道化師と源体の話
ある世界のお話です。
強大な力を持つ魔王が現れて五年、世界の約八割が魔王とその配下によって支配されていました。
世界を蹂躙した後、魔王は人々をあざ笑うかのように、神々の住まう地と伝えられていた世界最高峰の山々が連なるケレモ山脈に自らの居を構えました。
そして、物語はこの魔王城から始まります。
「九千八百九十五、九千八百九十六、九千八百九十七」
妖しくも荘厳な雰囲気を持つはずの玉座の間から、場違いな甲高い声が聞こえてきます。
巨大な魔物も入ることの出来るように作られた広大な玉座の間は多くの人影で埋め尽くされていました。そしてそのたくさんの人影をぬうように動き回っている一人の男がいました。
男は赤や青、黄色といった原色の端切れを接ぎ合わせた派手な衣装を身にまとい、同じく様々な色の巨大な帽子をかぶっていました。
本来は白粉で真っ白に塗られているのでしょうか、その顔は走りまわって噴き出た汗によって斑模様になっていました。
「道化!まだ終わらんのか!」
玉座から男に向かって鋭い声が飛びます。
「も、もう少々お待ちを!
ええっとどこまで数えたかな?あっ!そうそう、九千九百四十二、九千九百四十三」
先程から聞こえていた声は道化と呼ばれたこの男が発していたものでした。どうやら玉座の間にいる人影を数えて回っているようです。
しかし、その動きはあっちにフラフラこっちにフラフラとお世辞にも要領が良いようには見えません。
普段であればそうした間の抜けた動きを楽しむのでしょうが、それが延々数時間も続いているといい加減うっとうしく思えてきます。
「後一分で終わらせろ!出来なければ殺す」
ついに最後通告が行われました。
「は、はいぃ!」
悲鳴のような声音で返事をすると、道化は必死になって残りを数え始めました。
「残り二十!十九、十八」
懐中時計を手にカウントダウンが始まりました。道化は間に合うのでしょうか?
「七、六、五」
もう時間がありません。
「終わりました!スカ様!きっかり一万です」
残り三秒で数え終わり、何とか命を取り留めることが出来たようです。流れる汗をぬぐいもせずに道化は玉座へと走って行きました。
「はあ、はあ、はあ。さ、さすがは魔王スカラル様ですね。御身と合わせて一万もの数に分れられるなんて、吾輩尊敬してしまいます」
道化は揉み手をしながら玉座の魔王にすり寄っていきます。
「道化、貴様なぜ間に合わせた?」
対する魔王は不機嫌さを前面に押し出しています。
「ひっ!わ、吾輩なにか粗相をしたのですか?」
言葉の真意がつかめず怯えながらも尋ね返しました。その態度が気に食わなかったのか魔王は座ったまま道化を蹴り飛ばしました。
「げひっ、ふひゅう、ごほっ」
腹部を蹴られて、その上背中から硬い床へと激突した道化は息が出来ずに苦しそうな声を上げて転げ回りました。
「せっかく貴様を殺せる絶好の機会であったというのに台無しにしおってからに」
酷く理不尽ながらも魔王らしい理由を告げられ、道化はさらに激しく地面をのたうち回りました。
汗まみれだったその顔は、さらに涙と鼻水と涎でぐちゃぐちゃになっていました。
「魔王様、それはあんまりなお言葉ではありませんか」
しばらくしてやっと痛みが引いた道化は魔王の元に這い寄ると、そう口にしました。
「汚い顔を儂に向けるな」
しかし魔王は全く取り合おうとはしません。
「これは失礼を!」
道化は先程までとは異なった俊敏な動きで立ち上がると、顔をぬぐうための布を探そうと懐を漁り始めました。
「あった、あった。これですぞこれ。おっと」
布を取り出した拍子に懐から何かが転がり出てきました。
「こりゃまた失礼を」
落ちた物を道化が拾うよりも早く、それは魔王の手の中に飛び込んで行きました。
「純銀の刃を持つナイフか。なかなかのいわく付と見たがどうだ?」
しげしげと手の中の凶器を見ながら魔王が尋ねます。
「お分りになられますか!実はそのナイフ、かの有名なクランドットの吸血鬼退治に使われたものです。
その後もユニセイ、ミレークフン、オウバンと、合わせればなんとなんと百を超える吸血鬼を滅ぼしてきた逸品ですぞ」
大袈裟に身振り手振りを加えながら道化はナイフについて語りました。
「ふふん、読めたぞ。今日のこの茶番はこれで儂を滅ぼそうと画策したものだったか」
ぐるりと玉座の間を見回して魔王が言うと、
「あれま、ばれてしまいました」
道化はあっさりと認めてしまいました。
「それで、一万体に分れた儂を殺せそうか?」
辺り一面には玉座の魔王スカラルから分れた分身たちがずらりと並んでいました。
「無理ですねえ。そんなおもちゃでは一万分の一のスカ様にすら傷一つ付けられないと分りましたですよ。はい」
若干落胆した口調で言うと、道化は取り出した布で顔をぬぐいました。
数時間前に自身が発した言葉が脳裏によみがえってきます。
『魔王様!魔族の方々は力を分割してたくさんの分身を作ることが出来るとか』
『ボンラット将軍は千を超える分身を作れると聞きましたが、スカ様は何体ほど作れるんですか?』
『え、知らない?それなら吾輩が数えていきますのでぜひ試してみて下さい』
言葉巧みに魔王を誘導して分身させたのは良かったのですが、それでも道化が倒せるほど魔王が弱体化することはなかったのでした。
「ちなみにスカ様、これ以上分れることは出来ないのですか?」
今までで最も上手くいきそうだっただけに、道化の胸には未練が居座り続けていました。
「出来ぬことはないが、これ以上は劣化体や粗悪体を生む確率が高くなるな」
首をかしげる道化に魔王はさらなる説明を加えます。
「分身は同等の力で分れていくはずだが、何かの拍子で著しく弱い分身が出来上がることがある。これが劣化体だ。
そして粗悪体というのは源体となった魔族の意思に従わないもののことだ」
細やかな説明によってようやく理解したのか、道化はポンと手を打ちました。
が、その直後再び良く分らないという顔になりました。
「あのう、スカ様?分身とは生みだした方が動かすものじゃないんですか?」
問いかける道化に魔王は蔑みを込めた目を向けました。
「貴様、その程度のことも知らずにこの儂に分身を作らせたのか」
蔑みはやがて怒りに変わり、怒りは低い声となって発せられて道化の体を打ちすえていきます。
「ひいっ!申し訳ありません!ごめんなさい!どうかお許しを!」
恐怖に駆られて背を向けて逃げ出したくなるのを必死に抑えつけて、道化は地面に頭をこすりつけました。
それというのも、魔王の側に仕えるようになってからこの一年の間に、魔族や魔物、そして人間を問わずに玉座に背を向けたものが残酷な死を迎える光景を何度も目にしてきたからです。
「また貴様を殺し損ねたか」
道化の対応に魔王はおもしろくなさそうに鼻を鳴らすとそう告げたのでした。
「お許し頂けるので?」
怒りを治めつつある魔王に恐る恐る声を掛けると、
「二度同じことを言わせるな。次は無い」
冷たい、地獄を思わせる声音で答えが帰ってきました。しかし道化はそんな冷たさを感じていないばかりか、まるで春の訪れを伝える言葉であったかのようにきびきびと起き上がりました。
「はああ、恐ろしかった。しかしスカ様、愚かなことが道化の資格なのですから、もう少し寛大に構えてもらわないと吾輩困ります」
さらにあろうことか滅茶苦茶な理論で魔王に説教を始めました。
「愚かであることと無知であることは同義ではない」
つまらなさそうに手を振りながら魔王が返すも、道化の説教は続きました。
「二十分か。貴様も随分と弁が立つようになってきたな」
しばらく経ってその言葉が途切れると、魔王は手にした懐中時計を見て一言そう答えました。
「お褒め頂き恐悦至極。恐ろしいのは強烈地獄。……はてさて吾輩、魔王様と何のお話をしていたのでしょうか?」
本心なのかそれとも演技なのか、魔王の怒りを買うことになった自らの言葉をすっかり忘れてしまったように道化は周囲に疑問符を浮かべて回りました。
「分身を直接儂が操っているかどうかという話だ」
魔王がどうでもよさそうに言います。
「おお!そうでしたよ、そうでしたとも。そこのところはどうなんですか?」
こうしたやり取りは日常茶飯事なのか、わざとらしい程の食いつきを見せる道化に魔王は淡々と教えを垂れていきました。
「貴様が思っていたように源体となった魔族が直接動かす場合もあるが、儂の様な高等魔族における分身とは、記憶や感情、知能を共有した上でそれぞれが固有の意識を持ち自在に行動するものを指す。
故にそれぞれの場で最適な選択を取ることが可能なのだ」
正しく魔王軍の強さの一端がこの分身能力にあったのでした。
「ほうほう、勉強になりますなあ。つまり、こちらにおられる皆様も全て一個のスカ様なのですな!」
玉座の間を埋め尽くす魔王の分身たちを振り返り、隅々にまで聞こえる程の大きな声で叫びました。
「やかましい」
玉座の魔王が言うのと同時に全ての分身たちが顔をしかめました。
「おおっと、これは度々失礼を。しかし、皆魔王様ということであれば、どうして今お叱りになられたのはスカ様だけだったので?」
謝りながらも、道化は次々とわいて来る疑問を抑えようともせずに魔王へとぶつけていきます。
「油断ならん奴め。先程の大声は試すためだったか」
道化の真意を見抜いた魔王は苦々しい顔をしながら説明を始めました。
「分身は源体に絶対服従という明確な上下関係があるのだ。今は儂以外のものは勝手に動くことを禁止しているから、どれも貴様に手を出さんという訳だ。
さて、ここで問題となってくるのが粗悪体だ。道化よ、先程儂が説明してやったことは覚えているだろうな?」
説明の途中で突然呼びかけられるという今までになかった事態に、道化は驚愕してしまいました。
何とか意識を立て直して裏返った声で返事をすると、必死に記憶を漁り始めました。
「ええっと、確か、源体となった魔族の意思に従わない、とかなんとかでしたっけ?」
おどおどと答える仕草に苛立ちを滲ませながらも、魔王は大きく頷いて正解であることを知らせました。
「粗悪体の問題点は意思に従わない以上に、本来絶対的な源体との上下関係の効果が無いところにある。止まれと言っても効かんし、戻れと言っても効かん。
例えば今ここに粗悪体がいたとしたら、奴が苛立った途端、儂の考えを無視して貴様を殺すこともあり得るのだ」
想像以上の厄介さに、道化はぞくりと寒気を覚えて大きく身震いをしました。
「そして最悪、自我を持つようになる。こうなると姿恰好が同じでも源体とは異なるものと言わざるを得んな」
投げやりに言う魔王に道化が問いかけます。
「分身を作る時に粗悪体が生まれることを阻止することは出来ないのですか?」
うんざりとした表情で魔王が答えます。
「儂だけでなく、過去星の数ほどの魔族がその命題に取り組んできたのだが、誰一人として解決策を提示できたものはおらん。全くもって腹立たしい限りだがな」
それは魔王だけでなく魔族全体の恥部ともいえるべきものでした。
「そ、そんな重大なことを吾輩に話しても良かったので?」
この一年で多少は魔王の信を得たとは思っていましたが、まさかここまでのことを話してもらえるとは思ってもいなかったので慌てふためいてしまいました。
「この魔王城より他に行く当てのない貴様に話した所でどうということもあるまい」
確かに人でありながら魔王に仕えている道化にとって、今知った情報を誰か別の者に届ける術はありませんでした。
「ですがそうなると、ここにもスカ様の粗悪体がいるかもしれないですな」
そう思うと見慣れた玉座の間が恐ろしいものに感じられてきました。
「儂が分身を作ってから何度貴様が儂を怒らせたと思っている?もし粗悪体がいたならば貴様は既に細切れの死体となっていることだろうよ」
びくびくと周囲を見回す姿に、魔王は噴き出すように笑うとそう告げました。
とんでもない台詞に追従することも出来ず、道化はひきつった笑みを浮かべていました。
「全く貴様は面白い。人でありながら魔王である儂に仕えるという胆力を持っていながら、毎度毎回なにかある度に死の恐怖に怯えている
貴様を飼いこなせなかったことからも、あの国と王の器が知れるというものよ」
一瞬、ほんの一瞬だけですが、魔王の言葉に深く頭を垂れた道化の目に怒りの炎が灯りました。
「いやはや、魔王様から直々にお褒めの言葉を賜るとは、吾輩も偉くなりましたな」
顔を上げた時にはもう瞳の炎は消えうせていて、平素の道化でした。
「図に乗るな、と言いたいところだが、儂にそこまでの言葉を吐ける者は魔族を含めても他にはいまい。
当初の約束通り貴様以上に楽しめるものが見つかるまでは重用してやろう」
その言葉に道化はもう一度、深く深く頭を下げたのでした。
魔王一万分の一 京高 @kyo-takashi
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