第1章 Aパート

 朝目が覚める。さっきまで何やら楽しげな夢を見ていた気がするんだが、いまいちうまく思い出せない。まぁ良くある事だ。

 今朝は妹の奴が起しに来なかったが、あいつも忙しいんだろう。もしくは毎朝俺を起すことに飽きてきたのかもしれない。そうであれば助かる。今朝のように気持ちのいい朝日をおがめるわけだからな。

 顔を洗って、飯を食う。着替えて身支度を整えれば、後は学校へと向かうだけだ。

 靴に足を滑らせている最中に、横を妹が勢い良く駆けていった。いつ靴を履いたのか疑問になるほどの早さだった。やっぱり今日は何かしら時間に追われているのかもしれない。ということは、俺の考えは前者だったわけで明日はまた妹が俺を起しに来るに違いない。いっそずっと忙しくしていてくれれば兄は嬉しいんだがな。

 さてと。学校へと向かう道のりが本日も俺の前に現れる。

 いつもと同じ朝だ。何度繰り返しているんだろうか。そんな哲学者みたいな事が頭を過ぎるのは今日が初めてというわけじゃない。

 しかし小学生の頃から考えると、十年間も同じ朝の行動を繰り返しているわけである。年数だけ見ると恐ろしいことだ。何かしらの変化を求める事も一般的な心理として当然な事だと俺は思うね。

 別に世界が滅んで欲しいなどとは思わない。俺が実は伝説の勇者の子孫でどこぞにいる魔王を倒さなければいけないなんていう面倒な真実もいらない。ただほんの少し、毎日が同じ毎日じゃなく思えるような、そんな一欠けらのエッセンスが欲しい。

 なんてな。

 そんなことを考えられるのも日常が平和だからってことなんだろうさ。人間の、自分には無いものに憧れを抱いてそれを欲する特徴の所為に違いない。まったく面倒な特徴だ。

 まぁ、いいさ。こういうくだらない事に思考を傾けることが出来るのもその特徴のおかげだ。

 見上げればそこに我が母校となる北高がそびえ立っている。

 どうやら今日もくだらない思考のおかげで苦を感じることなく学校目前の坂道を攻略することが出来たようだ。

 考え事をして通学の辛苦から逃避する。学生の処世術という奴さ。

 吐く息が白い。

 今年もまた終わりだな。



 教室に入り自分の席へ着くと、一仕事終えた達成感に包まれる。もちろん学生の仕事はこれから始まるわけだが、登校することも立派な仕事だと俺は思うね。

 しかし今日は一段と寒かった。教室に入った瞬間の暖かさといったらない。二酸化炭素万歳だ。今朝の天気予報で今年一番の寒波が来ていたらしい。もうちょっと地球を温暖化させてもいいんじゃないかと思わせるほどだ。自然界の生物が冬眠するのも分かる。人間は冬眠をしないから野生の勘を無くしてしまったんだろう。きっと冬眠をすれば第六感が目覚めるかもしれない。

「ようキョン。今日はまた一段と時化た顔してるな」

 俺の生物学的構想に水を差したのはクラスメイトの谷口だった。高校に入って知り合ったクラスメイトで、傍から見れば俺とは友達に見えるかもしれないが、こいつに悩みを打ち明けるくらいなら、薬局前の像の人形に語りかけることを選択するくらいの仲だ。

「こんな寒さの中登校してきたんだ。笑顔には到底なれっこないね」

「まったくだな。風邪をひかないように気をつけなくちゃな」

 谷口が両腕をつかんで身を縮ませるジェスチャーをしてみせる。

 確かにこんだけ寒ければ風邪の一つもひきそうだ。教室を見渡せばマスクをしている生徒もいる。

 うん? そういえばこいつも風邪をひいてなかったっけか?

「風邪? あぁ、まぁひいてたかもしれんが、そんなの大分前の事だぞ。それに今はとても風邪なんてひいてる場合じゃないからな。万全のコンディションで挑まんといかんじゃないか!」

 ガッツポーズをグっと作って明後日の方を見上げる谷口。その姿からはとても風邪をひいているといった様子は伺えない。

 しかしなんだ。戦争にでもいく気なのかこいつは?

 日本が非戦争国なのは知っているが、今の谷口からはそんな意気込みを感じられる。

「ここのところ谷口はいつもこんな感じだよね」

 一人熱くなっている谷口を半ば呆れて見ている俺の横から声がかかる。

 振り向くと、同じくクラスメイトの国木田が朝の挨拶を織り交ぜながら近づいてきた。俺も片手をあげてそれに応える。

 国木田もやはり高校に入ってから知り合ったクラスメイトで、谷口と同じく昼飯を一緒に食ったりする仲だ。

「クリスマス・イヴまで、俺は死ぬことを許されない体なのだよ。無論風邪などというチンケな病にもかかってやってる暇もないね」

 より暑苦しく語る谷口。これだけ暑くなっていれば風邪の心配はないだろう。しかし、昨日までは特にいつもと変わらなかったと思うんだが、谷口に何かあったのか? イヴがどうとか言っているが。

「当分はこんな調子が続くんじゃないかな」

「なぁ、国木田。谷口の奴なんでこんなにテンションが高いんだ?」

 俺の問いかけに国木田はキョトンとした顔を見せる。

「あれ? キョンはまだ谷口から聞いてないの? てっきり谷口のことだからキョンにも話してると思ったんだけどな」

 うん? 何か谷口から聞いていたか?

 国木田の発言に今度は俺がキョトンとした顔になったと思う。それに谷口が続けてキョトンとする。

「おいおいキョン。もう忘れちまったのか? 昨日言ったはずだぜ。俺がイヴの日にデートがあることをよ」

 ………なんだと?

 谷口の顔がにやけ顔へと変わっていく。

 マジか………。こいつは俺の知らない間になんて羨ましい状況になってやがんだ!

 そう言われると谷口のにやけ顔がより一層ムカついて見える。いつも以上だ。

「やっぱり聞いてたんじゃないか」

 国木田が俺を責めるような、自分には非がないといった顔を作って見せた。

 そんな顔をされても今の今までそんな話は俺の記憶領域には存在していなかった話だから困る。

 だけど一向に不思議な話じゃあない。

 あれだ。谷口なんかの幸せに満ちた話なんかで、俺の貴重な記憶領域を割いてなんてやらなかったというだけの話だ。

 多分、谷口がそのデートをするという奇特な女に、壮大にふられれでもした話を聞いたとしたら、十年後かの同窓会でも覚えていて酒の肴にしているだろう。

 谷口を見る。余裕の表情だった。

 まったく、忘れたままならよかったぜ。

「ちょっとキョン」

 俺が幸せ絶頂の谷口に羨望と呪的な視線を送っている時だった。俺の呼び名が後ろから飛んできた。女の声だった。

 俺の後ろの席は女子の席だ。だから女の声が上がっても不思議な事はない。だけど、朝から一体なんの用事なんだろうか?

 呼ばれていて無視をするわけにもいかないので振り返る。と、そこには見知ったクラスメイトの顔が………ん?

 俺は一瞬頭が混乱する。

 そこには俺が思っていたクラスメイトの姿はいなかった。別の女が立っていて、座っている俺を見下ろしていた。

 誰だこいつ? こんな奴クラスにいたか?

 後ろの席の女子ではなくてもクラスの女子であれば混乱はしない。俺が面を食らったのは、まったく知らない女子がいたからだ。ただ、スゲェ美少女だってことは分かった。

 転校生? でもそんな話俺は聞いてないぞ。仮に今日転校してきた生徒だったとしても、会ったこともない俺の呼び名を知っているはずがないし。他のクラスの女子だとしても同じだ。

 俺が頭の中でそんな考察を広げていると、その美少女は俺に顔を近づけてきた。近くで見るとより美人だと分かる。

「今日の会議忘れるんじゃないわよ。放課後になったらすぐに始めるからね」

 こんな美人に迫られて胸が高まってしまう、なんてことはなく、そういった気持ちを打ち消す程の混乱が俺の思考を占領していた。

 会議ってなんだ? それにこの女、明らかに俺の事を知ってるような口ぶりはどういうわけだ?

 そういった理解不能な事には、人間って奴は恐怖という感情が生まれてくるらしく、俺は迫る女に対して身を引かせるという対応をとっていた。

 その対応に女の表情はにわかに暗くなって、訝しげな顔で俺を見下ろした。多分、俺の顔も同じような表情になっているんだろう。

「とにかく、あたしはそれまでに色々と準備があるから、会議には遅れずに来るのよ」

 女はそう言うと、鼻先を教室の入り口に向けて肩で風を切るように出て行った。

「まったく朝から大変だな、キョン」

 表情が固まったままの俺に、横から声がかかる。

「まぁ、もう見慣れた光景だね」

 国木田も谷口に相槌を打った。

 俺は未だに思考が動き出せないでいる。

「………なぁお前ら」

 零れ出るかのような俺の言葉に、二人は表情で聴く意思を示す。

 俺は一つ呼吸を整えて、口を開いた。

「今の奴は一体どこの誰なんだ? 転校生か?」

 しかし、俺のこの言葉に今度は二人が面を食らった顔を作る。

「今の奴って………おいおい大丈夫かキョン? 風邪でもひいて頭がおかしくなっちまったんじゃないのか?」

「谷口の言うとおりだよ。保健室に行ってきた方がいいんじゃない?」

 どういう意味だ?

 俺は二人の言葉の意味を理解することが出来ずに困惑の顔を続けている。

「お前本気で言ってるのか? お前が一番関わってる人間だろうが」

 俺が一番関わってる………?

 言葉が詰まる俺に谷口がその答えを告げた。

「涼宮だろ? 涼宮ハルヒ」

 涼宮………?

 しかし、谷口に答えを明かされた俺だったが、一向に顔は明るくならない。その名前に一切の聞き覚えがないからだ。

 涼宮ハルヒ………そんな奴知らねぇぞ。

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