第3話 居心地と麝香の香

 濃い茶色をした床。壁は、まるで漆塗りの漆器。滑らかさは触らずとも理解出来た。冷たさと美しさは相性がいい。そう思わずにはいられない。そう、そんなくだらない事を思い、一度出した手を引っ込めた。


「あの、あの、すいません」

 震える声は吃り情けない。

『別にあんたが悪い訳じゃないさ。こちらも全くもって説明が足りなかったんだからねえ……』

 猫は細めていた目を見開き、裂けた口を大きく開けた。突然ケタケタと嗤う猫は金切り声で腹を出して寝転んだ。

『奥の小さな扉にその鍵を使い、ゆっくりと丁寧に開けるんだよ? 粗相が合っちゃならないからねえ……』

 と、引っ繰り返った目は奥深くから色が溢れては消え、溢れては消えを繰り返す。吸い込まれそうに脚がふらつき、そんな僕を見た猫は意味深に嗤う。


 身体中の毛穴という毛穴から汗が流れ、掌と足の裏が、べっとりとする。同時に疲れが背にのしかかる。

 声が耳に残り、奥にじっとりと生暖かな液体となって流れ込み、後頭部から首を沿って一気に血の気が引いてゆく。愛想笑いを浮かべ言われた通りに鍵を差し込み、ゆっくりと廻す。

 扉をゆっくりと開くと、薄暗い光が天窓からこぼれる。開けた場所には、何処まで続くのか分からない程の真っ白な木製の螺旋階段。その手前には、趣味の悪い金の屏風に描かれた真っ赤な琉金に漆黒の出目金。尾鰭が揺らめいたと勘違いをする程に立派な絵だった。まるで水面に手を出せば引きずり込まれてしまいそうだった。


『どちらかを選んで進むがいいよ……あんたがどちらを選ぼうがアタシの人生には何にも関係ないことだからねえ……』

 妖艶な紅色の着物を来た女が煙管を口横に滑らせ、煙を蜘蛛が糸を吐くように細く濃い白を出した。いつの間に後ろに立っていたのだろうか、音もなく現れた女は目だけを歪め、厭な笑みを浮かべる。


「……どちらが何処に繋がっているのでしょうか?」

 しどろもどろで答え、屏風に目を一度落とし、次に階段を見上げた。

『答えはあんたが決めるって……先程、云っただろう? 何度も云うのは違うんじゃないかい? あんたの人生だろう? ねえ?』

 僕を冷たく見下ろし、言葉を言い放つ。女は麝香の薫りを残して扉の奥に消えていった。


 なんて店だ。これでも客だというのに、酷い扱いをされたものだ。と、深い溜息を吐いた。










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