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なごやかな食事が始まった。夏井先生も里穂さんも気さくで、良一は昔以上に愛想がいい。あたしひとり取り残されている。良一があたしに話を振った。
「何でおれがここにいるのか、って訊かんと?」
おれ、か。昔は、ぼくだったのに。
「別に訊かない。話したければ話せば?」
良一が笑う。
「じゃあ、話す。慈愛院に泊めてもらうつもりでおったとけど、ちょうど夏の旅行中やけん無理、って言われたと。どうしようかと思っちょったら、夏井先生から連絡していただいて」
慈愛院は、小近島にある教会が営む施設だ。家族に養ってもらえない子どもが、慈愛院に引き取られて育てられる。
良一は五年生の春、どこか遠くから慈愛院にやって来た。ランドセルや筆箱に書かれた苗字は、真節小での名前とは違っていた。そして、小学校を卒業するのと同時に、良一は朝比奈という新しい苗字になって、東京へ引っ越していった。
夏井先生が良一の話を引き継いだ。
「今、慈愛院の小学生は、船でこっちに渡ってきて、岡浦小に通いよっと。真節小がなくなったけんね。ぼくが受け持ちよる中にも一人、慈愛院の子がおるとさ。その関係で、良一くんの話ば聞いて、じゃあうちに泊まらんかな、って」
良一が夏井先生に笑顔を向けている。
「ざまん助かります。本当に、ありがとうございます」
あたしは、自分のイライラの原因に一つ、気が付いた。良一のしゃべり方だ。方言がわざとらしい。「ざまん」って方言は、島でしか使われない言い回しだ。標準語にするなら、「マジで」になる。
良一のしゃべり方は音程がおかしい。本当は東京の言葉に染まっているはずなのに、無理やり方言を突っ込んでくるせいだ。
でも、夏井先生と里穂さんは、特に気にするふうでもなかった。慈愛院の話が続いている。
「夏の旅行って、東京に行くとでしょ? 良一くん、見事に入れ違いになったね」
「はい、シスターたちと東京で会えたとに、残念です」
小学生のころ、八月に夏の旅行から帰ってきた良一は、見たことがないくらい、はしゃいでいた。
東京ドームに行って、デイゲームを観て、特別に選手たちと話をさせてもらったんだ、と。大きな科学館にも行ったよ、と。それから、人がたくさんいるスクランブル交差点を渡ってきたんだよ、と。
あしながおじさんみたいだと、あたしは思った。だって、慈愛院の子どもたち全員が毎年、東京に旅行に行けるのは、遠くに住むお金持ちが費用を出してくれるからだって聞いたんだ。
あの日、はしゃいでいた良一は、あたしの知らない世界のことを、目を輝かせて語った。
「夏の旅行のお金ば出してくれた社長さんの家に、みんなでお礼ば言いに行ったと。そしたら、たくさんごちそうば用意してパーティば開いてくれて、社長さんも優しか人で、もう、すごかった!」
そういえば、つい最近も、良一が慈愛院の夏の旅行の思い出を語るのを見かけた。雑誌のインタビュー記事だった。慈愛院出身であることは、売り出し中の高校生モデル、RYO-ICHIのアイデンティティだ。
小学生のころから、良一はきれいな顔をしていた。手足が長くて、髪がサラサラで、質素な身なりでも、パッと人目を惹く何かがあった。あたしも、子どもながらに、良一が特別に美しいことを感じていた。
だから、中学時代に「読者モデルを始めた」と良一から連絡が来たとき、あまり驚かなかった。良一の肩書から、やがて「読者」の字が消えた。この間はテレビにも出たらしい。
あたしはテレビを観ない。ただ、ウェブのニュースで良一の名前を見付けて、舌打ちしたい気分になった。
良一は輝いている。あたしとは雲泥の差だ。
あたしは、輝いてみたいと思う。輝ける価値なんてないとも思う。どっちにしたって、現状はただ、無意味にみじめにくすぶっている。
親とろくに口を利かなくなった。あたしの表情をうかがう親の笑顔を、愛想笑いのおべっかだと感じたりする。そんなふうにしか感じられない自分を、ますますイヤになったりもする。
中学時代はめちゃくちゃだった。高校に上がってからは、トラブルがあったわけでもないのに、あたしはもう笑ったりしゃべったりしない。だからといっていじめられもせず、孤高の人だと奇妙な尊敬すら集めてしまっている。
あたしはあたしが嫌い。あたしを取り巻く全部を巻き添えにするくらい、あたしが嫌いだ。
食卓でひとり黙りこくっているあたしの顔を、不意に、里穂さんがのぞき込んできた。
「結羽ちゃん、ギターば弾くとね。あれはアコースティックギター?」
良一が話の中心になっていればいいじゃないか。あたしはしゃべりたくないのに。でも、答えなければ。
「はい、アコギです」
「いつから弾けたと?」
「小学生のころです。真節小のころから」
「すごか。楽器ができるって、よかよね。ちっちゃいころはピアノも習っちょったとやろ? 結羽ちゃんのおかあさん、毎年、年賀状に結羽ちゃんの発表会の写真ば使いよったもんね」
「ピアノは、母の希望で習うことになったんです。母は、音楽の授業を教えるときのピアノに苦労してきたから、あたしには弾けるようになってほしかったって。小近島に引っ越すときにやめましたけど」
夏井先生が、くしゃっと笑った。
「結羽ちゃんのおとうさんが真節小、おかあさんが岡浦小におらしたとは、四年前までやったね。ぼくが受け持ちよる子どもたちの保護者さんたちは、結羽ちゃんのご両親のこと、けっこう知っちょらすと」
里穂さんが夏井先生をつつく。
「比べられるけん、大変よね。大樹、もっと頑張らんば」
「わかっちょって」
父はそのころ、真節小の教頭先生だった。
学校で何かあったらすぐに駆け付けられるように、校長先生か教頭先生か、どちらかは学校のそばに住まなければならない。当時の真節小は、うちの家族も、校長先生のご夫妻も、学校の隣に建つ教員住宅に住んでいた。
あたしは当然、真節小に通っていた。父が教頭先生を務める学校に。
家が小近島にあるから、大近島の岡浦小へ通勤する母の交通手段は船だった。小さな定期船が、朝夕、小近島と大近島をつないでいるんだ。
母の白い軽自動車は、岡浦小のある大近島のほうに置いていて、小近島の中での移動は、父が運転する軽トラだった。古びた軽トラのことを、クラシックカーと呼んでいた。そんなくだらない冗談で、あたしと両親はいつも笑い合っていた。
四年前、か。もっとずっと遠い昔のことみたいだ。自分じゃない誰かの物語みたいにも思える。
うっかりするとため息をついてしまうあたしとは裏腹に、良一は礼儀正しくて表情豊かで、食べ物ひとつひとつに喜んでみせている。
「ざまん、おいしかです」
大げさではないと思う。この魚の鮮度も、野菜の青くささも、島の食卓ならではのものだ。
島の郷土料理は何かと訊かれても、ろくに思い付かない。素材をいじくり回す必要がないくらい新鮮な魚介類と野菜。毎日の食卓に上がるのは、いつもそういうメニューだ。
郷土料理といえるのは、うどんの「地獄炊き」かな。
お湯がぐらぐら沸騰する鍋の中に、固めにゆでたうどんを泳がせておく。独特の形をした
地獄炊きはお手軽な料理だから、我が家の定番メニューだった。学校行事が忙しい時期の晩ごはんには、地獄炊き兼湯豆腐なんてのも多かった。
夏の通知表シーズンは、冷やしうどんも定番だった。庭の畑のシソの葉を獲ってきて薬味にする。ついでにキュウリやトマトやピーマンも獲ってきて、洗って刻んで、二年生の国語の教科書に載っていた「りっちゃんのドレッシング」で和える。
里穂さんが、また、あたしの顔をのぞき込んだ。
「結羽ちゃんのおかあさんからね、冷やしうどんとサラダ、ごちそうになったことがあるとよ。わたしたちが小学生のころ。校庭で遊びよったら、一緒にお昼ごはん食べようって誘ってくれて」
そうそう、と夏井先生がうなずいた。
「カレーもごちそうになったよ。小学生の舌には辛すぎたけど」
里穂さんが、ぐるっとあたしたちを見渡した。
「今夜はカレーでよか?」
あたしは別に何でもいい。黙ってうなずいた。夏井先生は、何でもいいと口に出して、里穂さんに頭をはたかれた。何でもいいっていう答えがいちばんむかつくんだって。
良一は模範解答をした。
「何かお手伝いしましょうか?」
「じゃあ、手伝ってもらおうかな? あ、良一くん、カロリーとか栄養とか、わたしはあんまり考えちょらんけど、大丈夫?」
「問題なかです。おれ、量も普通に食べるし、ビタミン類はサプリで補いよるけん、お菓子やジュースに注意するくらいで、特に神経質にならんでも大丈夫です」
良一の体は商売道具なんだ。チラッと見上げたら、笑顔の口元にホワイトニングされた歯がのぞいていた。
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