アトラクションがはじまる(2)
「忙しない奴だな……」
電話を切り、京也はぼやいた。
向かいの席にいる裕希が彼の携帯電話を覗き込む。
「何? 月谷から?」
「ああ。話があるらしい。三人で集まってるって言ったら、こっちに来るってさ。二人は時間大丈夫か?」
「門限は先だし、まだ大丈夫だけど」
葵はそう答えると、ストローでメロンソーダをかき混ぜながら首を捻る。
「何だろうな、急に。俺たちにも関係あるのか」
「さあな。……けど、きっとろくな用事じゃないぞ」
ため息混じりに言い捨てて、京也は頬杖を付いた。
京也、それから葵と裕希は、市内のファミリーレストランに集まっていた。
元々この日は三人で会う約束をしていたのだが、話の最中にちょうど潤から電話が掛かって来たのがさっきである。潤に三人で一緒にいる旨を話したところ、彼女は『渡りに船ェ!!』と叫び、『今そっちに行くから待っていろ』と一方的に言い残して電話が切れたのだった。
突然の申し出へ素直に沿うのは不本意ではあったが、かといって解散するほどの理由でもない。彼らは大人しく潤が来るまで待機することにした。
「に、しても」
葵は改めて京也を眺める。
「本当にばっさりいっちまったな」
「ああ」
言われて、京也は自分の髪に触れた。短くなった彼の髪は、首元に手を伸ばしても微かに襟足が手にかかる程度だ。
前髪の長さはさして変わらなかったが、後ろの髪は綺麗に襟のところで整えられている。学園祭のステージにて派手に断髪した時には不揃いだった髪だが、後できちんと切り揃えたらしかった。
「元々、学園祭が終わったら切るつもりだったからな」
「長い方が普通になっちまってたから変な感じだ」
「長い方が不思議だったんだけどな。中央高校の場合は校則違反じゃなかったけど、大抵は生徒指導だろ」
「まあな」
葵は頷く。舞橋高校では、髪の毛は学ランの襟にかからない長さと決められていた。京也とて、理由がなければわざわざ長髪にはしていない。
ストローをくわえながら、裕希が何気なく京也へ尋ねる。
「あの話。誰に向けて話したの」
問われた京也は苦笑いする。
「お前らが知ってる奴らだよ」
「やっぱり?」
裕希は隣の葵に問いかける。
「アオ、誰だと思う?」
「どうせ直彦と東風院と月谷だろ」
「大正解」
淀みなく答えた葵に、裕希はびっと人差し指を向けた。
「お前が言うなよ。いや、正解だけどさ」
気まずそうに京也は認めた。
舞台上で京也がスピーチを行った際、三人とも会場にはいたはずなのだが、確認はしていない。本人たちが気付いているのかどうかは分からなかった。
「月谷は絶対気付いてないと思う。賭けてもいい」
「一番聞いといた方が良い奴だけどな。俺も同感だ。東風院も怪しいだろ」
「分かった上で聞かないことにしてる気がする。ないしは倍以上の反論が来る」
「怖ェな」
好き勝手に予測してから、裕希の心情もまとめて葵が代弁した。
「お前も大変だな」
「……まあね」
何かを察したような二人の反応に、京也はまた苦笑いを浮かべた。
「で。話を戻すけど」
ドリンクバーのコーラを飲み干し一息ついた裕希が、些か険しい目つきで葵に尋ねる。
「アオ。あの御堂紫雨ってのはどんな奴なんだよ」
「どんなって言われてもな」
唸り声を上げ、葵は考え込みながら話した。
「春さんにも聞かれたけど。俺が影路にいたのは数日だし。そんなに関わってた訳じゃねぇからな。
けど紫雨さんは別に悪い人じゃねぇよ。そこまで心配するこたないと思うけどな。ただ、ちょっと意地の悪いところとか冷たい雰囲気があるから、慣れないと白原が怖がるかもしれねぇけどいやきっとそこは何とか他の部分で補って大丈夫かもしれない」
途中から裕希の眼差しが更に険を増してきたので、葵は慌てて取り繕った。
不満げな表情の裕希は、氷だけになったコップをからからと弄ぶ。
「ったく、何なんだよ。ナオといい御堂といい、何が起こってるんだ」
「聞いた感じ、何かがすぐ起きそう、って訳でもなさそうだったけどな。実際のところどうなのかまでは分からない。
そっちの事情は、琴美ちゃんにでも聞かない限り分からないだろうけど」
「うおおおもう絶対聞けねえまた絡んでくるのかよあの黒魔女マジで勘弁してくれ」
裕希はテーブルの上に突っ伏して頭を抱えた。その衝撃でコップから氷が幾つか飛び出す。
京也は、黒魔女、という表現に吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「だけど。白原が御堂を選んだのは正解だったと思うぜ」
裕希の所為でコップから飛び出してしまった氷を拾い集めながら、葵が淡々と告げる。
「御堂のことはよく分からないけど。高神楽か影路かで言えば、白原に限っちゃ影路の方がましだろ。基本、影路は手を出せないんだから。深月たちが動けなくなる程度にはさ。
そもそも先に動き出したのは高神楽の方なんだ。素直に考えれば、御堂の動きはごく普通だと思うぞ。仮に俺が御堂だったとして、高神楽に手を出されたらやっぱりそうする」
葵の言葉を受けて裕希は顔を上げる。葵の説明は多少なりとも彼を安心させたようだった。
腕はテーブルにだらしなく広げたまま、裕希は隣の葵を見上げる。
「お前、人のことは冷静に分析できるのに、何で自分のこととなると一気に平常心を失くすんだろうな」
「うるせぇよ」
ぞんざいに言って、葵はコップを裕希に突き返した。用済みとなったコップをテーブルの隅に押しやると、裕希は話題をそらすように京也に話を振った。
「そういえばさ。お前はいないの、好きな奴。話を聞かないけど」
「今はいないな」
彼の問いに、京也は動じるでもなく答えた。
言葉尻を捉えて、更に裕希は突っ込んで聞く。
「ってことは、前はいたのか」
「前はね。といっても、そんな前じゃないけどさ。
今までのことを振り返りゃ、だいたい予想が付くだろ」
まるで彼らも知っている人物であると言わんばかりの言い草に、葵と裕希は顔を見合わせた。しばらく思案してから、葵は静かに尋ねる。
「もしかして、東風院か」
「どう考えても、他にいないよな」
肘をついて、京也は一口アイスコーヒーを飲んだ。
「妃子は小2からの長い付き合いだけど、まあ小学校の高学年くらいから自然とそうなってた。でなきゃ、いくら直彦もいるからって本拠地にまで乗り込んだりしないさ」
「お前、改めて思うけど、すげえ頑張ってたんだな……」
しみじみと葵が言う。
が、頭を振って京也は否定した。
「あの時は、そういうことは考えてない。純粋に心配だったってのはあるけど、けじめを付けたかっただけとも言う。
杏季ちゃんの状況と近いものはあるけど。杏季ちゃんと違って、僕は中三の時にきっぱり振られてるからな」
さらりと言われて、聞いていた側の二人はつい言葉を失った。
一瞬、間を置いてから、おずおずと葵が聞く。
「……何で駄目だったんだよ」
「『京ちゃんは何か違う』、だってさ」
「いや待て、それ結構キツくないか」
「キツかったに決まってるだろ! 馬鹿か!」
がん、と音を立てて京也はテーブルにコップを置いた。驚いて裕希は思わずびくりと身じろぎする。
その後で、京也は気まずそうに視線を伏せた。
「……すまん。今まで話した人間がいなかったから、つい。
なまじ幼馴染で、中学の連中も皆そう扱ってたし、振られた後も下手に関係を壊したくなかったしで、誰にも言ってなかったんだ」
「お前、そこも含めてすげえよ……」
葵は感嘆を込めた息を吐き出した。
気を取り直して、京也は居住まいを整える。
「まあ、そういう訳だ。元から諦めてはいたけど、流石にチームCの件は見過ごせなくて首を突っ込んだ。
けど、そっちも何とかなったしな。もうこれ以上は僕の方から余分なことはしないつもりだ。別に今は引きずっちゃいないよ」
「だからけじめ、か」
「そういうこと」
なるほどな、と納得して裕希は頬杖を付いた。
葵も頷きながらメロンソーダを飲み干す。
「そういえば最近会ってないけどさ。その東風院は元気してるか」
特に深い意図はなく聞いたのだが、しかし京也は途端に顔を曇らせる。
「あいつは、昨日から入院してる」
「え!?」
思いもよらない返答に、葵も裕希も驚いて顔を上げる。
「大丈夫なのかよ、この時期に」
「風邪をこじらせただけって言ってたから、大したことはないみたいだけどな。念の為ってことらしい」
「一昨日の学園祭には来てたんだろ。急にどうしたんだ」
「寒暖差が激しいからな。徹夜でもしたんだろ。病院でゆっくり休めばよくなると思うぞ」
京也は固い声音で、そう呟いた。
気遣わしげな表情を浮かべながら、京也は窓の外を眺めた。短くなった日はとうに落ち、地平線の下に沈んでいる。暗くなった戸外の様子は見ることができず、窓ガラスは店内の景色を反射するばかりだった。
京也はまたテーブルに視線を戻し、半分以下になったアイスコーヒーのコップを握りしめた。
病院ね、と呟き、葵は思い出したように傍らの友人を見つめる。
「ところで。そういうお前はどうしたんだよ、それ」
葵は裕希の頬を指差した。彼の肌には、鋭利なもので引っかかれたようなまだ新しい傷があった。
ええと、と口ごもってから、裕希はぼそりと答える。
「猫に引っかかれた」
「嘘をつけ」
「ベタにもほどがあるだろうその言い訳は」
葵と京也に同時に言われ、裕希はたじろいだ。
「なんだよ。ちょっとぐらい、信じろよな」
「だったらもう少しマシな言い訳をしろ。で、何があった?」
ふてくされたように口を尖らせ、裕希は今度こそ正直に答える。
「さっき喧嘩してきた。宮代と」
「宮代って。……あの宮代か!?」
「他に誰がいるんだよ」
裕希は声を荒げた京也を怪訝に見遣った。京也は不安げな面持ちでおそるおそる尋ねる。
「お前さ。それで、済んだのか?」
「どういう意味?」
「僕は前に水橋が、ビーが叩きのめされたのを見てるからな。あいつが、その頬の傷程度で許してくれるとは思えないんでね」
「……外で見える範囲はこれだけだ。制服の下は割とエグい」
「……後で治すぞ」
「悪い、頼む……」
弱気な声音でそう頼むと、気が抜けたように裕希はテーブルに突っ伏した。
「痛ェ。うん、バレないように我慢してたけど、だいぶイッテェ」
「医者行けよ……」
「説明が滅茶苦茶に面倒だろ……」
葵は驚き半分、呆れ半分で尋ねる。
「そもそも、なんで宮代と喧嘩なんぞしたんだよ。知ってただろ、『ロー』が規格外に強ぇってことは」
「するつもりはなかったよ。けど学園祭のことを問い詰めたら結果的にこうなった。あいつ、頭いいくせに脳筋だぞ」
「脳筋というのかどうかはともかく、直情的なのは違いないだろうな。……杏季ちゃん絡みに関しては」
京也の台詞に、先程のことを思い出したのか裕希は舌をだして顔をしかめた。
そのまま裕希は腕の中に顔を埋めて、目線だけを京也に向ける。
「なあ。お前さ、『鋼属性』って、何ができる?」
「何……って」
「ちょっと気になったんだ。鋼は人工物を操れるだろ。けど、どの範囲までそれが可能なのかと思ってさ」
急に問われ、京也は戸惑う。
しかし彼が答える前に、ちょうど来店を告げるベルが鳴り、会話は遮られた。
音につられて入り口を振り向けば、そこにいたのは先ほど電話を掛けてきた潤だ。彼女はすぐに京也たちの姿を見つけ、こちらに小走りでやってくる。
「おう、月谷。急にどうした」
「ああ悪いな、急に。その……折り入って、お前らに頼みがあるんだ……」
葵の声掛けに、潤は浮かない顔色で応じた。
いつもの彼女とは違い、どこか歯切れの悪い調子で続ける。
「実は、その。……さっき、道で拾っちまったんだ」
彼女の言葉に、葵と京也は同じことを思い浮かべた。
二人は渋い表情で、彼女が皆まで言わないうちに断る。
「いや。そっちの寮もだと思うけど、俺たちだって寮だから犬とか猫を連れて帰るのは無理だぞ」
「僕のアパートもペット禁止だから無理だな……」
「大丈夫! ペットじゃない!」
ぐっと拳を握り、彼女は朗々と言う。
「一応、人間だ!」
「元の場所に返して来なさい!!」
葵と京也の声が重なった。
思わず立ち上がって、二人は潤に詰め寄る。
「おい何を考えてるんだ月谷! ちょっと待て本気でどういうことだよ!?」
「いや待て落ち着けアオリン。これには海よりも深い訳があるんだ」
「落ち着けるか! バカだろお前本当にバカだろう!?」
「京也も聞け、聞いてくれ! 人間だけど人間じゃないっつーか、何だろう爬虫類? いやそれはどうでもいい、つまり要は」
葵をちらりと一瞥して、潤は一息に説明する。
「前にアオリンが、はったんに憑いてた聖獣を解放したじゃんか。
その聖獣が、人間の姿になって華麗に再登場いたしました……」
「はあぁ!?」
彼女の言うことがにわかに飲み込めず、二人は声を荒げた。
潤は三人に向き直ると、追いつめられたような表情で告げる。
「頼む。事の経緯はこれから話すけど、結論としたら。
……そいつをしばらくの間、誰か預かってくれないかな」
珍しく神妙な面持ちで、潤は両手を合わせる。
三人は困惑して顔を見合わせ、深々とため息を吐いた。
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