向日葵唄

椿叶

向日葵唄

 八月。日差しがじりじりと照り付ける夏。向日葵の季節。

 スケッチブックに鉛筆を走らせる。さらさらかりかりと音を立てて、僕の絵は少しづつ形を作っていく。

 目の前にあるのは、大輪の向日葵だ。僕はその近くの木陰に腰を下ろして、その向日葵のスケッチをしているのだった。

 僕の所属している美術部は、夏休みほとんど集まることが無い代わりに、宿題が出る。ようは、何か絵を描いてこい、ということだ。通学に時間かけて学校にいくより、自分の好きなところで絵を描くほうがよっぽどいい。どこで何を描こうか悩んでたら、父親にこの向日葵畑を勧められた。なんとも、死んだ母親が好きだったところらしい。

 母親の事は物心ついたときからいなかったから、あまりよくわからない。でも、写真で見たここはきれいだったから、ここで描こうかな、と思った。別に、母親がここが好きだったとか、そういう理由でここにいるんじゃない。

 絵を描くのは結構好きだ。自分で言うのもどうかとは思うけど、僕の絵はうまいと思ってる。少なくとも同じ部の中では。まあ、ゆるい部活なのは間違えないけど。みんな宿題めんどくさがってたから、多分宿題も僕が一番良いのを描いてくるだろう。

 暑い中絵を描いていても、大した苦じゃなかった。でも、やっぱり暑いのは間違えない。汗がたらたら出るから、タオルは欠かせない。

 汗を拭きながらペットボトルの水に手を伸ばしたとき、間違えて近くのペンケースを倒してしまった。

「やっば」

 ここらへんはちょっとした坂道だから、丸いものを落とせば転がっていく。そりゃ、鉛筆の類だってそうだ。あーあ、鉛筆五本転がった。

 スケッチブックを持ったまま拾いに行こうとすると、

「この鉛筆、あなたのですよね?」

 そう声が掛けられた。

「あ、僕のです。すみません、ありがとうございます」

 僕と同じくらいの女の子だった。白いワンピースに、青いリボンのついた麦藁帽。黒い髪は肩のあたりまでのびている。ちょっと服装に対して、髪の毛が暑そうだ。

「いえいえ。もしかして、絵を描いているんですか? やっぱり向日葵?」

「はい」

「そうなんですかー。ここきれいですからねー」

 そう微笑んだ顔が、どこか引っかかる。

 どうしてかな。僕、この人知ってる。誰だろう。今は思い出せないけど、絶対に知ってる。この人、誰だろう。

「あはは、すみません話しかけちゃって。びっくりですよねー」

「あ、いや、拾ってくれて、助かりました。鉛筆」

「いえいえー。スケッチ頑張ってくださいねー」

「はい」

 スカートをひらひらさせて、女の子は向日葵の方へ近づいていった。彼女の背丈ほどもある向日葵の前に立つと、ふと、こっちを振り返った。

 これ、知ってる……。

 そう思った瞬間だった。

 女の子の姿が消えた。代わりに、一羽のアゲハチョウが現れる。

「え?」

 光の粉を残して、蝶は空へ昇っていく。高く、高く。ずっと高く。なんだか、眩しい。

 僕はその光景から目が離せなかった。いつまでも蝶の姿を目で追った。やがて見えなくなって、気が付いた。

 あの子、母さんに似てるんだ。

 父親が見せてくれた、母親の写真。

『これはな、母さんがまだ子供のときの写真なんだよ』

『母さんの?』

『そうさ。なかなか美人だろう』

 その写真は、向日葵畑の真ん中に立って、こっちを見て微笑んでいる写真だった。白いワンピースを着て、麦藁帽をかぶって。

 母さん、僕に会いに来たのかな。

 不思議な出来事だけど、怖くもなかった。なんとなく、心があったかい。母さん、明るくて面白い人だな。

 木陰に戻って、鉛筆を握る。

 描いていた向日葵畑の真ん中に、さっきの女の子を描き足す。

 風に髪とスカートが揺れている姿を。こっちに向かって、にっこりと微笑んでいる姿を。

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向日葵唄 椿叶 @kanaukanaudream

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