大レティシア物語

@ichiuuu

第1話 その女、黒魔族につき

「結婚して下さい」

 彼女が潤んだ眼でそう強く懇願したとき、この大レティシア帝国皇太子エドガーは、返事さえせずに長くため息をついた。典雅な飴色の、年季の入った調度に囲まれた優雅な寝室。ベッド前に置かれた紅いソファで読書をたしなんでいた彼は、読書を邪魔され、大層不機嫌になった。が、それをも微塵に顔に出さずに、常々結婚を求める令嬢へと言った。

「断じて厭だ。もう諦めたらどうかね」

 エドガーにのしかかり、腕を絡めとったまま、この上なく美しい乙女はどうして、と熱に潤んだ瞳を瞬かす。しかし、エドガーの対応はあくまで、親しいようで全然親しくない、むしろ苦手なこの伯爵令嬢には慇懃無礼でいこうと決めたようだった。乙女は蚤色のサテンドレスを纏う、黒髪を腰まで波打たせた、大層な美人で、これに匹敵するのは世界中探しても、運よく一人、見つかるかどうか、という程の美貌のレディである。しかし当のエドガーは結婚に頷かない。

「どうして結婚して下さらないの!? あたくし、こんなにあなたを愛しているのに!」

 迸るような愛の告白。けれどエドガーは一笑に付して終わらせた。

「この俺の、体狙いのくせに?」

 これに、伯爵令嬢の口ぶりが激した。

「違うわよ! あなたの血が恋しいの! じゃなかった、あなたが愛しいの!」

  ほれ見てみろ、エドガーは苦笑しきりである。エドガーに絡みつく、この伯爵令嬢の名はエマ・デイアーネ・ハメルストン、御年十七。彼女が出生したこのハメルストン家の別称を教えてさしあげよう。それは、【黒貴族の末の者たち】、である。


 レテイシアの歴史は重く深い。島国であったが、炭鉱から産出される鉱物や、海をめぐる運輸産業が盛んで、しょっちゅうその人的資源と燃料資源を狙われて戦が起こった。やっと平和が訪れたのは五十年前、エドガーの祖母、エリーザベトが帝位にあがり、あらゆる国と国交を結び直し貿易黒字を増大させたころ。今や世界の五大国の筆頭としてこの世に君臨している。とはいっても、いまだにこの国の豊かな資源や、肥えた土を狙う国々は多い。だが、人間には金を掴ませればなんとかなる。レテイシアの悩みはそこではなかった。なんとこの大陸には、人の血肉を啜る悪魔がはびこっていたのだ。悪魔はその血肉を啜った人間を、隷属の悪魔に変ずることが出来る。

日に日に勢いをます魔族に女王は決断し、五十年前、魔族たちと人間たちの戦争が始まった。レテイシアは深手を負ったがなんとか悪魔の血をほぼ絶やすことが出来た。これでもう大丈夫よ、と、祖母は国民にそう繰り返して国民の支持や人気をさらった。しかし、である。悪魔たちもただやみくもに殺されてきた訳ではない。戦勝パーテイーの折。この帝国の貴族に、こう囁いたものがある。

「あなたには、永遠の命が待っている」

 話しかけてきた男の稀有な美しさ、優雅さに圧され、レテイシアの王族とも繋がりの深かったはずの貴族が、娘をさしだした。そうして生まれてきたのが、エマの母親であった。

つまりは、悪魔たちは滅んだのではなく、自らを種として、人間の母胎を借り、種族を身分によって守ったのである。聡明で苛烈な女王エリーザベトはすぐにこの魂胆を見抜いたが、外国とも縁故深い大貴族の妻と娘を殺せ、とは言えなかった。かくして少数だが悪魔はこの世に生き延び、豪奢な生活を享受していると言って差し支えない。この悪魔貴族が宮廷に参じるたび、エドガーの祖母である女王は無表情のまま、席を外した。エリザーベトはかくも彼らを忌んでいた。

舞台は再び、王宮の一室へと移る。外は夜闇におち、燭台のみがほの白く部屋を照らしている。

「絶対的な存在である祖母がそうなんだから、俺たちが結婚できる訳ないだろう」

 エドガーが諦めろ、と微笑を浮かべいなすと、エマは泣きじゃくりながら抗弁した。

「でも、血肉を啜るのはおじいさまの時代で終わったのよ! 今はただのたおしとやかな可愛い伯爵令嬢よ!」

「ダメなもんはダメ。諦めなさい」

「うっ……ひどい、ひどいわ」

 エマはついに声をあげて倒れ伏し泣き始めた。古書を開きながら、エドガーはあいた手でその頭をぽんぽんと撫でてやる。正直、この乙女のことは苦手だった。未来の国王エドガーは、幼少のころより女王によって厳しく教育され、人前で泣いたりしない、嘲ったりしない、得意げにならない、レディファースト、など、厳しく徹底して教育を受けてきた。それゆえ彼は冷たい表情を張り付かせたまま、戦争に赴く戦士たちを見送ることも出来たし、眉ひとつ動かさず、酔っぱらった国民の罵詈雑言も聞き流すことも出来た。なのに、この美貌の伯爵令嬢は何であろう。一応は伯爵家の出なのだから、感情を殺して生きる教育も、並みの家庭よりは受けてきたはずだ。それなのに、このエマときたら、泣くわ喜ぶわ飛び跳ねるわ。まるでなっちゃいない。だが、そんな彼女にまったく惹かれていない、と言ったら嘘になる。常に感情を殺して平静に、と鍛えられたエドガーにとって、彼女は生きた人間のように思えたのである。それゆえ、なかなかこの娘を拒否することが出来ない。今日とて、吸血鬼は中から招かれないと入れないのに、一時間粘られたら渋い顔をしてエマを招きいれてしまった。

(女王陛下は、それを知ったらさぞや怒りくるうであろうな)

 エドガーがまた、その端正な顔だちに一抹の苦みを走らせ、笑った。

「さて、そろそろ人が来る。悪いが、帰ってくれ」

「一人じゃ厭よ! だって、殺人鬼が出るかもしれないでしょう!」

 エマの一声に、エドガーがおや、と反応を示した。

「殺人鬼って、確かコニャックと呼ばれる、あの身分ある女ばかりを狙った殺人鬼、のことか?」

「そうよ、あたくしだって危ないわ! あたくしったら伯爵令嬢だし、見目可愛いしおしとやかだし、何より未来の女王陛下だもの」

 ふっと、エドガーが笑った。何を言うのか、と。お前は魔族なんだから、そんなもの簡単に引き裂けるだろう、と。だが、エマが本当に顔を白くして怯えているのを見て、少し、内省の瞬間を持ったエドガーである。

「……わかったよ。泊まっていけ」

「きゃあ、やった! じゃあおやすみなさい!」

「お前のベッドはそこではない」

 そう言って自分のベッドに勝手に入って寝息をたてそうになるエマを引きずり出し、侍女に任せて別室に運んだ。さあ、ようやっと、1人で読書の時間が持てる。と、思っていた矢先。

「兄上、今少し、入ってもいいでしょう」

 まあた問題児が来たよ……と、エドガーが深く溜息をついた。この声の主はエドガーが弟ウェルテルである。身分は第二皇子。容姿はエドガーに似て端正な美貌だが、中身は正反対であって、大変に騒がしいうえにパーテイー大好き、三日に一度はスキャンダルを起こす、この間は半裸の女との写真がばらまかれた。半けつだった。軍人として鍛えられていたゆえか、しっかりとしまりのあるけつでよかった、ってそういう問題じゃない、とエドガーは我に返った。ブルネットの髪を撫でつけた、この美しき第二皇子が口を切る。

「兄上様、いい加減あの子と寝てあげたらいいかがです? エマったら泣きながらあのゴリラみたいな侍女に床を侍らされて、それでも抵抗を示していましたよ」

「……お前があいつを呼び捨てするほど仲良しだったとは知らなかったな。まさかまた半けつを見せる事態に発展していないだろうな」

「さあ、どうでしょう」

 余裕をにおわすウェルテルを、エドガーが強く睨み据えた。

「冗談、寝てはいませんよ。当たり前じゃないですか。だって、あの女は魔族だもの。寝たら女王に殴られます」

 そう、だった、とエドガーはふいに沈思した。エドガーたちの祖母エリーザベトは、大の魔族嫌いで通り、半径二キロに彼らが寄るといぼが出るとしきりに肩を撫でさする癖があった。

それゆえ、自分たちはおそらく生涯結ばれることがない、とは、エドガーとて思っていたはずだった。

「それに、あの伝承もありますしね」

 ウェルテルの言う、あの伝承とは、こうだった。

【魔族の処女や童貞と寝ると、その力が一夜のうちにうつる】

 魔族の、強き生命力、ほぼ不死の命、たぐいまれな美貌が、すべて一身に集められると、王宮にても密かに囁かれ、いまだ彼らが隠然たる人気を誇っているのは、エドガーも知っていた。

「俺は魔族の力なんて欲しくない」

 エドガーがそう言うと、ウェルテルがく、と口角をあげ、はにかんで。

「じゃあ俺が頂いちゃおうかなあ。あの子、可愛いし、侍女ごりらに抵抗する様も圧巻だったし、寝たら楽しそうな気がする」

「そんなことをしたらお前を第一皇子権限で前線に送ってやるからな」

 エドガーに強く睨まれて、はいはい、冗談です、とほんのり残念そうなウェルテル。

「あ、そうだ」

 それからウェルテルは部屋を辞すとき。

「あの、殺人鬼こんにゃくのことで、スコットラッドヤードが殿下にお話を伺いたいとか」

「殺人鬼こんにゃくって何だよ。ぷるぷる揺れるのか。コニャックだよ。承知した、と伝えておいてくれ」

 では、とウェルテルが部屋を辞した。やれやれ、ようやく読書をしながらうたたねもできようもの……とエドガーが再び本に視線を落とす。それから二十秒くらいして、ゴリラ侍女の

「殿下! みだりに女に手を出そうとするのはおやめ遊ばせ!」

という怒号が聞こえ、明日の朝議は絶望的だ、とエドガーは思った。

 翌日、寝不足の朝議を根性で乗り越えたエドガーは、身分を隠し、スコットランドヤード警部、ジェファンソンと城近くのカフェで落ち合った。中は品のあるしつらえで、ラファエルの絵がかかっていたが、馬車で現れたジェファンソンのこわもてはここでは浮いていた。

「さっそくだがジェファンソン、事件のあらましを聞かせてもらおう」

 ジェファンソンの話はこうであった。昨今、この王都プリンストンにて、身分ある美しき女ばかりが無残な状態で殺されている。四肢がばらばらであるだけでなく、なんと全員眼をくり抜かれているというのだ。

「ああも殺されちゃあ、美人も台無しですなあ」

 はあと嘆息して、珈琲を味わうジェファンソン。

「犯人には被害者に何か恨みがあるとか、そのふしはないのか」

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