絶対勝者


「それでは新入生代表による挨拶です」


 4月中旬、聖フィルリード学園では入学式が行われていた。

 屋内ではなく屋外で行われる入学式なので、満開の桜からは祝福の花びらが、パイプ椅子に座る300人程の生徒達へと散らされる。

 色とりどりの髪をした生徒達には、姿勢を正して聞いている者、興味なさそうに寝ているものや髪の手入れをする者など個性的なメンツが揃っている。


「ふぁぁ••••••」


 台上に上がる黒髪の少年は、ポケットに手を入れ、大口で欠伸をする。明らかにやる気なく態度が悪いその少年は今年の新入生代表だった。


「え〜それでは、強者、弱者の方々おはよう」


 強者に反応したのか、弱者に反応したのか。

 どちらに反応したのかはわからないが、寝ていた者は起き、髪の手入れをしていた者は手を止め、そんな初めの一言に新入生全員がその少年に注目する。


「新入生代表の三神 みかみ あかつきだ。代表ってことでお前らよりも上位に位置するわけだが」


 入学式会場が殺気立つ。

 それもそのはず。いきなりお前らは俺より弱いと言われたのだから仕方ない。

 暁は何も気にせず、そのまま続ける。


「別に俺は強いわけじゃあない。実技試験なんてやった日には最下位になってしまうかもしれない。別に俺は弱いわけじゃあない。お前らに負けることはあり得ないからだ」


 スラスラと出てくる皮肉やおどけたように笑う仕草に、会場の緊張感は最高潮に達する。


「この中には入学試験で2位だったやつもいるだろう」


 前に座っている金色で長髪の少女がピクッと反応する。


「調子が悪かったから1位が取れなかった。なんて思っているなら残念。理由は俺がいたからだ」


 立ち上がりはしないものの少女はワナワナと怒りに肩を震わせ、少年を睨みつける。

 暁はそんなことには目もくれず、半笑いぎみに続ける。


「この中には3位だったやつもいるだろう」


 次は隣に座っていた黒い短髪の少女が反応する。


「今回は残念ながら3位だったな。次はがんばろうか?だが、残念。お前がなれるのは2位までだ。1位には成り上がれない」


 不敵に笑う暁はそのまま挑発の言葉を並べていく。黒髪の少女は腰に下げている刀に手を当て、今にも抜かんとばかりに構えている。


「最後に一言だけ言っておこう」


 暁はさらに声を大きくして話す。


「俺は強者でも弱者でもない。ただ勝つ者、勝者だ。それじゃあ、みんなこれから2位争いをがんばってくれたまえ」


 そう言ってお辞儀もせず、再び欠伸をして、後ろで涙目になりながら司会を務める若い教員を尻目に、台上から降りて臨時的に建てられている壁の裏へと捌けていく。


「ったく、面倒くせぇことやらせやがって•••••••」

「まあ、そう言うでないわ」


 壁の裏に立っていた老人、学園長の二階堂 銀次郎にかいどう ぎんじろうは腕を組み仁王立ちで立っていた。

 老人といっても白髪ではあるが腰は曲がっておらず、鍛えられた体に堂々とした風貌は老いを感じさせない。


「随分といい挨拶だったぞ。緊張している様子もなかったしの」

「なんで俺があんな奴らに緊張しなきゃならねぇんだよ」


 暁は怪訝そうな顔で吐き捨てる。立場が違うんだとそうはっきり言い切った。

 銀次郎は、それを聞いて哄笑して笑う。


「それはどういう意味でかね?」

「強者と弱者。あいつらはその枠組みだ。弱者は強者を倒すために強くなろうとする。強者は弱者に足を掬われぬよう、そして自分よりも強い者を倒すために強さを求める」


 虚勢でも虚言でもない。ただ、意気揚々と当然のように語る。


「だが、俺は違う。俺は勝者だ。勝者は勝てる人じゃない。勝つ人だ」


 その言葉から感じられるのは余裕ではなく確信だけ。

 そう言ってから 暁は両手をポケットに入れて、銀次郎の隣を通り過ぎる。

 それから高らかに告げた。


「俺が『絶対勝者』だ」


 あえて生徒達に聞こえるように叫んだ。

 確かどこかに席を用意してあると言われた気もするが、わざわざ最後まで出席する義理はない。


(どこか、昼寝できるところでも探すか••••••)


 それから、またふぁっと欠伸をしながら入学式会場を後にした。



 春の風は心地よく髪を撫で、穏やかな日差しが体を程よく暖めてくれる。目の前で踊る桜の花びらは、春ならではの気分の高揚を誘う。

 空は雲が少なく、文句無しの晴天。こんなにもコンディションがいい日はそうないだろう。

 もし、文句をつけるとするならば


「そこから降りてきなさい‼︎」

「早くしろ!」


 下から聞こえてくる怒号くらいだろうか。


「こんな日になんだよ••••••」

「なんだよではないでしょう‼︎あれだけ馬鹿にしておいて、ただで済むと思っているの⁉︎」


 桜の木の上で欠伸を噛み殺す暁に、金色の長髪を揺らしながら少女──フィルフォード•S•アリスは怒鳴り立てる。


「とりあえず降りてこい」


 隣に立つ少女ー黒峰 くろみね さくらは取り乱すほど怒ってはいないものの刀に手を乗せ、今すぐにでも斬りかからんとしている。

 

「人の昼寝の邪魔しやがって••••••よっと」


 暁は桜の木から2人の前へ飛び降りる。不服そうな声に相変わらず調子に乗った態度が、さらに2人の怒りを焚きつける。


「なんですか、その態度は!」

「全くだ‼︎」

「騒がしい奴らだなぁ••••••」


 めんどくさそうに、興味なさそうに頭を掻く。目線は、2人ではなく周りの桜に注がれていた。

 この時期の桜は儚く美しく舞い散る。この光景に今までどれだけの人が魅力されてきたことか。


「こっちを見なさいな!」

「ん?ああ」


 桜の木から目線を2人の少女へと移す。アリスは激しく、黒峰はおとなしく、だが2人とも憤怒しているのには変わらなかった。


「おたくは2位のアリスだったかな?そっちは3位の黒峰だなぁ」

「順位で呼ぶのはやめてもらえます‼︎」

「まあまあ、そう怒るなよ。可愛い顔が台無しだぜ?」

「か、可愛いって••••••そんなこと言っても許しませんわよ!」

「事実だから言ったまでだ」


 ヘラヘラと笑う暁にアリスは地団駄を踏む。

 黒峰も半分ほど刀を抜いてこちらを睨んでいる。どうやら黒峰の方はそう簡単にはいかないらしい。


「それで?なんか用か?お茶のお誘いなら喜んで受けるんだが」

「この状況でなんでお茶のお誘いだと思いましたの⁉︎違いますわ!入学式での挨拶に対するお礼に来ましたの!」

「つまり、戦えと?」

「そうですわ!」

「やだよ、めんどくせぇ」

「え?••••••」


 暁は即答した。

 3人の間に、しばらくの沈黙が生まれる。


「り、理由をお聞きしても?」

「なんで、俺が意味もない試合に体力を使わなきゃならねぇんだ。勝つって決まってても体力は使うんだよ」

「勝てない試合ならやってくれるということか?」


 しばらく話していなかった黒峰が口を開いて問う。

 それに暁は哀れそうな目に馬鹿にしたような声で返す。


「ほう。つまり俺が負ける試合があると?」

「私はお前に勝てる」

「はっ、笑わせんな。本気で言ってるとしたら随分と恥ずかしいねぇ。その哀れさに免じて、試してやろう」


 暁は左手をポケットに入れ、態度がより一層調子に乗ったものになる。相手をイラつかせるには十分すぎる行動だ。


「調子に乗るなよ」

「これが普段通りだ」

「外道が••••••」


 怒りが最大に達したのか、もとより4歩分ほどしかなかった間合いを一瞬で詰め、刀で暁を斬った──はずだった。

 振られた刀は血を流させるどころか、服さえ斬ることも出来なかった。手加減をしたわけでも、暁の制服が防刃素材なわけでもない。

 逆に逆上して、手加減できなかったほどである。


「なっ!」


 予想出来なかった結果に黒峰は驚きが隠せない。防がれたり、避けられたりするなら分かる。だが、当たったのに切れなかった。

 それを不思議がることなく、当然のように立つ暁は右手で黒峰の顎を触る。


「俺は美しい桜が好きかなぁ」

「ななな何言ってるんだ⁉︎」


 目の前でそんなことを言われた黒峰は頬を一瞬で紅潮させ、後ろへ飛び退く。


「いや、桜だぜ?」


 暁はヘラヘラと笑いながら桜の木を指差す。


「わ、分かっている」

「大丈夫ですの?」

「あぁ。少し動揺しただけだ」


 黒峰は刀を鞘へ戻し、服装を整える。


「それで、まだやるのか?」

「いや、今日のところは遠慮しておこう」


 どんな能力でどんな効果なのか分からない今、戦うには不利すぎると判断した。

 それに対して暁は不敵な笑みを浮かべる。


「いい判断だな。まあ、なんだ。ゆっくりお互いのことを知っていこうぜ?桜ちゃん」

「黙れ‼︎」


 黒峰の頬が再び紅潮する。暁は相変わらずおどけるようにケラケラと笑う。


「じゃあな。二度寝する気にもならねぇし、今日はもう帰らせてもらうよ」


 暁は2人に背を向けて、校門の方へと歩き出す。時計台を見ると時刻は11時30分。30分ほどで家に着くので、丁度良い時間である。


「あなた!午後のクラスの委員決めはどうするつもりでして⁉︎」

「あ?なんで俺がそんなのに出なきゃならねぇんだよ。また、明日な」


 アリスは、後ろを振り返らずに手を振る暁を見ていると、校舎から予鈴鳴っているのが聞こえてくる。


「桜さん。とりあえず早く教室に戻りましょう」

「それもそうだな。放課後、作戦会議といこう」


 2人は暁のことは諦めて校舎へと向かって走っていく。

 その暁はというと、校門から10メートルほど手前のところで4人の男子生徒にいちゃもんをつけられ囲まれていた。


「なんでこう何回も来るかねぇ••••••」

「入学試験くらいで調子乗りやがって‼︎」


 巨大な斧を携えた男子生徒が叫ぶ。他の3人は銃、鎌と違う武器に、1人は両拳を氷で覆っている。

 不意打ちをしてこないだけ、まだ常識があると褒めてあげるべきなのか。いや、そもそも相手にすることが面倒なので、褒めたくはない。


「俺に何かしてほしいのか?」

「お前は動かなくていい。その間にボコボコにするけどな‼︎」


 周りの3人は喋らず、斧を持つ男子生徒だけが喋っているところを見ると、どうやらこいつがリーダーらしい。


「何か言うことはあるか?」

「じゃあ一言。お前ら、俺より強いのをやめてもらおう」


 そう言うと暁は出していた右手もポケットに入れる。行動の1つ1つに相手をイラつかせる暁のそれはもはや才能と呼んでもいいレベルだ。


「よく分からないこと言ってんじゃねぇよ!」


 斧を振り上げたのを合図に他の3人も構え、同時に攻撃を仕掛けた。

 弾丸を受け、鎌と斧で切りつけられ、氷の塊で殴られても、暁は怪我1つ付けられることはない。

 特異的な力には通常魔法と固有能力の二種類あり、通常魔法も上級魔法と下級魔法に分かれている。

 通常魔法とは、基本的な魔法のことを差し、誰もが練習すれば使えるようなれるものである。

 固有能力とは、その人の性格、人格、体格や環境などによって千差万別に発現する能力で、一人一人違う能力を得る。

 魔法と能力の違いとしては、魔法は物理的な攻撃のみを行えるのに対して、能力は自身の強化や他人への干渉を行えるものもある。

『絶対勝者』───認識出来る範囲のものを自分よりも弱くするという力を持つ暁の固有能力は、他人への干渉の良い例といえるだろう。


「終わりか?」


 何事もなかったかのように立つ暁。

 暁の固有能力によって"暁よりも"弱くなった四人の攻撃は特にダメージがあるようには見えない

 リーダーであろう斧を握る男の顔が驚愕に染まる。他の3人の顔は見えないが、おそらくそれに近いことにはなっているだろう。


「なんで効かねぇ⁉︎」

「お前らが俺より弱いからじゃね?」


 はっきりと当然のように言う。能力上、そうであるのは確かだが、それを知らない男はブチ切れもう一度斧を振る。


「うるせぇ‼︎」


 次は斧が無力に服で止まることはなかった。


「んなぁ⁉︎」


 まるで自分よりも硬いものを殴ったかの如く、斧は無惨に砕け散る。


「それじゃあ、次はこっちから」


 暁はポケットから右手を出して、親指と中指を重ねる。そして、パチンッと指を鳴らした。


「•••••••!?」


 声にならない悲鳴をあげて4人はその場に倒れる。リーダーの男子生徒は多少意識を残しているものの、残りの3人は気絶していた。


「な•••何しやがった••••••」

「そんな大層なことはしてないさ。みんな大好き、初歩中の初歩、下級魔法の『フラッシュ•ボルト』だ」


『フラッシュ•ボルト』──下級魔法の1つ。習う魔法の中でも1番目か2番目に習う基本の中の基本。

 本来の威力なら相手を怯ませたりする程度であるが、暁の能力下において人によっては気絶させることが出来る。


「何者だ••••••お前•••」

「最低で最強で卑怯な能力者、三神 暁だ。イラついたからって能力も調べずにくるのは、関心しないぜ?以後、よろしく頼むよ」

「断る••••••」


 そう言って男は意識を失う。暁は四人をそのままに、再びポケットに手を入れて校門の方へと歩き出す。

 時間を確認すると既に12時を回っていたらことに気がつく。

 あんな奴らに30分も使ってしまったと思いもしたが、もとよりすることがなかった暁は暇つぶし程度にはなったかと許してやることにした。


「お〜」


 校門の前で、強く風が吹くと街路樹の桜が散り、目の前をピンクに染め上げる。思わず、その光景には感嘆の声を出さずにはいられなかった。


「そういえば、この学校には庭園があるって言ってたな」


 明日行ってみるか、と少し胸を躍らせながら一人勝手に帰路につく暁だった。




 昨日も通ったが、桜は校門に近いほどたくさん植えられている。やはり入口が華やかな方が気持ちも良くなるというものだ。

 昨日ほど暖かい陽気ではないものの雲は少なく天気がいい。桜も元気そうに花びらを散らしている。

 暁は校門の前で時間を確認する。12時30分。およそ4時間の遅刻である。

 別に遅刻しようと始めから目覚ましをかけていなかった訳ではない。7時に1度目覚ましのアラームで起床。すぐさま二度寝し、次の起床は10時30分だった。

 慌てて学校に行く準備をしている時に、「どうせ間に合わないし昼食を食べてから行こう」と思い立ってからキッチンで昼食を作り、食べ終わって家を出たのが12時。

 そもそも学校に来ないという手もあったのだが、根は真面目(少なくとも本人はそう思っている)な暁は午後の授業くらいは出ようと思った。


「なんだ。まだ昼休みかよ」


 昨日昼寝に使っていた桜の木を通り過ぎ、校舎の近くにある噴水の辺りに来るとお弁当を食べる生徒たちの姿が見える。

 芝生の上でボールで遊ぶ生徒や通常魔法を使ったゲームをする生徒達の姿を見る限り、昼休みであるのは確かだろう。

 ならばタイミングがいい。授業をやっていない今のうちに教室に入ることが出来る。


「そういえば、俺の教室ってどこなんだ••••••」


 入学式を途中で抜け、桜の木の上で昼寝をした後、昼頃に帰宅した暁は自分の教室が分からなかった。というか校舎に入ったことすらなかった。


「あなた!いつ来ましたの⁉︎」


 校舎前で困っていると後ろから知っている声がかけられる。後ろを振り返ると昨日の金髪と黒髪のコンビがお弁当を片手に立っていた。外で食べてきた帰りらしい。


「おお!丁度いいところに!」

「丁度いいところに、じゃないですの!もうお昼休みですのよ!」

「みたいだな」

「なんでそんな平然としてるんですの!」

「まあ待てアリス。何かやむを得ない理由があったかも知れないだろ」


 黒峰は騒ぎ立てるアリスをなだめる。それから暁の方へ向き直した。


「それで、言い訳を聞こうじゃないか」

「いや、ただの寝坊だ」

「弁解の余地なしですわ!」


 アリスは叫ぶ。反応が面白いというか、いちいち激しい。見ているだけで楽しい少女だ。


「4時間寝坊した人間なんて見たことありません••••••」

「昼飯も食べてたしな」

「助けようがないですわ!」

「まあまあ、学校には来たんだから許してくれよ」

「教室あと2コマしかありませんのよ⁉︎」

「残りの授業は真面目に受けるからさ」

「ほう」


 その言葉を聞いた黒峰はニヤッと小悪魔的な笑みを浮かべる。それをみたアリスもまた、何かを思い出したかのように笑う。


「言ったな?」

「二言はないぜ」

「ならばお前の言葉が本当か、しっかりと見せてもらうぞ」

「別に構わないけどよ••••••」


 2人してニヤニヤしている理由は分からなかったが、真面目に受けると言った以上、その言葉を曲げるつもりはない。

 いきなり切りかかられても能力でどうにかなるし、特に問題はないはずだ。


「時間もあまりないし、早く教室に戻るとしよう」

「案内頼むわ」

「なんであなたはそんなに偉そうなんですの⁉︎」


 なぜか左にアリス、右に黒峰と両側から挟まれる形で歩き出す。端から見れば2人ともかなり整った顔立ちをしているので両手に華だと思われるかも知れない。

 だが、学年1位、2位、3位のグループに声をかけられるほど度胸のある生徒は誰1人としていなかった。



「お前らそういうことか••••••」

「昨日いなかったのが悪いんですわ」

「ああ、まったくだ」


 教室に着いた暁が指定された席は3人席のど真ん中。さらに左右にはアリスと黒峰が座っている。

 先ほど笑っていたのはどうやらこのことらしい。初めは名前順に並んでいたらしいが、昨日の午後に席替えを行ったらしい。


「お前の能力は自分よりも弱くするだけらしいのでな。ならば精神攻撃ならば有効だろう?」


 黒峰は得意げな声で言った。悔しいがその推測は正解である。暁の能力は物理攻撃に対しては絶対的な効果を発揮するが、精神的な攻撃に関してはまったく意味をなさない。


「よく気づいたな。お前」

「これでも頭は切れる方なのだ」


 別に長いこと一緒にいたわけでもなく、能力を調べただけでこの弱点に辿り着くのはかなり聡明であると言える。

 性格上、悪口や陰口に対しては敗者の戯言だ、とまったく相手にせず傷つくことはない。


「この字、間違っているぞ」


「背筋を伸ばしなさい!」


「しっかり書け!」


「寝ちゃだめですわ!」


 ただ、小言は違う。

 授業は何事もなく始まったのだが、アリスからは姿勢に対する文句、黒峰からはノートに対する文句が逐一入ってくる。結果として暁は一睡もせず、すべての板書を写して2コマの授業を終えることとなった。


「明日から毎日こんな調子かぁ? たまったもんじゃないぜ」


 暁は机に突っ伏して、ため息を吐き出す。


「あなた、入学試験の筆記テストはしっかり受けましたの?」

「当たり前だ」

「なら一応勉強はできますのね」


 アリスが隣で教科書とノートを鞄にしまう。この学園はトップクラスの難関校で競争率が高く、テストの難易度も高い。それをクリアしたものは、次の実技試験を受ける権利が与えられる。

 募集人数は存在しない。どちらもクリアしたものだけが入学を許されるのだ。

 そのため、年によって生徒の数は分かれる。今年は比較的に合格者が多かったらしい。


「私、全教科90点以上だったのですけれど、あなたは何点でしたの?」

「全教科満点だ」

「え?」


 暁は立ち上がり、伸びをしながら答える。アリスは、言葉の意味を理解できずに思わず聞き返してしまう。


「だから全教科満点だ。パーフェクト、ノーミス、バツなし。あんな問題で間違える方が難しいってもんだ」


 ふぁぁ、と大きく欠伸をして帰りの支度を始める。桜は脱いでいた学校指定の黒いブレザーに腕を通しながら、惚けているアリスに言葉をかける。


「入学時の順位は筆記と実技、両方の結果を踏まえた上で決められている。お前はどちらでも負けたってことだよ」

「わかったか?2位のアリスちゃんよぉ」

「わかりましたけど、あなたに言われるとなんだがムカつきますわ!」


 アリスは顔を真っ赤にして叫ぶ。

 暁はこの能力を得てから特に訓練や練習をする必要がなくなった。

 だが、それは同時に今まで1日の大半を占めていた時間が空いたことを意味していた。

 時間を持て余し、あまりにも暇すぎた結果として暁は、勉強をした。

 図書館で本や資料を読んだりして知識量を増やしていく。それから現在の15歳になるまでの2年間続け、今では随分と博学になってしまった。


「お前はこれからどうするつもりだ?」


 ブレザーを着終わった桜が尋ねる。制服にはいくつか色があり、黒•白•紺•深緑など自由に選ぶことが出来る。ちなみに暁は桜と同じ黒を、アリスは白を着ている。


「俺は庭園に寄ってみるつもりだが」

「あなた、そんなのに興味がありますの?」

「俺は美しかったり、風情のあるものが好きなんだ。まあ、お前たちを見ていても良さそうだがな」

「なんであなたはそんな恥ずかしいことを平然と言えるんですの!」

「さあ、本心だからなんじゃないか?」

「な、何を言ってますの!」


 アリスは照れて手で顔を隠すものの、耳まで朱色に染まっていた。桜も照れているのかこちらから顔を背けている。


「それじゃあ、また明日。お二人さん」


 暁は2人が付いていくなどと言い出す前に教室から出て行くことにした。

 美しいものは時間を忘れさせてくれる。それは時間が有りすぎる故にいき着いたものだった。他にも難しい問題を解いたりすることも趣味の1つだったりする。やはりそれも時間を費やすことが出来るからだ。

 窓から見える空はまだ青く、太陽も高く登っている。暁は庭園にはどんな花が咲いているのか、と考えながら心を躍らせて廊下をいつもより早く歩いた。



「これが庭園か」


 校舎から少し歩いた場所にあり、透明なガラスで覆われたドームの形をしている庭園の前で暁は感動を言葉にした。

 ガラスなので中の様子が透けて見えており、黄や赤など様々な花が姿を見せている。


「サクラソウにガザニアまで咲いてるじゃねぇか!こりゃ来て正解だったな」


 外から見える花だけで暁のテンションが上がり、心を躍らせて中へと入る。

 花は力強く生きる勇ましさ、美しく咲く可憐さ、そして最後には散ってしまう儚さの3つを兼ね備えている。

 美の究極と言っても過言ではない。

 中に入ると蜜とは違う花特有の甘い香りが鼻元に漂ってくる。色合いも鮮やかでそれがまた気分の高揚を誘う。


「しっかりと手入れが行き届いているな。みんな色が良いし、何より生き生きとしている」

「どなたですか?」


 咲いている花を愛でていると後ろから声がかけられる。振り向くとそこには茶色い髪をした少女がじょうろを片手に立っていた。

 背丈は暁より少し低く、瞳は黄金色に輝いていて、手足はすらりと長い。土仕事をしていたのか深緑の制服の袖が捲られ、白い肌に所々泥が付いている。


「俺は三神 暁だ。悪いな、入っちゃだめだったか?」

「いえ、ここは出入り自由になっているので大丈夫ですけど、人が来るのは久しぶりでしたから」

「みんなここには来ないのか?」

「皆さん花には興味がないみたいで」

「勿体無いなぁ。こんなにも綺麗に咲いているのに」


 暁は庭園内を見回す。どの花も鮮やかな色の花を咲かせ、枯れているものは1つも見当たらない。なかなかの広さのある庭園すべての植物を枯らせないだけでどれだけ時間をかけて育てているかが伺える。


「ここは1人で?」

「はい。去年まではもう1人先輩がいたのですが、卒業してしまったので今は1人です」

「そりゃ大変だなぁ」

「全くです。おかげで全然授業に出られてなくて」


 やははは、と少女は照れ笑いをする。これだけの植物を世話していれば当然だ。

 今日寝坊して授業に遅れた暁としてはそのことに対して何も咎めることはできない。


「花がお好きなんですか?」

「まあな。花は見ていて退屈しない」


 近くに咲いていた薔薇の花を撫でる。綺麗な薔薇には棘がある、というけれど棘があることを知っていれば対処の仕方はいくらでもある。

 用心せずに触れるから思わぬ怪我をする。戒めの一言としてはいい言葉だ。

 だが、棘があるからこそ薔薇はより一層美しさを増す。

 言うなれば、綺麗な薔薇である理由があるは棘にある、と言ったところだ。


「そういえば自己紹介をしていませんでしたね。二年生の九ノ江 このえ みやびです。好きな花はクチナシです」


 改まって丁寧に手を揃えてお辞儀をする。口調、行動からは大人しい淑女らしい雰囲気を感じる。


「クチナシ••••••確か花言葉は「喜びを運ぶ」だったかな」

「はい!他にも「洗練」や「優雅」がありますけど、あの白い花びらはまさに優雅です」

「いいセンスだな。白い花はたくさんあると風景に映える」

「それもそうですが、白い花は1輪でも十分綺麗ですよ」

「それには同意するが、俺はたくさんある方が好きだなぁ」

「それじゃあ、三神さんの好きな花は何ですか?」

「俺は彼岸花だ。あの炎のようにも見える鮮やかな赤には魅せられる」


 それから2人は小一時間ほど花の話で盛り上がった。話の内容は何色の花が1輪でも1番綺麗かやどの花が散る時1番美しいかなど色々だったが、どれ1つとして答えは決まらなかった。

 

「いつから花を?」

「俺は2年前だなぁ。簡単に見られて、かつ奥深いところに惹かれた。そっちはいつからなんだ?」

「私は父が花屋をやっていますので、小さいころから手伝いを」

「なるほどな」

「三神!」

「ん?」


 不意に庭園の外から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。ここにいることを知っているのはあの2人くらいだ。


「この声は黒峰の方だな」

「お知り合いですか?」

「ああ、クラスメイトだ。結構長いこといたし、丁度いいからそろそろ帰らせてもらうよ」

「いつでも来てくださいね」


 暁は置いていた自分のカバンを担いで、入ってきた入り口の方へ体を向けた。外ならは催促する声が聞こえてくる。アリスと違って黒峰は大人しいと思っていたのだが、そうでもないようだ。


「あ!そういえば最後に」


 出る寸前に何かを思い出して、暁は振り返る。ポケットに入れていた右手で何かを指差し、


「相手に気づかれないように攻撃したいなら、もっと殺気を消したほうがいいぞ。それじゃあ、また気が向いたら来る」



 そう言って暁は庭園から出て行く。

 最後に指差した場所には雅の能力─『黒影舞踏』で創り出した影の槍を待機させていた。

 どんな影でも操ることが出来るこの能力は隠密性に優れていて、物陰から相手の死角に攻撃することも出来る。

 初めは誰かわからなかったので警戒のために用意したのだが、名前を聞いて新入生の代表だということがわかった。だから、そのまま待機させていたのだが、


「まさか、気づかれていたとはね••••••」


 雅は驚愕に顔を歪ませる。能力を知った上で見破られたわけではない。能力を知らないのに場所まで見破られてしまった。感情を隠すのは得意としているつもりだったのだが、見透かされていたらしい。

 しかも、気づかれていたことに気づくことができなかった。


「試験官を一撃で倒したって噂も嘘じゃなさそうね」


 雅は自分を納得させるように呟く。それから、さっきまで話していた好きな花のことを思い出す。


「彼岸花••••••「また会う日を楽しみに」とは皮肉かしら」


 本当に好きな花だったのか、それとも皮肉のためにそう言ったのかは分からないが、雅は口元を緩ませ、笑みを浮かばせていた。

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俺より強いのをやめてもらおうか‼︎ イノカゲ @inokage

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