極小サイズ
南枯添一
第1話
そのとき、わたしは
それがいつの間にか、薫の返事は間遠になり始めて、気が付くとわたしは独りで喋っていた。立ってのぞき込むと薫は気持ちよさそうな寝息を立てて眠っていた。起こす気にもなれず、わたしはスマフォを取り出したのだ。
けれど、そのスマフォの画面から顔を上げた理由は、わたしにも分からない。物音なんかはしなかったはずだ。
薫の部屋はベッドと直角の位置に机が置いてあり、その手前側に窓があった。季節柄開け放してあった、その窓の枠の上で何か小さなものが動いていた。
虫?
わたしが中腰になったのは虫が大嫌いだからだ。とにかく、ちっちゃくって脚がたくさんある生き物はなんだってわたしの天敵だった。
けれど、それはなんだか、あんまり虫らしくなかった。いや、虫と言うより、なんて言うか…その…。
わたしは恐る恐る窓に近づいた。それは逃げなかった。どころか、傲慢な様子で見つめ返してきた。
やっぱり、そうだ。
ぐっと息を呑んで、お腹に力を込めると、わたしはそれのぎりぎりまで顔を近づけた。
女のコだった。それはやっぱり女のコだった。
黒髪をショートボブにした彼女は、大きな切れ長の目とピンと通った高い鼻筋が印象的で、すごくきれいな、けれどちょっぴり傲慢な感じもする美少女だった。長靴に肩モールの、でも軍服って言うよりAKBのステージ衣装って言った方が感じが出る格好をしていて、その上にマントを羽織っている。
ものすごくよくできたフィギュアなんかじゃない証拠に、今も腕は組み替えた。けれど、わたしのことを見つめ返す、見下すような目付きは変わらなかった。
「……あ、あの…あなた…」
わたしが勇気を振り絞って声を掛けた瞬間、彼女はつっと視線を逸らすと窓枠から飛び降りた。いや、落ちてはいなかった。彼女はふわりと宙に浮いていた。それから滑るように空中を移動し始めた。彼女が向かう方向にはベッドがあった。ベッド上には薫がいて、極小サイズの少女が飛んでいく先には薫の鼻の孔……。
「え?」
動転したわたしが手脚を振り回している間に、女のコは薫の鼻の孔の中へ、そのまま入ってしまった。
「うーん」
どうしたらいいのか、分からないわたしが今度は凍り付いていると、薫はうめき声を上げ始めた。それは決して苦しそうな感じではなく、むしろひどく気持ちが良さそうな、はっきり言ってしまえば官能的な響きのある声だった。
薫はベッドの上で身体をくねらせ、小鼻を膨らますと、右手を挙げて盛んに鼻と顔を擦った。そして、いきなりパチリと目を開いた。
「か、薫?」
まるで目に見えないヒモで引っ張られたみたいに、薫は上半身を起こすと、首だけをくるりと回してわたしを正面から見た。それからパチパチと瞬きを2回。
「あ。あたし、寝ちゃってたんだ」口調はいつもの薫だった。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫って何が?」
「それはその…」わたしは言葉に詰まり、「鼻とか、くすぐったくない?」
「鼻?」薫は右の人差し指で鼻の頭を擦り、「ううん。別に」
「頭は?頭がぼーっとしてるとか」
「変な時間に昼寝しちゃって、目が覚めたばかりだから。ちょっとはぼーっとはしてるよ」
「そうなんだ。あははは」
「はは」薫はふと真顔になって、「ねえ、どうかした?」
「いや、その」
わたしは今見たばかりの光景を薫に伝えるべきか、判断ができなかった。極小サイズの美少女が寝てた薫の鼻の孔から薫の中に入ってたよ、なんてとても言えない。第一、自分でも本当のこととは思えなかった。うん、きっと今のは幻覚、わたしは白昼夢を見たんだ、きっとそう。そうに決まった。
「な、な、なんでもないよ。あははは」
薫はため息を吐いて、「変な人」
「あははは。あたし、今日はもう、これで帰るね」
そう言いながら、わたしはこれから眠るときは絶対窓を閉めよう、いや目張りとかもした方がいいのかしらん、などと考えていた。
薫はもう一度ため息を吐き、ベッドから滑り降りると、わたしの前に立ち、
「じゃあ、また明日学校で」
「うん」
そうして薫はわたしの顔をまじまじと見て、プッと吹いた。
「どうして分かんないかな」
「な、な、何が?」
「どうして、あのコがあなたの前に堂々と出てきたと思うの?」
何を言われたのか、わたしが分からないでいると薫はクスクスと笑い出し、それから右の人差し指を立てて、わたしの鼻の頭をポンと叩いた。
その瞬間にわたしは気付いた。クスクスと言う笑い声はわたしの頭の中、鼻の孔のずーっと奥の方でもしていることに。
極小サイズ 南枯添一 @Minagare_Zoichi4749
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