Sプレイヤー

小暮悠斗

第一章 Sプレイヤー

 時刻は午後一時を少し過ぎて時計の長針は文字盤の一と二の丁度中間を指している。

 目の前に置かれた電話が鳴りワンコールで電話に出る。

 「はい、こちらは東塔建設お客様相談窓口になります。ご用件をお伺いいたします」

 電話の冒頭で「はい」と言ってしまったのは蛇足だった。

 向かい合わせに座っている同僚の都築に睨まれながらお客様のお話しを伺う。

 「はい……はい……そうなんですよ。はい、ありがとうございます。またご不明な点がございましたらご連絡ください。お電話は佐々木がお受けいたしました。失礼致します」

 お昼過ぎだというのにフロアの窓のブラインドは陽の光を遮り薄暗い印象をフロアに与えている。

 フロアには一〇人前後の電話番がいる。

 僕の座る列は東塔建設お客様相談窓口。向かい合って座っているのは安心生命お客様サービスセンターを務めている。

 Sのプレイヤー(詐欺のテレアポ要員)それが僕の仕事だ。

 我社のプレイヤーは名簿屋から仕入れた名簿から電話をかける。電話帳から無作為に番号を選ぶなどということはしない。

 僕らが担当しているのは儲けを出せる可能性の高い家なのだ。

 我社ではお客様(ターゲット)を明確にランク分けしている。その中でも僕が担当しているのは振り込み確実なカモを相手にする比較的楽な部署となっている。

 今月のノルマはすでに達成している。僕が所属している部署は大口一本に絞っていることもあり集金率は言う程よくはない。それでも失敗することはほとんどない。

 たまに第三者が介入してくることもあるがそうしたときは何も言わず電話を切る。

 おそらくこれにより相手側には我社がまっとうな堅気の会社ではないと、ばれるだろう。しかしそれで警察に通報という流れにはなりにくい。

 人間とは常に自己保身の塊で、こんなことがあったと人に話すことはあるかもしれないが、実害がなければ通報にまでは至らない。

 こんな環境だからこそ我社の業績は鰻上りで年商ウン億円、ウン十億円と稼いでいる。

 ある意味上場企業と言える。

 一種の裏稼業とも言える職場だが堅気の一般企業とさして違いはない。むしろ高給取りと言えるだろう。

 プレイヤー同士の関係は非常に希薄で仲間意識も低い。それでも正面に向かい合って座る同期入社の都築とは妙な仲間意識がある。故に僕の電話対応に対して睨むことで咎めるということをするのだ。

 午後四時に事務所を出る。

 一応タイムカードがありきちんと押して帰らないと割と本気で怒られる。給金カットなんて奴もいたっけ? そんなことを考えながら帰路に就く。

 我社は立地的には不便極まりない場所に建つビルの二階から四階を本社と呼び、僕は二階フロアにある大口担当部署に勤務していた。

 不意に後ろから声をかけられた。

 「よう佐々木。お前も今日は早番か?」

 仕事の時とは違いフランクな感じで軽く手を上げる。

 「早番って、いつものことだろ。第一、夜に電話かけるメリットってないからな、遅番の奴らはきっとヤバイ仕事やらされてるんだよ。うぅ、恐ろしや恐ろしや」

 わざとらしく手を摺合せながら拝んで見せる。

 鼻から大きく息を吸い込み溜息のようにして息を吐き出してから笑う。

 「そうだな。それに早く帰れるのはいいよな」

 傍から見れば至極まっとうな人間に見えているであろう僕たちは、二人とも安物のスーツを着まわしている。それでもきちんとネクタイは締めているし、靴はそれなりにいいものを履いている。

 企業家はまず初めに相手の靴を見るという。まあ、僕らの場合は相手に接触した時点で相当のポカだと思うのだけれど堅気感を出すのに靴はいいアクセントとなっている。

 「さすがにもうスーツは暑いよな。暑い、マジで暑い」

 目を細めながら右の手で貌に陰を作り陽射しを遮りながら悪態を吐く。

 「そうだな」

 軽く返しはしたが、正直まだ暑いと言うには早いような気がした。

 気温の問題ではない。太陽の放つ熱が地元のそれとは違いとても稀薄に感じ、東京という場所に埋もれている僕同様に虚しさの残る太陽を見上げた。

 「明日も稼ごうな」

 拳を突出し、笑みを浮かべる同僚に向かって拳を同じように突き出す。

 「あぁ、稼げるように頑張るよ」

 突き合せた拳は鈍い音を立てた。


 翌日我社は大混乱の様相を呈していた。

 何事かとフロアを見回すと一人の同僚が僕に近づき声を抑えて口を耳元へと近づける。

 「ダシ子(お金の引き出し役)が大口の金を持ち逃げしたらしいですよ」

 ダシ子がお金を持ち逃げすることは滅多にないがたまにどこそこのダシ子が持ち逃げしたらしいなどと噂話程度に聞いたことはあったがまさか自分の会社しかも大口担当のうちの部署で持ち逃げするとはダシ子も大した度胸だ。

 もしかしたら東京湾に沈められるかもしれない。

 冗談抜きで半殺しにはされるだろう。

 「これはヤバイよね」

 男が一人蟹股気味で歩み寄ってくる。

 「何が大変なんだ?」

 口角を上げて笑ってはいるが目は死んだ魚のように現を見ておらず、すでに幻想の世界へと逃避していた。

 「下手したらウチの部署、補填のためにヤバイ仕事させられるとかさ……有り得るだろ」

 昨日話していたことがまさか自分たちに訪れることになるとは思ってもみなかった。

 締め切られたブラインドがいつも以上にフロアを暗くしているようだった。

 時刻は午後五時を過ぎ、昨日より一時間以上も仕事をさせられている。

 それでもまだマシだ。やらかしたとかで上に呼び出された男は依願退職した。その男が上に呼ばれて以降、誰一人としてその男の姿を見た者はいない。

 僕らはいつも通りの仕事をしている。

 ただ勤務時間がいつもより長いだけ、ただそれだけなのだ。

 カツカツと階段を駆け上がってくる足音にフロアの社員全員の顔が強張る。

 フロアの扉の前で足音は止み、ドアノブが回される。

 やけにゆっくりと流れる時間に耐え切れずに深い溜息を零す。そして生唾を呑む音が異様に大きく感じられ、フロア全体に響き渡ったようにすら感じた。

 「お疲れ様です」

 物腰の柔らかそうな雰囲気を醸し出している三〇代半ばの男がフロアに入ってきた。

 僕たち平社員は皆一様に茫然といった様子で男を眺めている。

 上司もしばらくフリーズしていたようだがすぐに男を出迎えた。

 「わざわざこのようなところまでご足労いただきましてありがとうございます」

 畏まる上司。普段はポカをやらかした部下に罵詈雑言を浴びせるだけの自立式スピーカーのような上司でも敬語を使うことができるということに驚いた。

 上司よりも上の立場であろう男は咳払いを一つ挿む。

 「皆さん本日の業務は終了となります。それでは皆さんお帰りいただいて結構ですよ。お疲れ様でした」

 皆呆気にとられていたが次第にお疲れ様でしたと挨拶の声が上がり、その声に便乗する形で僕も挨拶をしてタイムカードを押すために自分の席を立つ。

 

 午後五時を大きく回り左腕に付けた腕時計の短針は文字盤の六とすでに重なっているかのように見える。しかし長針はまだ文字盤の頂点には達していない。

 ゴミ集積所に放置されたゴミを鴉が啄んでいる。

 「おい見ろよ、佐々木。鴉だぜ。鴉ってなんか怖いよな」

 突拍子のない話題に曖昧な頷きを返す。

 同期入社の杵築の名前は……まあ、僕が名前を覚えていないのも無理はない。

なにしろフロアでは毎日何時間も電話を掛けて(僕は掛けられる側)は、どこぞのご老人の貯金を引き出させる。そんな仕事場で本名を名乗るバカはいない。それは僕にも当てはまる。

佐々木などという東塔建設相談窓口を務める人物はこの世に存在しない。

なぜなら我社には正式な社名など存在しないからだ。会社の名義は名義貸しを用いてビルのフロアを契約。近隣に怪しまれれば即撤退。そうした裏稼業で生計を立てている会社なのだ。

二人の男はまだ明るい空の下を駅へ向かって歩く。

「それにしても今日の雰囲気には肝を冷やしたよ」

口にした言葉とは裏腹に僕の口元は少し緩み、僕は白い歯を覗かせていた。

「笑い事じゃねえよ。俺らが捕まることはないにしても事務所移るの面倒じゃん」

彼もまた、僕と同じように言葉と表情が一致していない。

「面倒かどうかは別にして、確かにうちの摘発対策は異常かもね」

そう口にした途端、僕も彼も同じことを思い出していたのだろう。そして二人の間に沈黙が訪れた。


大学卒業後、就職活動に見事に失敗した。

教育学部で教員免許は取得していたが、それ以外これと言って他に資格も持っていないし、大したアピールポイントもない。

教員免許なんて就職活動おいてはこれっぽっちもプラスにはならなかった。

高卒より大卒。そんな曖昧な理由で大学進学を決め、就職率九割を誇る大学で自分も九割側に無条件に入れると思っていた僕は、自分が一割側の人間になることなど想像もしなかった。

教員試験を受けてみたが一次試験でいとも簡単に落ちた。

目の前に広がるものすべてが不安を掻き立て、僕を攻め立てる。

そして地方から上京していた僕の懐はすぐに乏しくなり、なけなしの貯金は底をついた。

そんな僕は借金を繰り返した。

地元に住む親に助けを求めることができなかった。シングルマザーの母は女手一つで僕を大学まで入れてくれた。

僕の家庭はびくと母そして祖母の三人家族で、働く母の給料と祖母の年金での生活。決して裕福ではなかったが質素な生活を送ったわけでもない。

毎日がとても幸せだった。

そんな日々を思い起こしては有無を言わさぬ虚無感に襲われた。

そんな日々を幾度も重ねてまた一つ歳を重ねた。

花見の季節になりどこもかしこもブルーシートや新聞紙が公園の桜の木の下に敷かれている。

浮かれ気分で羽を伸ばすサラリーマン風の男に女。自分だけが公園全体の雰囲気にそぐわないように感じ、歩調を僅かに速めて歩く。

春の訪れを教えてくれる柔らかい風も今はただただ鬱陶しい。

「辛気臭いツラしてんな。おい」

桜並木のはずれにポツンと佇む一本の桜の木の根元に腰を下ろした一人の男が力なく右手を挙げている。

「土谷さん。お久しぶりです」

大学時代のサークルの先輩であまり面識はないのだが卒業してからもやたらサークルに顔を出していたのを覚えている。

面識もさしてない僕に声をかけてくることに違和感を感じ、警戒しつつ土谷さんへと歩み寄る。

「お前さ、俺の仕事手伝えよ」

悪意を隠すかのように貼り付けたような笑みを浮かべる。

「仕事ってなんですか?」

なるべく表情は崩さないように、僕は焦りを隠すように薄い笑みを浮かべた。

貼り付けた笑みとは違い土谷さんの目は感情を雄弁に語っていた。

「はぁあ! あぁまぁなんだ、電話番だよ。電話番」

一瞬、蛇に睨まれた蛙状態となったが、説明していないことに気付き土谷さんは貼り付けた笑みに同化させるように鋭い眼光を優しいものへと変える。

「電話番ですか……」

曖昧な情報に不安を掻き立てられる。それでもわかるのはこの人に逆らうのは賢くないということだ。

「一週間後ここに来い」

そう言うと四つ折りにされたメモを押し付けられた。

メモを受け取り開いてみると住所と簡単な手書きの地図が書いてあった。

住所の場所はお世辞にも治安のいい地域ではなかった。暴力団の下請け企業などが乱立しているとかいないとか噂を聞いたことがある。

正直行きたくはなかったが、就職難の時代においてせっかくの就職チャンスを逃したくもなかった。


土谷さんに言われた日時場所に間に合うように一〇分前に指定された場所に到着した。

一年ぶりの就職活動に浮足立っている気もするがリクルートスーツを買い直し決戦に臨む……はずだった。

「おせぇよお前」

ストライプ柄のオシャレスーツに身を包んだ土谷さんがすでに待ち合わせ場所に来ていた。

足元には煙草の吸殻が大量に落ちていた。

慌てて駆け寄り頭を下げる。

「すみません土谷さん。早く来たつもりなんですけど」

作り笑顔を顔に貼り付けペコペコと頭を下げる。

そんな僕を見下す格好となったところで僕の頭上から言葉を浴びせる。

「この業界、時間前に来るのは当たり前。どれだけ前から待ち合わせ場所に来るかそこが重要なんだよ。お前が変な気起こしても対処できるようにこちとら何時間も前からスタンバってたんだからな」

顔を上げると目に入ったのは今まで存在しか知らなかった裏の世界を生き抜いてきた人間の顔だった。

浮かべた笑みで人にここまでの恐怖を与える土谷さんは間違いなく裏の世界に身を置く人間なのだ。

「それじゃあ僕は……」

新たな就職先を探そう。こんな僕でも仕事を選ばなければ職に就くことはできる。

すでに気持ちは切り替わっていた。

「合格だよ」

この時僕はどんな顔をしていたのだろうか。

土谷さんは笑顔で頑張れよと胸に拳を突き立てる。

「はい頑張ります」

どんな気持ちでそう口にしたのかわからないが一つだけ覚えている。

僕は顔に嬉しさを表現した笑みを貼り付けていた。

今になって思う。

仕事は選ばなければならないと。


見事就職を果たした僕は翌日から研修と言う名の監禁生活を強いられることとなる。

コーチ屋なる職種の原田さんという三〇歳前後の面長の顔をしたサラリーマン風の男性が僕を始めとする研修参加者にベシャリ要員としてのスキルを教えるのだという。

そうして連れて行かれたのはいかにもな廃ビルの一階にある割れた窓ガラスをガムテープで補強してある元喫茶店らしき場所へと通された。

そこでひたすら原田さんに渡された原稿を暗記する。

暗記が終わったらひたすら音読する。

その繰り返しが二日間続いた。

三日目からは渡された名簿に記された電話番号にひたすら覚えた原稿通りに言葉を紡いだ。

「オレだよオレ、オレオレ。実はヤバイ人の車にぶつけちゃってさ、今すぐ金が要るんだよ」

大丈夫僕はできる。

「すみません。どちら様でしょうか?」

即座に電話を切る。息子も孫もいなかったのだろうか? 自分がやっていることが犯罪だと思うと鼓動が速くなり呼吸が乱れる。

深呼吸を一つ。

唇が渇いている。渇いた唇を舌でなぞり、濡らした。

原田さんは息子、孫になりきれと言う。研修中には常に原田さんの野太い声が飛ぶ。

実際に電話をかけたのは一日だけでそれ以降の研修はイメトレを一日中ひたすら行った。

研修は五日間の日程で行われ無事に終えることができた。

研修中は外に出ることは許されなかった。別に鍵が締められていたわけではない。それでもここから出ればやられてしまうそんな気がした。


初出勤は研修の四日後だった。指定された場所へ向かうと研修で一緒だった都築誠と土谷さんとそのほかに四人が待ち構えていた。

「時間。じーかーんー」

腹を立てているのを隠すそぶりも見せない土谷さんは右手人差し指で左腕に付けた腕時計を叩く。

「すみませんでした」

就活で身に付けた四五度の角度を意識したお辞儀でやり過ごす。一時間前に来たというのにすでに集まっている人たちの方がおかしい。

ならばいっそのこと前日から来ていればいいのではないか、そんなことをふと思った。

「まあ、少しずつ覚えればいい」

名前も知らない四人の中から一人が仲裁に入る。

この日の仕事は二人一組で行われた。

この日の設定は事故を起こしてしまい、相手がヤバイ人というありきたりなものだったが研修と違い息子、孫役に加えてヤバイ人役がいる。

ヤバイ人を曖昧にしているのはヤバイ人の定義が人によって違うからだ。固定されているのは警察や会社員などで、これらの役はしっかりと名乗るが普段接することの少ない怖いなどという感情を与える存在を固定してしまうと恐怖の対象に理解が追い付かないことがあるらしい。

故に想像させる。そのために自分は追い詰められた状況なのだと本気で伝える。この時だけは自分が電話の向こうにいる人の息子や孫となって話をする。

そして電話口でパニックを起こしかけているのを感じ取り相手役の先輩へと電話を譲る。これで僕の仕事は終わりだ。

先輩はまるで本物のヤバイ人かのような雰囲気を醸し出し凄んでいる。ただ凄むだけではない。事故を起こされて本当に困っているのだというのが伝わってくる。

純粋にすごいと感じ、こうなりたいと思う自分がいた。


初日は一五本中二本から集金できた計九五万円のうち一〇パーセントが僕の取り分だ。

実に割のいい仕事だ。しかしこの仕事には問題点もある。

ひと月仕事をこなせば一〇〇万円を稼ぐことは難しくはない。しかし、振り込め詐欺と呼ばれるこの仕事には休職期間が存在する。

新しいシナリオ。新しいプレイヤー。この準備期間の際には仕事がない。

それでも僕は一年で二本(一本一千万円)ほど稼げた。

これだけ稼げば十分な気がしたが一年も裏稼業をやっていると犯罪としての凶悪度というものの認識が曖昧になる。

詐欺より劣悪な犯罪なんていくらでもある。子どもの頃近所の家の塀を壊した。または窓ガラスを割ってしまった。その程度の認識しかできなくなっていた。


入社二年目の冬、土谷さんに呼ばれて僕はかつて研修を受けた廃ビルへと向かっていた。

上京して初めてレインボーブリッジを車で走る。

そういえば昔「レインボーブリッジ封鎖できません」なんて言って意味もなく笑っていた時代が僕にもあったなと感傷に浸りながら冬の澄み切った空気に煌く夜景を眺める。

表の世界はこんなにも美しい。

それに対して僕のいる世界は……やめよう。今はこのままでいい。

僕はアクセルを踏み込んだ。


廃ビル一階の元喫茶店に集められていた一〇人の男女は皆俯き加減で生気がないと言った様子だ。まあ、一年前の僕らもこんな感じだったのかもしれない。

土谷さんの話によると今回の仕事は研修中の見張り役らしい。

土谷さんは人差し指を突き出す。

「逃がすなよ」

この一言だけ言うとそそくさと帰っていった。

逃がさなければよし、逆に逃がしたりでもしたら即座にやられる。

研修参加者は世に言う社会不適合者たちだ。

闇金に手をだし首の回らなくなった多重債務者が大半で、マジでヤバイ人が一人二人と言った感じだ。

マジの人が逃げ出したら僕では止められない。逃げ出さないことを祈るばかりだ。

今回のコーチ屋は高崎さんという人だったが、研修内容は以前僕が受けたものと大差なかった。

僕が受けた研修と違うところがあるとすれば三日目に行ったプレイヤーの実践練習でお金を振り込ませることに成功してしまったことくらいだ。

設定は僕が研修で行ったものと同じヤバイ人と事故を起こしたというものだった。

研修参加者の一人が助けを求める瞳を向け、それに気付いた高崎さんが僕に手招きをする。

「クローザーお願い」

表情を崩すことなく電話の取次ぎを行う。

僕は電話を受け取る。

「困るんですよねーお孫さんすぐにはお金用意できないって、こっちはオヤジの車にぶつけられてどうオヤジにケジメつけたらいいのか……」

前半は感情重視に話して一気にこちらのペースに引き込む。

鼻をすすり、声を上ずらせる。そして支離滅裂な言葉を浴びせる、そして呼吸を整えてから話を再開する。

筋は通っていなくてもいい。相手が謝罪の気持ちを少しでも見せたら金額は相手に任せてしまう。これが意外と相手は堪えるらしい。

そこで具体的な数字をさりげなく伝える。

相手はこちらが口にした金額に色を付けて振り込んでくる。

今回は五〇万円という金額にしてみたが二つ返事で振り込みに行ってくれた。

僕は右手でOKサインを作り高崎さんに視線を送る。

高崎さんは携帯片手に通話中。おそらくダシ子と連絡を取っているのだろう。

こちらのOKサインを確認して高崎さんが空いている左手を軽く挙げる。

互いに確認が取れたところで僕の仕事は終わりだ。

あとのATMからお金を引き出したり云々にはまったく関知していない。

そしてこの日の研修終了後に六〇万円の振り込みを確認、集金したと高崎さんに連絡が入った。

研修が終わる頃には皆立派なプレイヤーの面構えをしていた。


プレイヤーの補充がどの程度行われているのか僕は知らない。

しかし振り込め詐欺のプレイヤーはお金が貯まるとすぐにやめてしまう。

研修を受けて使い物になるプレイヤーは三人に一人の割合とコーチ屋の原田さんと高崎さんは言っていたが僕が参加した研修も僕が監視役として就いた研修も全員がプレイヤーとして仕事をしている。

もしかしたらこの業界は今優秀な人材に溢れているのかもしれない。

この年に発表された特殊詐欺被害総額は過去最高額を記録した。

ちなみに次の年も、そのまた次の年も特殊詐欺被害総額は過去最高額を更新し続けた。

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