十一月第一金曜日:タカハシ家(一)

 十六時三十分。帰宅OKな時間になると同時に、あたしは学校を飛び出した。校庭を突っ切って家に飛び込んで、荷物をつかんで波止場へダッシュする。最終フェリーに乗らなきゃいけない。


 今日から三泊四日の日程で、本土の実家に帰省する。土日に文化の日が重なって、月曜日は振替休日。普段よりも長めに実家にいられる貴重なチャンスなんだ。


 九月も十月も忙しすぎて、帰省できなかった。早く実家で羽を伸ばしたい!


 おみやげは、校長先生の奥さんに教わって作ったカマスの一夜干し。釣れたてを捌くところから、自分でやったの。キレイにできたから、すっごく嬉しい。冷凍してたのを保冷バッグに入れてある。おとうさんは気に入ってくれると思う。毎晩、焼酎のお供は海の幸って決めてるみたいだから。


 フェリー乗り場に到着した。窓口で切符を買う。切符係のおねえさんは、生意気兄弟ユウマ&ショウマのママだったりする。彼らも意外に美少年なんだけど、ママさんはほんとに若くてキレイ。美魔女なママは、あたしにいたずらっぽい笑顔を向けた。


「タカハシ先生も、本土に行くとですね」

「はい。ちょっと実家に帰ってきます」

「あらぁ、そげんね」


 ん? やけに含みのある表情ですけど? てか、その顔、息子さんたちとそっくり同じですね。


 あたしは切符を手に、ちょっと首をひねりながら、乗船改札口に向かった。そこで、あのいたずらな笑顔の謎が解けた。


「あれっ、マツモト先生もフェリーに乗るんですか?」


 マツモト先生は、普段着のジャージ姿で、待合席に座っていた。そばにあるのは、大きくない荷物と、スーツが入ってるっぽいハンガーケース。


「明後日、高校時代の同級生の結婚式があるとです。明日は靴やら本やら買わんばいかんし。タカハシ先生は帰省ですか?」

「はい。台風いなくなってくれて、ほんとよかった!」

「まだ波は高かけん、揺れるかもですよ」

「大丈夫です! 帰省のために何往復もして、慣れました」


 うちのおかあさん曰わく、あたしは「嵐を呼ぶ女」なの。あたしがフェリーに乗る日に限って、雨が降ってたり波が高くなったりするんだよね。今回はギリギリセーフだったけど、下手したら台風まで呼んじゃう女になるとこだった。


 まもなくフェリーがやって来て、降りる人たちが降りて、あたしとマツモト先生を含む十数人がフェリーに乗り込んだ。その十数人ってのは、マツモト先生にとっては、全員が知り合いだったっぽい。待合い席にいる間は、つねに誰かと挨拶したり近況報告したりしてた。


 フェリーが出航して、本土の波止場に着くまで、約三時間。客室は、靴を脱いで上がるカーペット敷きの空間になってる。椅子の席もあるんだけど、あたしはカーペットのほうが好きだったりする。船酔いしそうになったら、すぐ寝転べるから。


 でも、今日は船酔いの心配なんて、全然なかった。ずーっと、しゃべってた。マツモト先生を相手に、あたしばっかり、一方的に、ずーっと。


 受け持ってる四年生の話題に始まって、自分の小学校時代のこと、家族のこと、好きな音楽のこと。いろいろ、思い付くことを片っ端から言葉にして、マツモト先生がうなずくのを見て、嬉しくて。


 あたし、こんなにおしゃべりだったんだなぁ。自分でもビックリ。最後には、マツモト先生もちょっと呆れてた。


「今日、ざまんよくしゃべっとりますね」


 ぼそっと、そんなこと言ってた。ムカついてもおかしくないセリフだったけど、別に気に障らなかった。


 マツモト先生って、結局、そういうしゃべり方しかできないの。ぼそぼそしたしゃべり方。方言の性質もあるっぽい。島の人がしゃべるとき、口があんまり動いてない。それでも発音できちゃう方言みたい。


「マツモト先生、今日はホテルに泊まるんですか?」

「いえ、本土に住んどる兄貴んとこに行きます」

「波止場から遠いんですか?」

「近かですよ」

「うちはけっこう遠いんですよね。両親が車で迎えに来てるから、今日は一緒に外食して帰るんです。家まで、車で三十分くらいかかるかな? 日中の混んでる時間帯だったら、一時間近くかかっちゃいますけどね」


 フェリーが港内に入って、速度を緩めながら桟橋に停泊する。その間に、乗客は、荷物を持って降り場のほうへ並ぶ。


 降り場のあたりで待ちながら、相変わらず、あたしはべらべらしゃべってた。フェリーの乗降船口が開くと、マツモト先生は困った顔をした。


「離れとかんで、よかとですか?」

「離れるって、どうして?」

「だって……ご両親、おられるとでしょう?」

「いますけど」

「…………」

「マツモト先生のこと、紹介しちゃダメ?」

「ダメっち言うか……」

「殴られることはないと思うんで、うん」


 マツモト先生は黙ってしまった。あたしだって、変な緊張感はあるけど、悪いことしてるわけじゃないし。


 あたしは、マツモト先生が後ろをついてくるのを確認しながら、タラップを降りた。


 両親はいつも、桟橋の端っこにいる。あたしを見付けたら、おかあさんは手を振ってくれる。おとうさんは、腕組みをしたまま、ちょっと微笑む。今日もそうだった。でも、あたしが両親に近付くにつれて、微妙に表情が変わった。おとうさんが何か言いかけた。


 ちょっとちょっと、おとうさん。その威圧感、何?


 マツモト先生が足を止める。さすがにビビッてるっぽい。


 いやいや。繰り返すけど、あたしもマツモト先生も、何も悪いことしてないから!


 先手必勝! って勢いで、あたしはまくし立てた。


「ただいまーっ! あのね、この人はね、マツモト先生っていって、職場の先輩で、いつもお世話になってるの。一昨日の台風のときもね、いろいろ助けてもらってね……」


 オホン! と咳払い。おとうさんの。


 とっさに黙るあたし。何も言えないマツモト先生。


 おとうさんは、家では割と甘い。会社では、そうじゃないらしい。造船所の開発設計部で、技師をしてるの。頑固一徹な職人気質、みたいなのも持ち合わせてる。


 どうやら今、おとうさんは技師モードだ。マツモト先生を見る目が、厳しい。奇妙に固まる、夜の波止場の空気。


 でも、空気を読まない人が、一人いました。


「あらあらあらーっ。うちの娘がお世話になっちゃって。どうもありがとうございますーっ」


 おかあさんが、一人で呑気な声をあげた。ずいっと前に出てきて、マツモト先生に頭を下げる。マツモト先生もペースに呑まれて、ぺこっとお辞儀をした。


「え……こちらこそ……その……」

「マツモト先生、この連休はずっとこちらにおられるんですか?」

「あ、はい」


 おかあさんは、笑顔で爆弾を炸裂させた。


「だったら、我が家に遊びに来てみません? 歓迎しますよーっ。楽しみだわ! 何せ、この子の彼氏をお招きするなんて初めてですから!」

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