ドラマチック(2)

――二つ前の世界。同日の2005年10月18日。


 この時も月谷潤は、畠中春を目撃した。



 



******




 日が沈み、辺り一帯が闇に包まれた午後六時半。

 寮までの帰り道を、潤は廉治に送って貰っていた。

 頭の後ろで腕を組みながら、潤は気楽な口調で言う。


「べっつに、送ってくれなくたって大丈夫だぞ? いつも使ってる道なんだしさー」

「前はあのビルが自宅だったからともかく、今はどうせ僕だって家まで帰らないとだし、だったら送ってくのも同じだからね」

「レンの家は反対方向だろ」


 自転車を転がしながら車道側に立つ廉治を眺めて、潤は言った。彼はこれから、北へ四十五分程の道程を帰らなければならない。潤を送り届けてからでは、帰宅する頃には既に八時近くなってしまう。

 しかし彼は、何てことのないように首を傾げる。

 

「家の外に出るという労力が98%なんだから、あとは大して変わらないしね」

「引きこもりか!?」

「割とそうだけど」

「よくあんな辺鄙なとこまで引っ越したな……」

「君の弟から脅されなければ引っ越さなかったけどね」

「マジすみませんでした」


 潤はパンと音を立てて両手を合わせた。

 廉治は、すっかり日が落ち、そこここに街灯の光がにじむ街を見回す。

 

「それに今は日が落ちるのが早くなってるし、この通りは普通に道が狭くて危ないじゃん。ジュジュは昔っから危なっかしいからな」

「すみませんね危なっかしくて……。けど、他の誰かに会うリスクとかはいいんかなと思ってさ」

「この暗闇で、そうそう知り合いに見られないでしょ」

「それはそうだけど」

「それに『帰り道でたまたま遭遇した月谷さん』をちゃんと寮まで送っていく気概を見せないと、逆に草間さんにどやされると思わない?」

「……それもそうだなという気がしてきたし、確かにその言い訳が使えるからまあいいか」

「実際エンカウントしたらいろんな意味で面倒だから、送るのは寮の近くまでだけど」

「それで十分だよ! むしろすまんな」


 もう一度両手を合わせて、潤はお礼を言った。

 二人の歩く道はそれなりの車通りはあるが、人の往来は少ない。彼らの前後にも、道の対岸にも、歩く人の姿は見当たらなかった。

 辺りを見回し、周囲に人影がないのを確認すると、廉治はぽつりと尋ねる。


「なぁジュジュ。本当に依代計画に参加する気?」

「そのつもりだよ」

「おすすめはしないよ」


 固い声音で廉治は言った。潤は首を傾げて彼を見遣る。

 

「別に、依代計画そのものに危険はないんだろ?」

「危険はなくても負担はある。単純に時間が削られるだろ」


 夏の時こそ、杏季はその場で千夏たちの依代になってみせたが、それは杏季が『古属性』であり、『既に覚醒していた』という前提あってこそだ。もし潤に依代の適性があったとして、まずは開眼をしなければならないし、依代になるための慣らし期間も要り、依代計画の実行にはそれなりの準備が必要だった。

 

「ジュジュは医学部志望なんだし、余分なことに時間を取られない方がいい。それにジュジュには本当に無関係な話だろ」

「関係なくない」


 食い気味に、潤はきっぱりと言った。


「だって、巻き込まれてんのは、お前の義姉ねえさんだろ」


 彼女の返答に、廉治は足を止めた。

 数歩先で潤も立ち止まり、彼を振り返る。


「依代計画が成功すりゃ、千夏さんだって千花さんだって解放される。レンの身内なら尚のこと、絶対助ける。

 それにねーさんを助けないと、レンだって安心して東京に行けないだろ。……ていうかどうせ、その志望校のラインナップだと、この街から離れつつも、ほどよく戻ってこられる近さの場所を選んだんだろ」

「……ジュジュは泣き虫のくせに、昔からそういうところは変わらないよな」

「泣き虫じゃねーし!!!」

「褒めてるんだよ。……ありがとう」


 再び歩き出し、潤に並ぶと、廉治は素直に認める。

 

「そうだよ。都内なら数時間で戻って来られる。春までに義姉さんたちが解放されてないなら、大学生になって時間に余裕が出てきてからこそ動きたいし、解放されてたとしても、何かとこっちで手助けとかできる場面はあるだろ。もっと安全圏の国立大はあるけど、東北も大阪も名古屋も遠すぎる」

 

 少し逡巡してから、廉治は続ける。


「ねえジュジュ。なんでこのタイミングで、わざわざ後見人が実家を取り戻したか、分かる?」

「エッ……流石にそんな事情までは推測できんけど」

「あの家。高校へ通うには面倒だけど、紅城学園には近いんだよ」


 聞き覚えのある学校の名前に、潤はぴくりと眉を動かす。


「紅城学園には経済学部もあるし、返済不要の奨学金も裏で確約されてる。

 だけど大学生になってまで、あの界隈の渦中に居るなんて御免だし、借りを作りたくないからね。だから出来れば、紅城学園よりも偏差値が高くて、あそこを蹴ったとしても対外的に説得力のある大学に受かりたいんだ」

「紅城学園より高いとか、数えるくらいしかねーじゃんか……」

「そうなんだ。あそこは下手に偏差値が高いのが厄介なところなんだよ。納得してもらえそうなのは、私立だと早慶くらいだ。MARCHだとちょっと怪しい。そういう意味でも、絶対、国立に受からないと」


 青信号が点滅し、赤に変わる。

 足を止めた廉治は、隣の潤を見つめた。

 

「さっきも言ったけど、浪人はしない。それは他の大学に行けなかった場合、僕は確実に紅城学園に収容されるからだよ」

「収容、って」

「この前、影路の連中に関わったジュジュなら、多少はニュアンスが分かるんじゃない?」


 廉治は自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

「実の息子の深月ですら、モルモット同然だったんだ。異世界の血を引いてて身寄りがない僕みたいな人間は、あいつらに都合の良過ぎる駒にされるに決まっている。……絶対にそんな場所には行かない。行くわけにいかない」

「実の息子『扱い』?」

「ああ。直彦は事情を話してなかったからね」


 潤から目を外し、再度辺りを確認してから、廉治は静かに告げる。

 

「深月は、一種の『デザイナーベビー』だよ」


 聞き慣れない、しかし不穏な響きの単語に潤は戸惑って口を閉ざす。

 

「影路の現当主は、子どもの誕生により自分の力が失われないようにするため、十代の頃に自分のクローンを作り上げて、そっちに子どもを産ませたんだ。

 結果、影路の正式な血統と、同じく由緒ある血統の優秀な女性の遺伝子を組み合わせて、理想の能力を有する子どもを作り出した。それが深月だ」


 彼の説明に慄き、潤は思わず廉治の自転車を握りしめた。

 

「に、人間のクローンなんて……」

「そうだよ。当然、認められてない。けど、そういうことを平気でやる連中がここにはいる」


 二人の横を乗用車が通り過ぎ、まもなく信号は青に変わった。

 横断歩道を歩き出してから、廉治は付け加える。


「これは噂の範囲でしかないけど。そんな奴が、深月一人を産むだけで満足したと思う?」

「……まさか」

「おそらく。何人か試した上で、一番優秀だった深月を後継者として『採用』したんだろうって言われてる。つまり影路当主にとっての『失敗作』が、一定数、存在している。

 ――妊娠するのは男じゃないからね。同時並行することだって可能だ」


 横断歩道を渡りきり、弱々しい街灯が点々と並ぶだけの暗い道に入った。先ほどよりも声を落として、廉治は囁くように告げる。


「深月本人は隠してないし、相手がジュジュだから話した。

 ただ。スーのことも。深月のことも。全部が全部とは言わないけど、人の命を歯車としか思ってないような連中が、一定数存在しているってことを、覚えておいて欲しい。

 だから僕は、ジュジュにはできるだけこの世界に関わって欲しくないんだ」


 狭い路地には、彼ら二人分の足音しかしない。

 先ほどより更に声を落とし、廉治はぽつりと言う。


「一つ。ずっと妙だと思っていたことがある」

「何?」

?」


 予想外の問いかけに、潤は咄嗟に答えられず、ぽかんとした。彼女の返事を待たず、廉治は続ける。


「杏季さんが寮に入っているのは分かる。元々家が遠いのに加えて、母親が入院していて、父親も仕事で不在がちな家庭なんだ、理由にはなっている。県立高校に寮が存在すること自体がおかしいけど、それは保護派が杏季さんのためにお膳立てしたことだから、まあ納得はする。

 けど、君が寮に入る理由は全くないだろ。いくら実家から距離があるからって、通えない距離じゃ決してない。電車通学している人間の方がよっぽど遠くから来てる」


 ここから実家までは、自転車で四十五分程度はかかってしまう。

 けれども逆に言えば、その程度の時間で通学が可能なのだ。仮に健康上の理由で自転車通学が難しいとしても、その区間にはバスも存在した。廉治の通う鷹咲高校は隣の市なので、自転車と電車とを組み合わせて合計で一時間半かかるが、それでも彼は通学している。面倒ではあっても、不可能な距離ではない。

 廉治の問いかけに、潤はたどたどしく答える。

 

「そう、だけど……うちは、恵だって寮に入ってるし……?」

「親元を離れて東京にいるメグとは訳が違う。あっちは本当に妥当な理由だ」

「でも、それだと姉弟間で差があって不公平だし……?」

「本気で言ってるのか、ジュジュ。だとしたらおそらく君は、


 鋭い声で廉治は指摘する。彼の言葉に、潤にも徐々に疑念が広がった。


「だとしたら何のために?」

「多分。一定の基準を満たす人間が、意図して寮に集められている。杏季さんの側に置くためか、まとめてそういう人物を監視下に置くためかは分からないけど」

「そういえば。前に誰かが、ちらっとそんなこと言ってたような。その時は深く考えなかったけど」

「おそらく、通常はあまり深く考えられないようにされてるんだ。

 そして。他の人はどうか知らないけど、ジュジュのバックボーンに、理術の絡むものは存在しない。つまり」


 廉治はほとんど囁くくらいの声量で、静かに潤へ告げる。


 





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◇参考

【第3部】コウカイ編

 8章:大人じゃあない

「うましかもの」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881507313/episodes/1177354054887294691

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