十一月第一土曜日:タカハシ家(二)
マツモト先生は、約束どおり午後三時にやって来た。約束どおり、動きやすい服装でやって来た。つまり、いつもと同じジャージ姿で。
うん、服装は別にいい。ジャージかスーツの二択で、うちのおとうさんが「動きやすい服」って指定した。だからジャージになるのは当たり前。でも、予想外だったのは。
「走ってきたんですか……?」
汗びっしょりなマツモト先生に、あたしは絶句。ないわ……。
マツモト先生は冷静そうに、ポケットに突っ込んでたスマホを触った。「アクティビティ、ストップ」とか聞こえた。スマホのランナー用アプリを使ってるって言ってたっけ。走行距離やラップタイムが自動的に記録される、GPS機能付きの。
ってのは、どうでもよくて。
「毎日ランニングせんば、体調がおかしくなるとです」
「だからって……波止場の近くからここまででしょ?」
「十三キロくらいやけん、一時間かからんかった」
「…………」
渋滞してるときの車より、マツモト先生の二本の脚のほうが早いそうです。初めて彼女の家に招かれたときの移動手段がランニングって、どーいうこと!?
庭先で唖然としてたら、おとうさんが裏のほうから出てきた。脚立を抱えている。マツモト先生は、背筋をピシッと伸ばして、体育会系な礼をした。
「こんにちは!」
言い方が、完璧に部活少年。監督かコーチがグラウンドに現れました、ってときの。
おとうさんは、うむ、と短く応えた。マツモト先生はサッと動いて、おとうさんに申し出た。
「脚立、持ちましょうか?」
「うむ」
「ばってん、こん脚立、何に使うとですか?」
方言丸出しなマツモト先生に、おとうさんは重々しく言い渡した。
「屋根を修理する。この間の台風で、瓦が飛ばされた。マツモトくんは何でもできると、娘から聞いている。屋根の修理、手伝ってもらえるかな?」
娘と付き合いたくば、おれのメガネに適ってみろ! ってことでしょうか。稲光の背景と「ゴゴゴゴゴッ」って効果音を背負ってそうな表情。
あのね、おとうさん。流行んないよ、そういうの。
でも、マツモト先生は普段どおりの、まじめにも無愛想にも見える顔つきでうなずいた。
「わかりました。お役に立てると思います」
こういう場面でお役に立てる人なんて、そうそういないよね。珍しいけどね、ここにいるんです。野生育ちの超便利人間、マツモト先生。器用な手先と並外れた運動能力の持ち主。屋根の修理なんて、バッチリ得意分野。
造船所の技師をやってるおとうさんだって、物作りの達人だ。手先はとにかく器用で、特に小さい細工物なんて作らせたら、職人さんも真っ青になる。昼休みにはお弁当を持って運動公園に歩きに行ってるし、休日は山歩きなんかするし。
って、あれ? 似てる? おとうさんとマツモト先生って、実は同じ人種?
マツモト先生が脚立を支えて、おとうさんが先に屋根に上がった。次に、マツモト先生が道具箱を持ったまま、脚立を登った。あたしが下で脚立を支えた。おとうさんが道具箱を受け取って、マツモト先生が屋根に降り立った。
あたしは庭のほうに回って、二人の様子を見上げてた。いつの間にか、隣におかあさんが出てきていた。
「どう、二人の様子は?」
「案外、大丈夫っぽい」
「じゃあ、おつまみの用意をして待っていましょ?」
「うん」
まだもうちょっと眺めていたかった。でも、おかあさんに背中を押されて、あたしは家に入った。おかあさんは、くすくす笑っていた。
「おとうさんも口下手なのよね。『一緒に仕事をすれば、しゃべらなくても人柄がわかる』なんて言って。マツモト先生も驚いたでしょうね。まさか、いきなり屋根の修理をすることになるなんて」
「そこまで驚いてないと思うよ。あの人、島でも、いつもそういうこと頼まれてるし」
だから、むしろよかったかもしれない。格式張った外食の席なんか用意されても、マツモト先生は、たぶん困ってしまうだけだ。
あたしが作ってきたカマスを焼いたら、キッチンがちょっと煙たくなった。窓を開けて、秋風を呼び込む。今年の夏は、長めに居座ってるみたい。台風だってまだ南のほうに発生してるし、日差しも風も暖かい。
マツモト先生のおとうさんは、今、ほぼ真上にいるらしかった。笑い合う声が聞こえてきた。真田幸村が、っていう、おとうさんの声。マツモト先生の返しはマニアックすぎて、あたしにはよくわからない。とりあえず、屋根修理以外にも共通の話題があったみたい。
夕暮れ時になって、二人は屋根から降りてきた。台風で壊れた箇所だけじゃなく、太陽光パネルと周辺機器のチェックとか、いろいろやったらしい。マツモト先生は、ついでに、スマホで空の写真も撮ってきていた。
おとうさんもマツモト先生も汗だくで、でも、楽しそうな顔だった。順番にシャワーを浴びて、早々に晩酌が始まった。おとうさんは芋焼酎を片手に上機嫌で、あたしのカマスの一夜干しを誉めてくれた。
「マツモトくんは何でもできる」
お酒が回ると、おとうさんは、あたしのこと以上にマツモト先生のことを誉めちぎった。マツモト先生は相変わらず口数が少なかったけど、にこにこしていた。
おかあさんは、さりげなく且つキビキビ働いた。見習わなきゃなー、と思って、あたしも下げ物を手伝ってみたりする。キッチンで、おかあさんはニマッと笑った。
「作戦が成功して、よかったわ」
「は? 作戦?」
「マツモト先生とおとうさんが仲よくなれて、おかあさんも嬉しい」
キャピッとか笑ってみせてますが、おかあさん、最初っから計算してたわけ? 空気読んでないふりしてマツモト先生を食事に誘ったり? おとうさんに「一緒に屋根修理したら?」って吹き込んだり?
いや、まあね。実際、よかったけど。マツモト先生はいい人だし、すごい人だし。あたしはマツモト先生のことが好きだし。
おとうさんもおかあさんも、マツモト先生に「泊まっていけばいい」って勧めた。でも、マツモト先生はある程度の時間になると、お暇の挨拶をした。波止場の近くに住んでるおにいさんのとこに戻るらしい。
飲んじゃったから、さすがに、走っては帰れない。あたしは波止場のほうへ向かうバスの停留所まで見送った。
「両親の無茶ぶりに応えてくれて、ありがとうございました」
「ざまん楽しかった」
「うん、父も楽しそうでした」
「またお会いしてお話しできたら、よかなぁ」
「じゃ、また来てください」
「ん……」
ちょっと歯切れの悪い応え。マツモト先生は、お愛想なんて言えないから。そういうとこ、ムカつく。でも、そういうとこ、安心できる。マツモト先生は正直だ。
マツモト先生を乗せたバスが、川沿いの県道を走っていった。バスのテールライトが見えなくなってから、あたしは家に戻った。ほんの十分くらいで、マツモト先生からメールが来た。あたし宛じゃなくて両親宛の、ごちそうさまでした、っていう丁寧なメール。
おとうさんが「気に入った」って、つぶやいた。嬉しかった。ひょっとしたら自分が認めてもらう以上に、嬉しかった。
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