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 夜の海に、ギターの音色がさらさらと渡る。ピックを使わずに、撫でるように弾いている。誰もが寝静まった真夜中に一人で弾くときは、大きな音を出さない。

 ギターと同じように、ささやくように、あたしは歌う。夜の思いを取り留めもなく語る唄を。

 夜はあたしの時間だ。まわりの誰にも、何にも邪魔をされずに、音楽に没頭できる時間。唄を書くのは夜だから、月や星や闇、ひんやりと湿った空気の匂い、曇り空に反射する車のライト、そういうものたちがいつも、あたしの唄の中にいる。

 正直な唄を書いて歌うのは、自分を傷付ける行為によく似ていて、眉毛用カミソリでのお手軽な自傷行為よりもずっと痛い。壊したいのに創るだなんてバカバカしくて、言い訳みたいな言葉を書いちゃうんだからずるくて、だけど、これしかないって思う。

 親は、あたしが左の二の腕と肩に傷を刻んでいたときには本気で怒ったけど、夜にギターを抱えて家から抜け出すようになってからは、あまりいろいろ言わない。体に傷を付けるより心の傷をえぐるほうが、マシな人間のやることなんだろうか。

 あたしの唄を、良一は聴いていた。ときどき視線を感じた。あたしは無視して、目を閉じて歌った。

 もしかしたら、あたしの唄にはエレキサウンドが合うのかなって思ったりもする。ひずんで危うい音色のギターや、芯から体を揺さぶるバスドラムや、心臓の鼓動と同期するようなベースを、唄のイメージに重ねてみる。

 アコースティックの唄をエレキサウンドにアレンジするには、どうすればいいんだろう? そういう勉強をしたい。あたしが本当に必要とする知識は、学校では教えてくれない。自分で手に入れなきゃいけない。

 でも、それはいつまでに? あたしは、やりたい音楽を、いつまでに勉強していつまでに身に付ければ、みじめな問題児っていう殻を破って、生きる意味のある世界へ飛び込んでいけるの?

 早いほうがいい。だらだらしていたら、あたしは、自分で自分を枯らしてしまう。

 あたしは、自分の中にあるほとんど全部に失望しているけれど、唄を歌っていたいっていう、この気持ちが本物であることだけは、ちゃんと証明できる。ただ、その証明には賞味期限が付いていて、いつまでも走り続けることはできない。

 どうせ誰もあたしの唄なんか聴いてやしないんだって、本気で思ってしまう日が来たら、あたしは今度こそ生きていられない。生きることへの不安や不満が、死にたいという絶望感に姿を変えて、確かな形を持ってしまう。

 歌いたいとか、歌うためのチカラがあるとか、そのチカラにはまだまだ伸びしろがあるとか、それだけが、あたしをこの世につなぎ止めている。切羽詰まっている。それをそのまま唄にしている。

 ああ、でも、だけど。

 書きたい唄の形は、本当に、くすぶったこの感情なんだろうか。

 ウッ、と息が詰まってしまうような、ここがいちばん、心のとんがったところの限界点なんだろうか。突破した先って、ないんだろうか。

 悩んで悩んで悩んで、今、歌うための言葉が迷子になっている。もし、響きのいい言葉だけを無理やり連れてきたとしても、それは嘘だ。うわべだけのモノで塗り固めた唄なんて、歌えない。

「……ねえ、結羽」

 シャカシャカと適当なストロークを続けるあたしに、良一が声を掛けた。けっこうしばらく歌い続けた後だった。

「何?」

「おれが隣にいて、ドキドキしないの?」

「は?」

 意味不明なせりふに、思わず手を止める。良一のほうを向いたら、眼鏡越しの目は笑っていなかった。前髪が無造作に流れて額を隠していて、昼間とは印象が違う。人前に出るときはセットしていたんだな、と気付く。

 良一は質問を繰り返した。

「今、ドキドキしてないの?」

「何で?」

「何でって」

「平然とされてたら、イケメンモデルのプライドが許さない?」

「その言い方はないだろ」

 良一はうつむいた。長いまつげの先端が眼鏡のレンズに触れそうだ。

「目、悪いんだ?」

「昼間はコンタクト。仕事のとき、やっぱり眼鏡じゃ不便だから」

 動きを止めてしまった指先が、早速、うずうずし始める。弾いてなきゃダメだ。あたしは、昼間ショッピングモールの有線放送で流れていたロックバラード、星が終わる瞬間の明るい輝きをいとおしむ唄を、両手の指に歌わせる。

 もともと、あたしの指は動きたがりだ。小学生のころは、授業中の「手まぜ」を注意されていた。つねにノートの上に字を書いていればいいと気付いてからは、注意されなくなった。先生の話を聞き書きする癖をつけたから、成績も上のほうで保っている。

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