そして僕にできるコト(1)

 舞橋女子高校にほど近い公園。

 ここは昨日、杏季たちが高神楽たかぐら直彦なおひこを呼び出した場所であり、夏の終わりに宮代みやしろ竜太りょうたがチームCの解散と真実の一端を告げた場所だ。

 そして、かつてワイトと名乗っていた臨心寺りんしんじ裕希ゆうきが、杏季を攻撃し、彼女を覚醒させた場所である。


 公園内にはジャングルジムや滑り台など数台の遊具があるのみで、さほど広くはない。時間帯が夕方であるためか、子どもや親子連れの遊ぶ姿はなく、がらんとしている。

 水道の近くに駐められた自転車と、鉄棒に背を預けて佇む学ランの少年がいたことを除けば。


 やがて公園の前に、もう一つの人影が姿を現した。それを認め、学ラン姿の少年はすっと目を細める。


「遅ぇよ」

「わざわざここまで出向いてやったことをまず感謝して欲しいな。本来なら、お前みたいな奴に割く時間なんか、一分たりとて存在しないんだが」


 竜太は、公園で待っていた裕希を一瞥いちべつすると、固い口調で首を振った。


「お前が、天敵であるはずの琴美に仲介を頼んでまで、俺を呼び出したんだからな。敬意を表して来てやったんだ」

「そうかよ。今回ばっかりは佐竹に感謝しないとな」

「そうするといい。あいつもかなり不本意そうだったからな。

 それで一体、何の用だ。分かってるだろうが、俺は県外在住なんだ。今日はたまたまこっちで用事もあったからまだいいが、時間も手間もかけさせて、呼びつけるほどの用事なんだろうな」


 杏季がいないからだろうか。にじみ出る敵愾心てきがいしんを隠すことなく、竜太は鋭い言葉をぶつける。

 品定めをするような彼の眼差しに、裕希はぐっと息を呑み。その後で一つ、悟られないように深呼吸をしてから、静かに口を開く。


「学園祭の日。何で、ナオが話すってことをあらかじめ連絡したんだ」


 相手の反応を窺うと、竜太はぴくりとも表情を動かしていなかった。怪訝けげんな様子で、彼はこんこんと答える。


「別に。直彦があの場で杏季に話しをすることを知っていたから、事前に言っておいた方がいいと思っただけだよ。本題は俺が話すべきことじゃない。だから詳細は言わなかった。

 いくら少しは話せる相手でも、唐突に言われたら流石に驚くだろうと思って、配慮しただけだろ」

「そういうことじゃない」


 親指を握り込んで拳を作り、裕希は語気を強める。


「わざわざあいつに話しておいたってことは。ナオの頼みを無下にするな、って意図を含んでたってことだろ」

「分かってるんじゃないか」


 へえ、と呟くと、竜太は小馬鹿にしたような調子を少し改めて続ける。


「だったら目的も知ってるんだろう。結果は失敗に終わったけど、直彦を杏季の護衛者にするためにやった対外的なパフォーマンスの一環だよ。だから、あの場でフってもらうわけにはいかなかったんでね。

 これ以上、何が聞きたいんだ?」


 怪訝さを通り越し、やや困惑した素振りの竜太に、ひくりと裕希は口をひきつらせ。

 怒りを押し込めるようにぎりりと拳を強く握り、耐えきれずに俯いた。


「それが。あんたにとってはただ事務的なそれが、あいつにとってどれだけ残酷なことだったのか、てめぇは分かってんのかよクソ野郎」


 相手に届いたかどうか分からない掠れた声音と声量で、地面に向けて吐き捨ててから、裕希は勢いよく顔を上げる。


「配慮? なんの配慮だよ。あれは遠回しな脅しだろうが」

「人聞きの悪い事を言う」


 噛み付いた裕希の台詞を鼻で笑いながら、竜太は両手を広げて解説するように言う。


「全部、

 俺が言ってやらなきゃ、杏季はあの場で上手く動けなかっただろ。俺の連絡があったから、杏季は動揺せずに対応できたんだ。

 護衛者の話は流れたが、今後もし直彦が杏季に介入や手助けをしたとしても言い訳がつく。対外的な繋がりができたって点で、結果的にオーライだ。

 派手じゃあったけど、高校生ならこういう形にしとくのが一番、自然だからな。他校だから面倒くさい野次に悩むこともないだろうし。何も問題はないだろう」


 言いたいことを言い切って、竜太は腕を組んだ。裕希は無言のままだ。

 彼が黙っているので、竜太の方から業を煮やして促す。


「それが、何だって? どうしてお前がそれを俺に聞くんだ」

「……俺が。今、出来るのは、これくらいだから」


 独り言のようにそう呟くと。

 裕希は、竜太を真っ直ぐに見据えてきっぱりと言う。


「謝れよ。あいつに謝ってくれ」

「どうして謝る必要があるんだ」


 彼の進言を一蹴し、竜太は苦笑する。


「確かに今はねてるみたいだけどな。そのうち元に戻るだろ。御堂紫雨にやられたせいだろうな。彼のせいで台無しだ。

 俺は謝るようなことは何もしちゃいないし、『事前に連絡して悪かった』だなんて、意味がわからないだろ」

「そういうことじゃない。何も、何も分かってないのかよあんたは!」

「そっちこそ、いい加減にしてくれ。何が言いたいんだ」


 はあ、と竜太は、はっきりとうんざりしたようなため息をつく。


「そんなくだらないことを聞くために呼び出したのか。とんだ無駄骨だったな」

「……くだらない?」


 独り言のように吐き出した彼の台詞に、ついに我慢が切れ。

 裕希は前に飛び出し、竜太の胸ぐらを掴んだ。


「杏季があんたの言う配慮のせいで、どんな思いをしたと思ってんだてめぇは!」

「……お前みたいなやからが杏季を呼び捨てにするなよ」


 不快そうに顔を歪め、竜太は裕希の手を強く掴んだ。だが、裕希はそれを離さない。

 息を吐きだして、竜太は険しい表情の裕希を睨みつける。


「お前。そもそも自分が、夏に杏季へ何をしたか分かってんのか?」


 ぞっとするような彼の低い声に、裕希は動きを止める。力を込めいた手が緩み、その隙に竜太は彼の手をぞんざいに振り払った。

 胸元をぱたぱたとはたいてから、竜太はさげすむような眼差しを裕希へ向ける。


「お前は。杏季が一番触れられたくない、最悪のトラウマをえぐったんだ。

 幸い、周りにいた人たちのおかげでなんとかなったし杏季は壊れずに済んだ。結果的に――全身全霊で不本意だが、結果的に男子への苦手意識すらも改善に向かっている。

 けどな。もしそうじゃなくて、お前が杏季をただ傷つけただけだったってんなら、俺はお前を死なない程度に殺してたよ」

「……確かに。その件に関しては、間違いなく俺は最低のことをやった。けど」


 唇を噛み締め、裕希は目を伏せる。


「あの時の償いと後悔含めて、今はその分も、それ以上に、あいつを助けてやりたいと思ってるんだ。だから、今は100パー負けてるし不利になるって分かっててもここに来た」

「もういい。お前のくだらない懺悔や反省を聞く義理はないし、杏季にお前の助けは今もこれからも一切いらない」


 一段、大きな声を上げて、竜太は裕希の言葉を遮った。

 苛々とした表情を隠さずに、彼は舌打ちする。


「俺たちは、物心つく頃からずっと一緒にいるんだ。外からのこのこやって来た輩にあれこれ言われる筋合いはない。ついこの前、ぽっと出てきたばかりのお前に何が分かる」

「ああ、何も分からねぇよ。

 けどな。そんなに長い間、一番近くでずっと見ておきながら、杏季がどうしてあそこまでになったのか分かってねぇのかよ」


 背筋を伸ばし、裕希は自分の拳を握りしめながら告げる。



「あんたは今まで、似たようなことを一体何度やってきた?

 『杏季のため』という名目で、あんたが杏季を抑圧してたから、あいつはあんな卑屈になっちまったんじゃないのか。

 あんたがとことん、杏季を極限まで甘やかしたからじゃねぇのか!」



 ごう、と、辺り一帯に轟音が響く。

 彼らの立つ大地が裂け、深さ数メートルに及ぶ断層がそこここに現れる。

 かろうじて裕希の立つ場所は無事だった。しかしすぐ数メートル隣で割れた地面の振動で、足にはかなりの衝撃が伝わっていた。

 だが彼は、一歩もその場から動いてはいなかった。



「分をわきまえろよ、三下」



 すっと冷え切ったような声が聞こえて、裕希はそちらに顔を向ける。

 地面に複数走った亀裂の先。怒りを通り越して、とりすました面持ちで、竜太も裕希を見据えていた。



「残念だよ。杏季の手前、あの時は一発で我慢してやっていたというのに」

「こればっかりは、奇遇だな」


 焦りと驚きが滲んだ声で、しかしどこかふっきれた表情で、裕希は一歩下がり体勢を整える。


「手は出さないって、決めてたんだ。そうしたって、あいつが困るだけだから。

 けど。本音からすると、のっけからお前をぶん殴りたくてしょうがなかった。想像してたより、あんたはずっとクズみたいだ」

「あまり口を開くと愚かさが露呈ろていするぞ」


 至って澄ました口調で、すっと竜太は右手を顔の前に差し上げると、静かに手を数度、握り開きする。


「ちょうどいい。こちらはこちらでむしゃくしゃしていたんだ。夏のこと含めてお前のことは、一度きっちり叩きのめしたいと思っていた。

 機会を作ってくれたことに感謝するよ、臨心寺裕希」


 にっと口元にだけ裕希は笑みを浮かべた。せめてそうでもしないと、あまりに余裕ある相手の気構えに対抗できないような気がしていた。

 ただならぬ竜太の威圧感に気圧される。彼が感じていたのは脅威への警戒心か、それとも。


「あんたは一発」

「お前は一回」




「「ぶん殴る」」

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