お嬢ちゃん、こんなのに興味ある?

西田三郎

第1話 お嬢ちゃん、こんなのに興味ある?

 犬を散歩させていた。

 その頃はそれくらいしかやることがなかった。



 とても天気がいい日だった。

 普段は自宅から20メートル四方を離れることはないが、さすがにあそこまで天気がいいと、駅向こうの公園まで足を延ばしてみようかという気にもなる。


 犬のほうは、あんまり乗り気じゃないようだった。


 うちの犬は散歩があまり好きではない。

 散歩に出かけると、ほんの5分も待たずに家に帰りたがる。

 わたしのほうがこの犬に、散歩につきあってもらっているようなもんだ。



 うちの犬は和犬系の雑種で、まだらの肌をした、太った、醜い犬だ。


 醜いだけならまだしも、この犬には可愛げというものがまるで欠けている。

 めったに感情を露わにすることがない。

 こいつが吠えたり、クンクン甘い声を出したのを聞いたことがない。

 もちろん、わたしに甘えてくるなどということはこれまでに一度もない。



 どうやら犬はわたしのことを好いていないらしい。

 というか、わたしのことも含めて、世の中のすべてのことに関心がないのだ。

 その点はこの犬はわたし自身によく似ていた。




 だから特に可愛がっている、というわけではないが、ずっと一緒に暮らしている。




 さて、公園の風景はのどかそのものだった。



 空はどこまでも晴れ渡り、太陽はやさしい。

 ずいぶん緑の目立つようになった桜の木が風に揺れている。

 まるで全自然が、

『さあお前、そこらへんのベンチに腰かけて昼寝でもしろ』

 と、わたしを誘っているようにさえ見えた。



 そんなわけで、わたしはベンチに腰をおろした。

 そしてベンチの足に犬のリードを結わえると、くつろげる体勢をとる。

 犬を縛りつけて眠るなんてひどいと思うかも知れないが、うちの犬は平気だ。


 

 じっとしてろ、といえば3日間でもそこでじっとしている。

 こいつは動くのが心底嫌いなのだ。

 それに、こんな不細工で汚い犬を盗むようなもの好きがいるはずもない。




 あっという間にわたしはうすい眠りにおちた。



 なんだかいやらしい夢を見たような気がする。

 夢のなかではよくあることだが、数か月前に出て行った女との関係が夢の中ではなぜか理由もなく解消していて、わたしと女は公園のベンチでお互いのそれぞれの身体を、服の上からまさぐりあっていた。


 

 どこかの本で読んだ。

 われわれ人間はこんなうたた寝のような状況において、入眠直前の風景の中で過ごしている状態を夢に見るらしい。



 夢と事実が違うのは、女がいないだけのことだった。

 眼を醒ますとわたしはしっかり勃起していた。




 と、眼の前で……うちの犬が小さなポメラニアンの股間をくんくんと嗅いでいる。



 ポメラニアンのリードを視線でたぐった。

 それは小さな手につながっていた。



 そのポメラニアンのご主人と思われるその手は、11、2歳の少女のものだった。

 

 少女は無表情に、ポメラニアン犬の股間を、わたしの犬がクンクンと嗅ぐ様を眺めている。



 ふわりと風が吹いて、少女の短く切りそろえた前髪が揺れた。



 「……………………」


 わたしは何も言わなかった。少女も、何も言わない。

 ただ少女は、犬同士の発情行動に対して、とても興味を惹かれている様子だ。



 わたしの犬は、執拗にポメラニアンの股間をくんくんと嗅ぎ続ける。



 ポメラニアンは、ときよりうちの犬の鼻先から逃れるように腰をくねらせる。

 しかし、本気でうちの犬から逃れようとはしていない。

 お互いまんざらでもなく、焦らしあっている最中のようだ。


 不意に、少女が呟いた。

「……これって…………赤ちゃんを作ろうとしてるんですよね……?」

 わたしは、ちょっと咳払いして答えた。 

「いや……それは、どうかな。ただ、気持ちよくなりたいだけだよ」



 こんなふうに他人と口を効いたのが、実に3日ぶりであることに気づいた。



「でも、このまま放っておくと……この子たち、コウビをして、赤ちゃんを作るんでしょ?」

「そ、そう、コウビをする……そうそう、コウビをね。そうだよ」




 少女はショートパンツを履いている。

 小枝のようにか細い太腿から脛を、露わにしていた。

 足にはグリーンのスニーカーを履いている。ニューバランスだった。

 さなスニーカーソックスは、彼女の踝までむき出しにしていた。

 彼女の膝小僧は、アサリのように小さかった。



 その小さな膝小僧が、居心地悪そうに擦れ合っている。


 少女が首を傾げた。

「うちの犬は、その……この犬が好きなのかな? いま、あったばっかりなのに」

「……どうだろうね。ふしだらな犬だね…………ほんとにメス犬だ」

「ふしだら?」

「……いや、忘れてくれ。ちょっと口が滑った」

「うちの犬は、ふしだらじゃないですよ。ほかの犬とは、こんなふうにならないもの」

「じゃあ、一目ぼれしたのかな。まあ、よくあることじゃないかな。大人になればわかるよ」

 また少女が首を傾げる。

「ひとめぼれして、コウビしちゃうもんなんですか? ……じゃあ、うちの犬は、いま、このしゅんかんは……この犬のことが好きなのかな」

「そうかも知れないね」

「でも、コウビが終われば、どうなるんだろう? ……それでも、うちの犬は、この犬のことをまだ好きなのかな」

「そうじゃないかも知れないね」

「……コウビって、きもちいいのかな?」



 わたしは考えた。

 どうなのだろうか。

 犬たちは交尾で、われわれ人間のように、快感を貪りあっているのだろうか。



 うちの犬は、まだポメラニアンの股間を嗅いで、焦らし続けている。

 ポメラニアンのほうは……まだうちの犬を焦らすつもりらしいが、その形ばかりの抵抗もずいぶんおざなりになっているようだ。



「……いや、本能だから、好きとか、そういう問題じゃないのかもしれないね」

 


 わたしはじつに、じつに、じつに適当なことを言った。



 少女がすこし火照った頬で、犬たちの様子を凝視しながら言う。

「……楽しくないんですか。コウビって。じゃあ、なんでこの子たち、こんなに嬉しそうなのかな」

「べつに、好き同士でなくっても、単純に交尾するのは楽しいんだよ」

「え……そうなんですか?」

「ああ、たぶん」

 わたしは、確信などまるでなく頷いた。

「好き同士でなくても、コウビはできるんですね」

「……あ、ほら、始まるよ」



 うちの犬が、のっそりと半身を起こし、前足でポメラニアンの腰をとらえた。

 ポメラニアンは、前足を伏せ、後ろ脚をつっぱらせて、腰を突き出す。

 そして……おねだりをするように全身をくねらせている。

 

 ぐいっ、とうちの犬が腰を突き出す。



「あっ…………!」

 少女が薄い唇を開けて、小さな咳のような声を出した。


 

 ぐい、ぐい、ぐい、ぐい、ぐい、ぐい


「……ほら、どうだい? 2匹とも、楽しそうだろう。これが、本能だよ」

 少女が心配そうに囁く。

「う、うちの犬、痛がってませんか? ……痛くないんですか? ……コウビって」

「大丈夫だよ。うちの犬はやさしいから……ほら、やさしく腰を使ってるだろ?」




 ぐい、ぐい、ぐい、ぐい、ぐい、ぐい




「そうは見えないんですけど。なんか……うちの犬、いじめられてるみたい」

「いや、そんなことはないよ。ごらん」わたしはポメラニアンの顔を指差し「ほら、気持ち良さそうだろ? 君の犬は、ちっともいじめられてるなんて思っちゃいない……もっと、もっとって、腰を振ってるだろ? もしいじめられてるとするなら、君の犬はあんなふうに大人しくしてるかい? ……ほら、ごらん、自分で腰を突き出して、もっと、もっと、って……ほしそうに腰を動かしてるだろ?」

「……そ、そうですね……」

「これが、本能だよ。これが、自然だよ。そしてこれが……」

「これが? ……あ、おわった」



 うちの駄犬がポメラニアンから離れる。

 ポメラニアンはさっさと、少女の脛のあたりに駆け寄ってじゃれつきはじめた。

 うちの犬も当然、ピロートークをしたり煙草を吹かせたりもせず、そのままのっそりとわたしの足もとまで戻り……伏せた。



「これが……何ですか?」

「……いや、何でもない。忘れてくれ」



 しばらく少女は、足元でじゃれつくポメラニアンをそのままに、わたしの顔をじっと見ていた。



「……もう行きます。じゃあこれで」

「ああ、気をつけて」



 少女はポメラニアンを引っ張って、公園の出口の方向へ歩き出した。

 ポメラニアンは少女の足のまわりを駆け回りながら、一緒に去って行った。



 うちの犬を一度も振り返りもしなかった。



 少女もわたしを振り返ることはなかった。

 


 うちの犬は、わたしの足もとで、伏せたまま、じっとしている。


 

「良かったか?」


 わたしは犬に聞いた。

 犬はわたしを見上げもしない。いつものように。


「まったく、どんな相手にも股を開くとんでもねえメス犬だったぜ……なあ?」


 犬は伏せたままだ。


 ふわりと風が吹いた。

 


 言うまでもないが、わたしはまだ勃起していた。



 【完】

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