アトラクションがはじまる(1)

「怒ってるんですか」


 歩きながら、真正面を見つめたままで廉治が尋ねた。

 クラスメイトに盛大に見送られながら学校を出た後。二人は駆けって急ぎ舞橋女子高校から離れた、今は街中に向かい裏通りを歩いている。あれから無言のまま、二人は口をきかず歩き続けていたのだった。

 潤は少しうつむいて眉を寄せる。


「……別に。怒ってる訳じゃない」

「でしたら。どうしてさっきから黙ったままなんです」

「それは、……別に」


 一つため息を吐くと、廉治は足を止めた。


「言いたいことがあるならはっきり言ってください。謝りますから。

 僕だってあそこまでの事態になるとは思ってなかった。ただ貴方と連絡が取れずに困っていたところ、知り合いがいたので聞いてみたら、同行者が勢い込んでクラスに戻ってしまって。

 配慮が足りませんでした。申し訳なかったとは思っています」

「違う、そうじゃないんだ」


 慌てて潤はぶんぶんと首を振った。


「時間を忘れてたのと、メールと電話に気付かなかったのは私の所為だ。

 クラス中に広まったのだってお前が原因じゃないし、レンが気にすることじゃない」

「なら。どうして」

「その、……実は」


 問われて、口ごもりながら潤はおずおずと告げる。


「……まだ、言ってないんだ。皆に」

「皆、って」


 少し考えてから意味に思い当たり、廉治は目を見開いた。


「もしかして。杏季さんたちに、ってことですか」

「そうだよ」


 潤は苦々しい表情を浮かべながら、ぼそぼそと弁解する。


「タイミングを逃してさ。

 恵には、前に電話した時に話の流れで言ったんだけど。今んところ知ってるのは恵だけでさ、その。

 ……さっき、はったんとあっきーも居たから。ちょっと気まずかったなって、思って」


 彼女の告白に廉治はしばらく言葉を失った。

 顔を曇らせ、やがて彼はぽつりと呟く。


「やっぱり。僕のお願いはご迷惑でしたね」

「そんなことない!」


 思わず潤は声を高くして反論した。


「話せなかったのは、単に私がミスっただけだし。こっちは好きで協力してやってんだから、迷惑も何もないだろ。

 だから、レンは気にすんな」


 言い切ると、潤は「じゃあこの話はこれで終わり!」と強制的に話を終わらせた。

 彼女の言に廉治はまた目を見開くが。穏やかな表情に戻ると、微笑を浮かべながら頷く。


「……分かりました」


 彼の言葉に、潤は安心したように表情を緩めた。

 再び歩き出した彼らだったが、「それにしても」と廉治は話を繋ぐ。


「レンって呼ぶのは止めてくれって言ったじゃないですか。

 それ、今は竜太しか呼んでない呼び名なんです。呼ばれるとどうしてもあいつを思い出すんですよ。まだあいつとは冷戦中なんですから」


 えー、と抗議し、口を尖らせて潤はあっけらかんと言う。


「いいじゃん、固いこと言うなよ。言いやすいんだしさあ。水橋も廉治も長くて言いにくいんだよ」

「……仕方ない人ですね」


 廉治は諦めたように溜め息を吐いた。

 裏通りを抜け、車通りの多い道に出る。対岸にある大型書店にて、問題集や参考書を選ぶのが本日の目的であった。

 信号待ちをしているところでふと思いついて、廉治は提案する。


「折角ですし。お詫びに、帰りに何か奢りましょうか」

「本当か!」


 目を輝かせて潤は拳を握った。その反応に廉治は苦笑いを浮かべる。


「現金な人ですねえ」

「いいじゃん! 団子! ミスド! メロンパン!」

「一つにしてくださいね」

「えー別にいいじゃんケチー」

「寮の夕飯食べられなくなりますよ」


 ぱっと信号が赤から青に変わる。

 横断歩道を渡りながら、潤は真剣に何を食べるか思案をし始めた。






 無事に本屋で目的の品を手に入れた二人は、ついでに潤のリクエストである団子を購入し、帰路についていた。

 また大通りの信号待ちをしながら、廉治は潤に尋ねる。


「どうします? 半端な時間ですし、今日は直接、寮に戻りますか?」

「うーん……」


 しばらく考えてから、潤は団子の入ったビニール袋を握りしめた。


「寄ってっていいかな。勉強する時間はないかもだけどさ。これ食べないとだし」

「分かりました。散らかってますけど、それで良ければ」

「散らかってるところなんざ見たことねえよ」


 横断歩道を渡りきると、二人は潤の先導でアジトこと廉治の住むビルに向けて足を進めた。

 夕方の大通りには車と人とが賑やかに行き交っているが、一本道を入ってしまうと喧騒は途端に静まり返る。ぽつりぽつりと仕事帰りや学校帰りの人が歩く姿は見られるが、車はあまり通らない道なので一層だった。

 辺りを見回しながら、廉治は怪訝に尋ねる。


「潤さん。貴方、普段からこの道使ってるんですか」

「え? うん。あんま車通らなくて歩きやすいし」

「それは、そうですけど。でも一人の時は止めてくださいね」

「なんでだよ?」

「人通りが少ないからです。ましてもう日が短いんですよ」


 既に日が沈んでいるこの時間、道路は静謐せいひつな暗闇が満ちていた。街灯は点いているものの、間隔はまばらで心許ない。

 行き交う人が少ないのも、通り抜けて行くのは会社勤めの男性か自転車の男子高校生ばかりなのも、そういった理由が大きいのだろう。

 だが当の潤はきょとんとして首を傾げる。


「別に大丈夫だろ」

「そう油断しているのがいけないんですよ。一応、貴方は女性なんですから」

「一応って何だよ」

「当人に自覚が無さすぎるからです。多少は気を遣ってください」

「えー……」


 廉治に釘を指され、潤はふて腐れたよう目を逸らした。

 すると視線を逸らした先に、暗がりに佇んだ人を見つけ、潤は目を留める。


 電信柱に手をついてその場に立ちすくんでいたのは、潤たちと同じか、それよりも少し年上かという頃合いの青年だった。彼を見つめて、ほう、と思わず潤は声を漏らす。

 背中までかかった目の覚めるようなシルバーブロンドの髪に青い目。白いシャツの上にはスカーフを巻き、ダークグリーンのダブルのベストを重ねるという、まるで西洋文学の中から抜け出てきたかのような服装だ。


 潤たちの存在に気付くと、彼は真っ直ぐにこちらを見つめ返してくる。無遠慮に彼を眺めてしまっていた潤はどきりとした。

 だが彼は潤と目が合うと、安堵したように顔を綻ばせる。


「よかった。これからどうしようかと思っていたのだ。会えて嬉しいぞ」


 突然に言われて、潤は目を瞬かせた。

 既知きちの間柄のような物言いに、廉治は首を傾げる。


「潤さん、知り合いですか?」

「いや、知らない……はず、だけど……」


 しどろもどろに答えた潤に青年は苦笑する。


「つれないな。まだ先の出来事から一か月しか経っていないというのに。

 とはいえ、この姿で会うのは初めてだ。分からぬのも致し方あるまい」


 一歩、潤の前に踏み出して、彼は右手を潤へ差し出した。


「久しいな、春の友人よ。潤、と言ったか。

 人間の姿では初めましてかもしれないが、初対面ではないぞ。前にも春の姿を借りて、寮の談話室でそなたたちと直接話したではないか」


「……え、えええええええ!?」


 彼の物言いにもしやと思い、潤は裏返った声を挙げる。


「おま、まさか……アルなんとかとか言う、聖獣か!?」

「そうだ。とはいえ、正式名称をそこここで呼ばれるのは敵わんからな。

 縮めて『アルス』と呼んでくれ」


 潤はおののいたまま、アルスと名乗った人物をまじまじと見つめる。

 目の前に立つ青年はどこからどう見ても人間だ。




 アルスこと聖獣アルファスヴェンガーリは、先月に高神楽文彦によって春へ憑けられていた古属性の聖獣だ。

 当時は文彦に使役されていたために彼の支配下にあったが、葵たちの立ち回りにより無事にアルスは解放され、そのまま姿をくらましていたのだ。


 春に憑いていた当時、確かに潤は春の身体を借りたアルスと話をしている。文彦がまだ使役していた頃に影のような出で立ちをしていたのも、解放された時に空へ舞い上がる姿も、一度と言わず何度か彼女はアルスの姿を目撃していた。

 しかしいずれにせよ、今の姿とはあまりにギャップがあった。



「いや。だって、お前。その、……竜、だったよな?」

「竜だったな。今は人の姿をとっている。街中に竜が現れては大騒ぎになるだろう?」

「そりゃそうだけど。なろうと思って人間の姿になれるもんなのかよ」

「ふむ。なかなかそれは哲学的な問いだな」

「いや哲学的でもなんでもねえよ単純に純粋な疑問だよどういうことだよ」

「まあそう急くな。少々、事が事でな。順を追って話そうではないか」


 成り行きを見守っていた廉治は潤に確認する。


「潤さん。先月の出来事は僕も又聞きですけど、つまり彼が畠中さんに憑いていたとかいう聖獣ですか?」

「……そう言ってるな」


 疑いの眼差しで潤は頷いた。

 口調は聖獣のものと似通っている。しかし人間になった聖獣だと言われても、にわかに信じられるものではなかった。

 だが当のアルスは彼女の疑念に構うことなく、飄々と言う。


「ところで。もし良かったら、その食べ物を私にも少し分けてはもらえないか?」

「え、これ?」


 潤は手にした団子の袋を掲げた。

 中にはみたらしと胡麻とあんこの三種類の団子が、二本ずつ合計で六本入っていた。

 思わず口籠った潤に、廉治が助け船を出す。


「どうせ全部の味を食べたいんでしょうから、僕の分を一本あげてもいいですよ」

「しょうがねえな一本なら別にいいぞ!」

「本当に現金な人ですね貴方」


 隣の廉治に呆れられながら、潤は団子の包みをアルスに差し出した。

 胡麻団子を一つ手に取り、アルスは串を持ったまま潤たちへ両手を合わせる。


「ありがたい。よく考えたら、この三十日、試供品以外にろくなものを食べていないのだ」

「普通なら余裕で死んでるぞ!?」

「私は普通の生き物とは少々違うからなあ。食べなくとも死にはしないが、人に憑き味を覚えてしまうと、腹は減るし食事が恋しいのだ」


 暢気に言いながら彼は団子にかぶりつく。

 目を細めて幸せそうに咀嚼そしゃくしながら、しみじみとアルスは言った。


「確か、一週間前に試供品の生八つ橋をもらったのが最後だったか……」

「なんで京都を悠々自適に観光してんだよ!?」

「あの後、自由になった私は開放感に満ち溢れていてな。ひとまずは京都・奈良に行こうと近畿地方を巡ってみたのだが」

「思いっきり俗世を楽しんでますね」


 瞬く間に団子を食べつくすと、またアルスは両手を合わせた。


馳走ちそうになった。かたじけない」

「いえ。団子一本ですし。どうせなら腹持ちのいいものの方が良かったんでしょうが」

「団子は好物だ。私にとっては何よりの供物だよ、少年」


 言葉通りに至極満足げな表情で、アルスは深々とお辞儀した。

 ゴミになった串を受け取り、潤が話を戻す。


「で。観光が終わったんで、こっちに戻ってきたって訳か」

「いや。まだ私の観光は終わってはいなかった」

「おい観光って認めたぞコイツ」

「まだ伊勢神宮に行っていない。何としても赤福を食べねばと思っていたのだが」

「本当に観光を楽しむ気満々ですね貴方」

「楽しかった」

「聞いてねえよ」


 軽口を叩いた後で、アルスは姿勢を正す。


「帰って来たのには少々事情があってな。私は想定よりも早く舞橋市に戻ってきたのだ」

「事情?」

「そうだ。だが。その事情が何か、私はそなたたちに教えることができない」


 何か言いかけた潤を遮り、アルスは淡々と告げる。



「私は何らかの理由があって、舞橋市に戻ってきた。

 だが、それが何だったのか。私には思い出すことができないのだ」



「……は?」


 間抜けた声を挙げた潤を余所に、アルスは尚も続ける。


「何かの理由があって戻ってきたのは確かだ。

 しかしその後、私の記憶はすっぽりと抜け落ちている。どうあっても思い出すことができない。

 そればかりか」


 アルスは自分の姿、人間の姿となっている今の身体を指し示す。


「今、私は人間の姿になっている。これは意図したものではない。

 勿論、街中を歩くときは意図して人の姿になっていたのだが、今はそうではないのだ。

 私は今、自らの意思で元の姿に戻ることが出来なくなってしまっている。何故かは不明だが、竜の姿は元より、端から人間であったかのようにこれ以外の姿にはどうあっても転じることができないでいるのだ。

 おそらく舞橋市に戻った際、私に何らかの事象が降りかかり。結果、それに関する記憶が失われ、元の姿に戻ることができなくなっている。

 ……そこでだ」


 真顔になったアルスは、本題を切り出す。


「今夜……いや。今夜だけと言わず、しばらくの間私を泊めてはくれまいか」

「えっ?」


 意外な申し出に潤はたじろいだ。

 しかしアルスは至って大真面目に重ねて懇願する。


「人間の姿になった私は、ずっとこの姿でいる分には本当に人間と同じなのだ。眠りもすれば食べもするし、凍死もすれば餓死もする。

 頼む。元に戻る方策が見つかるまで、私の棲家を提供して欲しい」


 必死に両手を合わせたアルスを、まだ事態が飲み込み切れずにいる潤は呆然と眺めた。既に日の沈んだ舞橋市はぐんぐんと気温が下がっており、冷たい風が首元をかすめる。

 聖獣と名乗る美丈夫の青年を前にしながら、潤と廉治は困惑したように顔を見合わせた。

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