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 夏井先生の住む教員住宅は、岡浦小学校を通り過ぎたら、すぐの場所にあった。夏井先生が家の横の砂利道に車を停めると、大きな窓のすだれが巻き上げられて、がたがたと網戸が開けられた。

 ざっくりしたワンピース姿の女の人が、家の中から姿を現した。夏井先生の奥さん、里穂さんだ。里穂さんは、気さくな笑顔をあたしに向ける。

「いらっしゃーい、結羽ちゃん! わぁ、ますます高橋先生に似てきたね! あ、でも、目と口の形は松本先生やね」

 あたしの両親が出会ったのは、小さな島の小さな小学校の職員室。夏井先生と里穂さんは母の教え子だけど、同じ小学校に勤めていた父のことも、当然よく知っている。

 車を降りたあたしは、荷物を持ってギターを背負って、里穂さんに頭を下げた。

「お世話になります」

「遠慮せんで、よかとよ! 楽しみにしちょったと。どうぞ、ここから上がって」

 ここ、というのは窓だ。玄関に回らなくていいらしい。夏井先生が窓から家に上がったから、あたしもそれに従った。小近島に住んでいたころは、うちもこんなふうだった。

 日に焼けてすり切れた畳を踏むと、知らない家の匂いがするのに、何だかひどくなつかしい。その理由に、すぐ思い当たる。

「あ、同じだ」

 家の造りが、同じ。小近島の真節小の教員住宅、つまり、昔あたしが住んでいた家と、この家は同じ構造をしている。平屋建てで、二部屋続きの六畳間があって、広めの台所と、その隣の四畳半、古めかしい風呂場、半水洗のトイレがある。

 六畳間にはテーブルと四人ぶんの座布団が置かれて、テーブルの上には皿や箸がセットされている。里穂さんは、いそいそと台所から料理を運んできた。

「お昼ごはん、すぐに食べられるごと、準備しちょったとよ。冷やしうどんとお刺身とサラダ。結羽ちゃん、嫌いな食べ物、ある?」

「ないです」

 座布団も、皿と箸も、四人ぶんある。もう一人、誰かいるの?

 あたしが眉間にしわを寄せたときだった。麦茶のコップを載せたお盆を手に、台所から、背の高い男の人が出てきた。口元に、形のいい笑みを浮かべている。

 パッと見の印象が落ち着いていたせいで大人のように思ったけれど、その実、男の子っていう年ごろだった。あたしと同い年くらいの。

 いや違う、と、またすぐにあたしは気付く。同い年くらいじゃなくて、ジャスト同い年だ。そして、あたしはそいつの正体を知っている。

「良一」

 真節小で同じクラスだった良一だ。当時とは名字が変わって、確か、今は朝比奈あさひな良一。ずいぶん背が伸びている。あたしだって百七十近くあるのに、思いっ切り見上げなきゃいけない。

 良一は一瞬、まぶしそうに目を細めて笑った。それから、口元だけの微笑みに戻して、麦茶のお盆をテーブルの上に置いた。改めて、あたしの正面に立つ。

「久しぶりたい、結羽。元気にしちょった?」

 見下ろされている。良一の体つきは華奢なくらいに細いから、長身の割に、圧迫感はないけれど。イケメンって、こういうやつのことをいうんだろう。きれいな造りの顔はキュッと小さく、首も手足もすんなりと長い。

 良一はただの高校生じゃない。仕事をしている。売り出し中のモデルだ。細くてきれいなイケメンなのも当たり前。普段は東京に住んでいるらしい。

「元気って……別に普通」

 あたしは良一から目をそらした。

 人の目を見て話すのは、中学に上がってから、嫌いになった。気が付いたら、嫌いにさせられていた。

 あたしは、親しみやすい雰囲気を作るのが下手なんだって。怖いとか強いとかクールとかって言われて、そのイメージが定着した。あたしは「笑わない人」というキャラクターとして、役柄を造り上げられてしまった。

 良一がクスッと笑った。

「不思議な感覚やね。結羽が高校生になっちょる」

 あんただってそうだ。良一のそんな声、低く落ち着いた声なんて、聞いたこともないし、想像もできなかった。

 だけど、同時に、間違いなく良一だっていうこともわかる。息の感じとか、笑いを含んだリズムとかが、子どもの声でしゃべっていたころのままだ。

 あたしはギターと荷物を部屋の隅に置いた。料理をする里穂さんを手伝おうと思ったけれど、夏井先生のほうが素早くて、もう食卓は整っている。

 冷やしうどんは細めの麺で、コシが強い。新鮮そうに紅色がかって透き通る刺身は、チヌという、海底の岩の隙間に住む魚。サラダの野菜は、庭の畑で獲れたものだ。

 里穂さんが、食べようか、と声をかける。

 良一は、テーブルのそばのバッグからデジカメを取り出した。里穂さんに断りを入れる。

「食卓の写真、撮ってもよかですか?」

「よかよ。いなか料理で、お粗末さまやけど」

「ごちそうですよ。こんな新鮮な魚や野菜、東京では食べられんけん」

 良一はデジカメを起動して、光のバランスなんかを調整して、食卓の写真を撮った。すぐさま画面で、撮ったばかりの写真を確認する。夏井先生は、興味深そうに良一の手元をのぞき込んだ。

「良一くん、慣れちょっね。仕事で使うと?」

「はい、仕事の一環ですね。SNSとか動画配信とか、それなりに頑張ってみちょって、そのためにカメラの使い方もけっこう覚えました。おもしろかとですよ、カメラって。将来的には、撮られる側じゃなくて、撮る仕事もやってみたかとです」

 デジカメを扱う良一の手の形は、大人で、男だ。関節が大きくて指が長い。その手は何気ない格好を装いながらも、どことなく、トレーニングの成果をまとわりつかせている。モデルとしてのポージング。美しくて、ひどく整えられていて。

 知らないやつがいる、と思った。あたしの知っている良一じゃないみたいだ。

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