車が方向指示器を点滅させて僕の数メートル先に停車した。
軽自動車の運転席側のドアが開く。
降りてきたのはいまいち年齢を読み取ることのできない平均以上、美魔女未満と言った風貌の女性だ。
ちなみに僕の母である。
「お帰り」
歯茎まで見えるほど口角を上げて笑う。
決して美人という訳ではないが好感のもてる笑顔をする人だ。
そんな母に軽く手を挙げて、応える。
「ただいま」
自然と笑みが零れた。
七年ぶりに逢う母は随分と年老いて見えた。
高齢主産の末僕を産んだ母は同世代の子どもを持つ母親よりも一回り年上だった。
年相応の老いもやはり自分の母にはいつまでも若くいてもらいたいと思ってしまう。
六〇を過ぎてなお車を乗り回す母。
正直、東京で電車通勤やタクシー通勤を繰りかえしてきた僕より運転技術は上だ。
助手席へと乗り込む。
素早いハンドル捌きでロータリーを出る。
車内から流れゆく景色を見つめながら、七年という年月へと想いを馳せてみる。
自分は東京に出て何をしてきた? その場しのぎの人生。やりたいことなど何もなく、上京すれば何か見つかる気がしていた。とことん甘い。人生舐めている。
ネガティブ思考になりつつあることに気が付き母に話を振る。
「最近どう?」
特に返答を求めていたわけではないのだが、一時の静寂を経て母は深く息を吐き、意を決したように言葉を漏らした。
「おばあちゃん。もしかしたら詐欺に遭っとるかもしれん」
母の表情は崩れない。
むしろ僕の方が母の言葉にたじろいでしまっている。
「詐欺て、なんでまた」
確認することと現状を知る必要があった。
「いや、まだはっきりしたわけじゃなかとけど、おばあちゃんさぁ、電話ばこそこそ掛けよるとさ」
母の横顔からは色々な感情が読み取れる。
表情は崩していなくとも心の底から心配しているのが伝わる。
しかし知りたいのは母の気持ちではない。祖母の置かれている状況なのだ。
「どげな感じで電話ば掛けよるとね」
こうした話の時でも母は取り乱すといったことは無い。客観的な見方のできる人だ。
「私も二、三日前に気付いたとけどさ。こん前の祝日の時にね、私が電話に出たとさ。そしたら何とか生命言うけんおばあちゃんがなんか投資なりしたんかな、思うとったらそん日にまた電話の掛かってきてさ……」
話に熱が入り始め話の抑揚が激しくなる。
そこで少し口を挟んで母を落ち着かせる。
「そんで、電話の何とか生命さんはおばあちゃんに話がある言うたんやね」
「そう。そいで私が話しば聞く言うたら千代さんと話しばさせてください言うて、私が聞きます言うたら電話ば切ったんよ。おかしかやろ」
一通り話し終えた母は少し苛ついているようにも見えた。
「まあ、おばあちゃんと話ばしてみんといかんね」
自然と車内の空気は重くなり、溜息を吐く回数も増える。
青の軽自動車はただひたすら走る。祖母の待つ実家へと。
玄関の開く音がした気がして玄関へと向かう。
「ただいま。おばあちゃん」
随分見違えた孫がそこには立っていた。
感情表現の苦手な私は恐らく仏頂面なのだろう。
「お帰り。元気やったね?」
私と孫の間で固定化された挨拶。
私は必ず元気か? と尋ねる。
そして孫もまた元気だと答えるのだ。
「元気にしとったよ」
しかしそう答えた孫の顔は口角を上げただけの作り笑顔だった。
「戻りました~」
平静を装う孫とは対照的に車を駐車してやってきた娘はいつも通り、むしろいつもより幾分機嫌が良さそうだ。
「二人とも疲れたやろ」
「そげんことは無かけど」
「別に疲れてはおらんよ」
労わったつもりなのだが二人はさして疲れていないのだろう。次々とスーツケースの中身を取り出して選別を始めていた。
運転などできない私と違い車ならば家と最寄駅から三つ先の諫早駅まで壱拾分程で着く。往復弐拾分。二人にとっては何てことない時間と距離なのだろう。
それでも孫は東京から飛行機、バスと移動を重ねてきているのだから疲れているはずだ。
「少し休みんさい」
こちらを振り返ることなく。
「よか言うとろぉうが!」
ほんの少し怒気の籠った言葉が飛んでくる。
ちょっと休んだら言うただけやのに……そげん怒鳴らんでもよかたい……。
それから夜までは何事もなく時間は流れて、時刻は壱拾弐時を回ろうとする頃だ。
廊下から人がこちらに向かって歩いてくる。
私が寝起きしている和室の襖が開け放たれ、孫が顔を出す。
「おばあちゃん。今ちょっとよかね?」
歳は弐拾五になったが今でも目元なんかは小さい頃のまんまで、昔から変わらない。
本当に立派になった。
「どげんしたとね」
私がそう返すと同時にもう一人襖の陰から姿を現した。
「お母さんちょっとよかね」
孫は大歓迎だが、娘は要らない。
別に娘のことを嫌っている訳ではない。
しかし可愛い孫も親子での登場となると大歓迎とまではいかない。
私と娘と孫の三人で話すと大抵、弐対壱の構図となる。もちろん私が少数派だ。
「なんね」
自然と気分は憂鬱へと誘われてゆく。
「ちょっと聞きたかことがあるとさ」
囁くように発した孫の言葉はやたらはっきりと聴き取れ、これから真面目な話がなされることを予感させた。
話を切り出したのは娘だった。
「お母さんさ、詐欺に遭っとるんとちゃう?」
真っ直ぐに此方を見据える。
視線を宙に泳がせながら孫も口を開く。
「おいも母さんから聞いただけやけん何とも言えんとけど母さんの話ば聞く限りやとおいも詐欺やなかろうかって思うとさ」
眉をハの字にする孫。
「そうかねぇ?」
私の疑問符に対して二人は顔を見合わせて大きく息を吐いた。
それから小一時間話し合い、翌日警察に通報するということになった。
「そいでも電話だけやからよかったたい。お金は取られとらんのやし」
「そうそう。危なかとこやったけどよかったたい」
安堵の表情を浮かべる二人。
そんな二人とは対照的に私はより深い憂鬱へと誘われていた。
『もうお金ばはろうてしもうた……』
孫の帰りを待ち望んでいた私にとって今回の孫の帰省は嬉しいもので、本当に楽しみにしていた。
しかし今、私の中で膨らんでいた気持ちはすっかり萎んでしまっていた。
時刻は朝の六時を回ったばかりだ。
いつも仕事がある日でも六時四拾分を過ぎてからしか起きない娘がすでに着替えていた。
孫もすでに着替えを終えて髭剃り機を使い、髭を剃っていた。
「おはよう。おばあちゃん」
屈託のない笑顔を見せてくれる。
反対に娘は険しい顔をしている。
まあ、元来険しい顔をしていると言ってしまえばそれまでなのだが、今日は一段と険しいように思える。
「ああ、おはようお母さん」
挨拶を終える前に私の視界から消える。
それから私も挨拶を返した。
「おはよう」
警察へは娘が六時半頃通報した。
それから五拾分程してから警察の方がお見えになった。
インターホンが鳴り、娘が出る。
そこには二人の男性が立っていた。
そのうちの一人が一歩前に出る。
「諫早警察署から参りました佐倉と申します」
娘、孫そして私の順に名刺を差し出す。
名刺を受け取った娘は暫く名刺を眺めて。
「警部補さんなんですね」
娘が名刺の肩書きを確認する。
「ええ、警部補です。警察手帳もちゃんとありますよ」
そう言いながら胸ポケットから警察手帳を取り出し、開いて見せる。
「本物見るのなんて初めてで、ドラマみたいですね。ねっ」
少し興奮気味に孫に同意を求める。
それに対し孫は下唇を噛みながらウンと軽く同意の頷きを返す。
「そうですね。よく言われます。ドラマみたいだって。でもドラマの方が真似してるんですけどね」
そう謂うと佐倉さんは目尻に皺を作りながら笑う。
感じの良さそうな人だ。
そして後ろにもう一人制服を着た佐倉さんよりも若い雰囲気の男性が一礼した後。
「大垣と申します」
こちらも佐倉さん同様名刺を差し出す。
「それではお話をお聞かせ願えますか?」
まるで世間話でもするかのように本題を切り出す。
娘もまた世間話をするように事の概要を話していく。
時折、だよねと私に確認を取りながら話を進めていく。
話を聴き終えると佐倉さんは小さく頷き大垣さんになにやら指示を出しているようだ。
大垣さんが一度車に戻り書類を持ってきた。
「簡単な調書を取らせてもらいますね」
「それは僕も書くんですか?」
孫の問いに対して大垣さんは「はい」と答える。
その隣では娘と佐倉さんが話を続けていた。
「でもよかったですよ。気付いて。私も仕事でなかなか家に居ないので向こうも平日に私がいるって思わなかったんでしょうね」
「そうですね。ああそうだ、確認なんですけどお金は取られてないですよね?」
「取られてはいないのよね? お母さん」
言わなければ。
「振り込んだりはしとらん……」
間髪入れずに言葉が飛んでくる。
「お金ば払ったとね?」
言葉が出ない。
「千代さんお金ば払ったりしましたか? 例えば郵便とか宅配とかで送ったりせんでしたか?」
「ゆうちょの口座ば……」
「教えたとね!?」
「教えてはおらんばってん……」
「おばあちゃん。誰も怒ったりせんけんさ、払ったとね?」
「宅配で弐百万円ば送った」
娘と孫の二人は大きな溜息をついていた。
娘は私がもっと話を訊いていればと悔み。
孫は頭を抱えて項垂れたり天(天井)を仰いだりしている。
「マジかよ……二〇〇万かぁ……」
落胆の声が漏れる。
様子を見ていた佐倉さんが視線を合わせる。
「他にはもうなかですか?」
ゆっくりとした口調は私に合わせているのだろう。
「他にはもうなかです」
私は詐欺なんかには引っかからん。そう断言する私に、娘と孫はそういう人間が簡単に引っかかってしまうのだと私の詐欺に対する認識の甘さを散々指摘していたというのに騙された私はまさに愚鈍な人間だ。
佐倉さんは足を崩してその場に座る。
「でもまあ、よかったですたい。こげんこと言うんはちと違うかもですけど、二〇〇万取られても生活に困るご家庭じゃなかごたっけんまだね、本当になけなしのお金ば盗られてしもうた人もおるけんですね。被害ば最小限に抑えたと思いましょう」
「そうですね」
同意の言葉を返す。
気休めではあるが少しだけ気が楽になった。
「そうよ、お母さん。二〇〇万は痛かけど、大丈夫さ」
そう謂う娘越しに頷く孫が見え隠れする。
ふと思い出しポーチを探す。
「おばあちゃん、どげんしたとね」
「ちょっとおばあちゃんのポーチば持ってきてくれんね」
「ポーチて、ピンクのやつね?」
「そう。そいば持ってきてくれんね」
孫はポーチを取りに立ち上がり廊下を渡り居間へと向かう。
「取ってきたばい」
ポーチを鷲摑みするように持ち戻ってきた。
「ありがとうね」
「こんポーチがどげんしたとね」
疑問符を浮かべる。
「相手の口座番号ば書い取ったとさ」
雰囲気が変わった。
「応援ば呼べ」
佐倉さんの発したのは、低いながらもはっきりと聴き取れる今までとは違う声色だった。
はいと短い返答を返し大垣さんが乗ってきた車へと向かう。恐らく無線でも使うのだろう。
「おばあちゃん他になんか言うことなかね?」
「なかと思うとばってん」
「ちなみに千代さんがお金ば送ったとはいつですかね?」
話に割って入る佐倉さん。
少しでも情報が欲しいのだろう。
「一昨日やったかな」
「一昨日!? お母さん、何でそいば昨日言わんかったとね」
「そうよねぇ。昨日はそこまで頭が回らんかったとたい」
「千代さん。宅配の時の伝票とかありますか?」
ポーチの中へと手を突っ込み私の愚行を重ねた分だけ溜まったメモの山の中から伝票を見つけ出す。
「ありました。こいですね」
伝票を受け取ると佐倉さんは素早く宅配先と荷物に附けられた番号とを確認し宅配業者へと電話を掛ける。
「もしもし私諫早警察署の佐倉と申しますが、伝票番号201511080202番の配送を止めていただきたいのですが……はい、はい……わかりました」
一つ溜息を吐き向き直る。
「どうでしたか」
娘の問いに佐倉さんは真剣な眼差しで
「もうすでに配送したそうです」
一瞬刺した希望の光が失われたような感覚に襲われる。
警察署との連絡から戻ってきた大垣さんは「部屋取れました」の一言を告げるとまた車へと踵を返す。
「千代さん。千代さんの取ったメモを持って警察署の方に来ていただいてもいいですか? メモは証拠品です。詳しか調書ば取りたかとですよ。よかですか?」
「よかですよ」
「娘さんも一緒によかですか?」
「私もですか? いいですよ」
「お孫さんは最初に現在住所とお名前、連絡先ば書いていただいているので来なくても大丈夫ですよ。でも来ていただければ取調室に入れますよ」
笑いながら話す。
少し考える素振を見せたが孫は結局行かない選択をしたようだ。
手を振りながら見送ってくれる孫を有難く思いながら警察車両(覆面パトカー)へと乗り込む。
こげん馬鹿なおばあちゃんでごめんね。
そうして走り出した車内から見送る孫の姿が視界から消えるまで一瞬たりとも目を離すことはなかった。
まるで永遠の別れを惜しむかのように。
事件からひと月余りが経った頃、一本の電話が掛かってきた。
「はいもしもし」
「もしもし私やけど」
「おばあちゃんやない。どないしたと?」
「こん前の詐欺の犯人が捕まったとて、そいで警察から告訴しますか? て言うけんしますって答えたとさ」
「そうね、よかったたい。一安心たいね」
「まあ、そいだけ。それじゃあね躯に気を附けるとよ」
「わかっとるよ。それじゃあね。おばあちゃんも身体に気ぃ付けえぇよ。バイバイ」
そして祖母が受話器を置くまで自分から電話を切ることはしなかった。
「もういいか?」
僕は一つ二つと深呼吸をして一度脱力してから向き直った。
「ええ、ありがとうございました」
「中島優人。刑法二四六条詐欺罪で逮捕する」
両の手に掛けられた手錠の冷たい感触が、自分が罪人なのだということをよりリアルに実感させた。
一つ補足を。
「刑事さん。僕西日本の出身なんでナカジマじゃなくてナカシマです」
同僚の大半は捕まり、逃走中の奴らも直に捕まるだろう。
「よう中島。てめぇサツにチクリやがったな」
「何のことですか?」
「てめぇがSってことは割れてるんだよ。じゃなきゃ芋づる式に上までパクられる訳ねぇんだよ」
「Sってスパイですか? そんなんじゃないですよ」
唾を撒き散らしながら叫ぶ土谷さんは看守に引き摺られながら連れて行かれた。
「度胸あるなお前」
「そんなもんねぇよ。それより杵築」
「なんだよ佐々木」
「佐々木じゃなくて中島な。そんなことよりここ出たらさ、堅気の商売やらないか?」
「簡単に言うなよ。で、どんなことすんだよ」
「そうだな……御萩屋とか?」
「御萩? 何で?」
「好きなんだよ。御萩」
「なんだそれ」
静寂の時が流れ、静寂を破るようにどちらともなく笑い合った。
愚か者である僕はここから這い上がって見せる。
その為にはまず、御萩の作り方を覚えなければならない。
新たな目標ができた僕だが今はまだ塀の中。
Sプレイヤー 小暮悠斗 @romance
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