第6話

 「悲しい事件が起きてしまいましたが」校長の浦田マツヒコ先生が重々しく言った。「前例がなかったわけではありません。以前もいろんな国でこういう事は起きていました。ですから、そのような事態を避けるためにも、学校としても皆さんがこの病気について正しく理解できるよう取り組んできたわけですが、」マツヒコ先生はため息をつく。「このような事は起きてしまった。二度と起きて欲しくない、というのが正直な所です。だからこの病気については、みなさまどうか、当たり前のものとして受け入れてほしい。個性として受け入れてほしい。虫になる人もいる。ならない人もいる。それもこれも個性だ。ルドルフ病を食い止める方法はわからない。でもみんな同じ人間だ。だから、どうか、皆さんがまず受け入れ、親御さんにもその姿勢を伝えてほしいのです。これは学校からの、切なる願いです。」



 「いよいよ、ヒトムシがあたらしい人類として進化する時代になるんだなあ。」とトオルは言った。

 「いやまあ、案外卵は自治体に駆除されまくってるし、生まれる確率も低いがな。」トオルのもう一人の友人、黒澤ナツオが言った。「ヒトムシが繁栄するには人類を滅ぼさんといかんだろ。」

 「でもそういえば不思議だな。なぜ彼らは僕らを殺そうとしないのだろう。」

 「わかんね。人間だったからじゃない?」

 「そういう、自分の持ち物について希薄だからじゃないの。」通りかかった女子生徒、三田レイが言った。「だってあいつら空のパーティのことしか関心なさそうじゃない。」

 「たしかに。」

 「人間捨ててるしなあ。」ナツオも追って同意する。

 「ところで、あんたのガールフレンドどうしたの。」レイがトオルに聞く。

 「ガールフレンド、というほどじゃないけど・・・」トオルは恥ずかしそうに言う。「ルリは今日は風邪引いて休みみたい。」

 「そうなのね。先生から返すプリントあるから誰か届けてくれないかなって言ってた。お見舞いしてあげたら?」レイはそう言ってクリアファイルに入ったプリントを渡す。

 「お、おう・・・。」トオルは困惑しながらクリアファイルを受け取り、バッグの中に入れる。

 「なんかね。」レイは空を見ながら言った。「そろそろいろんな人が虫になっちゃう気がする。だから、今の内、友達は大事にしたほうがよさそうね。別れがくるかもしれないから。」

 トオルは倉田タツヲの席を見る。彼は休んでいる。

 「あれ?」トオルに続いてナツオが教室を見回した時に声を上げた。「奥山は?」

 体育の一番手、奥山ケンヂが欠席していた。

 「あんたら、人気者だと思って嫉妬してちゃんと見なかったでしょ。」レイは言った。「奥山くん、だんだん体が動かなくなっててあたしたち心配してた。案の定、ルドルフ病がすすんでたの。」

 「えっ!」

 「ほんとに知らなかったのね。」レイは心底軽蔑するような目で見ていた。「あーあ、どうして美女とイケメンばっか先々虫になって、あたしやあんたらみたいなバカでグズでノロマが人間のままなのかしらね。」

 トオルがその発言がカンに障ったその時、「・・・遺伝子だよ。」と後ろからいやらしそうな声が聞こえる。メガネを掛けた陰湿そうな男子、張田はるだサネヒコだ。「・・・ヒトはヒトムシに進化する・・・そのため優良な遺伝子が選ばれているのだ・・・・」

 「あんたもきっとその類まれなる頭脳の遺伝子で選ばれるでしょうね。」レイは嫌味ったらしく言った。

 「・・・僕は・・・・その・・・・クズだから・・・・大丈夫・・・・」サネヒコは口ごもって何も言わなくなった。

 「まあ、ともかく。」レイはやれやれと首を降って、トオルを見た。「友達は大事にしなね、トオル。」



 帰り道、クリアファイルを持ちながら、トオルにとって友達って程でもないレイがわざわざそのように言ってきた理由はなぜなのか考えていた。レイは鮎川ミチコの友達でさえない。とはいえ、事件をうけて寂しい気持ちだったにちがいない。何かこのやりきれない気持ちを打ち明ける人を探していたのだろう。だから唐突にその場にいたトオルに話しかけたのだ、と色々考えながらトオルは道を歩く。

 「不完全だよなあ。」と声をかける人がいた。トオルは振り返る。丸いメガネに、この暑い夏だというのにコートを羽織っている老人だ。老人は空のヒトムシの群勢を見ながら言った。「あいつら、不完全だよなあ。」

 トオルは少し気持ち悪く感じて過ぎ去ろうとする。

 「おい、お前に話しかけてるんだよ。」老人が言った。「あれは、まだ進化として不完全だ。あれを完成させるにはどうすればいいと思う?」

 トオルは走り出す。

 「もっと遺伝子を変えるウイルスが必要だと思うんだー!そう思うだろうー!君もー!」老人がトオルに向かって叫んでいた。



 そして田んぼにたどり着く。田んぼには蚊柱がすごい。

 ものの本で読んだが、蚊柱はユスリカという蚊のお見合いの場と言われるらしい。ユスリカは吸血しない蚊であり、僅かな命の間に交尾相手を求めて飛び回る。そのためオスたちがあの集団をつくり、メスがそこに飛び込んで、お気に入りの相手を探して交尾し、産卵する。トオルは後ずさりする。そっくりだ・・・。ヒトムシがユスリカと同じものかどうかは不明だが、あの空の群勢と、行っている事はそっくりである。その時、鮎川の精神異常のわけがトオルにはわかった。彼女の思考は、変異によって、虫のそれに近づいていたのだ。虫独特の攻撃的な相手を顧みない思考に・・・。




 そして、瑠田ルリの家にたどり着く。ドアホンを鳴らす。「はーい。」とルリの母の声。

 「佐鞍トオルです。先生から返すプリントがある、ということなので届けにきました。」トオルは言った。

 「あ、トオルちゃんね。ちょっと待ってね。」

 ドアが開いた。ルリの母が現れた。

 「プリントはそれかい?」

 「はい。」トオルはクリアファイルをルリの母に渡しながら言う。「あの、ルリさんは・・・」

 「ああ、ちょっとした風邪・・・」とルリの母が言葉を濁した時、どたどたどたと走る音が聞こえ、母を押しのけパジャマ姿のルリが現れた。

 「トオルくん!」泣き声。

 「ルリ・・・?どうしたの・・・?」

 「私・・・」ルリは自分の手を見て震えながら言う。「虫になっちゃうかもしれない。」

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