第2章 Aパート

 俺はSOS団なる連中に周りを囲まれた状況になっている。今まで奥で本を読んでいた静かな感じの女子も俺を囲む一人に加わっていた。

 しかし、俺が記憶喪失だ? こいつらも涼宮と同じように俺が記憶喪失だと思ってるんだろうか? 言っておくが、俺は自分が記憶を失っているだなんて微塵も思っていない。

「緊急事態だわ。まさかこのSOS団から記憶喪失者が出るなんて………」

 一人勝手に盛り上がる涼宮ハルヒ。

 他の連中も涼宮の発言に動揺を見せている。

「ちょっと待ってくれ」

 俺は両手を突き出して、ストップというジェスチャーをやってみせる。

 これ以上話を一人歩きさせるわけにはいかない。

「どうして俺が記憶喪失になるんだよ? 俺は記憶なんて失っちゃいない」

「何言ってるのよ。あんた自分で言ったじゃない。あたし達の事なんて知らないって。記憶喪失以外の何物でもないわ」

「だから、お前達の事を知らないだけだろ? 俺は自分の事だってちゃんと分かるし、今まで生きてきた記憶だってあるんだ。勝手に人を記憶喪失にするんじゃねぇ」

 語気を強める俺に涼宮は口を噤んだ。

 押し黙る涼宮に俺は軽い充足感を得る。

 よし。なんとか分かったみたいだな。

「………特殊な記憶喪失なのかしら?」

 しかし、そんな涼宮の言葉で小さな充足感はどこかへと消えてしまった。

 こいつには何を言っても無駄なのか………。

 もはや俺に残された手段は呆れるしかないようである。

「でも安心しなさい、キョン。こういった突然の記憶喪失ってのは些細な事がきっかけで治るもんよ。ちょっと待ってなさい」

 呆れる俺にそう言葉をかけると、涼宮は部室のドアを開け放ちどこかへと飛び出して行ってしまった。寒いからドアは閉めて行けよな。

 あいつがいなくなると、急に部室が静かになった。

 部室に残った連中が俺に視線を注ぐ。

「キョンくん、本当に記憶をなくしちゃったの………?」

 その中の一人、みくるちゃんと呼ばれた女子が声をかけてきた。改めて見るとすごく美人で、且つかなりの巨乳であることが制服の上からも伺える。

 こんな美人がこの学校にいたなんて全然知らなかった。俺の情報網もまだまだだな。

 愛くるしい美少女に胸をときめかせてしまいそうになるが、いかんせん、この美少女も俺を記憶喪失と思っている点が残念でならない。

「もう一回言うけど、俺は記憶なんて失っちゃいないぜ。いたって正常そのものだ。記憶喪失だなんて涼宮が勝手に言ってるだけなんだよ。みくるちゃんだっけ? そんなに心配そうな顔をする必要なんてないさ」

 やれやれと肩をすくませる。

 記憶喪失だなんてそんな大それた事態に俺がなるはずがないじゃないか。

 しかしそんな俺とは対照的に、部室内の空気は一層重いものに変わっていった。

「どうやら本当に記憶を失っているようですね」

 古泉が口元に手を当てながら、俺を品定めするように眺める。

 なんだろうね、こいつとも今日初めてあったばかりなんだが、好きにはなれないと本能が告げている。

「あんたも涼宮と同じことを言うのかよ」

「いえ、先ほどまではあなたが記憶喪失を演じているのではないかと思っていました。トナカイの役を演じるのが嫌だから、と。しかし、今僕はそうではないと、あなたが記憶を失っていると確信を持っています」

 ずいぶんと自信ありげにものを言う古泉。

 一体何を以てして、俺が記憶喪失だとこいつは確信したんだろうか。

 当人が記憶喪失じゃあない、と言っているのにも関わらず記憶喪失だと確信しているその理由が知りたいね。

 俺は失笑をしてみせる。

 そんな俺を意図もせず、古泉は口を動かした。

「あなたは今、朝比奈さんに対してタメ口を使いましたね。それが僕にあなたが記憶喪失だという確信を得させてくれました」

 タメ口? どうしてそんな事がこいつに確信を持たせたんだ?

「あなたが朝比奈さんにタメ口を使うとは思えません。たとえ記憶を失っているフリをしているとしても、言葉使いまでも変えられる程あなたが器用とも思えませんからね」

 手振りを交えつつ話す古泉。なんとも馬鹿にされている感が否めない。

 しかし、俺はこのみくるちゃんにタメ口を使うのはおかしいんだろうか?

「確かにキョンくんに名前で呼ばれると変な感じ」

「朝比奈さんは上級生ですからね」

 マジか。どうみても同級生、見方によっては中学生とも言えなくもないくらいに幼い感じなんだがな。

 だけど、そもそも俺はここの連中のことを知らないんだから、この朝比奈さんとやらが上級生だなんて事も知らないわけで、おかしなことじゃない。

「そこです。我々の事は分らないのに、あなた自身は自分の事を記憶喪失と認識していない。今のあなたには分らないでしょうけど、我々は人並みではない経験を共にしてきているんですよ」

 古泉は朝比奈さんと読書少女、そして俺へと順番に目を配らせる。

 一体どんな経験なのか。当然、俺にはそんな経験をしている覚えなんぞはない。

「つまり、我々の事だけがあなたの記憶から消えている状態なわけです」

「ちょっと待て。記憶喪失ってのは何も覚えてない状態の事だろう? そんな中途半端な記憶喪失があるか」

 古泉の言葉に俺は待ったをかける。古泉の言う記憶喪失には納得いかないものがある。百歩譲って、部分的な記憶喪失があったとしよう。だけど、このSOS団に関わる記憶だけが消えるだなんて、偶然にも程があるだろう。

 呆れて鼻で笑ってやる。

 しかし、そんな俺は置いて鈴の転がるような声がぽつっと生まれる。

「………もしかして、涼宮さんの力?」

「その可能性が高いですね」

 うん? 涼宮がどうしたって?

 急に話が飛んで俺は眉根に皺が寄る。

 それでも古泉と朝比奈さんの間では話は通じているように見える。

 どうしてそこで涼宮の事が出てくるんだ?

「でも、そんな事ってあるでしょうか? キョンくんが記憶を無くすことを涼宮さんが望んだって事でしょう?」

「何か部分的に彼の記憶を消したい事があったのではないでしょうか? SOS団に関わる何かを。長門さんはどう思いますか?」

「………」

 古泉と朝比奈さんは難しい顔を作ってはあれやこれやを話している。その間に立つ長門と呼ばれた読書少女だけは表情を変えずに二人の話を聞いていた。

 全く話についていけないな。

「すまないが俺は帰るぜ。暇は持て余していないんでね」

 俺には帰りに本屋で立ち読みをするという大事な予定があるのさ。

「待ってください」

 帰ろうとドアに手を伸ばしたところで古泉の声が背中に当たる。

 なんだよ。

「本当にあなたは自分が記憶喪失ではないと思っているのですか?」

 またその話をぶりかえすのか。

「あのな、何度も言うようだが俺は自分の事は分かってるんだ。分らないのはお前達の事だけだ。家の場所も家族構成もダチの名前も分かるんだよ」

「友達とはクラスメイトの事ですか?」

 続く古泉の言葉に谷口と国木田の顔が浮かぶ。すぐに浮かんだのがあいつらだってのはなんともアレだが、あいつらも立派なクラスメイトに違いはない。

「ああ」

「では、どうしてクラスメイトの涼宮さんの事は分らないのです?」

 古泉がじっと俺の目を見る。

 俺はその言葉に閉口してしまう。

 今朝の事柄が頭の中に染み出した。

 それは俺だって気にならなかったわけじゃないさ。

 確かに谷口や国木田は涼宮の事を知っていたし、春からいるだなんて事も言っていた。でも、それだったら俺だって涼宮の事を知っているはずだ。でも、俺にはあいつの記憶は微塵もない。だからきっと涼宮は俺の知らない間にやってきた転校生で、あいつらが俺をからかって言ってるんだと思うようにしていた。そう考える以外に説明がつくか?

 SOS団の一同を見渡す。

 記憶喪失だなんて考えが浮かぶわけがない。

 ふと、目が部室の一部で止まる。掲示ボードにピンで止められた写真だ。そこにはSOS団のメンツが親しげにしている姿が写っていた。

 ただ、その写真は俺にそれ以上の物を見せていた。

 俺は思わずその写真のもとに足が向く。

 なんだ………これ………。

 写真を目の前にして目を見張る。

 そこには涼宮、長門、朝比奈さん、古泉と一緒にもう一人の男子が写っていた。

 俺だ。

 よく見れば谷口や国木田も写っている写真もある。

 どういうことだよ………。なんでこいつらと俺が一緒に写ってるんだよ。

 頭の中が渦を描くように歪みだす。何も考えられない。ただ写真を見ることだけしか出来ないでいた。

「キョンくん………」

 俺のすぐ後ろで声が生まれる。振り向けば朝比奈さんの心配そうな顔がそこにあった。

 こいつらの言ってる事は、マジってことかよ………。

 もう一度写真を見る。そこに写る俺は他の連中と親しげに写っていた。だけど、そんな記憶はいくら思い出そうとしても、頭の中から見つからない。

「記憶喪失………俺って本当に記憶が無くなっちまってるのか………」

 誰に言ったわけでもなかった。強いていうなら自分に言った言葉だ。

「大丈夫ですよ。おそらく、あなたの記憶喪失は一般的なそれとは違い、涼宮さんの力に起因するものだと思いますから」

「涼宮の力………?」

 そういえばさっきもこいつら、涼宮のせいで俺が記憶喪失になったとか言ってたな。どういうことだ?

「涼宮さんはね、自分が願った事を実現させる力があるの。キョンくんが記憶喪失になったのも、涼宮さんのせいじゃないかなって」

 なんだそりゃ。そんなSF染みた事が現実にあるのかよ。

 にわかに信じられないセリフを口にする朝比奈さんだったが、その表情からはふざけている部分は微塵も感じられない。

 涼宮の力が本当かどうかは分らんが、ここにいる奴らが俺の事を心配してくれてるってのは分かるな。

 ふっと気持ちが落ち着いたようになる。今の俺には記憶がないけど、きっとこいつらとは深い仲だったんだろう。そんな気がする。

「さて、問題はどうやって涼宮さんの力を無力化するかですが」

 古泉が顎に手を当ててつぶやく。

 その時だった。

 俺が寒くて閉めたドアが勢い良く開け放たれた。

「キョン! 待たせたわね! これであんたの記憶を取り戻してあげるわよ」

 涼宮ハルヒが満面の笑顔を湛えて部室へと入ってきた。

 その手には怪しげな赤い箱が乗せられている。

 今涼宮が言った「コレ」ってのはその箱の事なんだろうが、一見した限りではその用途が全く分からない。

「なんですか………? それ」

 朝比奈さんの不安な声に、涼宮は笑顔を増して「よくぞきいてくれました」と言わんばかりだった。

「これはAEDよ。ほら、心肺停止の時に使う奴。保健室にあったのを持ってきたのよ」

 そう言われれば確かにテレビとか保健の授業とかで見覚えのある箱だ。しかし、俺の心臓は現在進行形で正常に稼働中だ。AEDの必要性は全くないんだがな。

「そいつがどうして俺の記憶を取り戻せるっていうんだ?」

 俺はハルヒの考えが掴み切れず、首を傾げるばかりだった。

「分かんないの? これって電気ショックを起こす機械でしょ? だからこれで直接キョンの頭に電気的刺激を与えて、記憶を呼び戻そうって事よ。心臓に効くんだから、脳にだって効くでしょ」

 一切の迷い無しの表情。涼宮の表情は真剣そのものだった。

 まてまてまて! お前はどこのマンガ読みすぎ少女だ。そんな映画の中でしか使わないような手法を本気でやろうっていうのか!? そもそも用途が全く別物だ。記憶云々以前の問題だろう。

「さぁキョン、やるわよ」

 やるわよじゃない。そいつを使うくらいなら、無免許医師の診断を受けた方がましだ。

「ちょっと待て、そんなもん使わなくても、俺の記憶喪失はお前のせぃ、!?」

 涼宮の無謀的行動に意見を述べようと口を開いた。が、何者かの手で俺の口が塞がれてしまった。

 古泉? なんだよいきなり!?

「それ以上は控えてください」

 古泉が俺にだけ聞こえるように、小さな声で俺の耳元で囁く。

「どうしたんだよ!?」

 俺もつられて思わず声を小さくした。

「涼宮さんは自分の力には気づいていません。そしてその事を涼宮さんに気付かれるのは非常にマズイのです」

「な、なんでだよ?」

「一言では説明が難しいですね」

 そう言いながらスマイルを崩さない古泉。

 そんな俺と古泉のやりとりに涼宮がジリジリと近づいてくる。

「ナイスよ古泉くん。キョンを抑えてなさい」

 涼宮の表情はどこか狂気の混じった風に見える。俺の心理状態が改造人間にされんとしている人間と酷似しているからかもしれないが。

 しかし、このままでは改造人間と同じ扱いになることは間違いない。

「おい、俺はこんな目に遭うなら記憶喪失のままの方がましだぞ」

「確かに、電気ショックはちょっと過激ですね」

 ちょっとどころじゃないだろうが。

 古泉は、なんとかしましょう、とニコリと笑った。

「涼宮さん」

 古泉は俺の前に出て、涼宮と対峙する。

「何よ古泉くん。どかないと危ないわよ」

「AEDも効果的だとは思うのですが、まずはもっとソフトなやり方でやってみてはいかがでしょうか?」

「ソフトなやり方?」

「ええ。記憶喪失を解消するには色々と手段があります。電気ショックは最後の手段といったところではないでしょうか?」

 古泉の言葉に涼宮は考えるような顔になって、こちらへと近づく足を止めた。

 そして、暫くその顔を維持した後で、ぱっと顔を上げた。

「そうね。電気ショックは一番最後に使うことにするわ」

 俺はほっと胸を撫で下ろす。

 だけど、最後の手段ってことは最悪あいつを使う事があるかもしれないってことか………?

「じゃあ、行くわよキョン」

 涼宮が俺の目を見る。

 俺は涼宮の言葉がすぐには理解出来ずに目が泳ぐ。最初から理解出来ている事なんて微塵もないが。

 行くって、どこに行くんだ………?

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