第2話 魔女はあの女
「犯人には被害者に何か恨みがあるとか、そのふしはないのか」
エドガーは未来の国王ゆえ、ウェルテルと違って軍人にならないかわり、その聡明な頭脳を使い、国民の叡智となるべしとの女王のおおせがあった。よって、ここではただの王国民のエドガー・ボリスである。
「わかりません。ですが、私はどうも、ふつうの人間がやったように思われないんですがね」
ジェファンソンは一服失礼と頂き、煙草をうまそうに喫した。
「ま、そのあたりはあなた様しか探れません。よろしくお願いしますよ」
そう言って煙草をもみ消し、ジェファンソンは席を辞した。
◆
(あの言いぶりでは、おそらく犯人像とは……)
王宮での舞踏会の準備を済ませたあとに、カントリーハウスにて優雅に紅茶をあおるエドガー。
このレテイシアでは王侯貴族の犯罪には、そのあまねく権力に警察も介入出来ないでいた。
「殿下、馬車の準備が出来ました」
従官にそう言われ、立ち上がり、馬車に乗りこむエドガー。今日の装いは、美々しい白の礼装だった。
舞踏会の警備の数はものものしい程だった。衛兵がみなみな緊張した面持ちで貴族たちを見やる。
黄金の床が月光にたゆたう中で舞踏会が始まる。
数百の淑女、紳士が舞踏靴を鳴らして踊り舞う。
「あの女は何をしているのか」
侍女に問うてもはかばかしい返事は手に入らない。まさかコニャックに……と思ったときに、美しき薔薇が咲き初めるように、彼女が男に手をとられ舞踏の間に入ってきた。
すると宮廷楽士たちの演奏がしばしとまった。天使のように美しい容姿のエマへ、見惚れてしまったと見える。レースが繊細に重ねられた、ミルキーベージュのタッスルのついた品のあるドレスが、美しい彼女を一層引き立て飾る。
自分の手を引いてきた青年貴族と別れを告げ、エマはしずしずとエドガーに近寄ってきた。
「エマ」
エマがほんのり頬を紅色に染めて、愛らしく問う。
「殿下、今日のあたくしの装い、いかがかしら」
「人間離れした美しさだ」
「それ、さっきの方もおっしゃって下さいましたの」
さっきの方とは、エマの手をひいて舞踏の間に現れたあの綺麗な男か。ふいに、嫉妬心をあおられて、エドガーはエマの手を強く握り、舞踏に混ざった。
それをあちこちで女が評する。
「ご覧あそばせ、また第一皇子様が、あの女と踊っていらっしゃるわ」
「あの女は魔族の末なのに。やはり美貌がものを言うのね」
「今日は女王様のおなりがないようだからいいものを、見つかったらことですわよ」
みなみな羽の扇で口元を隠し、ほほ、と声をたてた。
エドガーとエマが二曲続けて舞うと、次にはウェルテルがエマの手をとった。
「ねえ、エマ、俺とも踊ってくれるでしょう」
ウェルテルも青の礼装で、そのブルネットとあいまってことさらに美しい。
「でも、殿下……」
「いい、行ってこい。俺は少し休む」
そう言い置いて、エマをウェルテルに預け、白薔薇香るバルコニーに出たエドガー。さっきあおったワインがききすぎて、踊る間に少し酔ってしまったようだ。初夏の夜の、涼やかな風に金の御髪を揺らめかせ、酔いをさまそうとする。 バルコニーには遠く宮殿と、金色に瞬く時計塔と街並みが見てとれた。
ふいに、彼の目元が暗くなった。それが女の柔らかな白い手によって隠されたとは、すぐに知れた。
「殺人鬼コニャックよ、俺の眼を奪わないでおくれ」
「ふふ、あなたの眼といわず体全部、下さってもいいんですわよ」
バルコニーの藤椅子に座るエドガーの隣に、エマが座った。
「ウェルテル皇子ったら面白いのね。何度も僕と契りませんかと問われたわ」
「もちろん断ったのだろうな」
「さあ、ご想像にお任せするわ」
ふふん、と言った風のエマに、エドガーが思わず目を尖らす。
「言ってくが、あの男は女好きの半けつ皇子だぞ」
「あら、妬いていらっしゃるの」
「さあ、ご想像にお任せする」
そう言って、ふいに顔をそむけたエドガーを、エマは心から愛おしく見つめた。
「嘘よ、あたくしだけの皇子様。あたくしはあなたの愛があれば、何もいらないわ」
エマの一言に、エドガーが思わずその手をひいて、自分の身になだれさせた。
「まあ、おやめ遊ばせ。人が来たらどうなさるの」
「いつもはお前の方からすり寄ってくるくせに?」
エドガーがくすり、と甘いマスクで微笑むと、エマは恥も忘れて
その身にすがってしまうのだった。
「ああ、愛していますわ。あたくしの皇子様」
時計塔が十二時をさして、重々しい音をたてた。
「俺のシンデレラは、十二時を回っても消えないんだな」
「まあ、あたくしが消えても追いかけてきて下さらないおつもり?」
ふふ、と二人が顔を見合わせて微笑む。次の瞬間。鋭い剣が、エマの首筋を少しずれたところで床を貫き通した。
「きゃあ」
あまりのことにおののくエマ、それを抱きかかえながら、エドガーが振り返ると。
「あら、ごめんなさいね。うちの皇子様が粗相をされそうだったので、思わず、ね」
そこには漆黒のドレスを纏ったこの大レテイシアの女王、エリーザベトが苦々しいしかめ面をして立っていた。御傍に仕えるのは、王属騎士団のトップ、ミファラエルであった。その長いブロンドが、整った顔の周りを風でそよぎ、【女王の番犬にして残酷な天使】と揶揄される美貌の青年だった。
「殿下、僭越ながら、そこの女性は何というレディなのですか。どうも嫌な臭いがいたしますのが」
まずい! エドガーの心が一瞬凍てついた。女王は筋金入りのハミルストン家嫌い。まして今は腕の立つ騎士を連れている。今ここで名乗れば、エマは最悪、敵国と通じたでもどうとでも理由をつけて殺される可能性もある。まさか、とまでは到底思えなかった。女王はこの国に害成すものなら何でも抹殺する。かつてご自分の妹まで手にかけた女人なのだから。
「我が敬愛する女王陛下、初めてお目にかかります…あたくしの名前は」
エマは震えながら、あまりの恐怖に嘘をつけず、名乗ろうとする。
「エマ……エマ・ハミル……」
「陛下、彼女はエマ・ワトソン、今売りだし中の女優にございます」
とっさに、笑顔でエドガーが告げた。凛然とした女王の顔はいまだ綻ばぬ。
「エマ・ワトソンですって? 聞いたことがございませんが……」
「はい、今売り出し中の新人女優でございますから。どうぞ、お目をかけてやって下さい」
女王はひとしきりエマをうろんげに眺めた後、
「火遊びはほどほどになさいませね、殿下。近々、あなたにはふさわしい縁を取り次いでさしあげますゆえ」
そう言って、天使を連れ去っていった。
「さあ、もうお前の天敵は去った。顔をあげろ、エマ」
もたげたエマの顔は涙に濡れていた。それはそうだ、あんなに恐ろしい思いをしたのだもの。
「すまない、怖かっただろうな」
「い、いえ……ただ、陛下にはあたくし達の仲はけしてよく思われないことが明らかになって、哀しいだけですの」
いじらしく、ほろほろと涙をこぼすエマを抱きすくめ、頭を撫でてやるエドガー。
そこへまったく空気の読めない男、ウェルテルが姿を現した。
「おーい、お取込み中かな」
抱きしめあった二人は、我知らず反対側にはねて距離をとった。
「ああ、いいよいいよ、終わったころに来るから」
「終わったころって何だよ。俺をお前と同じにするな」
噛みつくエドガーを、弟皇子が笑い、エマもつられて笑った。
「で、要件はなんだ」
「いやさ、俺の友達が殿下にお目にかかりたいってきかなくてさー」
そこで舞踏の間にてアッシャーが何か叫び、そしてしなだれたまばらな拍手の音が続いた。
「おや、誰か来たのかな」
「――ウェルテル、エマ、帰るぞ」
窓越しにその誰かを見咎めたエドガーが、二人を立たせ、舞踏の間に背を向けて馬車の用意をさせている。その横顔はあまりに冷たく、エマは声をかけることさえ躊躇われた。
「あ、あのウェルテル様、あれは」
「あれ? あれは魔女だよ」
あの陽気なウェルテルが、信じられないように低い声で告げる。その顔も常の太陽のような顔でなく、打ち沈み、深い闇を内包した瞳になって。
それから舞踏の間に入ってきたのは、エドガーたちの義理の母、ヴェルジェット夫人だった。
大レティシア物語 @ichiuuu
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