第3話

 「はい、それでは皆さん揃いましたか?」少年のような姿をした小さい女性の体育教師、真鍋フチ先生が呼びかける。「これからマットの準備をしましょう!」

 トオルは体育館の壁際の平均台に見学者が座っているのを確認する。その中に学級委員長の鮎川ミチコが膝を抱えて座っているのを見て驚いた。ミチコは以前から体が痛い、痛いと訴えていた。とうとう見学するまでに痛み出したか、とトオルは思う。あの意地悪な倉田タツヲ以外は誰も何も言わないが、ミチコのそれが何を意味するのか皆なんとなく察していた。初めて見学するというのに心配する人がいない。仕方がない。ある人はミチコはもう『人間じゃなくなりつつある』からさっさと手を引いてるのかもしれないし、ある人は、やがて来るであろう別れに耐えきれずに気持ちの整理をつけようとしているのであろう。

 マットを準備した後、曲芸の様に宙返りする男がいた。奥山ケンヂである。彼はつき立ての筋肉を巧みに駆使して人間離れした技を使い女子の注目を集めた。「すごい!」と感激していたルリを見てトオルはなんだか歯がゆい気持ちになった。おや、この気持ちはなんだろう。

 「おい、大丈夫かよ。」と誰かが言うのが聞こえて振り返った。なんとあの意地悪なノッポの倉田タツヲが、鮎川ミチコに心配そうに言っていたのだ。

 「何よ。からかいにきたのならあっち行って。」ミチコは冷たく言い返す。

 「そんなつもりはない。俺はただ、心配になったんだ。お前がもしかして・・・」

 「あっち行って!!」鮎川ミチコが叫んだので奥山ケンヂに注目していたクラスメートたちは一斉にその方に振り返った。タツヲはバツが悪そうにその場を去った。その後ケンヂがまた曲芸のように宙返りをする。

 「はいはい!奥山くんはすごいけどみんな自分の事に集中してね!」フチ先生が見かねて命令する。「今日も、カードにできた技を記入して先生に提出する事!いいね!」



 「言いたくはないけど・・・」トオルは口ごもりながらルリに言った。「ミチコさん、もしかして・・・。」

 「シッ。」ルリは嫌そうな顔でトオルにそれ以上言わないでと伝える。休み時間でみんな昼食をしている。ミチコは少ない女子たちと笑っている。異様なくらい笑っている。

 「あの子は、もう自分が女子を楽しめるのが残りわずかだって気づいてるの。だからそれ以上刺激しないであげて。」ルリは言った。その言葉を聞いてトオルはおもわず涙を出そうになった。

 「あ、トオルくん。」ルリは話題を変えようと切り出した。「次の理科の授業、この前休んじゃったからさ、何やったか教えてくれない?」

 「あ、いいよ。」トオルは机から教科書を取り出す。「えーと、56ページの、そう、花についてで・・・」




 「検査、大丈夫だってよ。」トオルは母に紙を見せながら言った。

 「よかった・・・」ため息に胸を撫で下ろす母。そんな母に、でも明らかにインチキっぽかったけどね、とは言えない。本当に注射するぐらいしか能のなさそうな、似合わない医者の格好をした男が採血しただけなのだ。その血をどこで売るんだか、と思いつつ、ネットで組織名を検索してみる。案の定、詐欺なのでは?と疑う投稿を多く見かける。よくわからない事件には、よくわからない奴がうろつくものだ、とトオルはなんとなくため息をつく。とくに、体の痛みは感じない。

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