そして僕にできるコト(2)

 裕希と竜太は今でこそ反目しているが、最初から険悪だったわけではない。


 かつてチームCに所属していた頃も、二人は葵と廉治のように対立していたわけではなかった。友好的だったとまでは言えないが、同僚とでも言うべき関係の適度な距離感で、それなりに上手くやっていたのだ。

 お互い相手に対して客観的な評価は下していたが、プラスの方向にもマイナスの方向にも、特別な感情は別段、持ち合わせていなかった。

 おそらく、無関心に近かったのだろう。


 だからこそ裕希は、彼の実力を知らなかった。

 竜太が地属性だということは承知していたが、実際の力を目の当たりにしたことはない。


 もっとも竜太は県外住まいだということもあり、夏以前にも平日にはほとんど姿を見せなかったし、基本的に理術の指導は廉治や直彦が行っていた。同じチームに所属していても、竜太が理術を見せること自体が稀であったのだ。いかな無関心であったとて、致し方なかったとは言える。

 しかし客観的事実として、知り得ていることはあった。




 ――こいつは、水橋より強い!




「Sah ein Knab' ein Ro"slein stehn,」

「ζ《ゼータ》」


 先手必勝とばかりに裕希が『野ばら』を口ずさんだのとほぼ同時。竜太は右手を裕希に向けて広げ、呟いた。

 裕希に襲いかかるように、稲妻のような亀裂が走る。それを避けるようにして、裕希は足元が崩れる前に地面を蹴り、片手でジャングルジムに飛びついた。一瞬遅れて、彼のいた場所は裂け目に飲まれる。


 歌は止めず、そのまま振り子のようにぶんと身体を振り、足をかけてジャングルジムへ飛び移る。

 遊具の上に退避していれば、流石に竜太とて公共物を壊すような真似はしないだろうとの考えだった。

 だが。


「λ《ラムダ》」


 彼の言葉が耳に届くが早いか。

 裕希の身体が、宙に跳ね上げられる。

 一瞬、状況が飲み込めずに、足を襲った鈍痛に困惑するが、



 ――マジかよ、こいつ!



 後から気付き、戦慄せんりつして裕希は冷や汗を流した。

 遊具を壊しはしなかった。地面を円錐のように隆起させ、ポールとポールの隙間から、的確に裕希の身体だけを狙い撃ったのだ。

 今の攻撃で、足の受けた衝撃は大きい。上手く着地したとて、すぐには立ち上がれないだろうと彼は察した。

 しかし歌は止めない。


「Lief er schnell, es nah zu sehn,」


 地面に叩きつけられるところで受け身を取り、転がりながら距離を取る。転がった先にあった大型の滑り台の影へ、這うようにして身を隠しながら、裕希は早口で歌を続けた。彼の正確な位置が分からないためか、竜太は攻撃をしてこない。

 その隙に、裕希は歌を紡ぎ終える。


「Ro"slein auf der Heiden.」



 ――『呪縛の野ばら』!



 裕希の構築した術は、図らずも夏にこの場所で杏季へ使用したもの。

 過去のトラウマを、強力に増幅して思い出させる術だ。


 人の精神に干渉する音属性の裕希は、相手へ直接攻撃するすべをもたない。彼が使用したことのあるほとんどの術は、平衡感覚を狂わせたり攻撃対象を誤認させたりといった、精々が相手を惑わす程度のものだ。

 相手の動きを無効化する、という意味で『攻撃』として使用でき、かつ単体でも使用可能なものは、この術しかなかった。


 身体を起こし、息を潜めて様子を窺う。竜太がいるはずの反対側からは、何も音が聞こえてこない。覗きたかったが、上手く足が動かずにそれは叶わなかった。

 背をつけた石造りの遊具から、しんと冷えきった温度が伝わってくるが、やがて裕希の体温でそれは生暖かいものに変わる。静かに時間ばかりが経過するもどかしさに、裕希は焦りを覚えた。


「これが。杏季に使った術か」


 やがて、ようやく沈黙を打ち破る声が聞こえた。

 だがその竜太の台詞が、想定していたよりも近くから聞こえ。

 思わず空を見上げた裕希は、そのまま硬直する。


「悪趣味で、くだらない」


 裕希のほぼ頭上。

 彼がもたれかかる遊具の上へ、無表情で竜太が立っていた。


「な……!? なんで、効いて」

「普通の奴には、効くだろうな」


 事もなげにそう言うと、竜太は軽々と遊具の上から飛び、裕希の目の前に降り立った。

 驚愕し二の句を告げずにいる裕希を見下ろすようにして、竜太は続ける。


「君の術を受けずとも。私は毎日毎日、嫌になるくらい、あの日のことトラウマ反芻はんすうし続けているんだ。

 常日頃から滝のように血を流しているというのに、今更、一滴二滴、苦悶の数が増えたとて変わらんよ」


 その表情は平然としていて、術に苦しむ素振りは微塵もない。

 彼の言うことは、本当なのだろう。

 裕希の術では到底敵わないほど、竜太の精神力がそれを遥かに凌駕りょうがしたのだ。


「……そっちまで高スペかよ」

「生憎とな。この程度の術は生身で持ちこたえられるよう、幼少から鍛えているものでね。

 でなければ、とても


 吐き捨てるように言った裕希の言葉にそう答えて、竜太は淡々と告げる。


「何故わざわざこの場所を指定したのか、考えなくても分かる。かつて閉鎖空間をも作り上げたこの場所は、お前にとって地の利があるからな。

 だからあえて私はお前の誘いに乗ったのだ。

 


 ぎり、と裕希は唇を噛んだ。

 思えば。先程も竜太は、何度も彼を攻撃する機会があった。

 遊具から落下した時、地面に落ちてから身を隠すまでの間。間髪入れずに攻撃すれば、裕希は歌を歌い終えることは出来なかっただろう。


「君は多少、頭は回るようだな。けれど、頭脳と行動が伴わない馬鹿だ。

 さて、茶番はここまでにしようか。私の目的は達せられたからな。

 ――σ《シグマ》」


 足元の地面が、盛大に爆ぜたように感じた。

 それほどの威力で地面の下から打ち付けられ、裕希は高く空へ投げ出される。


「ふっ、……ざけんなよ!」


 彼はなりふり構わず、辺り一帯に最大出力で平衡感覚を乱す音波を発した。自分の耳にまでキンとした不快な音波が届き、裕希は歯を食いしばる。

 これには流石に竜太も顔をしかめた。


 その時。


 びり、と裕希の発した音とは違う耳障りな音が聞こえ、竜太は細めていた目を開き、顔を上げた。

 その視界に飛び込んできた光景に、目を見張る。



 裕希の背から生える、一対の翼。



 変形型の理術性疾患、その発症に、当の裕希は密かに舌打ちする。こんな時に、と忌々しく思い苛立った。

 が、その後で。

 彼は、もしやと思い直した。

 試しにと身体を動かしてみて――それが、確信に変わる。


 竜太は呆然として、まだ大地に落下しきらぬ裕希を見つめる。


「まさか。か――」


 しかし皆まで言い切ることなく、途中で竜太は膝から崩れ、足を着いた。出力し続けている裕希の音波に、立っていられなくなったのだ。

 それがようやく止んで、初めて竜太が焦りながら顔を上げた時。



「これなら。地属性の術は、そう効かねえだろ」



 裕希は、宙に浮いていた。



 その背に生えた翼をはためかせ、裕希は地面に落ちることなく空にとどまっていた。

 動きはぎこちない。が、確かに彼の背に生えた翼で、裕希は空を飛んでいた。


「……君は」

「怪我の巧妙、って奴だな」


 ようやく自分のペースを少しだけ取り戻した裕希は、にっと笑みを浮かべると。にわかに竜太の目の前まで急降下した。動揺が引かずにいた竜太は、目の前まで裕希の接近を許してしまう。

 そして裕希は、ずっと握りしめていた拳で、思い切り竜太を殴りつけた。


「約束通り。一発、もらっとくぜ」

「……貴様」


 我に返った竜太はきっと裕希を睨むが、その時には既に裕希は空へ逃げていた。反射的に術を使おうとするが、止める。

 彼の言う通り、地属性の術は空まで届かない。地面を隆起させたとて、彼に届く前に避けられてしまうのが容易に想像できた。


 竜太は自分の左手を眺め、少し考え込む素振りをみせてから。

 口を引き結んで、左手を差し上げる。


 次の瞬間。

 裕希の足に何かが巻き付き、勢いよく地面に引き倒された。

 何が起きたのか理解できずに、くらむ頭を抱えながら裕希はそれを確認する。


 蔓、だ。


「はっ……!?」

「誰が。地属性だって?」


 言いながら、竜太は両手を静かに広げた。

 彼の背後に浮かび上がったのは、大量のつぶて

 公園中に散らばり落ちていたのだろうガラスや金属片が集合し、まるで意思ある小動物のように、竜太の周りに集っていた。


「待てよ」


 恐れよりも信じがたさが勝り、弾かれたように裕希は叫ぶ。


「ソレは、『鋼属性』の範疇じゃねえのか!?」

「本当は。君のような者に見せるつもりはなかったのだがな」


 裕希の疑問には答えず、抑えた声音でそう告げて。

 竜太は、裕希を真正面から見据えた。






 再び、静まり返った公園。

 倒れ伏した裕希を、竜太は真顔で覗き込む。


「お前がは知らない」


 裕希は答えない。

 けれど構わず、竜太は続ける。


「しかし忠告しておこう。もう一度だけ言っておく。

 関係性も、も、格が違う。

 つけあがるなよ、三下」


 それだけ言って。

 竜太はその場を去っていった。




 彼の姿が完全に見えなくなった後。


「……ちっくしょ」


 裕希は顔を歪め。

 倒れ伏したまま、だん、と拳を地面に打ち付けた。

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