第7話 絶体絶命

「ど、どこに、逃げるつもり?」


 フユメは肩で息をしながら、額にたまった汗を拭う。


「とにかく距離を置いて、街から逃げないと……」


 ツキミは対照的だった。僅かに息を上げながら、冷静に次の行動を考えている。


 ――このまま行けば、なんとか逃げ切れるかもしれない。ただそれも、あの糸が破られなければの話なんだけど。それよりも、あの生物たちに何か有効な策があればいいんだけど・・・・・・。


 そこで、ツキミはある事を思い出す。


「フユメ。『キューバー』は?」


 ツキミは、あの場所で見つけた『キューバー』の中に、黒い生物たちに関する記憶があると考えた。しかし、期待した様子でフユメの方を見るが、すぐに表情を曇らせる。


「え? 置いて来たよ? 逃げるので精いっぱいだったし」


 それを聞いたツキミは、残念そうにため息をついた。


「失敗だわ。いくつかあの場で再生しとけば、もしかしたら、あの黒い生物達の事がわかったかもしれないのに」

「あぁ、言われれば。でも、何とか逃げ出せてよかったよ。このまま逃げれば――」


 フユメが言い終えるより先に、息を整えて顔を上げた瞬間だった。僅かな視界の先で、黒い生物達がこちらに向かっているのが見えてしまった。


「たたた、大変だ、ツキミ! 奴ら、追っかけて来てる!?」

「嘘、もう!? は、早く!」


 フユメの叫び声に、ツキミは途端に冷静さを失った。彼の言葉通り、まだ若干の距離はあるが、物凄い速で接近する黒い生物達。それ見て、二人は慌てて駆けだした。


 ツキミの悪い予想が的中してしまった。糸は無惨に切り裂かれ、黒い生物達の体に巻き付いている。そして、怒りが臨界点を越えたかのように、猛々しい雄叫びを上げて二人に接近する。


 フユメとツキミは懸命に逃げるが、悪路に足を取られてしまう。先程の隕石の影響か、最初に練った経路とは違い辺りには大きめの石が散乱しており、それが二人の逃げる速度を弱めている。


 再度、黒い生物達の叫び声が二人の耳に届いて来た。背筋が凍り付くような、気味の悪い雄叫び。

 

 焦燥感を募らせ必死に走るが、探索の疲れと隕石の影響で、次第に走る速度が落ちていく。


「くそっ! 何なんだよ、あいつら!」

「いいから! 走って――ッ!?」

「ツ、ツキミ!」


 先行していたツキミが、バランスを崩してその場に転んでしまった。黒い生物達のプレッシャーに耐え切れなくなって後方を確認した事があだとなり、悪路に足を取られてしまった。


 フユメは慌てて立ち止まろうとしたが、後方から迫る黒い生物達のプレッシャーを感じ取り、逃げ出そうと一瞬思ってしまう。しかし、それを無理やり追いやって足を止める。


 ――ツキミを置いて逃げる訳にはいかないだろ!


 心の中の葛藤をその一言で抑え込み、倒れこむツキミに近づいた。しかし、フユメの顔が歪む。


「ツキミ! 血、血が!」


 隕石が落ちた衝撃で鋭利になってしまった岩肌が、彼女の足を抉っていた。滴る血の量は尋常では無く、顔色を悪くしながら足を抑え込んでいる。


 フユメは慌てて座り込み、応急手当てをしようとポーチを開けようとする。しかし、その手をツキミが止めてしまう。


 その行動にフユメは我が目を疑った。ツキミは焦燥と恐怖に溺れかけながらも、まっすぐ彼の両目を見つめる。


「私はいいから、早く逃げて」

「は? 馬鹿言うなよ! 今、治療するから!」


 冷静さを欠いた、狼狽した声を上げ、再び応急手当をしようと試みる。しかし、ツキミは再度、フユメの手を払いのけて、苦笑いを浮かべる。


「いいから。これって規約ルール違反でしょ?」


 ツキミの言葉を聞いた瞬間、フユメは絶句してしまった。


 二人は、『キューバー・ハンター』になった際、いろいろな規約を交わしていた。その一つが、片方が片方の命を危険にさらす可能性がある状況下では、どちらかを見捨てて逃げだすというもの。


 危険が伴う『キューバー・ハンター』ならではの規約だ。その時は、起こりうる可能性の一つだろうと軽く受け止めていたが、実際に目の前で起きてしまうなんて夢にも思わなかった。


 ツキミは苦笑いを浮かべ、未だに焦る気持ちを抑えきれないフユメを宥めるように手を握りしめ、自分の心の中の葛藤を押さえつけている。


 ――こんな形でフユメと別れるのは悲しい。嫌だ。でも、黒い生物と対峙出来るようなスキルも道具も持ち合わせていない。それなら、私だけがこの場に留まって、フユメを逃がさないと……。


 ツキミは、様々な感情を無理やり押さえつけて、ただ一言逃げるようフユメを追い立てようと――


「規約違反? 上等だ!」


 しかし、ツキミが言葉を発しようとする前に、フユメは叫びそれを遮る。そして、手負いのツキミを抱きかかえて立ち上がり、その場から走り去ろうとした。 


「ちょ、ちょっと、フユメ!? かっこつけてる場合じゃないでしょ! 降ろして!」

「降ろす訳ないだろ! もう、誰かを失うなんて嫌に決まってんだろ!」


 フユメの言葉が、ツキミの心に深く突き刺さる。


 探索に行く前、地下都市でフユメから言われた昔話が蘇った。


 フユメには歳の離れた兄がいた。立派な『キューバー・ハンター』で、フユメの誇りだったそうだ。


 しかしその兄は、フユメが幼い頃に行方不明になってしまった。それからもう、八年が経過している。絶望的な状況だ。


 だが、フユメは信じている。行方不明になった兄はまだ生きていると。きっと兄に会えばツキミも少しは面白くなると、彼はそう言っていた。最後はちょっと失礼だけど。


 そんな会話がツキミの脳内を駆け回り、弱り切っていた心を強くする。まだ一緒に居たいという気持ちで溢れかえる。その気持ちを言葉では言えず、抱きしめるようにしてフユメの両手を強く握った。


「ちょ、ちょっと? ツキミ、痛い!」

「あ、ごめん――ッ! フユメ後ろ!」


 逃げようとしたその瞬間、恐怖に満ちたツキミの声が、フユメの脳内で反響した。


 ――ここで終わってしまうのか。兄にも会ってない。ツキミに兄を会わせていない。


 色々な後悔が頭を巡り、後ろを振り返りながら唇を強く噛んだ。


 その時、


「伏せろ!」


 遠くから、男性の大声が聞えた。


 二人は驚いた様子で、声が聞えた西側を見た。そこには、いかついフォルムをした大型な車が、轟音を上げて接近しているところだった。


 目を凝らすと、一人の男性が助手席から身を乗り出しているのが見えた。フユメは男性の声に従い、ツキミを抱きかかえたまま後ろへ転がる。


 直前までフユメが居た場所に、黒い生物達の両腕が伸びる。しかし、爆走する車にはねられ、そのままボールのように吹き飛ばされた。


「おい!? 大丈夫か!?」


 ポカンとしながら、その一部始終を眺めていたフユメの目の前に、車から一人の男性が飛び降りていた。


 どこぞのガンマンを彷彿とさせる恰好をした髭の濃い顔立ちの大柄な男性が、心配そうな表情でフユメとツキミに近づいて来る。


「な、なんとか」


 未だに状況が掴めない様子で、フユメが答える。


「よし。さぁ、早く車に乗り込め」


 男性はフユメの言葉に、安心したように太々しく笑うと、黒い生物達を吹き飛ばした車に合図を出した。車は男性の合図を察し、すぐに接近して来る。


 そして、フユメとツキミと謎の男性を乗せた車は、『星降りの街』を後にした。

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