晴れてハレルヤ(4)
果たして奈由の推測通り、まもなく裕希は公園に現れた。そして彼は静かに歌を紡ぎ始め、閉鎖空間を作り始める。全部、奈由の読み通りである。
廉治は少し口を引くつかせて、隣の奈由に目配せする。
(草間さんの読みは当たりましたが、こうなるといよいよバレたらマズイですね……)
閉鎖空間が作られた以上、それが解かれない限りは術者の裕希にばれず逃げることもできなかった。
奈由は真面目な表情で頷く。
(一連托生)
(やめてください)
小声で制し、廉治は黙り込んだ。
やがて程なくして、杏季が小走りで公園に飛び込んできた。足を踏み入れた瞬間、微かな違和感に気付き、杏季は首を捻る。
裕希のところまで歩み寄りつつ、杏季はきょろきょろと辺りを見回した。
「あり。閉鎖空間?」
「バレたか」
「何回か体験してるからねー。でも、なんで?」
「ほら、……さっきの関係の話、その辺の連中に聞かれる訳にはいかないだろ」
「あっそっか。だよね、迂闊に話せないよね。
というか、もう葵くんから事情聞いたんだ? 早いね! 今日、別の用事があったんでしょ?」
「あー、まあ、そうだな」
無邪気な杏季の問いに、裕希は気まずそうに濁して答えた。奈由たちには『手が出そうだから行かない』と告げていたが、杏季には単に『用事があって行けない』ということにしていたのだ。
二人は並んで公園のベンチに腰掛ける。その間は、人一人分、空いていた。
「えーっと」
いざ杏季を呼び出したものの、本人を前にして、裕希は言い淀んだ。言いたいことがありすぎて、どう口火を切ったものか悩んでいるらしい。
ややあって彼は、ぽつりと尋ねる。
「鳥彦って、何?」
(そこじゃねぇ!!!!!)
小声で毒を吐き、立ち上がりかけた奈由の肩を、廉治は強い力で必死に抑え込む。今ならバレたとしてもまだ傷は浅いかもしれないが、出来る限り露見は避けたい。
杏季は目を瞬かせて裕希を見る。
「そんなとこまで聞いたの?」
「……まあ」
「鳥彦はねぇ、私が好きな本の登場人物だよ」
「本か……本はあんま読まないんだよな……」
「そうだよね、読んでないと分かんないよね」
「なんか、俺が分かりそーな奴で例えられるものない?」
言われて杏季は目線を泳がせたが、しかしあまり時間はかからず答える。
「光魔法キラキラの勇者様かな……」
「『いのちをだいじに』と叫びながら所定のポーズでも取ればいい?」
「神の怒りに触れるからだめだよ!?」
「まあ、流石にいろんな意味でやんねーけど」
「通じて良かった」
「分かって良かった」
「……というか、なんでそんな質問?」
「いや、深い意味は全然ねーんだけど。他の連中と違って皆目検討がつかないやつだったから、ちょっと気になったというか……」
言いながら裕希の台詞は尻すぼみになり、やがて黙り込むと、ぶんぶんと首を横に振った。
「違う、そうじゃない」
「え、ニケより
「違う、そうじゃない」
裕希は軽く手で自分の両頬を打ってから、困惑して宙を彷徨っていた杏季の右手首を掴んだ。
「お前さ。打算で自分の未来を決めるなよ」
杏季は驚いたように目を丸くする。
「えっと。……それって、直彦くんから言われた、許婚のこと?」
「それしかないだろ」
杏季の細い手首を掴む左手にぎゅっと力を込め、裕希は彼女の目を真っ直ぐ見つめる。
「宮代にやり返したいってのは分かる。俺もあいつのことはちょっと殴りたいくらいだし。
けど、そのためにお前の人生を差し出すのは違うだろ。もう宮代のことをどーでもいいと思ってんなら尚更、そんなもののために賭ける価値のあることかよ」
「人生ってほど、大げさな感じじゃないよ。途中で支障があったら、直彦くんは辞めても構わないって言ってたし」
「仮にナオがそのつもりでも。周りがそれを許すとは限らないだろ」
裕希の言葉に、杏季は目を瞬かせた。
「直彦の許婚ったって、さっきの話じゃ、それはもう一対一の話じゃなくって、派閥とかそういう面倒なことが絡んでくるだろ。向こうは既成事実を作ってから、逃げられなくなるようにして囲い込む算段かもしれないじゃんか。
ナオのことを信じるとしても。その周りの連中を信じられる理由は、何もない」
裕希の言葉に、杏季は素直に頷く。
「……そっか。それは、確かにそうだね」
「あからさまに、きな臭すぎるだろーが。マジで辞めとけよな」
杏季の反応に少しだけ安堵して、裕希は手の力を緩めた。
「姫だとか、保護派と復古派だとか、ケッタイな話ばっかだけど。生い立ちがどーとか、派閥がどーとか、その辺はひとまずどうでもいいよ。
その前にお前は一人の人間で、一人の女の子だろ。
もっと自分を尊重しろよ。もっと自分の好きなように生きろよ。お前はちょっとぐらい、わがままに生きるくらいがちょうどいいよ」
一息で言い募った裕希に、杏季はやんわりと笑んだ。
「ありがとう。……そっか。そうだね。急にいろんなこと言われて、早いとこ、身の振り方を選ばなくちゃいけないみたいに考えてたけど。別に、今すぐに決めなくたって、いいんだよね。直彦くんもそう言ってたし」
「あいつの言うことは話半分でいいよ」
裕希の眉間に皺が寄る。
「急に全部を並べ立てるあいつだって悪いだろ。ナオがそうだとまでは言わないけどな、一気に畳み掛けて判断する隙を与えないってのは、そーゆー常套手段じゃんか。婚約者とかは論外だけど、他のことに関してだって、結論が出ないんなら、今はとりあえず保留のまんまにしときゃいーんだよ」
「私のわがままで保留のまんまにしとくのも、それは流石に申し訳ない気はするけど」
「杏季のわがままは可愛いくらいだろ。普段が逆すぎんだから」
「そうでもないと思うけど……」
空いた方の手で組んだ足に頬杖を付き、裕希は不満げに口を尖らせた。
「いつか何かを選ぶにせよ。それは本気でどーしょもなくなった時に選べば良いだろ。あっちの世界がどうあれ、俺たちが生きてんのはこっちの世界で、こっちじゃまだ未成年の高校生なんだ。
今までずっと隠しときながら、いきなりお前に判断を委ねて矢面に立たそうだなんて、あいつらの方がどうかしてる」
彼の言葉に、杏季は弱々しく笑う。
「……ごめんね」
「なんで謝るんだよ」
「だって。きっと、それ言うために来てくれたんでしょ」
地面を見つめながら、杏季は半ば独り言のように呟く。
「気にしてないふりしてたけど、やっぱり考えちゃってたから。……本当に、色んなこと。ぐるぐるぐるぐる考えすぎて、思考回路がまとまんないままで、ちょっと苦しくなってたの。
だから、そう言ってもらって、だいぶ楽になった。けど、わざわざこんなとこまで来てもらっちゃって、申し訳」
「そういう時は」
杏季の言葉を遮り、裕希は彼女の顔を覗き込む。
「なんて言うんでしたっけ?」
「……ありがとうございます?」
「よくできました」
掴んでいた手を離し、裕希は杏季の頭を撫でた。
虚を突かれたように目を見開いた後で、杏季は頷き、気を取り直したように明るい声を上げる。
「うん。なんか、大丈夫そーな気がしてきた。色々大変そうだけど、現実なんだし、どうにかやってくしかないもんね。
それによく考えたら、私の基本スタンスは、もう宣言してあるんだし、結論を急がなくても今は大丈夫だよね」
「基本スタンス?」
「これからどうするかはともかくとして、直彦くんのお姉さんたちは助けるって、言ってあるんだよ」
「ああ、そういえばそんなん言ってたな」
「あ、そんなとこまで聞いたの?」
「……そうだそうだそこまで聞いた」
棒読みで裕希は濁した。
杏季は両の拳を握って、顔を上げる。
「うん。とりあえず今日は一気に色んなことあったし、甘いものでも食べてさっさと寝ちゃう!」
「それがいーね」
「……あの、みんな今日は予定あるみたいで、私一人なんだけど。もし、時間が」
「パフェとドーナツとワッフルとパンケーキどれがいい?」
「話が早い! アッそして早速、選択しないといけない時が来てしまった!」
「ポジティブな決断ならいいじゃん」
「だよね! どれ選んでも、正解だもんね!」
勢い込んだまま、杏季は自分に言い聞かせるように続ける。
「うん。あっちの話だって、そんなに難しく考えることないのかも。今だってもはや私が居なくて回ってるんだし。そんなに権力が欲しいならそれは全部、諸々詳しいりょーちゃんにあげて、私は隠居でいいしなぁ。
もし血の存続がどうのとか言われたら、人工的にどうにかする手もあるしね。医学は進歩してるし!」
「人工的?」
「ほら、許婚とか利害関係のやつに乗らないとなると、結婚相手とかは生涯できないだろうし」
裕希は苦虫を噛み潰したような顔で舌を出した。
「……その辺の自己肯定感が異様に低いのも、宮代のせいなんだよなぁ」
「そ、そうかな……なっちゃんにも言われたけど、そんなに低いかな……」
「深海の底くらい」
「低すぎない!?」
「低すぎんだよ」
やや呆れ混じりに言ってから、裕希は改まって姿勢を正した。
「あのさ、杏季」
一瞬、言葉を区切って、裕希はさらりと言う。
「俺は、杏季が好きだよ」
「ありがと!」
にこやかな杏季の表情を、裕希は数秒、真顔で見つめる。
「……さては、伝わってないな?」
「ん?」
「ちょっと耳貸せ」
裕希は杏季との空いた距離を詰め、くっつくぐらいの距離まで近付くと、彼女に耳打ちする。
やがて、十数秒が経過した後。
「ほへっ!?」
奇声を挙げて、杏季が跳ねた。白い肌がみるみる朱に染まり、ぱくぱくと口を開け閉めしている。
固まる杏季の額を、裕希は人差し指で、つんとつついた。
「宮代のことがずっと好きだったのは知ってる。だからその気がないのは分かってるし、このタイミングでナオみたいにつけ込むような真似はしない。返事だって今はいらない。とりあえず今は、杏季は自分で考えてるようなちんちくりんなんかじゃないってこと自覚して、自己肯定感の底上げにでも使っとけ。せめて深海からは脱しろよ。
けど直彦の婚約者になるのだけは、絶対阻止するからな。覚えとけよ」
「……はひ」
間の抜けた返答をして、杏季はゆっくりと頷いた。
「待て待て待て待て待て待て」
奈由はカメラから顔を上げ、愕然とした表情を浮かべる。
「肝心の所が、一切合切、分からなかったんだが!?」
「の、ようですね」
冷静に相づちを打ちながら、廉治は「上手くやったな」と心の中で密かに拍手した。
と、耳元へ、不意に裕希の声が届く。
「なんでお前まで居るのか知んねーけど。お前らの前で言うわけねーじゃん」
思わずばっと耳に手をやるが、隣には奈由しかいない。奈由もまた同じ反応をしていたので、彼女にも声が届いたのだろう。
ここは裕希の作り上げた閉鎖空間の中である。彼らのところに、裕希が言葉を飛ばしたのだろう。
正面を向くと、数メートル先に居る裕希と目が合った。
「……なるほど。最初から気付かれてた訳ですね」
「当たり前じゃん。気付かない訳ないだろ」
「奈由さんが不覚を取られた、だと!?」
「追い出す方が後々めんどーっぽかったから、そのまま入れてやったんだよ。ナオとの写真ばっか撮られてんのも癪だったしね。
けど。肝心なところを教えるわけないだろ」
離れた場所から、裕希は不敵な笑みを浮かべる。
「お前らに聞かせてなるものか」
裕希は二人へ向け、べっと舌を出した。
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