第3章 Aパート
「ちょっと、どうしたの~? 先に行っちゃうわよ~!」
階段の下から涼宮の声が響いてくる。
「おっと。では、僕は先に行きますね」
そう言って古泉は階段を下りて行った。
俺と長門がその場に残った。
「長門お前なのか。お前が俺の記憶が戻ったなんて言ったのか?」
長門は相変わらずの無表情を顔にくっつけて、俺を見つめ続けている。そして、俺の問いかけに幾らかの間を置いてから小さく口を開いた。
「言った」
「どうしてそんな嘘を!?」
思わず語気が強くなる。
その俺の言葉に長門は怯んだという事はないだろうが、また間をとってから口を動かした。
「………わたしは嘘を言っていない」
俺の眉根に皺が寄る。
嘘は言っていないって、それじゃあ俺のSOS団に関する記憶が戻ってきてるって事になるが、生憎と俺は記憶の戻りを認識出来ていない。SOS団と野球をしたことも、合宿に行ったことも、文化祭を楽しんだ事も俺の記憶には無い。
まだ、俺の記憶は戻っていないんだがな。
「あなたの記憶は最初から正常。欠損の箇所はない」
言っている意味がよく分らん。
最初から俺の記憶は正常だった? 今更何を言ってるんだ。お前らが最初に俺を記憶喪失だと言い始めたんじゃないか。
「わたしは言っていない」
お前が言っていなくても、他の連中が言ってるんだから同じことだ。
それに、あの写真の事だってある。
頭の中で親しげにSOS団の連中と写る俺がいる写真を思い出す。
あの写真の存在が、俺の記憶喪失を裏付けている何よりの証拠じゃないか。あの写真がなければ、今も俺は自分が記憶喪失だとは微塵も思っていなかっただろう。それくらい確固たる証拠だ。
「長門、お前が言っている事は矛盾してないか? 俺の記憶が正常というなら他の奴らもあんな反応はしないし、SOS団の写真の中に俺がいるはずがないじゃないか。一体お前は何を考えているんだ?」
俺は自分の言っている事が間違いだとは思わない。だから長門の言動が全くもって意味不明で理解が出来なかった。あの涼宮よりも掴み所がない。
一瞬、これは長門による記憶喪失解消の方法かとも思ったが、それにしては今までの連中のものとは毛色が違いすぎる。
俺は半ば長門を睨むように、目に力を入れて目の前の無表情な少女を見つめていた。
長門は瞬きもせず、ただその場に立っているだけだった。
何か言えってんだ。
俺もそれからは口を開かず、長門からの返事を待っていた。
夕日が眩しい。窓の外には傾いた太陽が柔らかい日差しを廊下へと送っていた。
長門は一体何を考えているんだろうか。
どれくらい経ったか。長門が一つ瞬きをした。
「あなたが元の世界を望んだ。だからわたしはプログラムを実行する」
やっと返ってきたと思った言葉はより一層理解し難いものだった。
プログラム………? なんの事だよ。大体、俺が何を望んだって?
長門の言葉に俺は頭を捻った。そんな俺を余所に長門は言葉を続ける。
「これからバックアップの読み込みを開始する。その際、あなたが記憶喪失だという彼等の認識はエラーのファクターとなり得た。その為にわたしはあなたの記憶喪失は回復したと彼等に告げた」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
急に饒舌になる長門に俺は待ったをかける。
難しい言葉の羅列に俺は頭が付いていけない。バックアップ? エラー? 長門、お前は何を言ってるんだ?
「お前の言っている意味がよく分らないんだが。もっと分かりやすく言ってくれないか?」
長門はぱちりと瞳を瞬かせる。
俺はなんとか長門の言葉を整理しようと試みるが、整理のしようがない。訳が分からないからな。
「説明を補足する」
ぜひしていただきたいね。
「あなたはあなたであってあなたでは無い」
今度は俺が瞼を動かした。ついでに眉もひそめる。
捕捉になっていない。なんだよ、俺が俺じゃないってのは。
「あなたにSOS団に関する記憶がないのは、あなたが今日初めてわたし達とコンタクトをとったから。SOS団に関する記憶を失っていたわけではない」
俺は今日初めてこいつ等に会った………?
確かに俺の記憶ではこいつ等の記憶は今日あった事柄だけだ。でもそれだったらさっきも言ったとおり、涼宮達が俺を知っているはずはないし、あんな写真が存在するわけがない。
「あれはオリジナルのあなた」
長門からまたも予測し得なかった言葉が飛び出してきた。
オリジナル………?
長門は何を言っているんだ………? まるで俺と写真の俺とが別人みたいな言い方じゃないか。
妙な寒気が背筋を通る。
「この世界のあなたは我々とは出会っていない。我々の知るあなたとは全く別の存在」
どういう意味だよ………? 俺の他にもう一人俺がいるってことなのか………? もし長門の言い分を信じるなら、そのもう一人の俺っていうのは一体どこで何をしてるんだよ。
世の中には自分と似た人間が三人くらいいるらしいが、そいつが北高にいたんならもっと早い段階で話題になっているはずだ。俺自身もそいつに遇っているかもしれない。だが、この年の瀬になってもそんな事は微塵もなかった。
正直、自分が記憶喪失だという話よりも信じ難い。
「あなたのオリジナルはこの世界にはいない。彼は現在オリジナルの世界にいる」
長門よ、だんだんと話がSF染みてきたんだが、俺だけじゃなくてこの世界までもが二つあるって事なのか?
「その認識に間違いはない」
言う長門はいたって真面目だが、俺の方は段々と気持ちが冷静になっていった。
やっぱりこれは長門の記憶喪失を治す手段なんじゃないかと思い直ってきたぜ。
「じゃあ、こういうわけか? 世界は二つあって、その世界にそれぞれいる俺が、お互いの世界を違えて来ちまったってことだ。あれだ、パラレルワールドの事をお前は言いたいんだろ?」
とんだSF話だ。言ってて自分で可笑しくなってきた。漫画や小説の中の話だ。そんな事が現実にあるはずがない。
しかし、長門の返事はこうだった。
「その内容には齟齬がある」
長門は相変わらずの無表情。
「並行世界というわけではない。起きた事象はあくまでも世界の情報改変。その改変に対してバックアップをとった。それがこの世界。ただし、あなたのオリジナルは唯一情報改変をされなかった。だから彼のバックアップは存在しない。その為バックアップの集合体であるこの世界であなたという存在は有り得なかった。したがって、並行世界の同一人物が入れ替わるという現象には当てはまらない」
長門は淡々と言葉を綴った。
この間長門は呼吸をしていたかどうか。瞬きは一回もしていなかった。
話がまたよく見えない。
つまりなんだ、長門の言い分としては、この世界はコピーだってことなのか?
長門が首を二ミリ程縦に動かした。
そんで、俺はなんだか知らないがコピーはされず、存在なんてするはずがないと。
「そう」
長門は吐いた息に言葉をのっけたような声で返事をした。
支離滅裂って言葉があるが、その言葉を長門に熨斗をつけて贈りたい。
それじゃあ、俺は一体なんだってんだ。今こうやってお前と話している俺はなんだってんだよ長門。
「あなたは」
長門がまた小さく口を開く。
「バランサー」
その長門の言葉は妙に重く響いた。
………なんだよ、バランサーって?
俺はその言葉にどう反応すればいいか分からなかった。
「どうしてそんな事が言えるんだよ………?」
そんな理解不能といった事を顔で表現しながら出た俺の言葉に対して、返ってきた長門の言葉に俺は一層の困惑を強いられた。
「この世界はわたしが作ったものだから」
特大の疑問符が頭の上に現われたのは当然だと思う。
この世界を作った。まさかそんな言葉が同級生から出るなんて想像出来るはずがない。
今の言葉を俺が把握しようとしている間に、長門は更に言葉を続けた。
「現在、オリジナルの世界はある改変で再構築され、基本情報の一部が書き換えられている。その改変を初期化する為のプログラムとデフォルトの情報を保存しておく場所としてこの世界を作り上げた。その際、バックアップをとらなかったあなたはこの世界には存在しなかったが、わたしの関知しないところであなたが生まれた」
生まれた………?
「最初、わたしはあなたをバグの一種だと考えていたが、そうではなかった。このバックアップの集合世界において、あなたという存在がいない事によって起きる歪みを極力抑えるために、必然的に発生した存在。すなわちバランサーであると判断せざるをえない」
長門は淡々とした口調で話していた。
長門、説明をしてくれているところすまないが、世界の改変だの再構築だの、とても信じられそうにはない。世界を再構築するだなんてそんな事誰が出来るっていうんだ。
俺の疑問に長門はパチリと目を瞬かせる。
「わたしがした」
この返答も至極淡白なものだった。
世界の再構築もお前がやったっていうのか? そしてこの世界も作り上げて? 偉く大層な力を持っているんだな。そんな事が出来るのは神様くらいのものかと思ってたぜ。
「正確には涼宮ハルヒの力。わたしは彼女の力を行使したに過ぎない」
なんで涼宮にそんな事が出来るんだよ。
そう思ったところで、ふと古泉と朝比奈さんの言葉を思い出した。涼宮には自分の願いを実現することが出来る力があると。
馬鹿馬鹿しい。仮に万歩譲って涼宮にそんな力があるとして、なんで長門は世界を変えるだなんてことをしたんだ。
「分からない。今ここに存在しているわたしはバックアップだから。ただ、自分にバグが生じて世界を改変させてしまう事は分かっていた。その為に対抗手段としてのプログラムを作った。そしてその実行をあなたに託した」
自分の事なのに分からないってなんだよ。それにバグが生じたとかなんとか。まるで自分を機械か何かみたいな言い草だ。
「機械とは違う。わたしは情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース」
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