第37話『赤い悪魔と魔法使い殺し』

 律儀に拘束を守る方ではないが、さすがに今日くらいは、大人しく家に帰ろうと思った。


 ハチェットも仕事中だろうし、しばらく一人で映画でも観ようと思っていたら、玄関を開けた瞬間、「おかえりー」と部屋の奥からハチェットの声。


「あぁ?」


 幸太郎は、靴を脱いでリビングへ行くと、ソファに座ってファッション誌を読んでいるハチェットがそこにいた。部屋着に着替えていない所を見ると、帰ってきたばかりらしい。


「お前、学校はどーしたんだよ」

「アンタが暴れるから、担当悪魔のあたしまで、謹慎喰らっちゃったのよ。一週間だってさ。あんたこそどうしたのよ?」

「俺も停学一週間。ま、一週間で済んで儲けモンだよな」

「こっちは完全にとばっちりだけどね。……ま、許してあげる。借りもあるコトだし、仕事する気分じゃないし」

「借りぃ?」


 幸太郎は、鞄を部屋に放り込みながら、首を傾げる。


「俺、なんかしたっけ?」

「あんたはそういう男よね……。師匠の骸躯、回収してくれたでしょ。あれは魔法研究の機関に送られたから」

「別に。あれはな、蜂須賀くんの仇討ちのついで。お前の大師匠のモノなら、俺にも関係あんだから、取り返すさ。……それより、大丈夫か? あれが大師匠のモンだって聞いてから、元気ないって聞いたが」


 黙って立ち上がると、ハチェットは幸太郎に歩み寄り、その眉間にデコピンを叩き込んだ。ハチェットの筋量だと、ただのデコピンでも凄まじい威力であり、幸太郎は眉間を押さえて、しゃがみ込んでしまった。


「い、いってぇ……。何すんだよテメーッ!!」

「弟子が余計な心配すんなっ。……けどまあ、落ち込んでたのは事実だし、それを解消してくれたアンタに、多少の恩義を感じないでもないっていうか……」


 恥ずかしそうに、声を小さくして、真っ赤な顔でボソボソと喋るハチェット。


「あぁ? 聞こえねーよ。もっとハッキリ言え!」

「……つまり、その、お礼になんでも一つだけ、言う事を聞いてあげようってコト!」


 ふっきって、やっと言えたので、すっきりした顔で溜め息を吐くハチェット。


「はあ、なんでも一つ、ねえ……」

「そうそう。夕飯は牛丼がいい、とか。なんでもいいわよ」

「お前、俺の事どこまで子供だと思ってんだ」


 幸太郎は、顎を摩りながら、考えてみる。

 夕飯を牛丼にするというのも悪くはないが、どうせならもっと滅多にできないコトを頼みたい。そんな貧乏性で、幸太郎は少し悩んでしまった。


 夕飯を豪勢にする、修行をしばらく休む、いろいろ考えた結果、一つだけ見つけた。


「……俺と、本気で戦え。そんで、俺が勝ったら、俺と契約してもらう」

「へえ」ハチェットは、嬉しそうに、口角が釣り上がるのを抑えきれないという様子だった。「なんでまた」

「いや、俺は結構強くなったと思うし、そろそろお前ぶっ飛ばして、契約したいのさ」

「なるほど。調子に乗った、と」


 ハチェットは、指の骨を鳴らし、背後に魔法で扉を作った。


「その鼻っ柱、叩き折っておく必要がありそうね」


 ハチェットが扉を開くと、中には白い空間が広がっていた。おそらく、体育館程の広さがある。


 二人は、その中心で向かい合う。その最中、幸太郎は先行するハチェットに、いつ仕掛けようか背中を見ながら考えていた。


 実力で遥かに劣る幸太郎だ。不意打ちくらい仕掛けなくては、勝率なんて微々たる物。もしかしたら、ゼロになるかもしれない。

 いくらハチェットといえど、全力のハイキックで首を抉れば、気絶するはず。体の構造が人間に近い以上、それは間違いない。


 だが、肝心の叩き込めそうな隙が、ハチェットにはなかった。目の前に敵として相対するだけで、支配されているかの様なプレッシャー。


 仕掛けられない。というより、恐らくハチェットは仕掛けられるのを待っていた。

 仕掛けた瞬間、カウンターが飛んで来る。そんな姿が、幸太郎の脳内にはありありと浮かぶ。


 結局、そのイメージを払拭するコトができず、ハチェットと向かい合うまで、動く事ができなかった。


「仕掛けてくるかと思ったけど、来ないのね」

「……こう見えて、奥手なもんでね」


 ハチェットの戦略は、自分の戦略。

 そして、自分よりも数段上の領域で使いこなせる。


「奥手って。あぁ、どーりで泉さんと進展しないはずよねー」


 無視。どういう隙を作るか、自分のプランだけ考えて、それを押し通す事を優先する。言い返した所で何もない。普段の口喧嘩なら、「俺とアイツはそういうんじゃねえから!」と言っていたが。


「そっちこそ、未だに未婚ってことは、いい人がいねーんだろ」


 幸太郎は、鼻で笑った。


「うるせぇー!!」


 すると、ハチェットが怒鳴りながら幸太郎に向かって走って来た。


「えぇッ! キレんのかよ!?」


 あっさり引っかかりすぎて、幸太郎は慌てた。ハチェットはこの程度で怒るほど、大人げない悪魔じゃない。

 幸太郎はすこし違和感を抱きながら、ヒットマンスタイルを取る。何故、幸太郎がヒットマンスタイルを選択したか。


 ボクシングでは本来、攻撃的な構えと言われるそれは、幸太郎にとって防御に適したスタイルだったからだ。


 ハチェットの繰り出すジャブを、下げた左腕の肘から先を捻り、払うことで防御する。そして、飛んで来るミドルキックやハイキックも、同様に受け止める事が出来る。


 彼女の拳と蹴りに、正確さを感じた幸太郎は、ハチェットの狙いに気付いた。


 ガードし、ハチェットが大振りになった隙を突いて、彼女の顔面に思い切り右ストレートを放った。だが、彼女は首を捻って躱し、返す刀の右ストレートを放った。

 しかし幸太郎も、それは読んでいた。開いた足の間に手を入れ、ハチェットの体を持ち上げると、背後へ放り投げた。


 パワースラムだ。


「きゃあッ!?」


 ハチェットは受け身を取り、追撃を仕掛けようとした幸太郎の追撃を躱し、距離を取って立ち上がった。


「ちっ。パイルドライバーくらい、やっとけばよかったかな?」

「……体術は、結構いい感じね」

「けっ。よく言うぜ。そっちこそ、わざと挑発に乗ったフリして、俺の行動を制限しようとしたくせに」

「へえ。それも見抜いた。……いいわねえ」


 ハチェットはそう言うと、右手に魔力を溜めた。光弾を放つつもりらしい。


「なら、私はここから、魔法使いの戦い方をさせてもらうわね」


 そう言って、手を振るい、光弾を放った。生徒達は、手を前に突き出して照準をわかりやすくしていたが、ハチェットの場合、手を振るって出す事で、照準をわかりにくくしている。


 しかし、そうなれば普通に投げられたボールを避けるのと同じ。幸太郎は体を半身にして、その光弾を躱すと、ハチェットへ向けて足を踏み出した。


 だが、突然背後から光弾が飛んで来て、幸太郎の背中を強打した。


「ぐぇ……!? な、なんだ!」


 振り向くと、そこには何も無い。

 背後からの不意打ちに、誰かいるのではと思ったが、そんな事はなく、何もない空間が広がっているだけ。


「ほーらっ、まだまだ行くわよぉ!」


 もう一発飛んで来た。さっきの様に躱してもいいのか、と思ったが、結局躱すしかない。だが、今度は背後を見て、背後からの一撃に備えた。だが、今度はハチェットが二発目を正面から放って来て、それがさっきと同じ位置に当たった。


「ぐぶっ……! や、ろ……!」


 推測を立てる幸太郎。


 恐らく、幸太郎の背後に転移魔法をセットし、その転移魔法に光弾が入ると、進行方向を変えて再び幸太郎に向かって来るというコトだろう。

 それはわかった。仮にコレが違っていても、結果は同じ。背後から飛んで来る事もある、という事だ。


「今度こそ、ぶん殴ってやるぁ!!」


 幸太郎は、再び突っ込んだ。

 ハチェットも幸太郎が何か腹を括ったような顔を察したのか、楽しそうに笑って光弾を放つ。


 幸太郎は、その光弾に向かって、左ジャブを放った。まるで鉄板を殴った様な衝撃に、一瞬苦悶の表情を浮かべるが、もう一発飛んで来た光弾にも、ジャブを放ち、掻き消した。全身にダメージが蓄積されるより、左拳を犠牲にする方を選んだ。


「そう、腹を括るのは大事ね!」


 頷き、ハチェットは右腕に電気を纏わせる。電気系魔法は、空気を通電できないという電気の性質上、そのほとんどが近距離魔法だ。


 幸太郎は、『ハチェットも迎え打つつもりなんだな』と、わかった。


 右腕を見て、どういう軌道で飛んで来るかを注意しながら、幸太郎も右腕を放った。

 だが、ハチェットの左足ハイキックが、幸太郎のこめかみを打ち抜いた。


「うげっ……!」


 幸太郎の意識が、混濁する。

 目の前が、コーヒーに落とされたミルクみたいにぐにゃぐにゃと曲がって行く。

 まずい、立たなくちゃ。意識をしっかり保たなくちゃ。

 そうは思うが、それで意識が回復するほど、人間は高性能じゃない。


「ダメじゃない幸太郎。たしかに、雷撃魔法は近距離専用とはいえ、あたしは魔法使いじゃなくて、『対魔法使い戦術が使える悪魔』よ?」


 幸太郎は、今更になってハチェットの罠にひっかかったコトを悟った。


 彼女が言った『魔法使いの戦い方をさせてもらう』という言葉を鵜呑みにし、普通の魔法使いと同じ戦い方を選択してしまった。

 幸太郎が雷撃魔法の対処を完璧にできると知っていた彼女は、雷撃をフェイントに使い、注意を引きつけ、死角からのハイキックを叩き込んだのだ。


 魔法の使い方も、今まで相手にしてきた生徒とは格が違う。幸太郎が得意としていた、口先での勝負にも、体術でも負けている。

 さすが俺の師匠。そう思うと、幸太郎は無意識に、笑っていた。


「まだ笑えるんだ。タフな弟子だコト」


 寝転がった幸太郎のマウントポジションを取り、首をコキコキと鳴らす。


「対魔法使い戦術の掟。相手は気絶させるか殺す事。気絶させて貰うわよ」


 放っておいても、幸太郎はそろそろ気絶してしまうのだが、しかし彼女はダメ押しするつもりらしい。

 せめて一太刀入れなくては、立つ瀬がない。


「これで終わり。おやすみ!」


 顔面へ拳が振り下ろされる。だが、最後の力を振り絞り、幸太郎はその拳を逸らし、地面を殴らせた。

 その地面に突き立てた拳を巻き込むみたいに転がり、ハチェットを地面に落として、ポジションを優位に持ち込む事ができた。


「マウントから脱出……。見事ね、幸太郎」

「そりゃ、どーも。今度はこっちの番だ。チョークスリーパーで落としてやる……!」


 そろそろ限界。

 ハチェットの耐久力といえど、呼吸器系を押さえれば勝てるはずだ、と、幸太郎はハチェットの首に、手を伸ばす。だが、彼女は幸太郎の腰に手を回し、


「まだまだ、甘かったわね」


 そう、不敵に笑った。

 ふと、幸太郎の頭の中で、すべての点が繋がった。


「やべ……!」


 幸太郎は、すぐにハチェットから離れようとしたが、腰を掴まれて動かない。


「未熟ね、バカ弟子」


 瞬間、幸太郎の中で火花が炸裂して、彼の意識を焼き切った。

 雷撃魔法である。一定時間手で触れ続ける事さえできれば、ハチェットの魔力と、今の幸太郎のコンディションなら、一瞬で意識を断てる。


「ち、きしょ……」


 最後にそう言って、幸太郎は派手な音を立てて倒れた。


 あぁ、やっぱ強えな、ハチェット。

 勝てると思ったんだけどな。

 そんなに甘くはねえか。


 薄れ行く意識の中、幸太郎は全力でやった負け戦の味を噛み締めていた。

 意外に爽やかな味だったのが、印象に残った。



  ■



 妙に額が冷たかった。


 目を覚ますと、目の前にはハチェットの顔があった。辺りを見回せば、どうやら幸太郎は、自分の部屋にあるベットで寝かされているらしい。


「お、目が覚めたか。回復魔法はかけておいたから、安心しろー」


 幸太郎の額の上に置かれていたタオルを取り、それを洗面器の水に浸して絞り、再び額に置くハチェット。


 目が覚めるまで、ずっと看病していたようだった。


「目を見張る所はあったけど、魔法使いに迂闊な接近をしかけたり、いろいろポカがあったから、六五点かな。これじゃ、教師はおろか、もっと腕利きの生徒がいたら、勝てないわよ」

「……なにはともあれ、進級はできるみてーだな」


 苦笑し、ハチェットは「ギリギリね」と言った。


「それなりに対魔法使い戦術を使いこなせるようになってて、嬉しいわ」


 会話が途切れてしまった。なんとか会話を続けなくては、と思い、幸太郎はふと


「……そういや、なんで対魔法使い戦術なんて考えたんだ? 前は思いつきとか言ってたけどよ、思いつきでやるにはちょい手間かかってるよな」

「確かに、幸太郎の言う通り。思いつきってのは、半分嘘ね」


 半分なんだ……。と、心の中で呟く。一番否定してほしかった部分なので、ちょっと悲しかった。


「あれは、地上界に来たばかりの時ね。見る物がすべて新鮮だったから、世界を見て周ってた時、科学とか格闘技とか、そういういろいろに出会ったのよ。悪魔も文化とか魔法とかいろいろあったけど……。人間が魔法に出会った時くらい、悪魔も人間の技術には感動してんのよ」


 幸太郎は、『だから対魔法使い戦術って、格闘技を使ってんのか』と頷いた。


「だから、あたしは思ったのよ。人間は魔法に対して、『とんでもないモノ』ってイメージがあるみたいだけど、もし人間が、人間の用いる技術をすべて使って魔法使いと戦ったら、どうなるのかなーと思って、あたしが使おうと思ったんだけど……」

「思ったんだけど?」


 言葉を促すと、ハチェットは「悪魔だとフィジカルが強すぎて、全然平等じゃないのよね……」と頭を抱えた。


「あぁ……なるほど……」


 確かに、並の魔法使いなら、ハチェットは自分の身体能力だけで圧倒できるだろうな、と幸太郎は納得した。


「だから、あたし以外の、それも魔法が使えない人間に覚えてもらう必要があった。まあ、そんなわけで、幸太郎に使ってもらう必要があったってわけ」

「なるほどね。小ちゃい頃から、それも入学前から練習してきたわけだし、ここに入学する頃にゃ、立派な魔法使い殺しになれるってわけか」

「……魔法使い殺し?」

「なんでも、俺の新しい二つ名らしいけど」

「くっはー! いい、いいじゃないの! 幸太郎っぽいわ、その反社会的な感じ!」


 寝転がっている幸太郎の腹をばしばしと叩く。さすがに、悪魔のフィジカルで叩かれると、手加減されていても、幸太郎の腹筋でもガードはしきれない。


「やめろ! 吐く、吐く!」

「あー、ごめんごめん。でも、ま。そういう事があったから、あんたに対魔法使い戦術を教えてるの。あたしの好奇心に付き合わせて、悪かったけどね」


 あまり悪びれた表情ではなく、むしろ鼻歌を唄いながらドライブをシャレ込んでいそうな顔をしていた。


「別にいいさ。こっちも学んどいて損はねーし。それに正直、魔法を使わないで魔法使いを倒した時、『こんなコトやってんの、俺だけなんだろうな』って思うと、なんかすげえ楽しいしよ」


 いろいろな相手と戦って、幸太郎は勝った後に思うのは、そんな事だった。いつも死にかけて、ボロボロになっても、その感覚があるからやってこれた。


「そう。……ま、とりあえず、今はゆっくり休みなさい。回復はかけたけど、まだダメージは残ってると思うから」


 ハチェットは立ち上がると、幸太郎の頭を軽く撫でてから、先ほどとは違う優しい声で、「おやすみー」と言った。


「おう。でも撫でんな」


 静かになった部屋で、天井を眺めながら、幸太郎は先ほどの戦いを思い出す。

 あの後、マウントを取らなきゃ勝ってたのか、それともマウントを取られた状態から相手を沈めなくてはならなかったのかを考えてしまう。


 考えてしまっても、今更しょうがない。そもそも、今の実力でどんな策を練ろうと、幸太郎は勝てない。


「ちっ。あいつの言う通り、強くなんねえとな……」


 幸太郎は、勉強机の上に置いてあった対魔法使い戦術のテキストを取り、再びベットに寝転がりながら、それを読んだ。


 もう何度も読んだ所為で、ボロボロになっている。

 新しいものを貰おうか、それとも補修魔法でもかけてもらおうか迷ったが、やめた。


 これは戦ってきた証だし、いろいろ思い出がある。傷つく事で、増える思い出もある。


 だから、幸太郎は戦っているのかもしれない。

 誰にも味わえない、勝利の栄光を、味わう為に。

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赤い悪魔と魔法使い殺し 七沢楓 @7se_kaede

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