第8話

 「はい、では出欠を取ります。」理科の久保田アツヨシ先生が言う。「相川ヤスヨ。」

 「はい。」

 「藍沢タロウ。」

 「はい。」

 「鮎・・・失礼。」アツヨシ先生は軽く二、三回瞬きをする。「伊坂マツコ。」

 「はい。」

 「上杉ノブヒコ。」

 「休みです。」誰かが言った。「さなぎになりました。」

 「ああ・・・ありがとう。」アツヨシ先生は二重線を引いた。「江原マアヤ。」

 「はい。」

 二重線を引かれた奥山ケンヂの欄を見たのち先生は次の名前を呼ぶ。「倉田タツヲ。」

 「はい。」

 「黒澤ナツオ。」

 「はい。」

 「佐鞍トオル。」

 「はい。」トオルは返事する。出欠の返事を聞きながら、同級生がさなぎになる知らせを聞く。自分がこれまで信じていたセカイの何かが、変わりつつあるのを実感する。でもそれは、そのことがさも当たり前かのように振る舞うべきという、学校の決めた方針により、先生も生徒もその現実を何気ないものとして受け入れとろうとし、その違和感が日常の中に溶け込んで陶酔を醸し出す。なんだろう、この感じ。

 「・・・ねえ・・・。」後ろから不気味でねちこい声が聞こえた。メガネの張田サネヒコだ。「トオルってさ、女の子とある程度親しいから色々知ってるでしょ。」

 「なんだよ。」いきなり気持ち悪い事を言われて小声で嫌そうにトオルは振り返り、そして驚いた。サネヒコの目つきや挙動がおかしい。ギラギラと何かを捉えようとする目、そしてやけに音が気になるびくびくとした動き。先生が出欠を言うたびに、音に反応して首がぐきっと動いている。鮎川ミチコと同じ。

 「あのさ・・・トオル・・・」サネヒコはびくり、びくりと痙攣しながら言った。「どのがさ、僕の事、気に入ってるかわかる?」

 「え?」

 「だから、どの女の子が、僕の事を、その。」

 「ごめん、言ってる意味が、全く・・・。」

 「静かにしなさい。出欠中ですよ。」アツヨシ先生が注意をする。「すみません。」トオルが素直に謝る。サネヒコがなにか両手を口元に上げて苦笑いをしている。それを見て女子たちがひそひそと噂をしている。悪そうな噂だ。これではサネヒコの質問に一層答えづらいではないか。





 「あたし、意外と悪くないかもって、思い始めた。」休み時間、弁当を食べながらルリが言った。「トオルくんの言う通りだった。」

 「へ?」トオルはよくわからなくて奇妙な返事をしてしまった。

 「何か心が軽い。虫になる恥ずかしささえ乗り越えたら、前よりもこう、エネルギーが湧き上がるのかも。」

 「そうなのか。」

 「なーんか走りたい気分。ごめん、先いってるね!」ルリは弁当箱を箱にしまいながらそのまま一気に外に出てしまった。

 「ねえねえ。」またネチネチした声が聞こえて来る。またサネヒコだ。「ルリちゃんは、僕の事、興味あるかなあ。」

 「あのさあ。」トオルはうんざりしていた。

 「ルリちゃん、ああ見えて、好奇心旺盛そうだしね・・・でゅひひ・・・」

 「お前、あたま大丈夫か?」トオルは苛々しながら単刀直入に言った。「今日、様子がおかしいぞ。」

 「ばれたか。僕は選ばれたのだ。強者の遺伝子として。」サネヒコはニヤニヤ笑いながら首をぶるりと震わせて言った。やはりルドルフ病か。「だから精神が清められている。これから生まれ変わる。どうせこの中の何人かの女の子だって生まれ変わるんだろう?」手先がぴく、ぴく、と痙攣する。「だからリサーチをしたいな、って思ってね。あと、よかったらトオルも知ってる女の子僕に推薦しといてよ。」

 ・・・強者に選ばれた、と自称する割には、人にいちいち聞くなどの弱気さは変わってないようである。それにしても、ルリはあのように明るく振る舞ったり走り出したりするし、鮎川ミチコは、ギラギラと周りを見定め、倉田タツヲを噛むほどの凶暴性があったが、サネヒコは同じくギラギラとした目つきであっても、推薦してほしいだの興味持ってくれるだの受け身の姿勢なのがトオルは気になった。

 「気になるんならアプローチしたらどうなんだい。」トオルは言った。

 「え?」サネヒコは困惑した表情だ。「なんでこっちがアプローチしなきゃいけないの。」

 サネヒコは弱気故ではなく、さも当然のようにそう言っている。

 「だって、普通そうだろう。気になる異性がいたとして、男の方がアタックするものだろう。」

 「え、なにそれ?逆じゃん。」

 逆・・・?

 「なあ、トオル、お前こそどうしたんだ。」サネヒコはそう逆に心配そうに言われる。何がどうなっているんだ。ルドルフ病は、人間の心に何をもたらしているのだ。

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