2-4
ギターの静かな音色をBGMに、良一は言った。
「モデルとか関係なしで、一般論だよ。十六歳の男子と女子が二人きりでいたら、普通はドキドキするだろ?」
「別にドキドキしない。あたしは普通じゃないし」
答えるあたしが微妙にゆっくりな口調になったのは、ロックバラードのリズムのせい。音程こそ付けないけど、演奏の呼吸とコードを無視したしゃべりは、あたしにはできない。
良一はうつむいたままだった。あたしは空を見上げた。満天の星。島の外では見ることのできない、闇と光のシアター。この空に、ずっと会いたかった。
「結羽、おれは、ドキドキしてるよ」
「あっそう」
「クールだな。こっち向いてもくれないしさ。おれがここにいてもいなくても、結羽にとってはどうでもいい?」
「そうだね。あたしは、ギターを弾きたくてここに来たんだし」
「でも、結羽は、歌うことを自己満足で終わらせたくないんだろ? 家に閉じこもってるんじゃなくて、外に出て弾くのは、発信したいからなんだろ? 一人で好き勝手に弾くだけじゃ、イヤなんだろ? hoodiekidの動画だって」
その瞬間、ピンときた。
「lostman《ロストマン》って、あんた?」
いつもコメントを入れる、本名も顔もわからない誰かのうちの一人だ。ほかのフォロワーとは、コメントの印象がいつもちょっと違う。「この先は?」「この次は?」って訊いてくるんだ。
良一は、髪をザッと掻き上げた。
「そうだよ。そういうのを知るのがイヤだったら、ごめん」
「別に」
「モデルとして事務所に入ってさ、おれのキャラなら自分で動画配信しても大丈夫って言われて、撮ってみることにして、勉強のためにいろんな人の動画を観たんだ。そのとき、ある人が真っ先に教えてくれたのが、hoodiekidだった。結羽だからって」
「参考にもならないでしょ。フォロワーの数だって、あんたが目指すところに比べたら、全然多くないし」
「参考にしてるってば。おれは、ちょっとズルしてるよ。動画は、撮るとこだけ自分でやって、編集は人に任せてる。事務所のチェックを通さなきゃいけないって事情もあるけどさ。結羽は全部、一人でやってるだろ。パソコン、使えるんだな」
パソコンには小学生のころから触れていた。両親が、お下がりのパソコンをくれたんだ。このご時世、いつか必ずパソコンを使うことになるからって。タイピングもそのころに覚えた。スマホのフリップよりキーボードのほうが、あたしは入力が速い。
「難しい編集はしてないよ。雑音を消して、動画の長さの調整をして、明るさや色調をいじって、必要なとこにテロップ入れたり、歌詞を書き込んだり、写真を挿入したり。まあ、それなりに手間はかかってるけど、難しくはない」
「歌ってるシーンが、たまに白黒アニメに切り替わるだろ。あと、漫画のコマ割りみたいに、写真を散りばめていくアニメとか。ああいう演出の動画も自分で作ってるの?」
「スマホアプリだよ。両方とも。動画や画像を流し込むだけで、アニメ風に加工できるアプリがあるの。光のバランスとか、条件がそろわないと、きれいなアニメにならないけど」
「あ、そうなんだ。あの演出、すごいカッコいいと思ってたんだけど、スマホアプリ?」
「文字入れでも、アプリ使うことあるよ。スマホでやるほうが、パソコンよりお手軽だし」
「頭いいんだよな、結羽は。飲み込みが早くて、発想が柔らかくて。おれは、そういうんじゃないから。仕事も、覚えることだらけで必死だよ。そんなにスケジュール詰まってるほうでもないけど、それでも必死」
そう、と応える。じくじくと胸が痛むのは、嫉妬だ。
良一は仕事をしている。モデルという、表現活動の仕事。音楽とは違うにしても、自分の内側にあるものを自分だけの方法で表現するっていう、そのチャンスを持つことを社会から認められている。発信するチカラがある。
うらやましくて仕方ない。ねたましいくらいに。
あたしが黙ると、良一が口を開く。
「明日、明るいところで歌ってる結羽を撮ってもいいかな?」
「何で?」
「コラボ動画ってことで配信したい。あと、単純に、おれがそういう絵を見てみたいから。結羽のイメージってさ、やっぱり、おれにとっては小近島の青い海と空なんだよ。どこか知らない町の夜の公園じゃなくてさ」
「ハッキリ言っていいよ。がっかりしてんでしょ? あたしが、昔のあたしじゃないから」
「違う。がっかりじゃなくて……おれ、さっきからちょっと挙動不審で、言ってることが変かもしれないけど、それが何でかっていったら、さっきも言ったとおり、ドキドキしてるからで」
「それは、あたしに対してじゃない。この状況に対してのドキドキ。ここにいても気分が落ち着かないんだったら、夏井先生の家に戻って寝れば?」
良一が大きく息を吐き出した。そして、仰向けにひっくり返った。
「ここで寝る。やたらと刺激の多い一日で、妙に目が冴えちゃってるんだけど、疲れてるのも事実だし、横になってたら、どこででも寝られると思う」
「あっそう」
「風邪ひくよ、とか心配してくれないの? モデルは体が資本でしょ、とか」
「バカ」
「ご名答。確かに、バカなこと言った。心配してくれなんてさ。そこまでかまってもらわなくていいや。これくらいじゃ風邪ひかないし、この程度で傷むようなヤワな体じゃないし。あー、やっぱ硬いな、コンクリート。防波堤に寝転ぶって、ほんと久しぶりだ」
良一は思いっきり伸びをして、パタッと無言になった。あたしはかまわずギターを鳴らして、だいぶ前に作った唄にアレンジを加えながら歌ってみたりして、ふと見てみたら、良一は本当に寝ていた。
ああ、確かに良一なんだなって、急に思った。力の抜けた寝顔はあどけない。初めて小近島に来たころの、小さくて頼りなげな男の子を、あたしは思い出した。
あたしは「あたし」のことしか唄にしない。でも、一曲だけ「あたし」じゃなくて「あたしたち」を歌ったことがある。よっぽどじゃないと気付かないだろうけど、歌詞にたった一行。
「八つのきらめき 海を映して」
あれは、四人ぶんの瞳の数だった。ずいぶん前に書いた唄。lostmanという名の良一は、案の定、そこに触れなかった。あの唄はあんまりコメントが多くなくて。
でも、律儀に全部の唄にコメントを付けるKzHは、あの唄にも書き込んでいたな。「恋なんてずっと知らないよ」っていうサビの歌詞に反応して、真顔で言うみたいに、絵文字も記号も使わずに。
〈KzH|初恋の人がそういうタイプだった。態度にしろ言葉にしろ、ハッキリそれを出されたら、ダメージでかいよ〉
何かあったのかなって、さすがにちょっと気になった。コメントに返信してみたら、話ができたんだろうけど。
関係ない、関係ない。あたしには、他人の人生なんて、これっぽっちも関係ない。あたしは勝手に唄を歌うし、聴きたい人は勝手に聴くし、書き込みたい人は勝手に書き込む。そのくらいの風通しがあるのが、あたしにはちょうどいい。
そのときは、そうやって、人とからまないことを貫いた。でも、印象は焼き付いた。あの唄を歌うたびに、今もここで歌いながら思い出しているように、あの「ダメージでかいよ」が頭をよぎる。これはそんなに痛々しい唄なんだと、あの言葉を通じて知った。
言葉というのは、やっぱり、交わされるために存在するのかな。あたしが紡いでいる、唄という形の言葉は、このままじゃ半透明なのかな。
あたしは、ギターを弾いて歌い続けた。良一はずっと、すやすや眠っていた。
星座の位置が変わる。潮がどんどん引いて、やがて止まって、今度は少しずつ満ち始める。真夜中よりも明け方が、いちばんひんやりしている。空気がしっとりと露を帯びる。夜が朝に近付いていく。
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