第1章 Bパート

 放課後、今日も一日が無事終わった。また今年の終わりが一歩近付いたというわけだ。

 早々に帰路へと着く生徒の中の一人に俺もいた。

 夏の時はまだ日がかなり高い時間なのに、冬になるとかなり日が傾いている。冬ってのはどうも寂しさを感じる季節だ。途中本屋で立ち読みでもして、この憂いを晴らして行こうかな。

 そんな事を考えている頭の隅で、一つの事柄がまた疼き始める。今日で何度目だろうか。

 涼宮ハルヒ、という女子の事についてだ。

 朝の一件から彼女の事が頭を離れられなかった。これが恋をしているとかってんなら、なんとも青春なんだろうが、そうじゃない。考えていたのは自分の不可思議な状況についてだ。

 谷口や国木田曰く、涼宮ハルヒとは今年の春から一緒にいるクラスメイトらしい。しかし、俺の記憶ではそんなクラスメイトの名前も、あの女が涼宮ハルヒだという認識もない。

 その旨を二人に伝えると、再三保健室へ行くことを勧められた。だけど、俺は風邪なんてひいちゃいないし、記憶を失うような心当たりもない。

 ど忘れってことはないだろうが、説明のつく理由が思いつかない。

 本当にあの女は何なんだろうか。

 俺が昇降口でそんなことを考えながら靴に手を伸ばした時だった。

「キョンっ!!」

 聞いたことがある声が耳をつんざく。

 思わず振り向くと、そこには肩までの長さの髪に黄色いリボンをした、涼宮ハルヒが仁王立ちをして俺を見ていた。

 昇降口に響くような声を上げた為、周りの生徒の視線が涼宮ハルヒとその視線の先である俺へと注がれている。

 な、なんなんだ??

 またしても困惑の表情を作るだけの俺に、涼宮ハルヒは睨むような眼つきで近づいてきた。

「ちょっと! 放課後は会議だって言ったでしょっ! 何帰ろうとしてるのよ!!」

 背丈は俺よりも低い涼宮ハルヒは、俺の目の前までくると、俺を見上げるようにして睨んでいた。

「あ、いや」

「いいから、来るのよ! あんたには重要な指令があるんだから!」

 俺が口を開く間もなく、涼宮は俺の手首を握って、思い切り引っ張った。

 全てが突然で、急展開で、俺はただ前を走る涼宮ハルヒに身を任せるしかない状況だった。

 こいつは一体なんだってんだ?

 しばらくそのまま連れまわされて、どれくらい経ったか。手首の圧迫感と引っ張られる力が急に消えた。

 前のめりになってバランスを崩しかけた俺は、態勢をなんとか保って顔を上げる。そこには一つの部屋があった。

 涼宮に引かれるままにここまで来てしまったので、自分がどこにいるかいまいち把握出来ていない。学校の中だってのは分かるがな。

 とりあえず目の前の部屋のパネルを見ると『文芸部』と記載されていた。

 文芸部? てことはここは部室棟なのか?

「まったく、今朝も会議をやるって言ったじゃない。なのに帰ろうとするその精神を疑うわ」

 呆れと怒りの入り混じったような表情を作る涼宮ハルヒ。俺的には昇降口であんな大声を上げるこいつの精神の方が疑わしいがな。

 そんな俺の心の声は聞こえるはずもなく、涼宮は文芸部のドアを開けた。

 こいつは文芸部員なのか?

「あ、涼宮さん」

 ドアを開けたその奥からなんとも可愛らしい声が飛んできた。廊下から覗くように部室の中を見ると、そこにはサンタガールの衣装に身を包んだ美少女がこちらを見ていた。

 いつから文芸部はコスプレ同好会に変わっちまったんだ?

「どうしました? 少々機嫌がよろしくないようですが?」

 もう一つ声が生まれる。その声は高いが男子と分かる声で、そちらに視線を移すと、背の高い整った面立ちの男子生徒がいた。こちらは普通に北高の制服を着ている。

「機嫌がよろしくないどころじゃないのよ古泉くん。キョンの馬鹿が神聖なSOS団会議をすっぽかそうとしていたのよ」

「なんと。それはよろしくありませんねぇ」

 別にすっぽかそうという気持ちはなかったんだがな。俺には関係がないと判断して帰宅しようとしていただけだ。

 しかし、そんな俺の心情はお構いなしの言われよう。古泉と言われた男子も訝しげに俺に視線を合わせた。

「ちょっと、いつまで外にいるのよ。ドア開けっ放しにしてたら寒いんだから、さっさと中に入りなさいよ!」

 涼宮はそういうと、またしても俺の手首を掴んで部室の中へと引っ張り込んだ。

 俺は涼宮ハルヒの事で一つ分かった事がある。こいつはとんでもなく自分勝手な人間だってことだ。

 部室内にいる全員の視線が俺へと注がれる。気分は完全に転校生の気分だ。別に俺は転校をしたことはないが、多分こんな気分だろう。アウェーってやつだ。

 ふと気づく。文芸部の部室には涼宮ハルヒとサンタガールの美少女、古泉と呼ばれた男子、そしてもう一人、部室の奥で椅子に座った女子生徒がいた。その女子生徒は俺を一瞥すると、手に持っていた本へと視線を落とした。一瞬だけ顔を見れたが、このショートヘアの女子もかなりの美少女だった。

 部屋はクリスマスカラーにデコレートされて、窓や壁やらにモールや星の飾りが施されていた。部屋の隅には俺の身長の半分はあるだろうデカいクリスマスツリーが置いてある。季節感は溢れているが、逆に溢れすぎて、ここが学校の部室の一つだということを忘れそうなくらいだった。

「まったく、キョンのせいで貴重な会議の時間が遅れちゃったわ。とりあえず、昨日も言ったとおり会議を始めるわよ」

 俺が部室の光景に目を奪われている間に涼宮ハルヒが声を張った。

 『団長』と書かれた三角錐が置いてある机に着いて話を進める彼女に、他の文芸部員が視線を送る。

「ところで、会議というのは一体何についての会議なのでしょうか?」

「いい質問ね、古泉くん。今日の会議の主題はクリスマス会についてよ!」

「クリスマス会、ですかぁ?」

「そうよみくるちゃん。あたしの地元の子供会でクリスマス会があるんだけど、そこにあたし達SOS団がサンタとなってプレゼントを配るっていう企画よ。どう? 面白そうな話でしょ?」

 部室の中央で身振り手振りを交えながら話す少女の瞳は爛爛と輝いていた。

「もう、子供会の方には手配済みだから、後はプレゼントなんかの準備をするだけよ」

「さすがですね」

「でも一つ問題があるのよ」

「問題?」

「演出の面についてよ。あ、サンタの役はもうみくるちゃんで決定しているから」

「へっ!? わ、わたしがサンタをやるんですかぁ!?」

「そうよ。ここまでサンタガールの姿が似合ってるんだもの。部室の中だけなんてもったいないわ。子供たちにサンタは実はこんなに可愛い女の子だって信じ込ませちゃえそうなくらい似合ってるわ」

 涼宮ハルヒの自分勝手な発言に、みくるちゃんと呼ばれた女子生徒はにわかに顔を赤く染め上げる。

 そんなサンタガールをさておいて、涼宮ハルヒの講釈は続いた。

「サンタの役はみくるちゃんにやってもらうんだけど、問題はトナカイなのよ」

 腕を組んで難しい顔を作る涼宮ハルヒに他の部員が顔を合わせる。読書の少女もチラリと顔をあげた。

「サンタはみくるちゃんが一番だと思うんだけど、トナカイが似合うような人材は残念ながら我がSOS団にはいないのよね」

 そこで! と涼宮が自分の鞄の中をガサゴソと漁り始める。

「公平にクジ引きでトナカイの役を決める事にしたわ!」

 声高に手に持った何本かの紙切れを掲げた。

 しかし一体何が公平に、なのか俺には理解が及べない。他の部員は話についてこれているんだろうか?

 涼宮はまずは自分が手の中の一本を引き抜いて、当たりかハズレかを確認した。自分が作って、自分で握っているクジを一番に引いていて、それが公平かどうかはなんとも疑問だが、その様はなんとも面白いものがある。

 まぁ、自分には全く関係のないことだからそんな事が思えるんだろうがな。もし、自分がトナカイの役をやるだなんてハメになるとしたら御免被るところだ。

 自分は涼宮ハルヒに勝手に連れてこられただけの傍観者で、無関係を決め込んでいたわけだが、そんな俺の視界に謎の物体が映り込む。

 涼宮の右手。しかもそれには一本の紙切れが握られている。

 どういう意味だ?

「どうしたのよ。早く引きなさいよ」

 そういう涼宮の顔はどこか嬉しそうな感じが滲み出ていた。

 他の奴らに目を向けてみる。

 すると、どうやら読書少女、男子古泉はすでにクジを引き終えているようで、その手には白い紙切れが見て取れた。

 察するに未だ当たりのクジは出ていないようである。それと残りのクジが後一つ。そこから導き出される答えは、至ってシンプルだ。

 このクジを引いた奴がトナカイの役をやる、ということだ。

 しかし、そんなことよりも俺の頭を占めているものがある。

 どうして俺がクジを引かなくちゃいけないのか、だ。

 俺はクジには手を伸ばさず、代わりに口を開いた。

「一つ聞いてもいいか?」

「文句はナシよ。公平なクジ引きによる結果なんだから」

 涼宮ハルヒの笑顔はより明るくなったような気がする。俺がトナカイをやることがそんなに嬉しいんだろうか。

 だが、俺にそんなことをする義理はない。

「どうして俺がトナカイの役をやらなければいけないんだ?」

「クジの結果がそうなったんだから仕方ないじゃない。恨むなら自分の運命を呪うのね」

 そういう涼宮ハルヒの後ろで、部員達も俺がクジを引くのを待ちわびているかのような視線でこちらを見ていた。

 何なんだよ。

 その全員から向けられた視線が、なんとなく癇に障った。

「どうして俺がクジを引かなくちゃいけないのか、って訊いてんだ」

 俺がいつまで経ってもクジを引かないからか、語気を強めた言葉を発したからかは分らないが、目の前の涼宮ハルヒの表情がにわかに曇る。

「あんた、いい加減にしなさいよ。そんな自分勝手がこのSOS団で許されると思ってるの?」

 涼宮ハルヒの変化に部室の空気がピンと張ったような気がした。部員の表情にも動揺があるように見える。

 しかし、そんな事は俺には関係がないことだ。

「許されるも何も、俺は勝手にここに連れて来られただけだ。俺には関係ないね」

 当然の主張だ。突然の事で巻き込まれる形になっていたが、子供会でトナカイの役? 冗談じゃないぜ。

 きっぱり言い切る俺に部室の空気は更に緊張を増す。

 しばらく、部室に沈黙が訪れた。クリスマスツリーの電飾が点滅する音が聞こえそうな程静寂が満ちている。

 全員の視線が俺に集まっていた。

「キョン………くん?」

 ぽっと、泡の割れるような声が聞こえた。かわいい声だった。

「どうしたのですか?」

「あんた、今日なんか変よ………?」

 続けて他の部員からも声が出てくる。みんな困惑が混ざった表情をしていた。

 変なのはこいつらだ。見ず知らずの奴を部室に連れ込んで、自分たちの活動に巻き込んでいくんだからな。

 でも、それ以上に理解出来ない事がこいつらにはある。

「なぁ、聞いてもいいか?」

 俺の言葉にまた部員の口が閉じる。それは俺の質問を聞くという意思表示と受け取って、一つ息を吸った。

「何で、お前達は俺の事を知ってるんだ?」

 涼宮ハルヒの困惑の色が強くなる。

 返事は返ってこなかった。だから、俺が言葉を続けた。

「お前達は一体何なんだ?」

 瞬間、部室の時間が一瞬止まった。そんな感覚になった。

「何を言ってるのよ………?」

 部室の止まった時間を動かし始めたのは涼宮ハルヒの言葉だった。

「だから、お前達は何なのかって訊いてんだ」

「そういう冗談は好きじゃないの。いい加減にしないとあんた殴るわよ!」

 キッと睨むように俺を見る涼宮。その目は本気で俺を殴りそうな意思がこもっていた。

 しかし、俺はこれっぽっちも冗談なんか言っていない。俺も目に力を入れて目の前の女子生徒を睨む。

「あ、あの、ちょっと、ちょっとまってください!」

 俺と涼宮の火花を散らすような視線のぶつけ合いに、可愛らしい声が割って入る。

 幼さを感じるその声に俺は目をそちらへと移す。それに連れて涼宮も彼女を見た。

「何よ、みくるちゃん………」

「いや、あの、今日のキョンくん何か様子が変ですし、話を聞いてみた方がいいと思うんです」

 サンタ姿の美少女が申し訳なさそうに涼宮に提言する。

「確かに朝比奈さんの言うとおりです。何か理由があるのかもしれませんよ」

 サンタ少女に合わせるように男子部員の古泉も口を入れてきた。

 その二人の意見に涼宮は一瞬反論しようと口を開けたが、声を出す前にその口を閉じて、キッと睨むように再度俺に視線を合わせた。

「何か言いたいことがあるなら言いなさい。ただし、つまんない事だったらタダじゃおかないわよ!」

 全くもっての上から目線に憤りが湧いて止まないわけだが、せっかく向こうがこっちの話を聞く気になったのだから言わせていただく。俺は一つ大きく息を吐いて声を出した。

「まず、さっきから聞いているがお前達は何なんだ? 文芸部にしちゃあ賑やかな感じだが」

 言ってみたがそれに対する答えが返ってこない。涼宮は俺を睨み続けている。

 言えって言ったのに、反応無しかよ。

 俺がもう一度問いかけようと口を開けたその時、涼宮の後ろから声が上がった。

「ここはSOS団と言って、涼宮さんが立ち上げた部です。部室は文芸部ですが我々は文芸部員ではありませんよ」

 古泉と呼ばれた男子だった。

 文芸部にいるのに文芸部じゃない? せっかく返ってきた言葉だったが、まだよく分らない。しかし、そういえばさっきからSOS団とかいう単語がよく出ていたな。

「一つ確認してもよろしいですか?」

 俺が古泉からの返事に考えを巡らせようとしたところで、その当人から続けて言葉が発せられた。

 俺は顔で、なんだ? と返事をする。古泉はそれを確認すると、一歩前へと出た。

「この部の事はご存じないようですが、僕や涼宮さん、朝比奈さん、長門さんの事についてはどうですか?」

 俺は眉根に皺を寄せた。

 こいつは何を言っているんだろうか。SOS団なんていう部活動の存在すら知らなかったのに、その部員の事を知るはずもないだろうが。

「知らないね。お前らとは今日初めて会った」

 その言葉を発した瞬間、ワッと視界が狭くなった。涼宮ハルヒが俺のネクタイを掴んで顔を思いっきり近付けてきたのだ。

 な、なんだ?

「………あんた、本気で言ってるの?」

 表情はすごい迫力だった。しかし、その声は押し殺すように静かに涼宮の口から紡がれていた。

 俺は目の前に迫った涼宮にたじろきながらも、唾で喉を湿らせて、その問いに答えた。

「知り合いに今日初めて会っただなんて、そんな趣味の悪い嘘はつきたかないね」

 しっかりと涼宮の目を見て言ってやった。嘘なんか微塵もついちゃいない。つく必要もない。

 涼宮はそれからまたじっと俺の目を見た。

 どれくらいその姿勢のままでいたか分からない。だけど、急に胸元が軽くなる。涼宮が俺のネクタイから手を放したのだ。

「………記憶喪失」

 ぽつりと涼宮がこぼす。

 ………は? 今、こいつはなんて言ったんだ?

 俺が今の涼宮の言葉を訊き返そうと口を開きかけた時、その当人が先に口を開けて声高に叫んだ。

「これは事件よ! キョンが記憶喪失になったわ!」

 涼宮ハルヒの人差し指が俺を力強く指し示す。

 ………記憶喪失、だと?

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