12月25日 AM0:00 @佐野光太郎(稀代の名探偵)

 ごうごうと火柱が夜空に高く燃え上がっていた。遠くからサイレンが聞こえてくる。


 消防車が到着すれば、すぐに火は消し止められるだろう。とはいっても、山荘は骨組みしか残らないだろうが。


 光太郎は何だか疲れたような気分で、その火をずっと眺めていた。


 隣では、同じく呆けた顔をした男が突っ立っている。光太郎と同じく、苫野に押しつけられた荷物を腕いっぱいに抱えている。


「俺、今日、告白しようと思ってたんすよ」


 ふいに男がつぶやいた。


「はあ。あの美人な……」


「ヒナ子さんっていうんですけど」


 そのヒナ子さんとやらが乗り込んでいった劇団の女のワゴンを見やり、男は携帯の時計を見る。23:57という文字が光る画面に表示されている。


「あと少しでクリスマスですよね。一個くらい、願いが叶ってもいいと思わないっすか?」


「まあ……」


 果たして自分の願いは叶ったことになるのだろうか、光太郎は少し考えたが、すぐにその考えは中断された。苫野が荷物を受け取りに来たのだ。


「すいません、いろいろ持たせてしまって……お客さんの荷物は、弁償できるものはしますから」


 そう言いながら、男と光太郎からひょいひょいと品物を奪っていく。持ち出せたものはあるにしろ、財産が焼けたというのにどうしてかうちひしがれた様子もない。


 しかし、どうしたのかと聞く前に、苫野が光太郎の持っていた小さな箱を突っ返してきた。


「これは、うちのじゃないな……」


「ああ、そこらへんのものをとにかく持ってきたんで……」


「あ、それ、俺が彼女へのプレゼントに持ってきたやつです。彼女、コーヒーを欠かさないから。だから、それに入れてくれるようにって、ピンク色の角砂糖……あ、いいっす、それ、もらってくれますか。捨ててもらっても構わないんで」


 何かすいません、男が苦笑いをして去って行く。一人きりになった光太郎を、苫野がふと振り返った。


「佐野さんも、ここじゃ寒いでしょう。どうぞ、車の中へ」


「いいえ、僕はもうちょっとここで」


 やはりどことなくうれしそうな苫野の申し出を断り、光太郎は燃えさかる山荘に目を戻した。


「……結局、探偵の出番はなかったってことか」


 ひとりごとをつぶやく。


 美人は殺されなかったし、ナイフ男の血は偽物だった。その上、怪しい自白を繰り返していた男にいたっては、ペットを安楽死させた男の霊が降りていただけだったという。


 二つの死体だって、死体ではなかった。血まみれの女は眠っていただけ、苫野は気絶しただけ。


 唯一の災難と言えば、山荘の火事であるが、それも殺人事件よりはよかったのだろう。火災保険も下りないだろうに、苫野は気にしていないようである。


 まったく現実というものは、何とも味気のないものだ――名探偵は夜空を仰いでため息をついた。しかし――。


 苫野がときには、不覚にもその死を確かめることはしなかったが、二階で劇団女のときには、光太郎もその死をきちんとチェックしたはずであった。


 彼女の顔色は真っ青だったし、瞳孔は開いて脈もなく、体はひどく冷たかった。


 確実に死んでいる――そう思ったのに、やはり初めての死体に、動揺していたのだろう。眠っているのか、死んでいるかの違いもわからないとあっては、一生の恥だ。


 それとも――光太郎はもう一度ため息をついて、空想を巡らせた。このやるせない現実に、もしドラマに出てくるようなやり手の犯人がいたのなら――。


 あの直感で行動する劇団女は、見るからに敵の多そうなタイプだ。しかも、「テレビにもコネのある」劇団の主役であり、その座を後進に譲るということもしなさそうである。


 すると、自然とそれを疎ましく思う者が出てくるはずだ。若い後輩? とうの立った看板を掛け替えたいと思う座長? それとも、その両方?


 そこで出てくるのが、彼女の証言である。


 彼女は、山荘へ来る前に「おいしいもの」を食べたと言っていた。そして、そのせいで具合が悪くなったのかもしれない、と。


 そして――ここからは完全に光太郎の邪推であるが、例えば彼女を憎む誰かは、その「おいしいもの」で彼女を殺そうと考えたかもしれない。


 そして、それが彼女を仮死状態にし、本当ならはそのまま殺してしまうはずであったのではないだろうか。例えばそう、この辺りの名物、山奥でも食べさせるというフグの毒を混入させたりして――。


 彼女が死んでしまえば、それは完全犯罪であるはずだった。


 司法解剖されても、高級料亭で食べたフグに当たったといえばいいだけであり、意図的な殺人とは思われない。


 しかし――まさかね、突拍子もない自分の考えに、光太郎は思わず口元を緩めた。


 フグ毒に含まれる、テトロドトキシンには、人間を仮死状態にするという作用がある。昔から、フグ毒に当たって死んだが、葬式の時に生き返ったという話は少なからずあるのだ。


 それが劇団女の身に起こったとしても、あり得ない話ではない。つまり、光太郎が彼女を見たときには、彼女は一時的にしろ、本当に死んでいたのだ。


 けれど、それはあくまで想像の話。起こらなかった殺人は殺人ではなく、名探偵の出る幕などありはしない。それからもう一つ、名探偵の事件にも。


「事件はどこで起こってるんだよ……」


 光太郎はつぶやき、ピンク色をした角砂糖をつまみ出す。そして、それを一つ、口の中に放り込んだ。


「……メリー・クリスマス」


 日付が変わったことを知らせるように、流れ星が一つ、夜空を流れて落ちていった。

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名探偵は気付かない 黒澤伊織 @yamanoneko

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