ドラマチック(1)

――二つ前の世界。同日の2005年10月18日。


 アルスもといアルファスヴェンガーリは、姿を現さなかった。



 



******



 

「あっぶなかったぁ……」


 先ほどまで直彦との会合が行われていたビルの二階、資料室。

 そこでペットボトルのお茶を手に向かい合っていたのは、街中で時間を潰してから再びここに戻ってきた潤。それから、奈由に公園まで連れ回された後、ようやく戻ってきた廉治である。


「事前に場所が分かって良かったですね。本気で直彦たちと鉢合わせるところでした」

「だな……セーフ!」

「理由は多分バレてないと思いますけど、草間さんと臨心寺さんにはエンカウントしましたし」

「ほんと危なかったァ! ……ってレンの口調までそっちモードだな」

「いや、今回は割とビビったからすぐ切り替えが出来なくてさ」


 潤はペットボトルの緑茶を喉に流し込んだ。

 

 元々本日、二人はいつものようにこのアジトで会う約束をしていた。しかし直彦に指定された場所がここだったため、慌てて潤が件の掲示板で廉治に連絡し、事なきを得たのである。

 とはいえ、全員が二階の部屋に入った後であれば、こっそり三階で待機している分にはバレないだろうと踏み、廉治もまた少し遅れてビルを訪れた。しかし図らずも、同じくこっそり隠れていようと画策した裕希と奈由に遭遇し、今回の事態となったのだった。

 もっとも万が一に備え、差し障りのない荷物を残していたのが功を奏し、奈由たちにも彼がいる理由を疑われることなく済んだのだった。


「まっさか、なゆなゆが臨少年と裏でそんなこと企んでたとはなー。まあ、それで無事に臨少年はあっきーを食い止められたわけだし、結果オーライだけど。

 ……あれ。てか、なっちゃん今日は塾じゃなかったんか」

「あれでギリギリ間に合うように行ったみたいだよ。最悪の場合はサボることも辞さないと言ってはいたけど」

「小動物の水見式は堅実に別日にしたのに、色恋沙汰へのなゆなゆの執念よ……」

「まあ、高神楽邸は塾と反対方向だったみたいだからね。そちらの方が時間はかかっただろうし」


 紅茶のペットボトルの蓋を閉めると、廉治は何気なく部屋を見回す。

 

「というか。明日は高神楽邸に行くって話だったけど、今後ここを依代関係の用途で使う可能性は高いと思うよ。元々、そういう意図で使ってた建物だしね」

「だよなぁ!」


 潤は両手を広げてテーブルに突っ伏した。潤の頭を、ペットボトルの底で軽くつつきながら、廉治は思案しつつ言う。


「この場所を使うのは、やっぱりもうやめておいた方が無難かもしれないな」

「うーん、絶好の会合アーンド飲食アーンド勉強場所なのにー」

「メグの目を気にしなくていいなら、普通にその辺の図書館とかファミレスでいいのにな」

「ほんっとそれ!」


 彼の言葉に賛同し、がばっと顔を上げてから、しかし潤は動きを止める。


「……いや。恵のこと除いても、それは若干、気まずいな」

「なんで?」

「なんでっておま、だって夏にあんだけ悪態ついてバトってたのに、私とレンがサシで会ってるの見られたら、皆もビビるじゃんか」

「メグの件がなけりゃ、別に『実は幼馴染でした』って素直に説明して済む話では。驚かれはしても、今更その辺どうのこうの言う人達じゃないだろ」


 廉治の言葉に、潤は手を打つ。

 

「それもそうだな。むしろ皆で盛り上がって寮に招待する勢いになりそう」

「まあ招待されても、流石に女子寮には行けないけど」

「それはそう」

「つまり現状は全部メグのせい」

「あんにゃろ〜〜〜〜〜!」


 頭を抱えて、潤は天井を仰いだ。

 

「なら、恵にだってレンのこと話して、どうにか説得できねーか? なんかもう面倒なんだが」

「あえて聞くけど、メグに口で勝つ自信あるの?」

「……ねぇな……」


 しばし思案した後、潤は悔しそうに認めた。

 

「当時から恵と互角に渡り合ってたレンさんから、どーにか説得できませんかね」

「説得できる可能性もあるけど」

「じゃあ!」

「余計に拗れて幼少期のあれこれ持ち出されて、より面倒になる恐れもある」

「だあー!」


 叫んで、再び潤はテーブルに上半身を投げ出した。

 

「つまりは現状通り、恵にはバレんよう立ち回るのが一番、無難そうだな……」

「そうだね。というか、メグへの露見を避けるために、無駄にジュジュの友達にも僕らのことは隠さないといけないことになるんだな」

「くっそ……悪いことしてる訳じゃねーのに、微妙に罪悪感……。これは普通に受験勉強しろという神の思し召しか……」

「そうは言っても、僕らがやってるのは紛うことなく受験勉強だし」

「そうなんだよな」

「一人でやるよりジュジュと一緒の方が、お互い見張れるし苦手箇所を補えて勉強になるし」

「それなんだよぉ!」


 廉治は塾に通っていない。潤も他の生徒より通う頻度が低い。そんな彼らにとって、互いの存在がいい刺激になる以上に、効率的な学習時間になっていた。二人の得意科目と、二人の重要科目が、いい具合に噛み合っているのだ。


「物理はいつも助かっております」

「こちらこそ英語はいつも助かっております」

「政経に至っては、学校の先生よかレンのが分かりやすい」

「それは授業中に半分寝てるからでは」

「否定できない……」


 顔を横に向け、潤は唸った。


「やはりこの機会を失うのは、受験勉強的にもシンプルに喪失な気がする」

「平日は難しいけど。休日だったら、いっそ家に来る?」

「家って。引っ越した、レンの実家?」

「そうだよ。平日通うのは面倒だろうけど、土日だったらバス使えばいいだけだし、なんなら土曜は実家に泊まればいいじゃん。どうせジュジュの実家まで徒歩3分なんだから」

「うーむ。魅力的な話ではある……が……」


 言い淀んでから、潤は人差し指を立てつつ渋い顔で言う。

 

「残念なお知らせをしよう。恵のやつ、今後は多分、土日の帰省が増える」

「ハァ?」

「あいつ今、附属校じゃん。受験ないし、希望学部に行けることも決まって暇だから、帰省頻度増やすんだってさ」

「だからだったのか……いや本当、連絡先交換してなくて良かった。絶対バレてたよ」


 顔を見合わせると、潤と廉治は同時にため息をついた。

 

「仕方ない。方策は後で考えるとして、今は目の前の現実に立ち向かうか」


 起き上がると、潤は鞄の中から模試の問題と解説集を取り出した。彼女に習い、廉治も参考書を広げる。


「てか早速助けてくれレン……ハイレベル模試の物理の解説が意味分からん……」

「別にそれは構わないけど、なんで君は理科を物理・生物という謎の選択をしているんだよ」

「化学より物理の方がマシだからです……二次にもあるんです……タスケテ……」

「難儀だねえ」

「てか、そんだけ理数が出来て、どうしてレンは文系なんだよ」

「文系の方が金がかからないし、就職でもつぶしがきくからだよ。理系だと院出てないとな部分もあるし。それに数学が出来る文系は受験で有利だからね」

「夢がない……」

「僕の夢は、理術界隈の連中の手から逃れて、誰にも迷惑かけないように独り立ちすることだからね」

「夢が! ない!」


 シャープペンをくるりと回し、廉治はその切っ先を潤に向けた。

 

「夢がありまくりだよ。他人を気にすることなく自由に生きられる。一刻も早く、僕は自力で生きたいんだ。だから奨学金取って国立大に行くために、真面目に勉強してるんだよ」

「その割に志望校の偏差値高くありません?」

「どうせなら就職の時の加点にしたいだろ。だいたい医学部志望のジュジュに言われたくない。

 それに」


 廉治は、潤の眼前に一枚の紙を突きつけた。模試の結果である。

 まじまじとそれを眺めてから、潤はかっと目を見開いた。


「A判定! くっそうらやま!」

「まあ、Aとったのは今回が初めてだけど」

「すっげ!? えっ、ていうかここA判定なら、それこそ臨少年が狙ってる辺りとか別のとこもいけるんじゃ」

「そんな博打は打たないよ。私立もセンター利用のしか受けないし、背水の陣なんだから。早く働きたいから、国立落ちても浪人はせずに私立行くつもりだけど、それは避けたいからね。後で返済が大変になるのは自分だし」


 廉治は模試の結果を脇に置くと、感嘆の声を上げる潤を見つめ、尋ねる。

 

「ジュジュの夢は。……小児科医になること?」


 その問いに、一瞬、視線を揺らしてから。

 潤は、弱々しい笑みを浮かべた。

 

「――そう、思うよな。その通りだよ」

 

 手にしたシャーペンを置いて、潤は両手を上げて伸びをした。


「今じゃ。スーが死んだ理由はそれだけじゃないって、分かってはいるんだ。だけど、それでも私の原点だし、約束だからな」

「約束……」

「私が病気を治して、恵が怪我を治して、スーが心のお医者さんになって、皆で子どもの病院を作ろうって、約束したんだ。ま、そんなこと覚えて、そのまんま突き進もうとしてるの、今はもう私だけだけど」

「覚えてるよ」


 潤は大きな目を瞬かせる。

 

「覚えてる、って。……その時、レンはいなくなかったか?」

「後で『だからレンは病院作るために必要なお金いっぱい稼いでね』って言われたからな」

「ぶはっ」


 吹き出して、潤は笑いながら廉治を指さした。


「お、お、お、お金! パトロン! スポンサー!」

「全く医者要因として期待されてないのが釈然としなかった」

「いや、多分、そこはもう、他の役割がなくなった故の消去法だと、うはははははは」

「指さして笑うな」


 廉治は軽く睨むが、やがて自分も耐えきれなくなり、破顔した。

 しばらくしてようやく笑い止んでから、潤は少し寂しげに呟く。


「……ま。恵は絶対、そっちには行かないから、もうそれはムリだけど」

「別にジュジュだけでもやればいいじゃん。開業医」

「興味はあるけど、一人でそこまでやれる甲斐性はねーよー!」

「メグはいなくても、僕はいるだろ」

「だってレン、医学部には行かないんだろ?」

「そっちじゃない」


 廉治は、潤の鼻先へ人差し指を向ける。


「僕が病院建てるお金を稼げばいいんだろ?」


 一瞬きょとんとしてから、潤は首を傾げた。

 

「いやいやいやいやいや、はい?」

「いくら病院だからって医師だけじゃ成り立たない。経営する人間は必要だからな。一人でそっちまでやるのは大変だろ。だから僕が大学でそっちを修めて、ジュジュが医者になるなら、ちょうど良くないか?」

「何言ってるか分かってらっしゃる?」

「分かってるよ。んで、ジュジュの働きで稼いだお金を僕が多めにピンハネする、と」

「悪徳ー!!!!!」

「そうすると経済学部より商学部の方がいいかな?」

「おい待てあくどい算段を立てて簡単に進路変更するんじゃあない!」

「まあ学部はどうにでもなるな。ジュジュが一人立ちするまでに勉強がてら稼げばいいんだから」

「あのレンさん」

「いやあ楽しくなってきた。金利はトイチかな」

「ぜってー頼らねえ!」

「冗談だよ。お金は別に返す必要ないしね」

「いやそれもそれで駄目だろ」

「同じ家計に入るなら返すも返さないも同じだろ?」

「は!?!?!?」


 廉治は背もたれに体重を預けて腕組みし、とってつけたような笑みを浮かべる。


「ほら。だって共同経営者なら、同じ事じゃん」

「あ、ああ、そういう……?」


 堂々とした廉治の言葉に、潤は丸め込まれたように頷いた。

 廉治は「そうそう」と相づちを打ちながら、目の前にある解説集へ視線を落とすふりをし。潤には聞かれないよう、口の中で小声で呟く。

 

「――今はね」

 


 

 

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◇参考

【第3部】コウカイ編

 8章:大人じゃあない

「アトラクションがはじまる」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881507313/episodes/1177354054887294682

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