第4話

 ああ、今日もいい天気だ。僕は自由に駆け回る。人間たちが驚いて僕を見上げている。今日は何をしよう。決まってる。やっぱりあれをしなきゃ。そう、生殖活動。僕らはそのために開かれた存在。

 空を見れば仲間たちが乱痴気騒ぎをしている。きゃあきゃあ、わあわあ、などと嬌声が飛び向かい、抱き合い、次の生のための有機的な通信を行いながら脳内の電気のスパークに法悦している。人がまだ人であった頃に恥ずかしい事だと教えられたこれらの行為は、人から進化し、代償として命が著しく縮み、それに伴い魂が高周波に上昇した事によって、言語を超えたコミュニケーション手段となり、異なるもの(システム)同士が一つに融合する事によって、新しいシステムが誕生する。ああ美しき。僕もその中に入りたい。空に弾ける電撃の中に。身体中の電気が興奮し接続をしようと放電しているように感じた。身体中がじんわり温かい。さあ、僕を受け入れてくれる存在はいないかなあ。ふと僕は気づく。乱痴気騒ぎの中にルリが混じっている事に。ルリは見知らぬ男と有機的な通信を行っている。僕は途端、怒りで頭が湧き上がる。そして自分が落ちている事に気付いた。羽が無くなった。落ちていく。ヒトムシたちが僕を見下ろしている。ほんのひと時天使であった僕は、恥ずべき嫉妬によって人間へと堕とされた。そうか、あの時道端にいたヒトムシももしかしたらこうやって死ん


 「かはっ!」


 トオルは目が覚めた。なんというひどい夢を見てしまったのだ。ヒトムシになって喜ぶなんて。僕は窓の外を見る。相変わらずヒトムシたちは群れて嬌声を上げている。ああ、この嬌声のせいで変な夢を見てしまったのだ、と頭を振りながら布団から身を起こす。体には何の痛みも変哲もない。一応検診では大丈夫、とのことだったが、本当に自分が虫になってしまったら、どうなってしまうのだろう、と考えると、トオルはなんだか気持ちが落ち着かない。



 「おはよ!」

 学校に向かう道でルリと出会う。件の夢のせいで何だかトオルは恥ずかしいような気まずいような気持ちだった。

 「・・・どうしたの?」ルリは訊ねる。

 「なんでもない、なんでもない。」トオルは慌てて打ち消した。

 「あそう。」ルリは納得していないが、トオルは説明など絶対したくなかった。

 「それよりも、そうだ、1限目の音楽なんだけど・・・」

 「きゃあ!」ルリが悲鳴を上げたのでトオルはどうしたのかと思ってルリの見ていた先を見ると巨大な芋虫が蠢いていた。

 「これは・・・」 

 「ヒトムシの仔・・・。ついに孵化に成功したのね・・・。」

 その芋虫には赤ん坊そっくりの顔面が張り付き、うようよとその頭を振り回しながら這い回っていた。

 「まったく、最近ほんとやになっちゃう。」とルリは怒りながら通学路とは違う道を歩き始めたので、「お、おい、待てよ、ルリ!」と言いながらトオルがその後を追いかけた。


 おかげで回り道をし、音楽の授業は遅刻しそうだったが、なんとか間に合った。と言っても、出欠で相川を読んでいる最中だったので、本当にギリギリであったが。

 「相川ヤスヨ。」「はい。」

 「藍沢タロウ。」「はい。」

 「鮎川ミチコ。」「は、はい・・・!」

 鮎川ミチコは明らかに異常であった。目を見開き、戸惑いつつも口は笑みを浮かべ、震えながらびくびくと辺りを見回していた。特に男子生徒を見ると瞳の色がみるみる変わるのがわかった。まるで、"その情報・命が欲しい"かのように獲物を狙う目。

 「鮎川さん?」音楽の毛利ツルト先生は心配そうに言った。「大丈夫ですか?気分がよくなかったら、保健室行ってもいいですよ。」

 「だ、だ、だ、大丈夫です。」ミチコは床を見つめる事で落ち着きを取り戻そうとしていたが、丁度その時音楽室の譜面台が傾いてコトリと小さな音を立て、ミチコの首がその方向にびくっと動いた。明らかに過敏というか、挙動不審である。寒いのか何なのか、両手とももう片方の二の腕をしっかり握って震えている。

 「あいつもうすぐ来るな。」という噂がトオルの後ろから聞こえた。「もうすぐ鮎川もイッてしまうな。」その声の直後にトオルの隣で何か悲しい気配がして、振り返ると倉田タツヲが机を見つめて少し泣きそうな顔をしている。

 「先生。」タツヲは立ち上がって言った。「鮎川さんはやっぱり様子がおかしいです。僕が保健室に連れて行きます。」

 「・・・先生もそう思って誰を頼もうかと思ってた。」毛利ツルト先生は頭を抱えた。「鮎川、すまないが、倉田と一緒に保健室に行ってくれ。」

 いつもはタツヲに反抗的だったミチコも、どうやら今日はその元気すらないらしく、大人しくタツヲについていくた。それどころか、タツヲを見る眼差しすら、全くそれまでと違った熱いものであった。

 「タツヲ大丈夫かな。」後ろから男子生徒の声。「今の鮎川ビッチやぞ。」「エロいエロい。」「あれはもうほぼルドルフ病確定だな。」「タツヲ襲われないかな。」

 すぐに女子生徒が「やめてよ。」「鮎川ちゃんがかわいそう。」「タツヲだってルドルフ病じゃなくてもエロガキだから逆にミチコちゃんが心配。」などと擁護する。

 ツルト先生は咳払いをした。「みなさん。」生徒たちは黙った。「鮎川さんは苦しんでいます。本当に、本当に、苦しんでいます。ルドルフ病がどんなに恐ろしい病気かご存知でしょう。あれは精神をおかしくする。それでも鮎川さんは頑張って授業に出ようとしたんです。まずはその気持ちを汲み取ってあげなさい。」

 そう言いながらツルト先生は出欠簿をピアノの上に置く。

 「倉田タツヲくんを悪く言うのもやめましょう。私が見る限り、彼の眼差しは本物でした。鮎川さんの事をちゃんと心配している目でしたよ。とりあえず無事に保健室に届けられるよう、皆様も大人しく見守ろうじゃありませんか。」

 そして椅子に座る。

 「それと、君たちは若いからそういうシモの話題にしか興味がないようだけど、ルドルフ病だって冗談の種じゃありません。発症した人がなんであんなに・・・その・・・子孫繁栄に躍起になるかというと、残りの命が1年しかないからだ。」ツルト先生はため息をつく。「突然変異に近いから、大量に産み付けられる卵も、無事に生まれる確率は低い。わかります?彼らは虫に成った途端、死と身近になるんです。だから、生き残すために人目を気にしない破廉恥な行いをせざるを得ないわけです。」

 音楽室の扉が開かれる。倉田タツヲだ。頬に歯型がある。

 「無事に保健室に届けたか?」ツルト先生が訊ねる。

 「はい・・・少々大変でしたが・・・。」タツヲは歯型のある頬を触る。そこから血が出ている。

 「お前・・・大丈夫か?血が。」

 「保健室には・・・ちょっと・・・。」

 「ああ、うん、そうか。」まだ授業が始まらないというのに、ツルト先生は一旦音楽室の隣の準備室に行って、その後救急箱を取り出した。タツヲのそばに行き、消毒液を頬につけた後、タツヲは「アツッ」と身じろぎしたが、ツルト先生は絆創膏を取り出してタツヲの頬につけた。

 「とりあえず、これで大丈夫だろう。さあ、授業を始めようか。」

 出欠を忘れたまま、ツルト先生は教科書を開いて音楽の授業を始めた。


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