12月24日 PM11:47 @三枝美夏(榎本裕太の彼女)
「火事だ!」
誰かの叫び声に、美夏ははっと涙に濡れた顔を上げた。
あたりはいつの間にか、薄い霧がかったような視界に包まれている。
ほのかに焦げ臭い匂いが鼻を突き、ちらり、厨房へ続く扉の向こうから、一瞬炎が顔を覗かせる。
「……逃げないと」
美夏よりも先に我に返った祐太が、彼女の手をしっかりと握る。その目はまだ潤んでいる。
「玄関の方が煙がすごいわね。窓から出ましょう」
事態に気づいたマダム・フレグランスが、まだぼうっとした目つきをしている男を椅子から立たせ、移動しはじめる。
「あの」
一緒に窓を開け放ちながら、美夏は言った。
「ありがとうございました。私たち、やっと健介にお別れができたような気がします」
「俺からも。本当にありがとうございました」
声を詰まらせながら、祐太も頷く。
「いいんですよ」
一足先に雪の中に降り立ったマダム・フレグランスは、にこやかに微笑んだ。
「それが、私たちの仕事なんですから」
そう言い、ぼんやりした男の手を取ると、二人は山荘を離れていく。
「それ、それからこれも何でもいいから持ち出してください!」
いつのまにか生き返った苫野が、壁に掛かった絵を外しながら叫んでいる。
その苫野を、翔平と探偵が必死になだめ、避難させようとしている。美夏は煙に霞んでいく食堂を振り返り、目を閉じた。
さっきまで、死んでしまった健介の魂がそこにいたのだ。
いまもまだ、あそこから美夏たちを見ているのかもしれない。あの遺影の写真のような笑顔で、微笑みながら。
霊媒師のマダム・フレグランスこと、鹿島香容疑者への詐欺容疑――美夏は、ここへ来る前に見たワイドショーで、そのニュースを知っていた。
だから、彼女たちが正体を現したとき、警察から逃げてこんな山奥まで来たのだなとピンときたものだ。
しかし、世間で何と言われていようが、マダム・フレグランスは、本物だった。本物の霊媒師だった。
彼女はそれを必要としている者の場所へ、必要な魂を降ろしてくれた。それがすなわち、美夏と祐太にとっての健介の魂だったのだ。
祐太が手を差し伸べる。
「行こう、俺たちも」
「……うん」
俺の分まで、幸せになって――健介の言葉は優しかった。
その言葉に、ヒナ子への殺意は雪のように溶けていった。炎が酸素を求め、開かれた窓へと向かってくる。毒入りの角砂糖も、その熱に跡形もなく溶けてしまうだろう。
「美夏」
祐太が呼んでいる。美夏は軋む窓枠から真っ白な雪の上に飛び降りた。さよなら、健介。そして、ありがとう――。
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